出戻りアルジェシュ
美しい庭園、白亜の城。ここは吸血一族の居城アルジェシュ城である。
兵舎近くの修練場でスイカを的にミシェルの部隊をお披露目していた。どこの馬の骨と兵からの批判はすさまじかったが、ミシェルの対物ライフルの威力に水を打ったように静まり返った。
デモンストレーションも佳境に入り、どれだけ遠くから狙撃できるかの実演に入っている。既に1km程の距離に到達して沈黙は歓声へと変わった。スポッターもいないのによくやるものだ。
「というわけでこいつら雇ってみないか?」
「もちろん雇うわ 立ち上げたばかりの兵器開発局がうまくいってなくてね、正直助かるわ」
リザは表情を変えないように取り繕っているが、話し方や声の抑揚が興味の深さを物語っている。こういう面が可愛らしく憎めない所以だろう。
「そりゃ良かった。それと、彼女らのこともあるんだが… もう一つ聞いてもらわにゃならんことがあってな。」
何かを感じ取ったのか俺の一言でリザの目が鋭くとがる。
「それではお茶でもどう? ルーシュ、あの子達を開発局へお連れして」
「はっ」
「それじゃ、行きましょうか」
老婆の姿でもリザの足取りは軽い。見た目は杖を持っていても違和感が無いほどの年齢に見えるが、腰はしゃっきりと伸びて一歩も大きい。同じ身長の人間なら引き離されてもおかしくないほど颯爽と歩く。
「・・・なんか前より元気になったか?」
「そうかもね、この齢でこんなに忙しくなるとは思わなかったわ」
リザはそう言うとシワが刻まれた顔をくしゃっと歪めて笑う。先日まで弱気になっていた人物とは思えないほど生き生きとしている。
「ま、暇が人間を殺すって言うしな。まだまだ長生きしてくれ。」
「そうね エルザを一人にするのもまだ不安があるから、頑張らないとね」
くくくといたずらっぽく笑うとリザは続ける。
「そういえばコルビー君、昨日旅立ったわ」
「あれ、もう精霊が回復したのか?」
「いいえ、消滅したそうよ それでラウラに知識の全てを譲渡してあったみたいね」
「そうか、まあラウラがいれば問題ないだろう。」
ラウラの異常なまでの出来にはそういった事情が隠されていたわけだ。王とまで云われた古い精霊にそこまでさせるとは、さすがは精霊王の加護を持つ男だ。
「それにしても、ウルダさんも相当に見込みのある子ね」
「なんかあったのか?」
「以前魔法を教えてあげたの そうしたら一回見せただけで覚えてしまってね」
リザは魔法で氷の白鳥を作り出すと嬉しそうに言った。ウルダとミチがルイベを作った時、ウルダに氷魔法を教えたのはリザだったようだ。俺はラウラの昔話を思い出して少し心配になる。
「良い人たちと出会えることを願うしかないな。」
「そうね」
世間話をしている間に差し掛かった十字路の廊下で見知った姿が前を横切る。行ったと思ったらつつつと戻ってきて会釈をした。書類の束を抱えた女王である。こちらも挨拶を返すと満足そうに歩いて行った。
「忙しそうだな。」
「他国へ放っている草の報告や国内の公共事業、貴族への牽制にやることは尽きないわ でもあなたのおかげで少しはマシになったわ 反抗的な貴族がだいぶ減ったから」
リザが辟易したように言う。こういうストレスが彼女を弱らせたのかもしれない。
「ま、力になれたのならよかった。」
笑いながら進むと、ようやく庭園に辿り着く。季節のものだろうか、東屋まで続く道は花で縁取られて美しい。よく手入れされた道を抜けると東屋には既に人影があった。
「二人とも遅かったじゃないか さぁ、こちらへ」
先回りで女王再びの登場。忙しかったんじゃないのだろうか。
「エルザ、執務はいいの?」
「ばあや、客人が来ているのだから主が対応するのは当然だろう?」
