32 再 会
最後の森を抜けると、黄金色の小麦畑が広がる中、小高い丘にレステラルスの屋敷があった。
懐かしいな。
大叔父上とは小麦畑でかくれんぼとかしてよく遊んだ。
郷愁に浸りながら伯爵邸を眺めていると、門のところに誰か立っていた。
あれは……大叔父上!?
なぜあのような場所に?
伯爵が自ら門の外で待っているなんて、普通はない。
馬車が彼の前にとまると、ネスアロフは御者の横に移動し、レステラルスが何か御者に指示を出してリュアティスのいる馬車に乗り込んできた。
「大叔父上!? どうされたのですか?」
「リュアティス。久しぶりに会った挨拶がそれか?」
そんなこと言われても。
「門のところに立っておられた大叔父上のほうがおかしいというか……」
「ハッハッハ!
予定が早まったと知らせが来て、心待ちにしていたのだ」
ネスアロフは公爵家へ伝言を頼んだあと、別の近衛兵に伯爵家へ行ってもらっていたのだ。
「手紙には体調を崩しているとあったが、どこを崩しているのだ?」
これは、嘘だとばれているな。
「大叔父上のご想像のとおりです」
「リュアティスー。その、大叔父上というのはやめてくれ。
昔のように、叔父上でいい。
俺はリンシェルアと6歳しか違わないんだからな」
おじいさまとは13歳離れておられるのだったか。
「わかりました」
苦笑するリュアティスににこやかな笑顔を向けるレステラルス。
その彼に、話さなければとリュアティスが口を開きかけた時、レステラルスがそれを制した。
彼の笑顔が優しい笑みに変わる。
「話はあとだ、リュアティス。まずは俺についてこい」
「えっ?」
馬車が止まり、レステラルスが先に降り、リュアティスが続く。
「叔父上、どこへ?」
「いいから来い。そんななりで俺の屋敷を歩き回るなんて、言語道断だ!」
えぇ!?
「昔は、泥だらけで走り回っていましたが」
「お前は5歳の子供か!」
連れていかれたのは風呂場だった。
問答無用と言わんばかりに押し込まれ、拒否する間もなく侍女たちに丸洗いされ、湯船に放り込まれた。
……何なのだ、一体……
しばらく湯船の中で呆けていたリュアティスだったが、上がって身体を拭き、髪を乾かしているうちにレステラルスの意図に気づいた。
彼女に会う前に、身なりを整えさせてくれたのか。
用意されている服を着て風呂場を出ると、侍女が一人待機していた。
「こちらでございます」
開けられた扉を通って部屋へ入ると、レステラルスが窓辺に立っていた。
「叔父上、風呂に入れたことは大変ありがたいのですが、少し強引過ぎるのでは―――」
「リュアティスサンダーー!!」
ドキン!!!
声がしたほうを見ると、十数日前、異世界の服装で突然寝室に現れた彼女が、開かれた窓の向こうに立っていた。
ベランダに飾られた花々に囲まれている彼女は、窓からこちらへ身を乗り出し、リュアティスに向かって手を振っている。
その姿に、リュアティスは身体がしびれたようになって動けなくなってしまい、ほぼ固まっている思考回路の中でわずかに生きている部分が考えた。
―――これって、何かの精神攻撃魔法か?
『リュアティスさん?』
虹色の『声』が胸の奥に広がる。
その『声』は、いつもの通信の『声』と同じく頭痛のしない強さなのに、なぜか今日は彼の思考回路を全て破壊するほどの威力を持っていて……
「おーい、リュアティース! どうした?」
自分を見てニヤニヤ笑っている彼に何か言い返したいのだが、まったく思考が働かない。
返事をしないリュアティスに、様子が変だ、とエリスレルアが部屋の中へ入ってきた。
膝丈より少し長いくらいの、ふんわりした水色のドレスが彼女とともに揺れ、思考どころか息も止まってしまうリュアティス。
固まっている身体の中で心臓だけが飛び出しそうなくらい爆発的に動いていた。
時間さえ止まっているかのように全く身じろぎしないリュアティスに、レステラルスが近寄って背中を叩いた。
「おい、リュアティス! 息をしろ!!」
っ!!
