リールの町にて4
魔物は強く、魔法を使うものもいました。言葉を介さずに連携を取り、群れで効果的に人々を襲いました。
各種族は対応に苦慮し、役割分担をすることにしました。戦闘が得意な種族は守備を、手先が得意な種族は細工を、体が頑丈な種族は農耕を。共通の敵が現れたことで団結したのです。こうして神を中心としない者達の多種族国家が、初めて形成されたのです。
この最初の国はアルケーニアと呼ばれ様々な種族が力を合わせることで平和に暮らしました。
この国に触発され、他の地域でも同じように手を取り合って魔物に対抗した都市が作られていきました。
こうして長い年月が過ぎ、いつしか神の塔から人はいなくなり、神を信仰する者たちもいなくなっていきました。
しかし、月日が流れても魔物の脅威は無くなりません。それどころか各種族の特徴を備えたさらに強力な魔物まで現れ始めたのです。強力な魔物の襲撃で人口増加に土地の開拓が追いつかず、人々の生活は困窮していきました。食うに困った者たちは口減らしのため子どもを捨てたり、老人を追い出したりと人心は荒んでいきました。
それだけでは収まらず、今度は国同士での争いが始まりました。相手の国を蹂躙し物資を奪う。七つの大国による戦争に、小さな村々も巻き込まれ、たくさんの命が失われました。
そうした状況の中、一人の女が現れました。女は断罪者と名乗りました。彼女は大国ではなく、村々を回り人々に語り掛けます。
魔物を送り込んでいるのは忘れ去られた神、奴を討たねば平和は訪れない。
人々は昔話で語られた絶滅戦争を思い出し、恐怖します。そんな人々に彼女は続けます。
人同士の争いを止めるため、協力しなければならない。神を討ち、自らの手で真の自由を勝ち取るのだ。
長引く戦火の中、疲れ切り、拠り所を求めていた民衆は女に協力することを誓いました。彼女が類まれな美貌とカリスマ性を備えていたからともいわれています。いずれにせよこれが後の世に永く語り継がれる”真紅の女帝”の登場でした
彼女の登場で、先の見えない魔物との戦いから、神を討つという目標を掲げた戦いへと変わっていったのです。
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「なーんか見たことあるんだよなー」
スカルドラゴンの攻撃を右へ左へいなしながら間の抜けた声で呟く。辺りは薙ぎ倒された木々が散乱し、ドラゴンの攻撃の重さを物語っている。
「あの後ろ向きに生えたねじれた黒い角・・飾りにしかならねぇよってバカにした記憶があるんだよなぁ・・・」
右前足からひっかきを受けるが、半歩下がり左手で撫でるように地面にいなす。爪は地面を抉ったがジョンに届かない。体の勢いを使って地面すれすれを狙い尻尾を横に振りぬくが、これもジャンプして紙一重で避ける。尻尾の遠心力を利用して噛みつきを狙ったが、これも右手でいなされ、立ち木を伐採するだけだった。
「ぼおぉぉぉぉぉぉぉお!!」
ドラゴンが先ほどまでとは全く違う、殺意のこもった咆哮をあげる。
「なんか・・こう・・しゃっきりしないというか・・・ かみ合わないというか見たことあるんだよなー・・・」
まだ思い出すことが出来ずにもやもやしていた。そのせいで攻撃に移ろうとしない。歯に詰まったものが取れないような、くしゃみが出そうで出ないようなすっきりしない状態だった。
「ぼぉおおおおおおおおおおお!!」
言葉を理解しているのか、ひと際大きな声で抗議をするように鳴いた。空は夜の闇から色を取り戻し、青く広がり始めtていた。夜が明ければ死霊術で甦ったアンデッドは消える。しかし、ドラゴンの念から生まれたスカルドラゴンは消えない。力は弱まるが、活動できる。そしてまた陽が落ちれば、力を取り戻し生者を求め彷徨うのだ。
「んー、しょうがない。やる・・あ?・・・あーーー!」