ニコニコしながらエルザベートはもっともらしい理由を述べる。だが、国主が貴族でもない人間に会うなど死者の秘石のような大きな事態でないと本来は無い。
「エルザベート様、本日は・・」
「ジョン、堅苦しいのはよしてくれ 本当はこちらが敬うべきなのだ」
国主相手にそれもどうかと思いリザの方を見る。彼女は少し考えたが一呼吸おいて口を開いた。
「先日の件であなたを軽んじる者はもういないでしょう 返還式でも対等な友人として紹介してあるから問題ないわ」
貴族やら一部の国民を招いて盛大に行われた死者の秘石返還式では友として紹介された。女王派と貴族派の勢力図をひっくり返すための式典と説明されていたが、俺にとってもなれない言葉遣いをしなくても良いというメリットがあったようだ。
「助かるよ。」
言っている間に侍女がリザと俺の分の紅茶を準備する。お茶菓子は色とりどりのマカロンっぽい物とマドレーヌが準備されていた。
「流行のものらしい、味見してみよう」
楽しそうにエルザベートが口に運ぶと噛んだ瞬間ちょっと固まる。
「もっさりする あまりおいしくない はにのこる おいしくない」
リザが大笑いしている。俺も続いて食べてみるが確かに美味しいとは言えない。褒めようにもねっちょりと歯についていつまでも口に残る。どう考えても失敗作だ。ふと侍女の方を見ると死にそうな顔で震えている。手配したのがこの子なのだろうか、明らかに責任を感じている。
「大丈夫よリーナ、エルザがこんなことで怒る訳ないでしょう?」
安心させるためだろうリザがすかさず侍女に言葉をかける。
「すまない、流行りの物と聞いて少しはしゃいでいた パーティー用の菓子なら見た目に片寄った物が有っても不思議ではない 今回はマドレーヌを頂こう」
しまったというような表情を浮かべてエルザベートもフォローする。侍女の顔が明るくなった。俺はこのマカロン風菓子の出所が知りたくてリーナに聞く。
「郷里の菓子に似ているんだが、買った店を教えてくれるか?」
侍女は申し訳なさそうにきょろきょろし始めた。
「ごめんなさいヴァルガス、リーナは口がきけないのよ」
「こ、これはすまない。」
収納魔法から紙とガラスペンを渡す。毛細管現象でインクを吸うつけペンだ。エルフに作って貰ったお気に入りで日記もこれで書いていた。しかし、リーナは使い方がわからないのかまたキョロキョロしだした。
「これはこうやってインクにつけるとインクを吸うんだ。これで書ける。」
実演してみるとエルザベートが興奮気味に声をあげた。
「ジョン!これはどこで手に入れたんだ?私も欲しい!」
「昔エルフにイメージを伝えたら四苦八苦しながら作ってくれたよ。もしかしたら連中の国には引き継がれてるかもしれない。」
「ばあや!」
「はいはい、あとで調べましょうね」
店の名前を書き終えたリーナが不思議そうにペンを眺める。意外に書ける文字数も多く、羽ペンの様に使い捨てではない。美しい見た目もあってこれを見たいがために文字を書くのだ。興味ありそうなエルザベートにも渡してみる。
「これは… 良い物だ」
得物でも見るように矯めつ眇めつ眺めていた。得意になって収納魔法からありったけ出して選ばせる。試作品から合わせると20数本あるため三人にプレゼントする。
「気に入ったのが有ったら教えてくれ、プレゼントだ。」
使われない道具程可哀そうな物は無い。俺は気に入った物を使い続ける性分だから日によって変えるなんてことはできない。遠慮する三人にそう伝えると嬉しそうに手を出した。女王は桜色の物を、エリザベスは淡い紫色の物を、リーナは水色の物を取った。
「喜んでもらえてうれしいよ。」
「ありがとうジョン、大切にする」
「あぁ、そうだ リーナ、ラーベラを連れてきてもらえる?」
エリザベスが言うと、にこやかに頭を下げてリーナは建物に入っていった。
