旅立ち
昔々、この世界では神さまが生き物たちの近くに存在していました。皆を近くで見守るために高い塔を作らせ、世界を見渡していたのです。
神さまの守る世界で全ての生き物が幸せに暮らしていました。
ですが、神さまの塔を作った人間は自らを神の化身と名乗り、いつからか他の生き物たちを差別するようになりました。
そのうち人間たちは、神さまの決めたルールを破るようになります。塔に近づく者たちを襲い、奪うようになっていったのです。塔へ来るものが居なくなると、次はお互いを相手に争い始めました。それでも満足できない人間たちは、塔の周りを離れて他の生き物の土地へ侵攻しあらゆるものを奪いました。
それを見た神さまは人間たちに侵攻を止め、皆と仲良く暮らすように何度も諭しました。ですが、人間たちは言う事を聞きません。仕方なく神さまは他の生き物達を守るために守護者を作りました。そして彼らに守るための力"魔法"を与えたのです。
守護者は神さまの願い通りにたくさんの生き物と協力して人間に立ち向かいました。魔法と団結の力に人間たちは初めて敗北を知ったのです。
それでも人間たちの欲望は止まらずに、神さまに"魔法"を授けるように迫ります。しかし、神さまは人間に魔法を与えずに、塔から追い返しました。言うことも聞かずに要求ばかり繰り返す人間にすっかり失望した神さまは、与えていた加護も打ち消し塔に近づけなくしました。これでようやく侵攻は止まり、平和が訪れました。
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古ぼけた部屋の中央に、その場に似つかわしくない豪奢な玉座がおかれている。かすれた壁画や天井画が在りし日の隆盛を垣間見せる。その玉座の隣にくたびれた机と椅子を並べて書き物をしている男がいた。眉間にしわを寄せ、難しい顔をしながらうんうんと唸っている。小さくため息をつくと顔を上げ、こめかみをマッサージし始めた。男の正面にある入り口には扉が無い。元々はあったのだろうが、今は丁番の付いていた後だけが残っている。その入り口からカチャカチャと足音が聞こえる。男は視線をそちらに向けた。
「ねぇー、魔王サマー。」
「どうしたマリエル。」
入ってきたのはマリエル。ここの家主の娘だ。10才位だったような記憶がある。最近は流暢に話すようになり、俺にもよく話しかけてくる。
「すっごい暇ー。」
「あー、まぁそうだなー。」
「暇潰しに人間滅ぼそ!!」
「あほか。」
「えぇー。なんでー!?」
「俺はかわいい女の子が好きなんだ。人間を滅ぼしたらかわいい女の子が減るじゃないか。」
「かわいい女の子なら目の前にいるじゃない♪」
「いや、どう見ても犬だからな。お前。」
「ひどっ!! 犬と違うよ! 狼だってば!」
マリエルは銀狼族。この世界でも指折りの強力な魔物の一族だ。成長がとても遅いようで10年程で親の半分程度の体格、大体グレートデン程の大きさがある。普通の狼とは違い、さらさらの毛並みが特徴だ。
「大体あってるだろ? 」
「全然違いますー! 狼はほら! カッコいいよ!」
「可愛さから離れたじゃねーか。」
「あ。 えーとほら! 尊い?」
どこで覚えてくるのか意味のわからない事を言い出したのでそろそろ退散して貰おう。悪い子ではないのだが、とにかくうるさい。
「はいはい。じゃあとりあえず見廻り行ってきて。」
「そんなのいーじゃん! どーせ何も来ないって!」
「勇者とか来てたら困るだろ。お茶の準備とかしないとさ。」
「勇者もてなしてどーするの! しっかり殺してよ!」
さすがは魔物。血気盛んなことだ。だが、俺は勇者を殺す気など毛頭無い。人間と敵対するなんて面白くもない。
「いや、やっぱりな? そう言うのはもう流行らないと思うんだ。 もう200年位は引きこもってるし。魔王に対する世間の反応も変わってると思うんだよね。 昔やんちゃしたのだって、大きめの戦争止めるためだったしさ。歴史書とか見ると割と高評価だったんだよ?」
「でも結局魔王じゃん! 」
「いや本当困るよなー。 魔王だの炎帝だの。こっちは善良なひきこもりだっての。」
「魔王サマ本当は火の魔法苦手なのにねーw」
「毒竜の障気を焼き飛ばしたら誤解されちゃって・・・ あの時は恥ずかしかったわー 」