思い出した拍子に大声をあげ、固まった所に体当たりをくらう。ジョンは吹き飛ばされ無縁墓地に激突し土煙をあげた。鎌首をもたげ、勝ち誇ったような顔を見せる。しかし、ジョンは何事も無かった様に出てくるとそのまま正座し、地面に付くほどの勢いで頭を下げた。
「ごめん!! すっかり忘れてた! ここが落ち着いたらすぐに行くから! 待ってて!!」
「ぼおぉぉぉ・・・」
まったくダメージの無いジョンの姿にがっかりしたようなしぐさを見せたドラゴンは、小さく鳴くとカラカラと音を立てて崩れ去った。頭のあった場所には小さな宝石のようなものが飛んでいる。それは一瞬輝くと落下し、その場に転がった。
「あー・・死者の秘石か・・・。でもなんで護石に引き寄せられないんだ? んーまぁいいか。面倒臭いけど返しに行かなきゃなー。」
そう零すと宝石を拾い上げ空間魔法の中に放り込んだ。
「いや、もー五百年前の忘れ物とかうんざりだ。もっと早く塔を出ればよかった・・・」
朝日が昇り辺りを照らす。うろついていたスケルトンやグールは崩れ落ち、静けさを取り戻した。見渡す限り破壊された墓地が後に残された。
「よし! 見つかる前に宿に戻ろう!!」
こんなところを目撃されたなら弁解が面倒だと考え、そそくさとその場を離れ宿に向かう。死霊術をかけた者は発見できなかったが、後はこの町の衛兵の仕事だろう。称号が勇者だった時には解決まで手助けしなければ気が済まなかったが、今はすこぶるどうでもいい。称号が魔王になってからは賊を殺すこともあまり抵抗が無くなった。おそらく善悪がかなり感じ難くなっているのだろう。それでノレッジドラゴンとの約束も忘れていたのだ。そういうことにしておく。ただ忘れていただけと言ったらまた怒り出しかねない。
もともとは気のいい無害なドラゴンだったのだが、当時の魔王直属四天王に理性を封じる呪いをかけられたせいで人々を襲い、討伐対象になってしまった。当時の俺はドラゴンと仲の良かった村人の話を聞き、助けようと考えた。今思えばこれが勇者補正だったのだろう。
当時の俺はまだ聖属性魔法など使えなかったために解呪などできない。そこで、吸血一族に伝わる死者の秘石に目をつけた。それは怨念や呪いを吸収し、吸血一族の力へと変える魔石だった。これと一緒に封印することで正気を取り戻す作戦をたてた。
強力な呪いのため、当時の族長からは解呪までに100年かかるだろうと説明をうけた。
この封印は100年で自動的に解除されるように術式を組んでもらっていた。結果からみると失敗していたのだが。まさか5倍も放置することになっていようとは・・・
ちなみに、なぜドラゴンが俺のことを覚えているかというと、封印直前に秘石と奴の魂が混じりあう過程で意識を取り戻したからだ。難しい事はわからないが、なんか色々いい感じに作用して村人との別れをあれしたに違いない。
封印から解かれてもこの世界の人間の平均寿命は50歳程度。封印する時点で顔見知りはいなくなるって寸法だった。魔法が使えるこの世界では医療や技術の進歩が遅いらしい。
あれから500年近く経っているが後期高齢者って人は見当たらない。
「問題は、あいつを・・どこに封印したかだな・・・」
事が済んだら解放しに行くと言っておきながらさっぱり思い出せない。何か目印をたてたような気がするのだが、思い出しそうで出てこない。村人が準備した祭壇に飾ってあった物だったはずだが、似たような件がたくさんあったためどの記憶がこのドラゴンだったか紐づかない。
「まぁー、何とかなるか!・・なるのか・・・?」
時間なら俺もあのドラゴンもたっぷりある。言葉に反応していた様子から自我はあるようだから大丈夫だろう。宿に戻ってしばらく空間魔法を整理してヒントになりそうなものを探そう。
「お館様!」
そんなことを考えながら歩いているといつの間にか宿についていたようだ。ミチが手を振って声を上げた。他の人たちは建物に入っているのか見当たらない。
「おー。みんな無事か? 」
「はい! ご安心下さい! 何名か死んだようですが私たちの知る者達ではございません! 」