「ごめんねヴァルガス、お菓子がちょっと貧相だわ」
「謝ることじゃないさ、俺は切羽詰まった時に蛙とか食ってたからな。何でも食える。」
「蛙を!?」
マカロンもどきをもう一つ口に運ぶとエルザベートが目を丸くする。表情が表に出過ぎな気はするが人の事を言えないため黙っておく。本心を言えば蛙はこのなりそこないのマカロンよりうまい。それも黙っておこう。
「魔王として国を追われた時に追手を躱すために町に寄れなくてね。蛇とかトカゲとか色々食ったよ。良い猟場には人の目があるから大変だった。」
蛇やトカゲの肉もこれよりは美味かった。きっといい材料を使っているのだろうに計算が合わないとこうもダメになってしまうってのは料理の難しさだろう。料理人は技術屋ってのは上手く言ったもんだ。エルザベートは子供のようなキラキラした目で続きを待っている。
「ところで話ってどんなこと?」
リザが話を修正してくれた。助かる。
「そうそう、国を造ることにした。」
二人は顔を見合わせている。なぜかエルザベートは楽しそうだ。
「急にどうしたの?」
リザの疑問はもっともだ。
「亜人と呼ばれている者達の国を造る。ちょっと魔王の遺志を継ごうかと思ってさ。」
「亜人のための国ね… それじゃあ国盗りでも始めるの?」
「いや、島を造る。そこに生物やら植物やら持ち込んで全く新しい大地を育てる。」
「あっははははは! あなたなら本当にやってしまいそうね!」
「私たちも協力しよう!」
突拍子もない話を二人は信じてくれたようだ。エルザベートが協力を即答するのはまずい気がするが、気持ちが嬉しい。
「それで? 具体的には何か決まっているの?」
「ドラ子に最適な場所を選定してもらってる。あとはラスティグル・ドーツに会って治めてくれるように打診する予定だ。」
「雷王龍!」
「あなたが治めるんじゃないの?」
「餅は餅屋にってね、俺はそんな器じゃない。ラースは経験もあるし膨大な知識もある。引っ張り出せれば簡単には手の出せない国の出来上がりさ。」
「災厄の古龍は…」
「脱線させないの それで、私達に出来ることは?」
「特に無いな。ここに来たのはお知らせみたいなもんだ。俺は長生きな友達が大事だから“敵意は無いよ”と伝えておきたかっただけだ。うまくいくかわからないが、言っておいた方が良いと思ってな。」
二人は見合うと笑った。
「ジョン、吸血一族はあなたを裏切らない できない事ははっきりと断るし、友人として出来ることは当然やらせて貰う」
「ありがとう、頼もしいよ。俺もできることがあったら手を貸そう。」
「頼りにしている 国ができたらぜひ外遊に行きたいな いつ頃の予定なんだ?」
「未定だな。できるだけ早く形にしたいが、とりあえずラースを引っ張り出して獣人を保護したい。獣王とかいう奴が押っ死んで民が人買いに狙われてるらしい。ミチとナオに向かって貰って迎撃中だが草の根運動じゃだめだ。国のシンボルを作って太刀打ちできないとわからせる必要がある。」
「あれだけの力を持つ龍が出てくれば手は出せないだろうけど… 当てはあるの?」
「あぁ、ドラ子にコンタクトしてもらったら『挨拶に来たらな』ってさ。だからこの後連れて行って貰う予定だ。」
「楽しそうだな、私も…」
「貴女が行っても邪魔なだけでしょう? 国ができたら国交の為に行きましょう」
「それが良い。ちょっと機嫌が悪いみたいだから知らない人を連れて行くのは怖いからな。」
「怒りを買うのは本意ではない、残念だが今回は見送ろう」
心底残念そうにエルザベートが言う。
「ある程度落ち着いたらまたあいさつに寄らせて貰うよ。それまで元気で。」
「そう言わずに来てくれないか? 気兼ねなく話せるのは数えるくらいしかいないんだ」
「…美人に誘われれば断れないな。土産でも持ってくるよ。」