「っっ! ッハアァァァ……ハァ…ハァ…」
……呼吸数の不足で頭がくらくらする。
胸を押さえて深呼吸を繰り返している彼のところに、エリスレルアが駆け寄ってきた。
『リュアティスさん、大丈夫?』
心配そうに自分を見上げる大きめの青紫色の瞳に、体温が急上昇するのを感じ、思わず背を向けてしまった。
『リュアティスさん?』
夜の通信でだいぶ慣れてきていたエリスレルアの『声』だったが、酸欠状態の今の彼には負担が大き過ぎたのか、意識が薄れそうになる。
「おい、リュアティス、その態度は―――」
叔父上が何か言っているが、今はそれどころではない。
このまま意識を失っては……いけない。
『大丈夫です。
長い馬車の旅で、疲れてしまっただけです。
少々熱っぽいので、少し横になってきます』
『……うん』
彼女からレステラルスに視線を移す。
「…叔父上……これは……不意打ち過ぎです……
罰として、僕を別の部屋へ…連れていってください……」
「あ、ああ、すまん、リュアティス。
お前がそこまで驚くとは思わなかったのだ」
肩を借りて部屋の外に出、レステラルスが扉を閉めると、リュアティスは意識を失った。
彼らを長く放置することはできないので、隣りの部屋に運ぶためにレステラルスが抱き上げていると、リュアティスに遅れて身なりを整えていたネスアロフが駆け寄ってきた。
「どうなさいました!」
「案ずるな、少し疲れが出ただけだ」
「閣下、わたくしが―――」
「よい。お前は部屋の扉を開けてくれ」
「……かしこまりました」
そこにあるソファにリュアティスを横たえてそのまま見下ろすレステラルス。
「しばらく見ないうちに随分大きくなったものだ」
だから既に免疫があるものと思っていた。
少々驚かせて、その反応をからかってやろうとも思ってはいたが。
「閣下、何があったのですか!」
「何かあったわけではない」
瞳に優しい光をたたえてリュアティスを見つめたまま諭すようなその声に、ネスアロフも落ち着きを取り戻す。
「ですが、殿下がお倒れに……」
「本当に、何かあったわけではないのだ」
ただ彼女に会っただけだ。
「まさか、リュアティスがあれほど繊細だとは。
俺のミスだ」
「えっ?」
レステラルスは立ち上がり、窓のところに行ってそれを開けた。
やわらかい初夏の風が吹き込んできて、それと一緒に隣の声も聞こえてくる。
その異世界の言葉を聞いているうちに、今日のドレスに着替えた彼女を見た時、自分も見惚れてしまったことを思い出した。
俺は免疫があるからすぐに我に返ったがな!
というか―――
「クレファイス学園は共学だよな?」
「? そうですが」
「それが何か?」という声が聞こえてきそうなネスアロフに向かって苦笑する。
「王子であるリュアティスに擦り寄ってくる者たちはいなかったのか?」
「その傾向がおありの方々は大勢おりましたが殿下は気づかれていないご様子で、一番積極的であられたセフィテア様ですらお近づきになることができないでいらっしゃいます」
そういえば、ベシス家の娘もクレファイス学園だったか。
フフッ
「そうか、そうか! よし!」
「閣下?」
「めでたい! めでたいぞ、ネスアロフ!」
「は…はぁ…」
「ここはお前に任せる。
くれぐれも余計なことは言わずに、尊重しながら、間違いは間違いと指摘してやってくれ」
「何をおっしゃっられているのか、わかりかねるのですが……」
上機嫌で部屋を出ようとしていたレステラルスが立ち止まり、ネスアロフのほうを振り向く。
まさか、こいつも免疫やら経験やらがない、などということは……
少しだけ考えたレステラルスであったが、「それはそれで構わぬか」と笑いながら部屋を出た。
次回予告〔ある提案〕




