お憑きあいから始まる転職
前回のお憑きあいから始まる婚約破棄の後編ですが、それぞれだけを読んでも成立します。
その日は本当に眠かった。
私はリコ、18歳で次期領主として勉強中の身である。
だが、なぜか夜も明けぬうちからたたき起こされることがよくある。自領の発展の為にと呼び寄せた研究者のうち、とびきりの変人が何かしらやらかすのだ。
本日も大事な予定があるのに、新しい発見があったとかで淑女の寝室に無断侵入しようとして、変人が私の専属侍女のニシに取り押さえられていた。新しい発見とやらのために増えた仕事をさばいているうちにうとうとしてしまって、危うくすっぽかすところだった。
良きライバルともいえる次期領主仲間とのお茶会の招待はここ最近の楽しみでもある。令嬢と近況報告&最新の流行情報を交換するという充実した時間を過ごした後、帰宅しやっと一息ついた夕食の前。
いつもはそっけない態度をとる飼い猫のプラムが珍しく私の膝に乗ってきた。
嬉しくなってプラムの背中を撫でているうちになんだか瞼が重くなって…
気づいたら見たこともない空間にいた。
ピコピコとかカタカタとかいう聞いたこともない音が響く空間で、私は机を挟んで目の前に座っている男に詰られている。
「お前みたいなヤツが他の会社で雇ってもらえるわけないだろ。馬鹿馬鹿しい。書くだけ無駄だったな。」
と笑いながら男が破いているものが、何故だか昨日の自分が強い決意で書いたものだと頭に浮かんだ瞬間すごくイラッときて。気づいた時には男の顔を思いっきり引っ叩いていた。平手で。
手がじぃんと痛みを感じたところで急に冷静になった。コレマズイ…夢じゃない!!
周りの人が呆気に取られている間にさも何事もなかったかのように男の前を離れ、1人になれそうな小部屋に向かった。
「上司を叩いてタダで済むと思うなよ!今月もお前減給だからな!!」
上司だったらしい。男が怒鳴っていたが、まるっと無視した。
給湯室と書かれた小部屋の中にあった鏡に映ったものを見て驚いた。少し傷んだ黒髪をテキトーに一括りにした化粧もいまいちな女性が今の自分の姿だったのだ。ふとのぞき込むと、
疲れた顔した女性と目が(・)合った(・・・)。
―どっ、どうしよう!?あんな派手に引っ叩いちゃって!まぁ気持ちはスッとしたけど、っていやいや!あの課長のことだからどうなるかわかんないよぅ(泣)。今日ツボミちゃんが休みで良かった…。ってか待ってあなた誰?今流行の悪役令嬢とかいうの?こんなド平民の悩みとは無縁そうだぁ…。
鏡の中の顔に変化はなかったようだが、頭の中で声がした。どうやらこの体の主らしい。
『私はリコ。悪役令嬢じゃなく次期領主よ。貴女は?というかこの状況は何?』
―わたしは、草間ゆき。この会社で使いっ走りしてる。うだつが上がらないアラサー女子よ。
『あらさー…?まあいいわ。先ほど言っていたツボミとやらは?ここには居ない様だけど。』
―斎藤ツボミさん?私の後輩ね。ミスとかするとすぐ私が尻拭いさせられるの。今日はなんか休みみたい。
『あら、何で貴女がここで我慢するの。私はとある恩人から自分を蔑ろにする人間なんて大事にしないほうがいい、って教わったけど?この状況、同じことが言えるのではなくて?』
―う…。でも…。辞めたくても辞められなかったし、やっぱり私は波風立てず、会社の為にあくせく働く人生なのかな、なんて…。
『んもう!ここで挫けるなんて、私許しませんわ!貴女の人生は貴女だけの宝よ。』
―…そうね。もう少し頑張ってみるよ。でも…不安だからさ、年下の子に頼むのも悪いんだけど…もう少しだけ手伝ってもらってもいい?
『構わないわ。ただ、辞めるだけでなく辞めた後のことも考えた方がいいわ。貴女何かやりたいことはないの?』
―う~ん。とにかく辞めること優先して考えてなかったわ。こんなんだから、あの後輩やら課長やらに馬鹿にされるのか。
『今はお馬鹿さんたちの話はいいのよ。じゃあ何か趣味とかないの?それか学園で得意だったこととかないかしら?』
―うーん…まぁ趣味というか夢というか…純喫茶巡りが好きでさ。ホントは自分でお店とかやってみたいと思っていたんだけど、親に反対される気がして諦めたんだよね。
『純喫茶?ティーサロンのようなもののようね。素敵な夢じゃない!貴女のつくった
「純喫茶、行ってみたいわ!」
「おっ、なんだ?草間は純喫茶に興味ある感じ?」
後ろから急に声をかけられて吃驚する。どうやら思っていたことをいつの間にか口にしていたらしい。というか誰この人!?