「そういえばなんで魔王サマは魔王サマになったの? 」
「いや、なりたくてなった訳じゃないんだよ。まさか魔王倒したら称号が魔王になるなんてなー。」
もともとは召喚勇者だったが、お題の連中を倒したら称号が魔王になってしまった。報告のために国に帰ったら新たな討伐対象にされた。それで召喚された村に逃げ込む事になった。今思い出しても忌々しい。あの暗君、ボコボコにしておけばよかった。
「へぇー。 ところでずっと魔王さまって呼んでたけど、ほんとの名前はなんて言うの? 魔王って職業だし。」
「いろいろあって本名は捨てた。今は名無しの権兵衛だな。」
「へー。」
「お前興味ないなら聞くなよ! 当時は有名人だったから本名は呪いに使われたり大変だったんだよ。だから名乗らないものだったの!」
「自意識過剰とかそんなかんじ?」
「お前・・・ 大人の本気泣きを見せてやろうか?」
「いらないです。」
「ぐふっうぅ・・・」
「ごめんなさい! あっ! ほら! ニックネームとかは?」
「あー、ヴァルガスだった。俺が初めてこの世界に来たときにお世話になった人の名字なんだ。地名らしいから探せばどっかにあるんじゃないか? その頃の知り合いはだいたい死んじまったけどな。」
「じゃあさ! じゃあさ! その土地探しに行こうよ!!」
「だめー。」
「なーんーでー!! 暇じゃんかよーーー!!」
「このダンジョンどうするんだよ。 俺が居ない時に勇者が来たらどうするんだ?。 誰が茶を出すんだよ? 」
「少なくとも魔王サマが出すことはないです。」
「魔王が居ないってガッカリして帰ったらどうすんだよ。 もう2度と来ないかも知れないだろ? 」
「その程度のやつらはここまで辿り着けないってば! ここを何処だと思ってるの!? 」
「俺が居るから魔王城。 」
「違いますー! 魔人も裸足で逃げ出す究極難度のダンジョン!その名も"神殺しの塔"です!! 母さんが塔守りしてる500年の間に一回も攻略された事無いの! ていうか辿り着いた奴もいないって言ってた!!」
「じゃあ、俺が一人目かー。」
「それは・・ ほら・・・ 母さん戦ってないし? ノーカン!」
「なんでかノアさんは歓迎してくれたからなー。まぁ彼女が居れば問題無いし、久しぶりに出掛けようかな。」
「賛成ーーー!! 善は急げよ! ハリー!ハリー!ハリー!!」
「うるさい。」
「・・・ごめんなさい。」
最近の情勢なんかも気になるし、久しぶりに見に行こう。引きこもりすぎて代わり映えしない毎日。暇で暇で日記に書くことが無いから筆も進まない。当時の人間は居なくなっているだろうし、そろそろ出かけても騒がれないだろう。ノアさんに出掛ける事を説明しなければ。
「ノリノリの所で悪いけどマリエルは置いていくよ?」
「!!!?」
マリエルが狼ってこんなに表情が豊かなんだってくらいの顔をした。ちょっと怖い。
「ななななっ なんでーーーー!!? これは一緒に行くながれでしょーーー!?」
「いや、お前まだ子供だろ。ノアさんの許可が無いとだめでしょ。ていうかそれ以前に銀狼族を連れて人の町に行ったら面倒くさいことになりそうじゃないか。」
目標は波風たてずに静かに観光旅行です。一般人の振りをしていればステータス確認の魔法、”アナライズ”を使われることも無い。職業魔王がバレてしまえば、直ぐに追い出されてしまうかもしれない。せっかく200年も引きこもったのが無駄になってしまう、かもしれない。
「母さんに言ってくる!! 」
「いや、待てって! 連れていく気は・・・」
言い終わる前に行ってしまった。ちゃんと人の話を聞かない辺りはまだまだ子供だ。どうせ許可なんて降りないだろうから旅の準備でも進めよう。しかし、旅の準備が久しぶり過ぎて何をもって行けばいいかも忘れてしまった。そもそも200年前の通貨が使えるのだろうか? まぁ、金貨だったから問題ないだろう。荷物自体も召喚勇者特典の空間魔法が使える。魔王特典の膨大な魔力のおかげで容量はほぼ無尽蔵だ。手当たり次第に持って行っても問題ない。二週間前に始めた日記も一応持っていこう。各地の気になる情報をまとめておけば今後使えるかもしれない。自分だけの観光ガイドになりそうだ。
ガチャガチャガチャ・・・ ドカン! ガチャガチャガチャ・・・ ガゴン!!