良い笑顔のミチだったが、言っていることが割とひどい。ノアさんは定期的に町に来ていたようで人間とも交流がある。どこの店がおいしいとかあっちの店がまずいとか、そんな話をしていた。しかし、ミチやほかの姉妹は塔から出ても町に行くことはなかった。興味を持たないのはそのせいかもしれない。まぁ、そういったところは追々考えよう。
「コルビー君は?」
「ウルダの父親が駐屯所に向かっていたそうで、探しに行くと言っていました。」
「あー、どうしよっか。」
「なにかありましたか? 賊の本隊は逃げましたし、残党は衛兵が探索中です。危険なことは無さそうですが・・・」
「うん、賊どもはどうでもいいけど、リビングデッドがまだいそう。元がただの町人でも自己制御なんか効かない暴力装置だ。場合によっちゃあコルビー君死んじゃうかも。」
ウルダの家やこの宿の辺りはミチが一掃してくれたが、町中の方は手付かずだ。衛兵や自警団が頑張ってくれるとは思うが、二つの意味で相当の数が死んでいるだろうから手が回っていない可能性がある。知らない人が死ぬことはしょうがないにしても、せっかく助けた将来性のありそうな若者が死ぬのは寝覚めが悪い。
「お館様が行くのであれば私も行きます。」
「ミチはここに残って彼らを守ってくれないか? コルビー君のお父さんは戦えるけど防御が専門みたいだから。」
そういうとミチが苦虫を噛んだような表情を浮かべた。だが、俺の指示を無下にできなかったようで承諾してくれた。
「わかりました。ですが、私が守るべきはお館様なのです・・ 頼って貰えるのは嬉しいです。嬉しいですが役目を果たさせて下さい。」
よほどノアさんの言葉を遵守したいらしい。真面目なのは大変良いことだ。だが、そんな事を守っていたら良い相手が居ても気付かないだろう。もっと雑で良いんだがな。
「ミチ、ありがとう。役目は小間使いも含まれてるんだろ? これも立派に言い付けを守ってることになるさ!」
そう言うとミチはまた苦々しい顔をした。あまりのんびりもしていられないので手を振り別れる。コルビーと入れ違いになっても面倒なので通りに向けて走ることにした。
賊に蹂躙された町は破壊され、至るところに死体が転がっている。頭が切り落とされた死体は死霊術でも蘇ることはない。リビングデッドは死肉を貪る。例え日の光に焼かれても食欲の方が勝るのだ。つまりこの辺りにはリビングデッドはいない。もっとも屋内に十分な肉があれば別の話だ。もっとも、屋内に敵性反応がないことはディテクションで確認済みだ。
「ミチは優秀だな。あの短時間でこのあたりの掃討を完了していたのか。もしかしてコルビーと出会った時には既に死霊術が使われていたのか? だからあの賊を死体も残さずに殺したのか・・? でもあれは完全に頭に血が上っていたっぽいから関係無いか?」
ぶつぶつ言いながら走っていると見知った顔が雑貨屋の前で立ち竦んでいた。
「コルビー君! ここにいたか。どうしたんだ?」
こちらに気付いたコルビーがやるせなさそうにこちらを見た。その後、また視線を元の方向へ戻した。そちらには首を落とされ、リビングデッドに食い散らかされた死体が横たわっていた。
「俺、見てたんです。」
「?」
主語がないため何を言っているかわからないが辛そうだ。コルビーは俯き、ぼそぼそと小さな声で続けた。
「俺、ウルダを助けに来た時、見てたんです。雑貨屋から出てきた人が襲われるところ・・・ あの人には悪いけど、この隙にウルダを助けようって・・ それがウルダのお父さんだって知らなかったんです!」
険しい顔でこちらに向き直ったあと、どうしていいかわからない表情を浮かべた。ここは年長者らしくいいことの一つも言ってやろうと思ったが、月並みなことしか言えない。
「親父さんのおかげでコルビー君がウルダを助けられたんだろ? 感謝されても恨まれることはないさ。」
「っでも!! 俺が助けに入っていれば助かった・・かも・・・」