―わたしの先輩の錦木さん。この人が手伝ってくれるおかげで何とか仕事を終わらせられてるし、かなりの恩人なの。
「急に声かけてごめんな。昼休憩の時間になっても出てこないからちょっとと心配していたんだが…。今日は急ぎの仕事もなさそうだし、一緒に昼めし食いに行かないか?」
錦木さんに連れてこられたのは、会社近くの落ち着いた雰囲気のティーサロン(こちらでいう喫茶店)だった。ゆきの記憶にない店らしいが、ゆきが好きそうな反応をしているので、体の主導権を返し、ゆきの背後で話を聞くことにした。
「わぁ…!素敵な喫茶店ですね!大正ロマンのような佇まい、アンティーク調で統一された家具、お店のかたの拘りを感じますね!」
「おおぅ、思ってた以上に饒舌。本当に好きなんだな。」
「はいっ!喫茶店はいろんなタイプのものがあって、違いを楽しむのも好きなんですが、ここみたいな雰囲気のお店が一番好みです!久々にとても心躍ります!」
「そうか…、実はさ、この話ができるの今日しかないと思っての提案なんだが。喫茶店の店長やらない?」
「…へ!?どういうことです!?」
「俺の実家の喫茶店がこんな感じの雰囲気なんだが、親父が腰悪くしちゃってさ、ずっと休みにしてるんだ。料理だけは俺でも何とかなるんだけど、紅茶とかコーヒーは無理でさ。地元で愛されてる店だから閉店するのも悲しいし。確か草間さん、バリスタとかティーエキスパートとか資格持ってたよな?」
「…んえ!?わたし!?た、確かに学生時代にバイトの関係でとりましたけど…わたしそんなこと錦木さんに言いましたっけ!?」
「いやぁ、この前、斎藤さんがみんなに自慢気に紅茶を振舞ってたことあったけど、あれ淹れたの草間さんでしょ?その資格の話も斎藤さん話していたけどなんか詳しくなさそうだったし。」
「あ…あの時の…」
「やっと辞める決心したみたいだし、なんか話に割り込んでくる斎藤さんもいないし、店継いでくれるなら、俺も休みの日とか手伝えると思うし、どうかな?」
「えっと…わたし…」
『受けてみたらいいじゃない!失敗も成功もまずはやってみないと始まらないわ!』
「わ、わかりました!そのお話お受けしますっ!」
善は急げとゆきを急かし、錦木さんと別れて部長の元へ行く。錦木さんが教えてくれたが、辞めるにはあの上司に申告した後、部長とやらに書類を提出すればよかったらしい。あの男はゆきにこのことを説明する気がなかったな。よほど辞めさせる気がなかったらしい。
部長は贔屓などするタイプではなかったようだが、ゆきが辞めるのを残念そうにしていた。
「次の場所でもあなたならきっと大丈夫でしょう。頑張ってくださいね。」
退職届を受理した部長の一言は暖かかった。
今抱えている仕事もないし、社内での交友関係も錦木さん以外に親しい人はいないので、完全に辞めるまでの期間は溜まっていた有休を消化するように部長が手配してくれた。早速、机周りを片付けて、今日は定時で帰ることに。ゆきが、いらない紙を処分するためにまとめていると、課長がニヤニヤしながらこちらに来ようとしている。
―やだ、課長来ちゃった。まだ言い返せそうにないし、リコ、代わって!?
『お断りよ。最後になるだろうからご自分で何とかなさい。どうにもならなくなったら直ぐ代わってあげますわ。』
―う、うん。
「おやおや、定時で帰ろうとするなんて、今日の仕事分はどうしたんだ?終わってないのに帰るなんていいご身分だなぁ。」
『ツボミとやらは常に仕事を他人に押し付けて定時で帰っていたらしいけど、いい身分はどちらかしら。』
「き、今日の分の仕事はもう終わっていますし、わ、わたしは本日部長に退職届と有休申請を提出し、じゅ、受理されましたので。」
「ハアッッ!?草間お前、俺がさっき辞めさせないって言ったじゃないか!何勝手なことしてんだよ!!」
「勝手なことって、部長に話したら辞めるときにか、課長の許可はいらないと聞きましたけど…」
「お前なんかどうせ世の中の流れに流されまくるようなやつなんだから、俺とツボミちゃ…同僚たちの為に働いていりゃいいんだよ!」
『やっぱりこいつ、ゆきを使いつぶすつもりでいたのね。』
「わたしの、わたしの人生は自分のものです!課長なんかに指図されたくありません!!」
「なんだと!?生意気な!!」
「きゃあ!!」
ゆきの言葉に逆上した課長がゆきの胸倉を掴もうとしたようだが、悲鳴をあげたゆきの方が何故か速かった。気づいたらゆきは課長の頬を殴っていた。グーで。
その後、流石に暴言が過ぎた課長は同僚たちに抑えられ、部長の元へ連行された。
同僚の証言により、ゆきには特別お咎めはなかった。
『なんだ、やればできるじゃない!』
―いや、リコのおかげよ!あなたがいてくれたから、わたしは前に進めるもの。
『前に進めるなら良かったわ。私この場所には二度と来たくはないもの。』
―え…。そんな…。これでお別れなの…?
『つ、次来るなら貴女のお店で美味しい紅茶でも頂くわ!サロンでのお茶会は淑女の嗜みですし!』
―…!わかった!わたし頑張るわ!あなたに自慢できるくらい!本当にありがとう…!
目をあけるといつもの自分の部屋。お気に入りのカウチで転寝をしていたようだ。侍女のニシが夕食の用意ができたことを部屋の外から伝えてくる。猫のプラムはいつの間にかチェストの上で爪とぎをしている。先程までの夢のようなものを考えつつ、私も上に立つものとして、彼女のように周りの人たちに感謝し大事にしたいと思った。ただ、今夜だけは、変人に邪魔されずにしっかりと寝たい。切実に。
お読みいただきありがとうございます。