学校で『村史』をさらう
陰を背負って安く傷心を演じる馬を後にして、教室に駆け込んだけど五分も遅刻していた。
「ミス・ウスペンスカヤ、『魔女村史』テキストの一七五ページを開きなさい」
「はい。すみません」
隣の席を取ってくれていたアンナが同情の目配せを送ってくる。小さな声で謝ってから、しゅんとして席に着いた。
「科目の総括に入っています。来月からは新しく『世界史』が始まりますので」
『魔女村史』の担当教諭ミセス・ゼムフィーラは、わたしたちの学年担任であり在野の郷土史家でもあって、村の歴史に造詣が深い。いつでも白金色のひっつめ髪に伝統的なとがり帽子をかぶり、襟元の引き締まったローブと爪先の巻いた短いブーツを身に着けている。
几帳面な印象を受けるのは、全身黒でまとめられたその常用の装束が冠婚葬祭の正装であることと、ぴんと背筋の伸びた姿勢、身だしなみに手を抜かず髪の毛一本もゆるがせにしない端正さゆえだ。知識人の魔女、といった風格がある。しかし、決して理不尽や居丈高という側面はなく、面倒見の良さから慕われるベテランの先生だ。
「それでは、改めて。まず我が村の起源について、時代背景と<四聖女>の動きを説明しなさい、ミス・ウスペンスカヤ。遅刻は病気や事故のせいではないわね?大丈夫ですね?」
「はい、ミセス・ゼムフィーラ」
あぁ、どうでもいい理由で遅れた上に悪目立ちしてしまった。クラスメイトたちの控えめな好奇の視線も痛い。
「中世に吹き荒れた魔女狩りの嵐の中、嫌疑をかけられながら逃げ延びた四人の女性が自然と集い、森の洞窟に住み着いたのがわが村の発祥です。今日わたしたちが<四聖女>と呼ぶ聖トゥーラ、聖ローザ、聖オト、そして聖ベアトリスは、それぞれの母国からこの森へ逃げ込みました。<最初の四人>とも総称される彼女たちが東西南北の四方からたどったルートは、やや変形の十字を描いたとされます。これを象徴的に<非対称の十字架>と呼びます。
<非対称の十字架>は、後続する逃亡者を導くエネルギーの流路となり、<四聖女>の後から多くの人々が中世の森に亡命してきたことで集落に発展する契機が生まれました」
「よろしい。わかりやすい説明でした。よく覚えていましたね」
ふぅ、と一息つく。実は歴史は得意分野だ。だって、何せ四人で洞窟に隠れ暮らした<穴蔵の聖女たち>だもの。現代でも判明していない部分が多いからひしひしとロマンを感じてしまう。
「有史以来、ほんの一部の例外を除いてわが村は存在を知られておりません。しかしながら、何度か危機はありました。お隣の王国政府とだけごく限定的な国交を結んでいることはご承知ですね。外界で世界規模の大戦が起きた時、情報を知る数少ない高官の一人は、魔女の力を利用して戦況を有利に進めようと謀りました。秘密裏に協力を得るべく、あるいは戦争への加担を強制すべく、王国の使節団が訪問をしようとする度、道に迷い、また姿のない獣に襲われ、ついに森を抜けることはならなかったといいます。
歴史は、記述して残す側の意図によって表現を変えうるものです。王国の伝承に関しては、往々にして平凡な事実の比喩である可能性は否定できませんが、多少は<トゥーラの聖痕>の外回りまで影響の及ぶ魔女の森に、そういった説明のつかない働きがあることは皆さんご存知の通りです。そのようにして…」
理性的な指導者であるミセスの顔が、威厳を伴って誇らしげに微笑んでいる。