自分で言っていて矛盾していることに気付いているようだが、あえて言っておかなければならない。
「いいかコルビー君。その場に居なかった俺がいうのもおかしいだろうけどさ。もし助けに入っていたとして、君は親父さんを助けられたか? 一対一での戦いなら筋のいい君なら勝てるだろう。でも複数が同時に向かって来たらどうだ? 親父さんも君もウルダも殺されるなんてのが最悪だ。若い二人は奴隷にもうってつけ。殺されるよりも悲惨だったかもしれない。」
「・・・」
「それに遡って文句を言えるなら賊の侵入を許したここの警備が、さらにいうならそれを統治する領主が悪い。あまり自分を責めるんじゃないよ。」
どうも長く生きているだけで人生訓を語れる訳ではないらしい。まぁ、人間ではなくなったのだが。こんな時何て言えば慰めることができるか、気を楽にできるのか未だにわからない。もっと勇者っぽいエピソードとかたくさんあった様な気がするんだが・・・ さすがに死んでしまっては回復魔法も使えない。
「コルビー君。これも月並みでわるいんだが・・ 後悔するくらいならもっと強くなって全部守れるくらいになればいい。そんな情けない顔でウルダちゃんに会ってどうする? 頼りない男にゃ振り向いてくれないぜ? 自分の武器をもってるくらいだ、冒険者になるんだろ? これから腐るほど人の生き死にと立ち会わなくちゃいけない。そのたびに君は立ち止まるのか? それでホントに大事なものを守れるのか? てめぇの身の振りくらいてめぇで考えろ。 誰かに頼って得た物なんかあっさり無くなっちまう。這いずって、のたうちまわって手に入れたものは最後まで裏切らない。お前はどっちだ? ここで腐るのか? それともその足で進むのか? 」
長々と意見を述べてなんだか恥ずかしい。そもそも子供にこんなことを言うのも大人げない。自分が出来ていたかと言えば全くできていない。俺がガキだった頃なんか遊ぶことと飯食うことしか考えていなかった。あと女子の裸とか。少しの沈黙が続き、得も言われぬ居心地の悪さがあった。
「ありがとうございます。俺、ウルダに会ってきます。」
何だかすっきりしたような顔で言い終わるか終わらないかの間にコルビーは駆け出していた。
「若さだなー」
勇者時代に得た物はすべて失った。魔王になってからは長生きな友人だけだ。まぁ引きこもっていたからだが。そんな俺の言葉がコルビーを少しでも救えたならまさに僥倖。彼なら勇者、もしくは近い何かになれるだろう。見かけたときに風の精霊が付きまとっていたのは見間違いでは無かったようだ。彼のステータスには精霊王の加護が入っている。これから旅に出て、様々な出会いを経験し、きっと大きな事を成し遂げるだろう。まだ彼自身に精霊は見えていないようだが、その内見えてくる。好奇心旺盛な風の精霊の中に一人だけいる火の精霊が一番の古株らしい。恐らくこちらのステータスが見えていたのだろう初めてあった瞬間の慌て様ったら可哀想だった。その後も反応に困っていた。ステータス偽装は精霊には効果がないからだ。
「さて、少し本気だすかー」
ちょうど良く被害状況の確認に来た衛兵にウルダの父を託し、ウルダの家の衣料品店へ入る。この町にはまともに聖魔法を使える者が居ないらしい。先ほどから感じる魔力の発動も攻撃のための波動しか感じない。この程度の術は500年前であれば児戯にも等しい。これならば"大奇跡"を使っても俺を特定できる術師は居ないだろう。
「手のひらを太陽にってな」
空に手を向けて魔力を込める。三割程度で問題ないだろう。これは勇者だけが使える最大の技だ。使い所が無い物だったが、初めて有効活用する。癪なのは賊のリビングデッドにも祝福を与えてしまうことだ。祝福を与えると強制的に魂のサイクルに戻ってしまう。また反社会的な人間になる可能性が高まってしまうのだ。地獄に落ちれば更正プログラムで真人間になって転生できるんだが仕方ない。
「面倒だしな。」
