プロローグ
『―次は、一宮院。一宮院』
揺れる電車。つり革に捕まりながらうたた寝をしていた僕は、アナウンスの音で目を覚ます。
およそ、普通とは言い難いが、今日から高校生活の始まりだ。嫌でも、先のことを考えて、不安と期待を覚える。
ふと、周囲を見渡すと、同じ制服が何人か見えた。その中には、僕と同じく新入生なのだろう、不安や緊張からか、目に見えて挙動不審な女性が見えた。
と、同時にあることに気づく。背が高い、恐らく190は越えているだろうその背丈は、日常生活上、男女問わず余り見る機会はない。
僕がもし、普通に生まれ育っていれば、随分と大きい人だな、とか思うだけだった。だが、生憎、僕はそういった、人間以外の知的生命体が存在することを知っている。
(妖巨人かな。珍しい)
妖巨人は主に北欧に存在する種であり、日本で見ることは滅多にない。恐らくは、ハーフ。もしくは結構な昔にその血が流れている、所謂先祖返りのどちらかだろう。彼女の顔立ちは、どう見ても日本人だから、多分、先祖返りかな。
「ねえ、君。少しいい?」
どうせ、行く先は同じだ。少しだけ未来の学友に顔を覚えてもらおう。
「……誰?」
無表情と警戒心むき出しの声色で問う、彼女。
「僕は心逆夢、新入生でしょ?僕もそうだから、挨拶でもって」
「そう。恋之淵りずむ。よろしく、ね」
彼女は納得してくれたようで、手を差し出してくれる。僕はそれを握って、本題に入る。
「困ってそうに見えたけど、ここは初めて?」
「うん。田舎に住んでたから、人の多い電車は慣れない」
「そっか、なら電車に乗るのも苦労したんじゃない?都会の駅ってのは、ややこしいから」
恋之淵さんが頷く。
「背が高かったことに久々に感謝した。電子掲示板が良く見えたから、おかげで迷子にならなくて済んだ」
「それは幸いだったね」
子供の頃、親友と二人で遊園地に遊びに行った時のことを思い出す。迷子になって、あいつが泣き出すから、僕も泣きそうになったっけ。
「おっと、そろそろだ。とりあえず、学校まで一緒行かない?」
「ん、願ってもない。感謝」
ドアが開き、同じく降りる人の流れに沿って、僕たちも電車を降りた。
ふと、他の降りた面々を見ると、やはり同じ制服が多く見える。その中には、恋ヶ淵さんと同じく人間以外の血が含まれてそうなのが、ちらほら。
「私みたいなの、結構多い」
「そのための学校だからね。妖巨人ってのは珍しいかもだけど」
僕がそう言うと、彼女は無表情な顔を少しだけ歪ませ、目を見開いた。
エスカレーターに乗ると、足早に去っていく学生が何人か。僕たち新入生は、時間にまだまだ余裕がある。恐らくは、在学生だろう。
「今まで、誰にも指摘されなかったから驚いた」
ああ、そういう驚きか。まあ、そうだよね。僕も、学ぶ機会が無ければ知ることはなかった。
「在校生はともかく、1年はそういう存在がいることすら知らないほうが多いと思うよ。僕はまあ、知人が詳しくて」
「ん。だよね」
どことなく、ホッとしたような声音で、彼女は納得した。
「立ち入った質問かもしれないけど、普通の高校に進学しようとは思わなかった?」
駅を出る。まだ、外気は冷たい。震えそうな体を、両手で擦りながら、何気なしに質問した。
「異能が制御できなくて、友達を傷つけてしまった。選択肢はここくらい」
彼女の無表情が、目に見えて曇った。
しまった。僕はここで、その質問が立ち入りすぎたことを理解する。
異能で人を傷つけた。会って間もない、僕が尋ねるには、重い過去。その怪我がどの程度のものかは知らないが、少なくとも彼女がその地域で真っ当に生きることを許されなくなったことは、想像に難くない。
駅を出て、徒歩5分。もう少しばかり掛かるその道のり。その中の少しの沈黙。
「ごめん。気まずくさせてしまった」
十数秒ほど経った後、彼女は努めて、明るく言った。
「いいや、僕の方こそごめん。かなり、不躾な質問だった」
「気にしてない。これからを考えれば、初対面で済ましておいて合理的。他にも気になることがあれば聞いて欲しい」
僕が謝罪すると、本当に、気にしていない風に、彼女は言った。
だから、僕はまた、間違った問いをしてしまう。
「……心配に、ならない」
言ってから、後悔する。そんなの、心配に決まっている。
「大丈夫、親友だから」
彼女は、少しだけ口角を上げて、そう言った。
