ラースへの要件
針葉樹の森を進み、木々の切れ間に出ると人化したラースが昼飯を準備していた。獲れたて新鮮イノシシとなんだかわからない香草焼き。残念なのは食卓の近くに血なまぐさいイノシシのなれの果てが落ちているということだろうか。気分の良いものではないから無言で片付ける。料理は美味いのだが、片付けに頓着しない雑な奴なのだ。
「丁度出来上がったところだ 道具も素材も不十分だから満足とは言えないがな」
ニヤッと破顔する。見た目は60代くらい、白髪交じりの頭と髭面が印象的だ。既にドラ子は飯を食い始めている。アリアを見て動きが止まった。ドラ子の横にアリアと勇者を座らせてもう一脚テーブルセットを出してラースと俺はこちらに座る。
「アリア様゛」
「それは無し!」
飛びつこうとしたドラ子がチョップを食らって止まった。珍しくシエラを連れていないアリアはドラ子の動きに対応すべく仕上げてきたようだ。南無。
「では話を聞くか」
「あぁ、ドラ子から聞いたと思うから簡潔に言おう。王様やらないか?」
「俺にかかれば容易い、だが… 何のメリットがある?」
「どうせ暇だろ?」
俺の言葉にラースが笑いだす。長生きな奴の思考がちょっとだけわかるようになって出た結論だ。こいつら暇なのだ。ラース程強い奴だと生きるのに苦労などしない。脅かされることのない毎日は素晴らしいが、これほど暇なことは無い。なんてったって料理くらいしか趣味のないこの男はやることが無いのだ。
「クハハハハハハ! 間違いない!暇だ! ケンカを売られて嬉しいと感じるほど暇だ! 島はいつできる? 規模は? 住人は? クハハハハハ!!」
「丁度良い所にアリアがいるからその辺は聞いてみる。今やって欲しいのは獣王ライネルが治めていた国を守って欲しい。これも聞いてると思うが人さらいに狙われてる。ラースが居ればそんな奴らも退散するだろ。」
顎髭を撫でながらラースは笑う。
「ふん、任せるがいい! 我が民になる者達は手厚く保護しなければな 丁度国盗りでも始めようか悩んでいたところだ、腕が鳴る!」
楽しそうに立ち上がり空を睨む。
「あ、俺のつ・・妻と部下が先行してるから、その、ケンカしないように頼む。」
「ほぉ…本当に二人娶ったか! 歳月は人を変えるものだな、面白い! お前を射止めた女子の顔を拝みに行くとしよう!クハハハハハハハ!!」
人化を解いたラースは空へはばたく。その姿に小さく悲鳴を上げた勇者は縮こまってドラ子の陰に隠れた。先刻の勇ましい姿は見る影もない。まぁ、トラウマだよなぁ… 俺も昔食われかけたことがあるが恐怖以外の何物でもなかった。ウツボのような姿の水竜には一寸法師作戦はあり得ない。あいつら喉の奥にもう一つ顎があるんだ。グロテスク。
しかし、まともな打ち合わせもしないままラースは飛んで行ってしまった。まぁ、頭はいいからきっとうまくやってくれるだろう。せっかく作ってくれた昼飯を残して帰るなぞもったいない。見た目は荒々しいが奴の料理は美味いのだ。見た目さえ良ければ高級料理店で出しても文句は出ないくらいに。さっさと俺もありつこうと振り向くと半分以上無くなっている。
「お、おい、俺のは?」
「知ってるかい? 早い者勝ちって言葉! 薫ちゃんも早くしなきゃ無くなるよー」
アリアはもぐもぐしながらナイフをフリフリ答えた。とりあえずドラ子を抱き起して座らせる。しかし全然起きない。勇者は、まぁいいか。腹が減れば勝手に食うだろ。
「アリア。」
「んーまぁ、あんたならできるでしょ」
「まだ一言も言ってない。早くて助かるっちゃそうだけどな。」
「問題はあんたがちゃんとイメージできない事! 私はホラ、今までの実績があるけどね あんたは素人だからさ ま、助けてやるかー 抜け道みたいな解決方法だけど無いよりはマシ」
