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4  大好きだったひと



 あれから2週間が経ち、あの夜のことはだんだんと忘れてきている。ジネットさんからは何があったのか聞かれたが、一緒にお酒を飲んだだけと言い張ってなんとか躱した。


 最近はクリスさんの執務室に自席を用意してもらったので、そちらで主に仕事をしている。

 秘書という役職に就いた以上覚えることはたくさんあるのだが、クリスさんもまだ学生なこともあり、彼が卒業するまでの時間でゆっくりと覚えて行けばいいと言ってくれた。


 そんなこんなで、今日は初めてクリスさんに付いて外にいくことになった。商会の直営店に用があるらしく、見学もかねて連れて行ってくれるらしい。


 ふたりで馬車に揺られ辿り着いた先は、王都にある有名な宝飾店だった。貴族向けの高価な宝石を中心に置いており、オーダーメイドで好みのアクセサリーに加工してくれるお店だ。


 黒を基調とした店内は高級感に満ちており、私がいるのはとても場違いに思える。きっと裕福だった頃でさえ、このお店に立ち寄ることはまずなかっただろう。


 前を歩くクリスさんは、落ち着いた黒い外出着でまとめていた。身長も高く、手足もすらりと伸びていて、本当に絵になる人だ。


 一方私はと言うと、唯一手元に残していた一張羅の白いワンピースを着てきたのだが、それでもどこか浮いている気がして、少しだけ恥ずかしくなった。


「エルダ、僕は奥で店長と話してきますので、適当に店内を見ていてください。もし欲しいものがあったら取り置きしておいてくださいね」

「え? あ、はい?」


 店長への紹介の挨拶もそこそこに、クリスさんは足早に店の奥へと消えてしまった。

 残された私は頭の中に疑問符を並べる。


 欲しいもの? 取り置き?

 意味が分からず、ただ呆然と店内を眺めることしかできない。それでもなんとか我に返り、とりあえず言われた通りに適当に見てみる。


 最初に見た棚は0の数がおかしくて、早々に退散した。今はもう少し手ごろな価格のアクセサリーを見ている。これでも私にはどうやっても手が出せない金額だが。


 滑るように視線を動かしていたのだが、ある一点で止まった。


「かわいい……」


 そこには高級感はあるものの、派手すぎない装飾が施された可愛らしいチョーカーが並んでいる。

 どれも首の正面にくる部分に石を嵌め込む場所があるのだが、今は空洞になっていた。恐らく、好みの宝石を選んで加工してもらうのだろう。


 どんな宝石を入れたらより一層可愛らしく見えるか、考えるだけでも楽しそうだ。


「瞳の色と揃えるなら、この緑の石だけど……」


 恋人や自分の瞳と同じ色の宝石を身に着けるのは定番だが、今の私には弊害があった。

 理由は簡単だ。エリックも私と同じ緑の瞳だからである。


「この色はだめね」


 溜め息を吐き出すように言葉を呟いたとき、背後から聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。


「エルダ……?」


 反射的に振り向いた先で目に留めた人物は、今はできるだけ会いたくなくて、でも心の底では恋しくて仕方のなかった人。


「……エリック?」


 ふたつの緑の瞳が大きく見開かれる。一瞬にして停止してしまった私の思考を、別の声が呼び戻した。


「あら、エルダじゃない。久しぶりね。あなた借金で大変なんじゃなかったの? どうしてこんなお店にいるのかしら」

「……カリーナ?」


 ふわふわとした金色の髪を揺らしながら、ひとりの女性が訝しげな表情で私を見る。

 人形のように可愛らしい顔立ちをした彼女は、学園時代の友人であり、男爵家の娘だ。卒業してから私は領地に帰ってしまったため、会うのは約2年ぶりになる。


 しかし、再会を喜べるような状態ではない。だって……どうしてかカリーナの手が、エリックの腕に添えられていたから。


「エリック……、どういうこと?」


 声だけでなく、全身が小さく震えだす。腕を組んで来店したふたりは、どう間違っても恋人同士にしか見えない。


 なんとか紡ぎ出した疑問は、尋ねた本人ではない人から返ってくる。


「わたしたち、婚約したの。あなたがエリックをあきらめてくれてよかったわ。だってわたし、学園に通ってたころからずっと彼が好きだったんだもの」

「うそ……」


 学園時代から、カリーナには婚約者としてエリックを紹介していた。彼はひとつ年上のため学年は異なるが、学園内で会おうと思えば難しいことはない。


 何度かカリーナと3人で食事をしたり、中庭で会話を楽しんだこともある。まさか、その頃からカリーナはエリックを狙っていたというの?