彼女が、とてもまぶしく見えた。そう言えるだけの、信頼があるなんて。僕は、僕は、親友さえも、信用しきれなかったのに。
「……大丈夫?」
心配そうに尋ねて来た、彼女。
許されたことを、僕がいつまでも引きずっているほうがおかしいか。別に、重くなるのは今じゃなくていい。
「!?」
口を開いた瞬間、得体のしれない殺気が、僕を襲った。滑っているかのように、粘度の濃い、厭さが残る殺気。久々のその感覚に、額と首に冷や汗が流れる。
「本当に大丈夫?」
彼女がまた、心配そうに声をかけてくれる。
「うん、大丈夫。ごめんね、心配させて」
これ以上待たせるわけにはいかない。僕は冷や汗を手で拭って、首を振った。
*
心逆夢が感じた殺気の出どころは、駅前にあるファーストフード店だった。
窓際の席に腰を掛けた四人組。揃いの制服という一点を除けば、大凡、噛み合わない外見の四人。されど、それ故に一種の連帯感のようなものが感じられた。
『ふふ、早速かかりましたね』
双眼鏡片手に、実に嬉しそうな声を漏らす女性。肉声とは思えない声音のそれは、機械から発せられているものだと容易に予想できた。
『不浄くん、早速お願いしますね』
「り、了解」
小柄な男に向けて、先程までの双眼鏡を差し出す。すると、双眼鏡だったものはカメラへと変じていた。男は撮影された心逆夢の画像を見つけ出すと、自らのノートPCを開いた。
「執着心が掲げる大義には塩味をつけると情けないよ」
それを見ていた、最早、童女にさえ見えるほど小柄な女が、まるで意味を為さない言葉を口にした。そのことを予想していたのか、女は只頭を抱えた。
『はいはい、無理に喋らなくてもいいですよ。護衛の仕事だけはしっかりお願いしますね』
「からからと鳴る飛び硝子の様に振り返る一味の真髄だね」
『……遊んでますね』
再度意味不明な言語で返答する童女に業を煮やしたのか、合成音声の女は童女に掴みかかった。
はずだったのに、その手は何も掴むことなく空を切る。確かに、童女に届いたはずの手は、まるで噛み合わなかったのだ。
そんな彼女を見てからからと笑う童女。その嘲笑が、彼女の怒りに油を注いだ。
『いい加減に―』
「喧嘩はそこまでにしときなさい。共鳴くんが彼のデータを見つけて下さいましたよ」
いよいよ、となる前に長身の男が宥める。実に温和そうな男の言葉は、彼女の怒りをある程度鎮めた様で、女は大きなため息を吐いた後で、笑顔を湛えた。
『流石ですね不浄くんは。早速教えて下さいますか』
「あ、と、か、か、」
『ええ』
言葉を詰まらせた男に、彼女は努めて穏やかに相槌を打つに留めた。男は紙コップに入った珈琲を一口飲み、改めて話し始める。
「あ、あ、ありがとう。そ、それで彼。名前はこ、心逆夢。し、信じられないとは思うけど、ど、どうやら【管理局】のNO.候補みたいだ。し、しかも、六歳の時点でNO.持ちの下部組織に入っている」
男の端的な説明が終わると、女は大きく目を見開き、驚きで言葉も無いようだった。
『……は、一人目から、とんだ大物が出てきたものですね』
何とか、彼女が言葉を放つと、その言葉の意味を理解できていない様子の男が尋ねた。
「ピンと来ないんですが、それってそんなに凄いことなんです?」
「す、凄いなんてものじゃないよ梵天。す、推測に過ぎないけど、久尾さんでさえ彼と殴り合えば膝を折る可能性が高い」
「……本当に人間ですか?彼」
小柄な男の言葉を聞いて、長身の男は疑問と恐怖が入り混じった声を出す。
『恐ろしいことに、人間って思ったより、人間離れしてるんですよねぇ』
彼女はそんな男に諭すように言って、ポテトを摘んだ。
『とりあえず彼は、時期を見て私から接触します。彼が参加してくれるかは分かりませんが―』
「煮えにくい鼻先にはキメラが這い寄る泉塗れな雰囲気っ!」
童女は人差し指と親指で小さな丸を作っていた。相変わらず、言葉には意味がないが、それが何よりも分かりやすい彼女の意思だった。
『珍しい。貴方が積極的賛成とは』
心底、女は驚愕した様子だった。彼女は少しだけ悩ましげな表情をしてから、顎に指を当て、思考に集中し始めた。
「も、もう時間だ、真」
数秒も経たない内に、小柄な男が声をかける。ふと、窓の外には、また学生の姿がちらほらと見えだした。
『よし、考え事は後にして、品定めを再開しましょう』
彼女はカメラを受け取り、双眼鏡をかけ、観察を再開した。