そう言うとアリアは手品みたいに15cmくらいの水晶玉みたいなものを投げてきた。透明度が高く覗き込むとテーブルの反対にいるアリアがぐにゃりと反転して映る。
「占いでもするのか?」
「それに魔力を込めると大陸を形成できるって寸法さ あんた知らないでしょ? 岩と石の違いとかチッソリン酸カリウムが植物にどんな影響を与えるとか土に砂混ぜる割合とか山の形成に火山かプレートの活動が必要とか水を貯えるのに木が必要とか木が無いと海が白化して海藻が枯れるとか硝石が肥料になるとかその硝石で火薬が作れるとかニトロセルロースから無煙火薬が作れるとかそのへん」
「はい、女神様かっこいいです。」
「わかればいいのよ あんた私ん事普段馬鹿にしてるけど考えてんのよ? 七回目だからね 畏れ敬えそして食後の茶をよこせ」
イノシシ肉のほぼ一頭分が腹に収まった女神がなんか言っている。あれだけの量、どこに消えたんだ? ミチもドラ子もたまにやるけど不思議でしょうがない。とりあえずほうじ茶を出す。魔力を込めると大陸ができるとんでもない秘宝を賜った訳だからちゃんとしたものを出すしかない。アルジェシュ産は俺のお気に入りだ。
「魔力を込めるだけって言ってもあんた以外に使えるのなんてシエラと私しかいないからね? それ以外の奴が使っても疲れるだけだし、種族によっては消し飛ぶから無くすんじゃないわよ?」
かなりの危険物の様だ。多分実体のない精霊とかが使うと魔力を吸われ過ぎて消えるってことだろう。使うときには周囲に気を付けなければならない。巻き込み事故で消滅なんて笑い話にもならん。
「そうそう、あ、魔石の魔力も吸いつくすかもしれないからクレインみたいな奴もだめだかんね」
海上で使う予定だからドラ子が無事でなければならない。影響があるなら船ごと運んでもらってドラ子が退避してからことに及ぶ必要がある。扱いが難しいな。
「だいじょぶ! ドラ子は“神に連なる者”だからちょっとやそっとじゃびくともしないわけー」
「あの、さっきから女神様は誰と会話を…?」
「あぁ、すまん。畏れ敬うべきこの女神様が人の頭を覗いてるだけだ。」
「大丈夫!薫ちゃんの趣味とかは誰にも言わないから!」
青ざめた勇者薫は押し黙った。深くは聞かないでおこう。
「にしてもドラ子起きないな。なんかしたのか?」
「あぁ、起きてるとうるさいでしょ? 昔は姉さま姉さまって可愛かったんだけどねー 腕力ついてきてからは痛いわけー シエラが今忙しいから寝ててもらおうと思ってさー 顔だけ見に来たわけだからね 可愛いでしょ?寝顔!」
それは同意する。だが面と向かって嫁自慢を始めては恥ずかしいので口には出さない。どうせアリアなら頭を覗いているだろう。食後のほうじ茶を飲みながらゲスい顔でニヤニヤしている。
「惚れ直しちゃった?」
「いいから話を進めよう。」
言わなくてもわかる奴がわざわざ聞かなくても良いだろう。こっちは人生の春?を謳歌してるってんだからしつこいのはお断りだ。新婚旅行が観光じゃなくなってるのが申し訳ないところだ。
「これに魔力を込めてどのくらいで島ができるんだ? 早めに作った方が良いと思ってな。」
「5日くらいかなー 何も考えずにありったけ魔力を込めろ! さすれば道はひらかれん(笑)津波とか起きないように調整してあるから安心するがいいー!」
さすが7回失敗した先人だ。放任主義って話だったがこうやって手伝ってくれるところを見れば今の世に感じるところはあったのだろう。
「そういや、どれくらいの大きさになるんだ?」
「オーストラリアくらいって言えばわかる?」
「・・・・まじ…か?」
「この星が地球の6倍くらいの大きさがあるって知ってた?」
「いや、知らん。」
「あんたが召喚された時、体調悪い!って感じてたでしょ? あれ具合悪いんじゃなくて重力のせいだったんだわーw びっくりした?」