本音が出てしまった。彼らの次の人生が正しく、穏やかなものになるよう願いを込め、発動する。割と高度な術の癖に見た目は地味だ。俺を中心に魔力の波がとびだすだけ。その輪の範囲にいる者達へ効果をもたらす。生者には今考えている邪な考えを正す程度だが、死した者達へは効果的だ。
「さて、戻るか。」
魔力の素養の無いものには見えないだろうが、解放された魂達が空の"生命の流れ"に向けて飛び立って行った。善良な魂は白く、雪玉みたいだ。くすんだ雪玉が賊の物だろう。他のと混じって薄くなり、善良な者へと変わってくれればいいのだが・・・
「あ、あれはダメだ。」
真っ黒な玉が飛んでいる。ああいった魂は必ず誰かを殺す。"生命の流れ"で他の魂と混じると他の魂も巻き込んで必ず災いをもたらす。
「アビススピア」
右手に黒い針のような魔力の槍を作る。長さは2mほど。念のため2、3本ほど作って投げる。一本目は外したが、二本目で命中した。砕かれた魂は植物や動物に吸収されていく。単純な生命エネルギーとして循環に帰る。これは勇者の汚れ仕事だ。地獄でも更正できない魂は真っ黒い。見かけたら潰さなければならないのだ。召喚された時、神に聞いたから間違いないだろう。多分。砕けた魂が純白を取り戻す。ちらちらと雪のように大地へ帰る様を見届けて振り返る。
「さて、今度こそ戻るか。」
封印したドラゴンの場所が思い出せないまま宿に戻る。とりあえずコルビー君のお父さんに聞いてみよう。住民である彼等なら何か伝承を覚えているかもしれない。
「とりあえず、飯食って寝よう。」
せっかく宿を取ったのに騒動で寝ていない。疲れなどは感じていないが、やはり布団で寝たい。それくらい迷惑にはならない、だろうか? まぁきっと大丈夫だろう。いい人そうだったしな。あれ、でも朝食は出るんだろうか? こんなに町がぐちゃぐちゃなのに仕入れとか大丈夫なのか?
「まぁ、なるようにしかならんか。」
不安を感じながら帰路についた。
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「報告です!」
吸血姫の居城エルジェシュ城、その執務室で若い兵士が報告のため声を上げる。
「どうした? 」
執務をこなすエルザベートが顔を向ける。疲れているのか顔色が優れない。兵士は膝をつき、報告書を読み上げる。
「リールの領主ダニエル・マーカスが死亡しました。詳細は不明ですが最後はリビングデッドと成り果て、私兵団に処分されたとのこと!」
「 ! わかった。下がっていいぞ。」
兵士は立ち上がり姿勢を正し、敬礼すると部屋を出た。
「婆や、まだ捨てたものではないな。」
「えぇ。えぇ。これでリールの件はどうとでもなりましょう。あとは銀狼族の対策だけ。」
エルザの言葉に老婆が薄ら笑いを浮かべて頷く。しかし、エルザの顔はすぐれない。
「どうしたのです? そんな顔をして。 」
老婆が聞く。ダニエルとの交渉は、とても家臣に伝えられるものではなかった。そのためパルマーとの謁見は第三者が無い状況で行われていた。重臣にも伝えられない交渉は領主の評判をさらに落としたほどだった。そこに疑いの余地はなく、これで死者の秘石は歴史から消えたと見て間違いない。もともと吸血一族とリールの領主のみに伝えられた話である。独占欲の強い当代領主が他言しているとは考え難い。だが、エルザの表情は晴れない。
「あぁ。秘石の事は助かった。だが、リールに向ったあの巨大な魔力。いくら銀狼族が強くてもあそこまでの密度の魔力を持つのか? あれではかの三血士と言えども・・・」
そこまで言うと、エルザは口を噤んだ。現在、魔力を感知できる者は城にエルザしかいない。もちろん魔力の多寡が必ずしも勝敗を決す訳では無い。それはエルザは理解している。これまで数多襲ってきた危機がそれを教えてくれた。一族はそのたびに一丸となり、それを乗り越えた。だが、今回の相手は異常だ。戦うために練り上げた魔力が大きいことは理解できる。だが、悪意も敵意も無いただそこにいるだけ、垂れ流しただけの魔力で三血士を上回っていた。
