38 自覚された想い
ある程度症状が回復したところで服を着て浴室を出た。
介抱されている間、長湯してしまった原因を問いただされると思っていたが、ネスアロフは相当怒っているようで、水を持ってきてから一言も口を利かない。
そして、僕たちの部屋に入ったとたん、叱責された。
どうやら人に聞かれないように、部屋まで我慢していたようだ。
「なぜもっと早く、風呂からお上がりにならなかったのですか!
一歩間違えば、お命に関わりかねなかったのですよ!」
うっ!
「こんなことなら殿下に付いていって私も一緒に入るべきでした。
少しゆっくりなさりたいだろうと、時間をおいてから行ったのが間違いでした」
湯船に浸かっていたら彼女がテレポートしてきて動けなくなった、というのが真相だが、言うわけにはいかない。
「すぐに上がるつもりで入り口付近の湯船に浸かったのだが、奥のほうに入っていたあの子がちょうど風呂から上がるところで、動けなくなってしまったのだ」
「え……殿下……………まさか……」
まさかって、何だ!!
「動けなくなったと言っているだろう!!」
ただ、まあ、あの、ほかのところならともかく、思い出しただけでのぼせそうになる、風呂場へのいきなりテレポートだけは勘弁してほしい。
そう思って、次の日の朝、『午前中、散歩に行かないか』と『声』をかけてきたエリスレルアにリュアティスは真っ先に頼んだ。
『100数えて、すぐに部屋に戻ってもだめなの?』
『あれは心臓に悪いんです』
『そっかー……わかった!
今度からは、誰もいないか確認してからにするね!』
この発言にリュアティスは―――
……昨日はたまたま僕だったけど、もしかしたら、叔父上とか、ネスアロフとかが風呂に入ってるって可能性も……
『是非、そうしてください!!
絶対、確認してください!!
絶対ですよ!! 約束してください!!』
『??? う、うん』
……ったく。
12歳には見えなくても、やはりそれくらいなのだろうな。
ていうか、それ以下?
そういうことに関する認識が、僕以上に欠如している気がする。
だが、これで風呂場でのぼせることはもうないだろう。
散歩の約束を取り付け、寝室を出ると、ネスアロフが朝食前のお茶を準備していた。
「もう彼女と風呂場ですれ違ったりすることはないので、のぼせたりしないから安心してくれ」
そう言って椅子に座ると、ネスアロフがなぜかがっかりした。
こいつ、僕がのぼせたほうがいいと思っているのだろうか?
まさか、すれ違いたいと思っているとか……
何かモヤモヤと微妙な気持ちになったリュアティスだったが。
「殿下は来年には16歳になられ、成人の儀の準備に入られます。
17歳以上の王族の方々専用寮へ移られる支度も始まりますし、それに……このまま何もなされないでいらっしゃると、今は許嫁のセフィテア様が正式に婚約者となられてしまいますよ」
そうだった!!
「けど……だからと言って…………や……無理っていうか……」
リュアティスだって、恋愛関係の知識がまったくないわけではない。
学園でもいろいろな情報が飛び交っているし、休暇で王城に戻った際などに、世継ぎの話などに関連してそれなりに大人な話も聞いている。
ただ、そんな話は兄上たちには必要でも自分は関係ないと聞き流していた。
兄が4人もいるのだから、よほどのことがない限り自分に回ってくる話ではない、と。
だか、世継ぎ問題は関係なくても、セフィテアの問題はリュアティスの問題だ。
許嫁は家同士で決めたものだから、それを解消するには、自分で相手を見つけて当主に認めてもらわなければならない。
王子であるリュアティスにとっての当主は当然、父王である。
ネスアロフが言うように、このまま放置しているとセフィテアが許嫁よりももっと厄介な『婚約者』という立場になってしまうが、王は理解のある人物なので、その前にちゃんと紹介すれば許嫁の解消はほぼ認められると思われる。
だけど、彼女を紹介するわけには……
エリスレルアの笑顔がよぎって体温が上昇し、胸が苦しくなる。
紹介したくても…………彼女は…………
「彼女は、異世界の人だ!
僕が結婚できる人ではない!!」
真っ赤になって叫びながら、リュアティスは自分がエリスレルアとずっと一緒にいたいと思っていることに気がついた。
そして、昨日レステラルスがした提案の真意にも。
―――叔父上の提案は、彼らのためというより、僕のためだったのか。
「……しばらく休む」
そう言ってリュアティスは、与えられている寝室へ入り、鍵をかけた。
朝食後に森へ散歩に行こうと誘われて、了解したと返事をしていたが、とてもそんな精神状態ではなくなった。
ベッドに倒れ込み、何と言って断れば彼女を傷つけずに済むのだろうかと思案する。
嘘はつきたくないが、本当のことも言えない。
しかも、行くと言ってからまだ5分ほどしか経っていない。
5分前には楽しみにしていたのに、今はどん底の気分だ。
深いため息をついたあと、リュアティスはエリスレルアに向かって発信した。
『……エリスレルアさん』
『うん? リュアティスさん?』
『…午前中の散歩の件ですが…』
『どうしたの? なんか、元気ないみたい』
…あ…
『そんなことはありません。
その……少し気になることができたので、行けなくなりました。
申し訳ありません』
『……わかった! じゃ、一人で行ってくるね!』
『はい。お気をつけて』
ふぅ……まぁ、これでいいかな…
仰向けになって天井を見た。
『送り返すのが僕の義務』
昨日は明るい希望に思えたのに、最もやりたくないことになってしまった。
どうすればいいのだろう。
いいも悪いも、ないのだけれど。
彼女を返したくない。
でも、それは僕のわがままだ。
彼女はいずれ帰ってしまう。
ずっと先でいいって、いつ頃だろう。
年内? 1年後? 5年後? 10年後? 20年後?