びっくりも何も知らなかった。めまいはするし耳が痛いしなんでこんなに動けないんだって思ってはいた。そんなからくりがあったわけだ。
「地震、少ないでしょ? マントルの対流が弱くてプレート活動もほとんどないのよ だから魔力が無いと生命維持がうまくいかなくて文明ができなかったわけー とにかく広いからあの大きさの大陸なら余裕でできるわー この程度の文明だと世界っていっても人類は3割くらいしか進出してないしねー!」
さっぱりわからんがとにかく大丈夫らしい。肉も無くなってしまったことだしここに用は無い。さっさとドラ子に起きて貰ってオススメスポットに連れて行って貰わねばならない。ラースが向かったから獣王国は何とかなったようなものだが、獣人たちがラースから逃げだしたら本末転倒。それに守りが堅くても兵糧攻めを受ければ逃げ出す連中も出る。攻め込まれなくても城は落ちるのだ。
「あんたさ、薫ちゃんを置いて行かないでね? どうせあの国に戻しても良い目にはあわないだろうから」
面倒くさい。あの宝石が無ければ周りに影響を及ぼす特殊能力とか厄介この上ない。俺には効かないとわかったが、あの二人に効くならば大体の連中はアウトだ。同情はするが仲間内には紹介し難い。
「わかった、そいじゃあ薫ちゃんの能力はあたしがボッシュートしてあげよう 代わりにそうだねー… 魅了でもつけてみる?」
「余計なことしなきゃアルジェシュに置いてくる。島ができたらそっちに移送でいいだろ?」
「つまんねー奴だなー それにしても人間には随分とあっさりしたもんだねー」
「アビゲイルは助けたんだけどな。なんか知らんが勇者ちゃんはどうでもいい。」
「一応魔王だからねー あんたに傷すらつけられない程度の勇者だと興味がわかないのかもね 知らんけど」
別に俺は戦闘狂じゃあない。しかし、この勇者には同情以外の感情が湧かない。可愛いはずなんだけどな。イケメンよりってのがダメなんだろうか?
「ま、いいか 腹も一杯だから二か月ぶりに帰って寝るわー」
一つ伸びをするとアリアはボヤっと透けてきた。そのあと盛大にあくびをしながら手をフリフリ消えた。雑な退場だ。残された薫は呆然とアリアが消えた虚空を見つめる。
「はい、じゃあ薫さん。アルジェシュに連れてくから粗相の無いように。」
「は、い…その、どこですか?」
「吸血一族の国だ。」
「はい…?」
説明が面倒なのでドラ子を起こしてそのまま強制連行することにした。
「すごい回数出戻ってる気がする。」
「ここがアルジェシュですか… きれいな所ですね」
「うむ、飯がうまい 貴様より数段強い連中がゴロゴロおるから変な気は起こさんようにな」
「大丈夫です、女神様が独占欲の呪いを解いてくれましたから」
アリアと別れてすぐに目を覚ましたドラ子に運んできてもらったアルジェシュ。ひとまず薫を置いてさっさと海を目指さねばならない。しかし、伝手の無い彼女をそのままにしていくのも不憫だと職業あっせんを試みる。困った時のエリザベス頼みだ。
「いらっしゃい、もう雷王龍とは話がついたの?」
颯爽と現れたエリザベスが微笑みながら口を開いた。若くなってる。
「あっという間だったよ。その時に元勇者拾ったから届けに来たんだ。良い子だから仕事をあっせんしてやってほしいと思ってさ。」
エリザベスが値踏みするように薫を見た。頭の先から足の先まで見られた薫は蛇に睨まれた蛙の様に固まった。鋭い目つきは若かりし頃の輝きを取り戻していた。
「ふーん… ま、いいでしょう ついてきなさい」
「へ、あ、はい! ジョンさん、ありがとうございました!」
「礼は彼女に言ってくれ。リザ、ありがとう。」
「ふふ、世話になったからね お互い様よ」
ニッと笑うと振り返り、彼女は颯爽と廊下を歩いて行く。先日までの疲れ果てた姿は何処かへ消え、背中には力が漲っているようだった。