「エリック……あなた、いつからカリーナと?」


 私との婚約を解消してから、まだ2週間しか経っていない。政略結婚であれば珍しいことではないが、この二人はどう見ても……そう、どう見ても好き合っている恋人にしか見えないのだ。


 ドクドクと嫌な音を立てて、鼓動が加速していく。徐々に呼吸が浅くなっていき、息苦しさに胸を押さえながらも必死で目の前の人を見た。


 大好きだった彼は、至極めんどうくさそうな顔で私を見下ろしていた。冷めた緑の瞳が全てを物語っていて、今さらひとつの答えに辿り着く。


 ――ああ、そういえば……もうずっと、彼の笑顔を見ていないな。


「ごめん、エルダ」


 たった一言が、私の憶測を全て肯定した。


「エリックを悪く思わないであげて。彼、あなたといることに疲れちゃったの。エルダは頭も良くて、要領も良くて、エリックのためになんでもしてあげてたでしょう? でも、そういうのはやりすぎたら重たいだけよ。それに借金令嬢のあなたじゃ、エリックには釣り合わないわ。そうでしょう? エリック」


 カリーナは手を添えていた腕に身体を擦り寄せて、上目遣いで隣を見る。その艶のある視線を受け止めたエリックは、深く頷いて答えた。


「その通りだよ、カリーナ。僕はもううんざりなんだ。やたらと世話を焼く女も、借金まみれの女も」


 心臓にナイフが突き刺さったかのような痛みが走り、指の先から冷たくなっていく。

 ……ずっと、そんなふうに思っていたの?


「だから僕は借金令嬢の君ではなく、カリーナを選んだ。彼女は本当に可愛らしくて、健気で、守ってあげたくなるんだ」


 カリーナの頬を指先で優しく撫でて、もう私が見なくなって久しいほほ笑みを浮かべる。


 いやだ、見たくない。

 いやだ、いやだ、いやだ。

 私に見せつけるように触れ合う二人も、自己満足のためにエリックに負担を強いていた自分も。

 

 全部、いやなの……


「はっ……」


 早くなりすぎた呼吸は、ギリギリと胸を締め付けて。

 苦しい、息、が――


 できない、そう思った瞬間、何かが私の視界を覆った。


「見なくていい」


 頭上から降ってきたのは、少し高めの男性の声。今度は耳元で、同じ声が聞こえる。


「短く息を吸って、ゆっくり吐いて」


 真っ暗な視界の中で言われた通りにすると、だんだんと呼吸が楽になっていく。そのまま何度か繰り返すと、先ほどの息苦しさが嘘のように消えた。


「楽になりましたか?」

「……は、い」


 落ち着いてくると、自分が今どういう状況にいるのかやっと理解できてきた。

 視界を覆うのは温かい手の感触。背後には人の気配。声の主はよく知る人で――


「よかった。少々失礼しますね」

「あっ」


 お腹の辺りに腕が回されたと思ったら、急に後ろに引き寄せられ、そのままの勢いでくるりと半回転する。ようやく視界が解放され、ゆっくりと顔を上げると銀糸のようなサラサラの髪が目に入った。


「副会長、どうして……」


 どういうわけか、私はいまクリスさんの腕の中にいる。近すぎる距離に、今度は別の意味で鼓動が早くなっていった。


「ここは任せて、売り場から出ましょう。あなたがこれ以上傷つく必要はない」

「え……?」


 私の耳元で囁くように話したと思ったら、今度は前方に向けて声を張り上げる。


「ベンター伯爵家のエリック様ですね? 彼女は体調がすぐれないようですので、こちらでお預かりします。どうぞ、ごゆっくり店内をご覧くださいませ」


 言うなりクリスさんは私の手を引いて、従業員専用の通路へと誘導する。同時に眼鏡をかけた黒髪の女性が私たちの横をすり抜け、エリックとカリーナの前に出た。


「まあ、エリック様、カリーナ様! 毎度ご贔屓にしていただいて光栄ですわ! 今日はどのようなアクセサリーをお求めでしょうか? 新作もたくさんご用意しておりますよ。ささ、どうぞ奥へ」


 少し強引に私たちからふたりを引き離したのは、先ほど紹介された店長さんだ。クリスさんとの見事な連携で、エリックとカリーナは奥の個室へと消えていく。


「ちょっと、あの銀髪の方はどなたなの!?」


 閉まる扉の隙間からカリーナの声が聞こえた気がしたが、クリスさんは構うことなく、私の手を握ったまま店の裏手へと移動した。



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