近衛司
俺は、常々誰かに聞いてみたいことがある。
運命を、感じたことがあるか、と。
この出会いは決められていたものではないか、とか。もっと深く踏み込むなら、いつ死ぬかは生まれる前に決まっているものなのではないか、という疑い。僕たちの生は、超自然的なものが作り上げた筋書きをなぞっているに過ぎないのではないか、という確信にも似た絶望。
俺は、そんな運命を今まで三度ほど、感じたことがある。育ての親との出会い、好きだった女の子との出会い。それと、その女の子の死。
俺は運命を信じている。だから、運命が大嫌いだ。
*
「……ああ、クソ」
目が覚めたその場所は、車の中。少しだけ、悪夢を見た。最低な気分で目が覚める。目を何度かこすって、ここが現実だということを体に思い知らせる。
顔を上げると、手を振る友人の姿。
「おはよ、司。もう学校着いたよ」
「おはよう黒。七ツ星は?」
昔なじみの友人と挨拶を交わしつつ、もう一人いたはずの人物の行方を問う。
「先に行ってもらった。司もその方が良いでしょ?」
「悪いな」
1年にも満たない付き合いの彼女は、俺の事情を良くは知らないだろうし、話すつもりもない。別に、彼女を嫌いな訳じゃないが、腫れ物扱いされるのは好きじゃない。
「気にしなくていいよ。それくらいしか、出来ないし」
黒の気遣いに礼を言うと、彼女はただ首を振った。
「……で、どうなのさ。体調は」
「カウンセリングは受けてる。薬も飲んでる。効いてるんだかいないんだか、そこまでは知らんがね」
毎週1時間のカウンセリング、睡眠薬と抗不安薬、勧められるがままにこなしてはいるが、効き目に関しては正直実感がない。一日中襲いかかってくる、耐え難い眠気だけは別だが。
「正直、ここ1年くらいはずっと、自分が正気なのか分からん」
「……力になれればよかったのに」
「いいさ。お前だって決していい状態じゃねえんだ、俺のことは気にすんな。もう、なるようになるしかない」
少々落ち込んでしまった黒を、フォローするための言葉を放つ。身内に不幸があったのは、別に俺だけじゃない。あの事件に関わっていた、大概の奴がそうだ。
「そろそろ、教室行こうぜ。まだ早い時間だけど、ずっと車の中にいるのも息が詰まるからな」
「うん」
運転手の方に礼を言ってから、車を降りた。
教室前までたどり着く。クラスが違う黒とはそこで分かれて、俺たちはそれぞれの教室に入った。
「よぉ、近衛司だな?」
俺が教室に入ると、既に一人の人間が教室にいた。実に傲慢そうな、如何にも若さゆえの万能感におぼれていそうな、虚勢の自信を抱えた顔。
「……そうだけど」
彼は確か、八司院九郎。話したことはないが、知らない顔ではない。およそ、天才的な武術の使い手だと。全国大会だとかで優勝していたはずだ。俺から言わせれば、大人げない行為だと思うが、【院】に籍を置いている以上、そういった表での実績もこなさなきゃならないのだろう。
「あんたの席は、俺の隣だぜ」
「そうかい。助かるよ」
一応、礼は言いつつも、俺はホワイトボードへと向かう。
「おいおい、そこはあんたの席じゃねえぞ」
「クラスメイトの名前を知りたいだけだよ」
予想通り絡んできた八司院に断りを入れつつ、書かれた名を確認する。
やはりと言うべきか、知人友人の名が幾つか。まあ、誰も知らないよりはマシだろう。
しかし、十刻院、柘榴、ね。気にはなるが、それよりも―
「……何のつもりだ」
背後からの攻撃、間一髪で避けたその足を睨めつつ、俺は八司院に問う。
「うちの当主様から、話はよく聞いてるぜ。お前より強いやつはいない、ってな」
そこまで言ってから、嘲笑うような鼻息を漏らした。
「だから、避けてくれてほっとしたぜ。不意打ちでやられた、なんて落ちにならなくて済んで、さぁ!」
