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黒
往来の人々の服装が分厚くなっていく。若い太った女は奇妙な格好をしている。革ではないてらてらした質感の外套でそれが何の素材なのか、何の意図があってそれを着ているのか理解ができない。まあ理解したいとも思わないが。冬の入り口だった。建物の隙間から流れてくる風が冷たい。
前方数十メートル先に背の高い恰幅のありすぎる男が歩いていた。肩を左右に猛然と振りながら歩いている割には随分と速度が出ないものだ。知った顔だった。いつかは忘れたが一緒に仕事をしたことがあった。自身に元来備わっていない威圧感を態度によって得ようと躍起になっていた。そんなものは正直必要だと思ったことがない。君はなぜそんなものを重要視するのかと聞こうとしたことがあったが、やめた。さほど興味がなかった。
男は後ろをキョロキョロ振り返るとビルとビルとの間の路地に体を滑り込ませた。全く、そんなに重そうな荷物をぶら下げてどこに行くのやら。
しばらくの間見つからない距離を保ちながら尾行する。ちょうど40分ほどで我々は人気のない石畳のない道に出た。男は意を決したように小走りを始めた。その先には小型のトラックが停車している。運転手はいないように見える。問題は後部の幌の中。誰かいるかもしれない。まあ別に居ても構わないが。
男はいかにも早く終わらせたいのか後ろの幌にバッグを強引に投げ込んだ。あれには目下のところそれなりの大金が入っているはずなのだが。しかしどうやら幌の中には人はいないと踏んでよさそうだ。多分いないと思うね。馬車が通り過ぎる、男がびくんと跳ねる。馭者は何事かと男をみる。
「サー、驚かせて済まない」何と丁寧なこと。君が謝る必要はきっとないのに。
「車とはいいね、10年後には馬車も馭者もお役御免になんのかね、したらばあたしなんかどうして生きていくかね」
「うるせえ!早くいけ」馭者が去ったあと男はポケットをまさぐりだした。紙巻きたばこを取り出す。マッチが見つからない。早く行けばいいものを、落ち着きたくてタバコを吸う?それは共感できるが。
男はあからさまにイライラした調子で頭だけ車内に突っ込んでグローブボックスをまさぐり始めた。
詰めの甘さには感心する。選択肢が他にあるにもかかわらずどうして君は最悪級のを選ぶんだろう。
背後に立つ。右のポケットに手を突っ込んで。喉だけで声を出す。
「アーハン」
男の体がさっきみたいにビクンと跳ねてこちらを見る。その刹那彼は酷く怯えた表情をしてしりもちをついた。ご自慢の威圧感はどうしたのだろう。
「お、お前、なんで」
「金は?あれは君のではないはず、らしい。それを君から取り返さなくちゃならない」
「幌だ、後ろに」
「知っているよ」運転席側から幌まで移動する。すると男が叫びながら腰の拳銃を抜く。不思議でならない。黙って撃つという選択肢はないのだろうか。詰めの甘さもここまでくると芸のうちだ。
ポケットに突っこんだままの右手を短いストロークで抜く。拳銃を構えて。タイルに聖書が面から落ちるような乾いた音がした。男の拳銃だけを狙ったつもりだったが右手の中指と人差し指まで弾き飛んでいた。男は咆哮をあげうずくまった。幌からバッグを取り出す。重い。元はいくらだと言っていたか。まあそれはいい。関係ない話しだ。この男が幾らか使い込んでいようがどうでもいい。
バッグをもう一度幌に投げ入れた。男は尚も呻き声をあげながらうずくまっている。丁度こちらに土下座をするような格好だ。
「なあ」声をかける。男は恨めしそうに顔を上げこちらを睨む。その丁度眉間に向けて引き金を引いた。
後頭部から血が一瞬吹き出る。その血が地面に伸びる。黒い蛇を思わせた。
死体をトラックに金と一緒に積む。
無線機を左ポケットから取り出す。軍や警察が使っているものを拝借したらしい。
「こちらノワール 完了した」