ケン・トゥ・ウルス(変態)
少し加速します。
青葉萌える登校道にやや足を急がせる。春浅い緑は発生したばかりで柔らかく、これから成長していく楽しさを体現するように軽やかだ。 厚い雪を冠ってぱきりと沈黙していた樹々が春になって披露する、厳寒の只中にあって息をつないでいたことの目覚ましい宣言でもある。
中央広場を越えようかというところで、毎朝恒例の足音が聞こえてきた。
パカ、ポカ、パカ、ポカ、パカ、ポカ。
呑気な蹄の音は後ろから近づいてくるが、無益な世間話と強引な誘いで短い登校時間を失いたくない。追いつかれまいとさらに足を速めるものの、どだい四つ足には敵わないのが腹立たしい。
パカ、パカ、パ、カ---。
長すぎる余韻を残しわたしの行く手へ回り込んで止まると、わざとらしい抑揚をつけた低音の鳴き声が耳を汚すことになる。忙しなく足を動かしながら顔をそらして無視できる角度を模索するが、声の主がくどいほどに濃い顔をしかめて勘違いのダンディズムを押し出しているのは見なくてもわかる。
「おはようございます、ベリィのお嬢さん。今日もよい天気でございますね。こんな早くにどちらへ?」
(学校に決まってるでしょうが)
大きく距離を開けるようにしてすれ違う。面倒なので振り切りたくほぼ駆け足状態になるが、向こうは余裕の追随だ。後ろに牽く荷車の車輪の音さえ牧歌的に響く。
「おぉ、そうでしたね。今日はまだ金曜日だ。いやぁ、こう来る日も来る日も時間指定に追われておりますと、曜日の感覚もなくなるんですな。ネットリ通販というものが普及してから幾星霜、ワタクシの仕事も多忙を極めておりまして」
(ネットだよ)
油断した。調子づかせるだけなのに、息継ぎのタイミングで鋭くツッコんでしまった。あくまでも頭の中で、だけど。
「そうですな、そうですな。この村の方々は、実にさまざまな品を受領なさる。大学からの手紙の他に、熱帯の有毒植物や月のこぼれ石、子猫の抜け毛で編んだ絨毯、韓流ドラマのDVD全巻セット。先日などは子ヤギを三匹。ワタクシ自分を先頭に犬用リードで数珠つなぎにしまして、縦列で歩かせたのですよ。なんとも過酷な配達でございました。え?長話につきあっていたら始業に遅れる、と。それはごもっともでございます。それでは、ワタクシがぴゅーんとお送りいたしましょう。さ、さ、お背なにお乗りくださいませ。どうぞご遠慮なく」
「いや…」
思わず拒絶の意志が漏れていた。
「いえいえ、ご心配は無用ですよ。配送のお仕事に支障は来しません。さあ、どうぞ」
(嫌よ)
「え、何と、ワタクシのお背なにご不満でも?毎朝のブラッシングと光沢オイルは欠かしませんよ」
(きもちわるいから)
「ひー、そんな、そのようなあからさまな中傷を!一体ワタクシの何がそれほどまでにお嬢さんのお気に触るのでございますか!?」
(つなぎ目が。人肌と馬皮という異素材が一面につながっている部分が)
「そ、それはワタクシの最大の誇り。人馬一体を単独で実現する美しいボディ。アイデンティティそのものではございませんか!」
(ケンタウルスのね。あ、そうだ、仲間とかいるの?)
「なっ!お嬢さん!なぜ、ワタクシの種族名を!?一度も明かしたことはございませんのに」
(いや、あなた名前‘‘ケン・トゥ・ウルス’’じゃん。似非フランス風に名乗ってるけど、名が体を現してるじゃん。それこそひとりで種族代表しちゃってるけどいいの、それ?ネーミング、仲間的には大丈夫なの?)
「うぉほん、まあそれは未来の熱い議論として置いておきましょうぞ。ベリィのお嬢さん、今日はいつにも増して辛辣ですな。まあ、ワタクシの世間話にお付き合いいただいたお礼に学校までは責任持ってお送りいたします」
(だから、嫌。生暖かい背中に乗るだなんて。だいたいどこに掴まるのよ。あなたの…腰?胸?あー、生理的に無理。っていうか、人の頭の中読まないでちょうだい!変態!)
「へ、へ、変態…ケン・トゥ・ウルスは失意に暮れた」
下手な ナレーションも要らないから。