あぁ、いつでもいいって言ってくれたのはレミアシウスさんだ。
おにいさんが迎えに来れば、明日かもしれない。
彼女が帰りたいって思えば……今かも!
『エリスレルア!』
『何ー?』
飛び起きて思わず呼びかけてしまったリュアティスだが、エリスレルアの返事はのんびりとしたものだった。
『…さん。えっと、わ…忘れ物のないように、道中気をつけて』
何を言ってるんだ、僕はー!
『もー、リュアティスさんまで、おにいさまと同じこと言ってるー!
私、忘れ物なんてしたことないよー!』
『したことを忘れてるだけだろ。
リュアティス君、こいつさ、この前だってネルティさんに渡してって頼んでたお土産、忘れていってさー。
結局僕があとで届けることに』
『だって、早くリルちゃんに会いたかったしー!』
つまり、忘れてたんだ。
落ち込んでいた気持ちが二人の掛け合いで少し軽くなり、リュアティスはつい、発信してしまった。
『土産のことを忘れるくらい、僕に会いたいって思ってほしいな』
『え?』
『うおぉーーー! 王子様の甘い言葉、来たー!』
はっ! しまった!!
真っ赤になって、ベッドに倒れ込むリュアティス。
……恥ずかし過ぎて、気を失いそうだ……
『……今の……忘れて……』
『……ごめん、リュアティス君。失言でした。僕のも忘れて』
『大好きなリュアティスさんへのお土産は、忘れたりしないよー!』
………………えっ?
無邪気な彼女の発言に、リュアティスは息の根を止められた。
『ネルティさんのことだって大好きじゃないかーって、あれ?』
『あれ? リュアティスさん?』
『リュアティス君? おーーい!
……返事がない……もしかして気絶?』
『どうして?』
『さあ?』
☆
☆
☆
「○▽@##? ○△@●▽○○▽@#」
ん?
「○○@ ○□○○@□」
誰かいる。
って、この声……
「○○ △○##@□」
『エリスレルアさん?』
『あ、起きた! ギリギリ間に合ったー』
んん??
目を開けると、薄い黄色のブラウスに明るい緑色のスカートといういでたちでエリスレルアがベッドの横に立っていた。
えっ、確か、鍵をかけ……ても意味ないか。
『こんなところで何を―――っ!!』
言いながら起き上がって驚愕した。
部屋の中が……………森になってる!
『お土産だよ~』
ベッドから降りようとしたら足元に花々が敷かれていて、その先に高さが40センチくらいの木が数本立ててあり、その木の上に2種類の木の実が数個ずつ置いてある。
その向こうに倍くらいの高さの木が2本あり、それに何か生き物が…って、あれは、ネズミのような身体にフサフサの大きなしっぽが付いてる、幻の妖精では…!
『えっとね! 本物の森は一緒に行けなかったから、ここにつくってみたの!
まずー、ここで、きれいなお花でしょ!』
こ……言葉は出てこないけど、想いは送れる。
『そ…そうだね』
『次にー、この木の実は?』
『えっと……こっちは酸っぱいけど、こっちはおいしいですよ』
『そーなの! すっごく酸っぱかったのー!
でも、こっちはおいしかった!
で、最後に!
これこれ! リスみたいなやつ、見つけた!』
『りす? これは、可愛いんですけど、実は滅多に見られない幻の妖精で……』
『やったー! お散歩完了~~♪』
はい???
わけがわからず、呆然としていたリュアティスだったが、とても満足げに喜んでいるエリスレルアを見ているうちに、ネスアロフの発言以降ずっと苦しかった胸の内から徐々にその苦しみが消えていくのを感じた。
―――これ、全部……僕のために……
『あっ! リュアティスさんも元気になった!
よかったー!
じゃ、これ、森へ送っちゃうね!』
『なんか、元気ないみたい』
今朝の彼女の『声』がこだまする。
―――僕を元気づけるため、だけに……
『私の家ならずっと置いててもいいけど、ここ、レステラルスさんのおうちだし』
窓も開いていないのに部屋の中に風が巻き起こり、空気が虹色に輝き出す。
『リスさん、一緒に来てくれてありがと!』
エリスレルアがそう言った直後、寝室にあった森は一瞬で消えた。
ふうっと息を吐きながら左手で額の汗をぬぐうようなポーズをしているエリスレルアの前に片膝をついたリュアティスは、彼女の右手を取り、その手の甲に軽く口づけた。
『素晴らしいお土産を、ありがとうございます』
『どういたしまして!』
この、異世界から来た姫を、傷つける者は誰であろうと許さない。
それには当然、僕自身も含まれる。
『散歩に行けなくて、申し訳ありませんでした。
午後、一緒にできそうなことはありますか?』
『うん!』
次回予告〔公爵邸へ〕