再度、蹴りを放つ八司院。確かに鋭くはあるが、別に避けられないほどじゃあない。それに、受け止めてやれないことも、ない。
「がっ!」
左腕で受けて、カウンターを食らわす。腹部に拳を叩き込むと、奴は苦悶の声を上げながら後退した。攻撃の手がなくなったなら、見逃してやる必要もない。
瞬時に、距離を詰めて打撃を放ち続ける。本来、スピードを得手としない俺だが、相手が動揺し守勢に入った今なら、容易に追撃することができる。
何度か攻撃を続けていると、八司院の防御が緩み始めた。効いてきたのだろうか、そろそろ大振りで決着をつけてしまうべきか。思案することで、攻撃の手が緩む。
その推測は間違いだった。奴はただ、入念に、攻撃を叩き込むための好機を作り出そうとしていたのだ。それに俺が気づいたのは、その奥の手が来る、少し前。何か、焦げたような匂いが鼻についた。
「……あんま、調子乗ってんじゃねぇぞ!」
怒号とともに、八司院から大きな熱が放出した。思わず、後退する。
その熱の正体は、炎。轟々と燃えるそれを、奴は全身に纏っていた。【炎舞】、だったか。八司院伝統の、身体能力を飛躍的に高める技術、【演武】を独自に改変した技術。身体能力の強化は供花さんのそれほどではないが、その分炎による攻撃性の向上は眼を見張るものがある。
成程、供花さんに聞いてはいたが、実際に見るとやはり感嘆する。改良レベルとは言えこのような技術を単独で作り上げた事実は、彼を傑物と呼ぶ充分な理由になる。
「死に晒せや!」
炎を纏った彼は、先程とは比べ物にならない速度で、攻撃を再開した。今の所は避けられないほどではないが、それでもこのまま続けていれば当たる可能性はあるし、当たれば怪我をすることは間違いない。
……ああ、なら危険だ。そんな危険な代物には、さっさとご退場願わなくては。
「【純愛剣】」
まずは、その動きを止めなくちゃ、な。近づく蹴りに合わせて、俺は手をかざした。
ガンッ、その手の先で鈍い音がなった。奴の蹴りが、俺ではない何かにあたった音。何に?かざした手のすぐ先に生まれた、鉄塊に。
「なんだよ、それは」
「剣の塊だよ。別にこれを全部お前に投げつけてやっても良かったんだが、流石にそれに耐えられるほど強いとは思わんからね」
呆然とした表情の八司院に、俺は懇切丁寧に説明してやった。
炎は、未だ燻る気配もない。ああ、やはり俺自身の手で、消さなきゃな。
「【破】ッ!」
八司院に向けて掌底を放つ。自ずと彼の炎に触れてしまうのだが、俺の手には火傷一つ無かった。俺の手が触れた瞬間に、炎は消えてしまったから。
俺の【破】で消えるなんて。端的に言って、練度不足だな。才能にかまけていたのか、そもそも最近までその道を歩むことを考えていなかったのか、いずれにせよ彼自身の実力はそう高いものではない。
「糞、何が、起こりやがった……?」
炎が消えたという事実が信じられないのか、八司院は甚く、動揺した様子だった。混乱と恐怖のせいで床に座り込み、立ち上がることさえできない。
「いつか教えてやるよ。お前が、教えるに値する実力に達した時にでもな」
だが、まあこのくらいの年齢なら、相応の練度なのだろうな、とは思う。俺の居た環境が特別良かったと言うだけで。磨かれていない原石なら、いくらでも磨きようはある。
……ああ、俺とは違う。俺にはもう、なにもない。ひび割れてしまった石が、元に戻ることはない。
流石にこのまま二人きりでいるのも厭だったから、時間まで教室の外に出ることにした。
「おはようございます。早いんですね」
そんな俺に声をかける、女の声。
ギコギコと、少し軋むような音共に現れた、少女。古びた車椅子を器用に動かしながら、現れた彼女は初対面ではあったが、どこか、既視感があって。
「奇遇ですね、近衛司さん」
怖気が、止まらなかった。