近衛司 二
「あんたは……?」
「ああ、初めまして、ですもんね。私は神泉幸と申します」
日が差す廊下で、彼女と相対して、どこか、彼女に懐かしいような錯覚を覚えた。
「その腕は、義手か?」
その理由に思いついた時、反射的に俺は聞いた。
「良くお分かりで」
「友人がそうだったからな」
そう、俺のかつての友人、紫城美月。神泉を見ていると、彼女を思い出してしまうのだ。その理由がまさか、義手だったとは。
「そのご友人さんもここに?」
「……嫌、亡くなったよ」
首を振って問いに答えると、神泉は端的にご愁傷様です、とだけ言った。
「立ち入った質問ですが、どういった経緯で?」
本当に立ち入った質問だな、と苦笑してしまうが、ほとんど初対面で義手について聞いた俺が言えることでもないなと思い直し、出来るだけ誠実にその質問に答えた。
「端的に言うなら俺のせい、かな。俺の行動のせいであいつは死んだ」
彼女について話していると、嫌でも、彼女の死に顔を思い出す。涙を浮かべてる癖に、笑顔で、綺麗な顔で俺の腕の中で死んだ。嫌、殺した。
頭痛がする。嗚呼、なんで、俺は生きているんだ?美月を殺した俺が、なんで、のうのうと、生きていられる?
「―さん、近衛さん?」
ふと、意識が現実に戻る。何度も呼びかけてくれていたのだろう、神泉が、心配そうな表情で俺を見ている。
「悪い。最近、体調が良くなくて」
嘘、美月を殺したあの日から、俺の毎日は何も良くない。俺の犯した罪が大きすぎて、耐えられる訳もない。
「余り、気にされないほうが良いですよ。だって、世界が滅ぶ所だったんですから。あなたは、何も悪くない」
「は……?」
神泉のその言葉に、俺は思わず呆けた声を上げてしまった。だって、その発言が余りに真に迫っていたから
「自分の意志に関わらず起こってしまった不運を罪と呼ぶなら、この世に赦される人間なんて一人もいないでしょう。誰かの幸運の裏には、誰かの不運が必ず起こっているものです」
「どこまで、知ってる?」
俺の発した言葉とは繋がらないような返答、しかしどこまでも俺の行動を指したかのような発言だったから、ただ俺は問うしかなかった。
「全てを」
だから、彼女は答えた。実に端的に。
「貴方が七番目の【神格者】紫城美月と非常に深い仲だったということも、彼女の異能が暴走し世界を滅ぼしかけたことも、貴方がその後始末をつけたことも、全て知っています。彼女が幼い頃に四肢を奪われて神の格に至ったことも―」
「もう良い」
彼女が俺たちのことを知っていることは充分に理解できたから、俺はそこで止めた。
「何が、目的だ」
「目的……?」
俺の問いに少しだけぽかんとした後、彼女は心底おかしそうに笑った。
「あははははは!目的ですか、うふふ。そうですよね、人には目的が必要ですものね。うふ、うふ、うふふふふふ」
笑いすぎて浮かべた涙をこすり、彼女の続けた言葉に俺は、怪訝な表情をすることになる。
「貴方に、会いたかったんですよ」
「何……?」
彼女の義手が、俺の腕に触れた。
「私は、貴方と会えてとても興奮しているんですよ」
ツクリモノの指先が、俺の腕をなぞる。
キモチワルイ、ヤメテクレ。
美月を想起させる、その感触が、俺に耐えられないほどの吐き気を催させた。
「ずっと、貴方に会いたかった。それこそ、死んでしまいたくなるほどに」
一体、この女は何を言っている?
ただ、その言葉には聞き覚えがあった。この女に出会ってから、何度も、何度も想起する、彼女の言葉だった。
『……司、私は君に出会えて、本当に―』
その瞬間、思考が臨界点を超えた。
「―た?」「―ま―」「ど―」
吐き気がする。頭が痛い。目が眩む。視界が、上下反転になったような錯覚。
「悪い、神泉。急に体調が悪いから失礼するよ」
声なんて聞こえない。発せてるかもわからない断りの言葉を入れて、俺はその場を去った。
何で、こんな思いをしているかわからない。ただただ、吐き気がして気持ち悪い。
だから、俺は足早にトイレに駆け込んで、吐けるだけ吐いた。
全身の水分がからからになるまで吐いてから、涙も出せずに嗚咽を漏らし続けた。
俺は、君がいない世界で、どうやって生きればいいんだろうな?美月、また会いたいよ。早く死んで、君に会いに行きたい。
『生きて、幸せになってね』
なれるわけないだろ。もう、師匠も、無為姉も、海さんも、百さんも、美月もいない、こんな世界で。俺は、もう、生ける屍のように、枯渇してしまっているのに。
*
B組。心逆が教室についてから、二十分ほどが経った頃、最後の生徒が登校した。爬虫類のような瞳と厭世的な雰囲気が特徴の、女性。何人かの試すような視線、一人の好色的な視線、それら全てに興味を示さず、彼女は唯一空いている自らの席へと向かう。
「君、名前は?」
その女は、自分の席についた途端、不快げな表情を見せて隣の男に話しかけた。
「俺かい?俺は加賀帝斗。あんたは?」
「十二単竜胆。で、本題だけど」
男の飄々とした態度に眉を潜めながら、彼女は名乗る。
「君さ、勝手に吸うのやめてくれない?」
「なんのことだ?」
彼女の迂遠な物言いに、何のことかわからないとでも言いたげに、男は首を傾げた。そんな男のとぼけた態度に、彼女は大きな溜息をついた。
「はぁ。私ね、そういうの感覚的に分かるから。人の生命力みたいなの。君、不自然に増えすぎ」
再度、彼にのみ伝わるだろう、迂遠な指摘。しかし、今度こそ男は観念したようで、その指摘を認めるように、心底おかしそうに笑った。
「なんだ、あんた。変な『味』がすると思ったら、人でなしかよ」
そして、ひとしきり笑った後、悪辣な表情でそう言い捨てた。
「……セクハラ?キモいね」
「悪いね、性分なもんで。まあ気にすんな。あんたより変な味がする奴、このクラスだけでも二人もいるからよ」
最後の言葉に気をかけることもなく返した十二単に、加賀は再度くつくつと笑った。
「味云々に興味はないけど、私より変な存在は気になるね。誰?」
「あんたさっき、俺のことキモいって言ったよな?教えてやんね」
「私のエネルギー吸った分、借りの方が多いと思うけど?」
「それを言われたら弱い。あれと、あれだ」
十二単の指摘に観念したように両手を挙げ、素直にその生徒二人を指差した。
最初の一人は十二単の一つ後ろ、人形ヶ原負荷。そして、更にもう一つ後ろの、温盛朝顔という女生徒の二人。
「なんだ、聞くほどでもなかったね。その二人がおかしいことくらい、私でも分かる」
「後もう一人、おかしな奴がいるぜ。多分、あんたも気づいていない奴」
「へぇ、教えてくれるの?」
加賀の答えに実につまらなそうにした十二単だったが、続けた彼の言葉には興味を示した。
「サービスさ。快く、受け取ってくれ」
「あれだ」
加賀は勿体ぶることなく、一番後ろの席に座った、心逆夢を指差した。
「確かに、別におかしくは見えないね。彼は、なにがおかしい?」
「俺が、吸おうとして吸えなかった、初めての生き物さ」
十二単の問に、加賀は実に嬉しそうに、優しい笑顔を浮かべ言った。