「うーむ。どれほどの魔力なのです?」
老婆が聞く。エルザの見立ては正確で、これまでその感覚を活かして作戦の立案がされたこともあった。この問いに、エルザは顔を曇らせて答える。
「七大魔王が一人、獣王ライネルと同じくらいだ。だが、奴はまだブーストも変換もかけていない。素の魔力でそれなのだ。奴が戦うために魔力を練り上げればどうなるかわからん。人間と似たような波動だがこんなでたらめな奴は初めてだ。」
「!」
老婆が息をのむ。獣王ライネルは魔王の中でも上位に位置する強者だ。正面突破を好む竹を割ったような性格の持ち主だ。裏表がないので家臣からも慕われている。が、作戦が読みやすく負け戦も少なくない。一方で一騎打ちでは負けなしで、大将としては平凡で弱いが、兵としては輝く”凡将稀兵”と呼ばれていた。
「ライネルと同じとは・・・ 一刻も早く秘石の謎をとかねばなりません。」
老婆が言い終わるか否かのタイミングでエルザがリールの町の方角を向いた。遅れて老婆もそちらを向く。
何が起きたか老婆は判断がつかなかったが、エルザは驚いたように空を見ていた。
「どうしたのです? 」
老婆の問いにエルザが答える。
「わからない。まるで雪虫だな。空に向かって白い点が昇って行く。っ!」
急に震え出したエルザは自らの肩を掴み、その場にへたり込みカチカチと歯を鳴らした。あまりの怯えように老婆は驚き、駆け寄り肩を抱いた。
「あ、あれはだめだ・・・ どうしようもない・・」
あまりに弱気な言葉に老婆が言葉を荒げる。
「どうしたのです!? 王と呼ばれるあなたがそんなことでは・・」
諫めようとする老婆の言葉を遮り、エルザが続ける。
「奴だ! あの異常な魔力の奔流・・あんなもの向けられればこの城ごと消し飛ぶぞ!!」
「!」
このエルジェシュ城には始祖が仕掛けた大掛かりな結界がある。並大抵の魔法攻撃にはびくともしない強力なものだ。この結界と、急峻な山が他勢力の進行を阻んでいた。築城以来、この結界を破った者はいない。
「婆や、方針転換だ。秘石の解析は進めよう。だが、あいつがこちらを敵視する理由になるのであれば凍結する。草を放ち同行を探らせよ。今後奴との戦闘は絶対に避ける。刺激せず、融和の道を探るのだ。」
まだ震える声で老婆にそう伝えた。リールの方角から目を離せずにいるエルザは親から引き離された小鹿のようだった。そのエルザに老婆が言った。
「エルザ! それでは我らの面目が潰れます! 王族は今まで力に屈したことはありません。兵や領民もその毅然とした姿勢についてきているのです。それを戦わずして負けを認めるようなことを・・・」
体裁を気にする老婆の姿を見ながら立ち上がったエルザに先ほどまでの頼りない姿は無かった。老婆は言葉を続けようとしたが、尻すぼみに言葉を失った。
「私は面子を保つために王になったのではない。一族や民草を守るために王となったのだ。例え謀反が起き、それで私の命が消えようとも一族と民が残ればそれで良い。」
老婆が何か言いかけたが、先程の怯えた様子からは想像ができないほどの決意の眼差しに、頷くことしかできなかった。
行き当たりばったりの旅が進まない。そして昔の事が思い出せない。そんな男のお話です。
※補足 町にいるリビングデッドが消えないのは、本来の魂が体に留まっていたからです。魂とつながりの深い体に取り付くと、太陽に焼かれても消えません。もちろん体を破壊すると魂は砕けて大地に吸収されます。この世界では死んだ者の魂は48時間かけて体を抜け出し、生命の流れに帰るとされています。無念や怨念を抱え、強い意志でこの世を彷徨う魂が別の体に入り込むとグールやスケルトンになります。死霊術はこの彷徨う魂が憑りつきやすくなるように手助けする魔術です。今回のリールの一件では不特定多数に使ったため術者の意に従わないものができました。