39 公爵邸へ
あれから数日後、しびれを切らしたアークレルト公爵が伯爵邸に馬車を寄こし、リュアティスは公爵家へ向かうことになった。
玄関ホールを出たところで、レステラルスとこの家の人々に並んで、エリスレルアとレミアシウスも見送りに来た。
「リュアティスらる、行ってまうで、る? ます?」
『「さん」は、付けなくていいと言いましたよね? エリスレルア』
『そうだったーー。も、難しいよ~~。舌が疲れた』
クスッ
「あなた、がたの、ことばの、ほうが……おぼえ……れ? おぼれ…すし?」
『覚えやすいって、言おうと思ったのですが、忘れました』
「「ハハハハッ!」」
(楽しそうだな、リュアティス)
(楽しそうですね、殿下)
(なんでこいつ、ここの言葉をしゃべってるんだー?)
『でも、せっかくリュアティスさん……せっかくリュアティスと一緒に勉強できて楽しかったのに、一人だけ行っちゃって、つまんないな~』
この子のことを「エリスレルアさん」ではなく「エリスレルア」と呼びたくて、僕のことは「リュアティス」と呼んでくれと言ったのだけど、なかなか呼び辛いようだ。早く慣れてほしい。
案外、「ユアテス」と呼んでと言ったほうが呼んでもらいやすかったりして。
『向こうの状況次第ですが、状況が許せば迎えに来ますし、だめそうならおじいさまに言って、残りの夏季休暇はこちらで過ごすことにします』
『そしたらもっとしゃべれるようになるかもー』
『そうですね』
『ま、リュアティスいなくても、リルちゃんがいるからいいかな!』
僕は、まだまだリルちゃんに負けているようだ。
『あ! そうか!
言葉もリルちゃんに教われば!』
えぇっ!
『せめてそれだけは僕に!』
『え、でもー』
エリスレルアが不服そうな顔をした。
『…っと……あなただけ言葉を覚えるのは反則です。
一緒に覚えようと言ったのは、エリスレルアですよ?』
『! そうだった。リルちゃんに教わるのはあきらめよう』
ホッ
「それでは、いってきます」
「いったらしゃーい!」
ここの言葉で挨拶を返され、その可愛さにどぎまぎしながら回れ右をしたリュアティスは、そのまま馬車へ向かった。
当初はエリスレルアを見かけるだけで動揺していたリュアティスだったが、一緒に散歩したり、言葉を教え合ったりして伯爵邸で過ごしているうちに、近くにいても落ち着いていられるようになっていた。
それなのに、言葉を覚えたいと言う彼女に、一番に教えた挨拶のうちの一つを、こっちの言葉で言われただけでこんなに動揺してしまうとは。
「やっぱり、リルちゃんに負けてるな」
「殿下?」
ぼそっとつぶやいた言葉に反応されて、少しだけ足早になる。
「…なんでもない」
うつむき加減で赤面しながら馬車に乗り込むリュアティスに、ネスアロフが続いた。
「最初の休憩所で2時間ほど休み、次の休憩所では馬を変えてすぐに出発する予定となっています」
一刻も早く、僕に会いたいということなんだろうな、おじいさま。
母上の見舞いもかねて療養すると言っておきながら、叔父上のところに長居し過ぎてしまったから。
両家の間の道は丁寧に整備されていて、きらびやかではないが上等な素材で頑丈につくられている馬車の乗り心地もよい。
この馬車なら、彼女、気に入ってくれるかな。
その大きな窓の枠に頬杖を突いてゆっくりと流れていく外の景色を眺めながら、リュアティスは、どうすればエリスレルアを巻き込まずに許嫁を解消できるのか、考えていた。
自分の気持ちに気づくと同時に、許嫁という存在自体が嫌になったのだ。
『私、エリスレルア!』
「そういえば、あの時既にかなり嫌になってたな」
「殿下?」
「いや、何でもない」
あの時は、許嫁問題より彼らを探して送り返すことのほうが重要だった。
今だって、重要度だけなら、彼らが元の世界に戻ることのほうが重要だ。
だがそれは、どうしようもないか、どうにかするには時間がかかる問題。
今のリュアティスにとっては、許嫁問題のほうが大問題になっていた。
だからといって、訳もなく「解消したい」と言っても通らないだろうし、セフィテアのことは苦手なだけで、彼女に落ち度があるわけでもない。
あれからずっと、何か方法はないかと考えているのだけれど、いい案が浮かばない。
リュアティスの頭の中にある問題点の箇条書きは、今や―――
1 彼女と結婚できる見込みがない
2 送還に関する諸問題
これだけになっていた。
ああ、気が重い。
☆
☆
☆
出発から約5時間後、アークレルト公爵邸に着いたリュアティスは、思ったとおり、祖父であるアークレルト公爵に熱い歓迎を受けた。
「お久しぶりです。おじいさま」
「リュアティス! しばらく見ないうちに大きくなったなぁ。
学園生活はどうだ?
私たちがいなくて寂しかったのではないか?
いつでも帰ってきてよいのだぞ?
勉強など、ここでも充分できるのだからな」
「その折には、よろしくお願いいたします」
昔と変わらない祖父の笑顔にリュアティスの心も和む。
だが、和んでばかりはいられない。
「母上のお加減は……」
「相変わらずじゃ。
なんとかならぬものかと八方手を尽くしてはいるのだがな。
皆、あの子を殺めてしまうことを恐れて、何もしようとしないのだ」
リュアティスの母・リンシェルアは胸の辺りに毒の病巣があり、治療しようとするとそこから一気に毒があふれ出し、数分で死に至る不治の病に侵されているという診断により実家で静養している。
治療するのではなく、少しずつ漏れ出している毒を除去するだけなら問題ないため、リンシェルアが暮らしている離れ家は浄化の魔法陣で覆われていて、その中で彼女は暮らしていた。
「お顔を拝見してまいります」
「長居するでないぞ」
「はい」
中庭を抜けて離れ家に向かう。
地面に描かれた浄化の魔法陣から上に向かって伸びる薄い緑色の光の中に小さな家があった。
小さい頃、叔父上のところの麦畑で一緒に駆け回って遊んでいた母上が、こんなに狭いところに閉じ込められているなんて。
胸が詰まりそうになりながら、リュアティスは扉をノックした。
「母上、リュアティスです。
お加減はいかがですか?」
すると、扉の向こうから声がした。
「リュアティス、陣の外に出なさい。
うつったらどうします」
リュアティスが魔法陣の外に出ると、リンシェルアが扉を開いて外へ出てきた。
次回予告〔制限されない召喚〕