「ただいま参上致しました」
タイミングを伺っていたようにラーベラがやってきた。彼女によく似た少女を連れている。
「驚かせようと黙っていたんだが、可愛いだろう?」
「うん、親に似て…親? まぁとにかく可愛いな。」
「女王陛下からナターシャの名を頂きました これからは私がお傍に仕えさせていただきます」
「俺が雇い主?のジョンだ。よろしくナターシャ。」
恭しくカーテシーをする彼女を見て分裂体だと再認識する。なぜ小さいかはわからないが可愛らしいので良しとしよう。知識や技を受け継いだナターシャならばきっと力になってくれる。新しい仲間を迎えてドラ子と合流することにした。
「行ってしまったな…」
「貴女は本当にあの人がお気に入りね」
「あれだけ面白い話が残っている人も珍しいだろう? 作らせた好物が名産になって村を潤したとか、国を滅ぼしたとか、くしゃみで龍を倒したとか!」
楽しそうに指折り数えるエルザベートは子供の様に目を輝かせた。
「最後のは作り話だと思ったけど… まさか本当だと思わなかったわ」
エリザベスはくくくと笑いながら紅茶を口に運ぶ。
エルザベートは若い時分に王となるべくして教育を受けたため遊ぶことを許されなかった。他の子が遊びに出るときでも彼女は教育を優先されて泣きながら勉強に励んだ。
エリザベスは前王から彼女の教育責任者に任命されてエルザベートをしかる立場だった。当時は自らが女王となるべく頭を回していた彼女だったが、必死に親の期待に応えようとするエルザベートを我が子の様に可愛がった。次第に自らがなるよりも彼女を女王にすべく根回しを始める。王が何たるものかを叩き込むため当然エルザベートにはきつく当たることもあった。そういった日も二人を寄り添わせたのは寝物語だった。
ケンカをした日も、王からしかられて泣いた日も、決まってエルザベートはエリザベスに話をせがんだ。就寝前の数十分、エルザベートに許された僅かばかりの少女に戻れる時間。これが血のつながらない二人にとって親子に成れる少ない時間だった。最初は絵本などから話を見繕っていたエリザベスだったが、次第にネタも尽きてある男の話をするようになった。
「初めて聞いた話は今も覚えている、毒龍の話だ」
楽しそうにエルザベートは言った。思い出すようにカップの紅茶を回して口に運ぶ。立場のある両親は決してエルザベートに会いに来なかった。そんな中で訳も分からず教育を受ける彼女の支えはエリザベスだった。エルザベートは“母”と呼びたかったのだが、そんなことが本当の母親に知れれば解任されてしまうかもしれない。子供心にそう思った彼女が苦肉の策で“ばあや”と呼ぶようになった。
「あなたはそれが好きだったわね、何度もせがまれたわ」
英雄譚は多く聞かせた。英雄王伝説や聖女伝説などそういったものに興味を示さなかったエルザベートがどうしてだかヴァルガスの話には食いついた。
「実を言うと、ばあやの話しぶりは棒読みであまり頭に入ってこなかったんだ でも、ジョンの話をするばあやはとても楽しそうで嬉しくなったものだ」
初めて聞かされた理由にエリザベスは驚いた。
「そうだったの? 他にもお話はしてあげたのに?」
「ばあやは顔に出るからな、英雄王の話なんかは実にくだらなそうに話していたよ “こんな話がある訳ない、子供騙しにもほどがある”ってね」
エリザベスは今更ながらハッとした。いくら小さい子供でも、それぞれの考え方がある。大人が侮っていたことはしっかり気付いていたのだと。
「ばあやが楽しそうに話す人、どんな人物だろうと楽しみにしていた」
「それで、どう感じたの?」
「ふふ、楽しい人だよ あそこまで自然体でいられるとこちらも毒気を抜かれるようだ」
二人のお茶会はリーナとラーベラを加えてしばらく続いた。