ぼんやりとヨモギ茶を飲みながら準備していると、下の階からとんでもない音とともに駆け上がってくる気配がする。
経験の豊富な冒険者であれば気配だけで己の末路を察し神に祈りを始める。それだけの存在感。牙と爪を持つ四つ足の魔物を統べる者。
「ヴォウ、ガロォン! アオォーーン!!」
「待ってノアさん! 何言ってるかわからない!!」
これまで見たことのない慌てようで駆け込んできたのはマリエルの母のノアさんだ。普段はとても冷静でこれぞ上位の魔物というような気品すら感じさせる人。いや、狼だ。
「ッ! 失礼しました! お館様がここを手放すと聞きまして居ても立っていられず!!」
「 ? そんなこと言った覚えは無いんだけど・・・ マリエルからなんて聞いたんですか?」
「はい。お館様が暇つぶしに人間を滅ぼし、新しい居城を建てるとおっしゃったと・・・」
うん。あのチビめ訳のわからん事を吹き込んでくれたようだ。出掛ける事しか伝わっていない。
「はい。全然違います。これから旅行・・ もとい、見聞のために出かけてきます。」
ノアさんの険しい顔がゆるみ、肩の力が抜ける。余程焦っていたのだろう。その場にへたり込んだ。というかお座りした。
「取り乱して申し訳ありませんでした・・・ あの子にはしっかりと言い聞かせないといけませんね。」
「まぁ、ほどほどにしてあげてください。」
マリエルは自分が楽しいと思ったことを全て繋ぎ合わせて話を捏造したようだ。人間と違い善悪の判断が無く楽しいか楽しくないかで判断する魔物だ。中途半端な知恵をつけただけの10歳のマリエルは余計質が悪い。こうだったら楽しいと考えた事をそうであったと思い込んだのだろう。よくある魔物との約束の反故はこういった特性から来るものだと以前聞いたことがある。勿論知恵のある魔物たちはその範疇ではない。
「それじゃあ、明日辺りに出かけます。念のためダンジョンコアを作って玉座に置いて行きますのでよろしくお願いしますね。」
ダンジョンコアはダンジョンの維持に必要な魔力を供給するための物だ。出かける際には置いて行くようにしている。通常はノアさんやノアさんの妹のノガさんがいれば全く問題ない。しかし、万一強力な冒険者が来て、ダンジョン維持のための魔力を気にしながら戦っては負けてしまうかもしれない。そうならないように十分な量の魔力を込めたコアを設置していく。そうすれば面倒なことを気にせずフルパワーで戦える。長生きな友人を失いたくは無いからできることはやっておくのだ。
「ありがとうございます。しばらくはノガをダンジョン主にしておきます。追い出されたとはいえ、LV700はありますので十分でしょう。」
「ノアさんはやらないの? LV900位ありましたよね?」
「はい。ノガは雑なので周囲の偵察や魔力溜まりの管理などは任せておけません。私の子供らとの連携もイマイチですので。」
ノガさんは最近になって転がり込んできたノアさんの妹だ。隣の国のダンジョンで引きこもっていたそうだが高レベルのドラゴンに追い出されたそうだ。行くところが無くなり、姉のノアさんを頼って来た。この塔は広く、周囲の森には餌になる魔物も多い。一頭くらい増えても問題ないとノアさんは渋々受け入れていた。
「お館様。ところで護衛はどうなさいますか? 長女のミチは聞き分けもよく実力もありますので丁度良いかと。」
「あぁ。付き添いは要らないですよ。銀狼族と旅すると嫌でも目立ちますから。目標は目立たず、こっそり一人旅です。」
昔は仲間と旅をすることもあった。だが人間関係の面倒臭さから解散して一人旅になった。今なら回復魔法も使えるため全くパーティーを組む必要がない。本来なら野宿の時に交代する仲間がいなければならないが、便利な使い魔がいるのでそれも必要ない。
「お館様ほどの実力があれば敵は居ないでしょうが、やはり小間使いはいたほうが良いでしょう。直ぐに呼びます。ォオォーーォン!!」
「本当にいいですって! 」
親子揃って人の話を聞かない。そうこうしている間にまた下の階から大きな音を引き連れてノアさんと同じくらい大きな狼が駆け込んできた。
「母様! お呼びでしょうか? 」
「ミチよ。お館様がご旅行に行かれる。供を務めよ。銀狼族の誇りにかけてお館様をお守りするのだ。」
「お任せください! このミチ、命に変えても勤めを全うします!」
「二人とも覚悟が重いよ! それ以前に連れていかないよ!?」
俺の言葉にミチが愕然とする。ノアさんはまたまたーって顔をしている。なんで彼女らは人の話を聞かないのか。
「ノアさんには言ったけど、銀狼族を連れていけば嫌でも目立っちゃうんだよ!」
「なら大丈夫です! 私はもう人化の術が使えます! 一人旅よりも連れがいたほうがきっと怪しまれませんよ!」
そういうとミチはうっすら光始め、みるみるシルエットが小さくなり人型へと変わっていった。
「この姿なら目立ちません! ご安心下さい!」
何年も一緒に暮らしてきて初めて見た光景に驚いてノアさんを見る。ノアさんは取り澄ました表情でこちらを見ていた。ミチも小さな胸を張って自信ありげにコメントを待っているようだ。
「あ・・ はい。 ・・かわいいです・・・」
驚きが勝り感情がこもらなかった。それでもミチは喜んでくれたようで頬を少し紅く染めながらその場で一回転して全身を見せてくれた。サラサラの長い銀髪に少しだけつり目で金色の大きな瞳。透き通るような白い肌に左右対照の整った顔つき。まるで芸術品のようだ。胸は小さいが。
「お館様。我が娘、如何様にもお使いください。」
「・・・ノアさんもできるの?」
驚きが落ち着いてきたら疑問が浮かんできた。
「はい。銀狼族は女子しかおりません。子を成すときは人に化けて里に向かいます。」
「そっかー・・・」
断られたら立ち直れなさそうだったので俺ではダメだったの?とは聞けなかった。もやもやしているとノアさんが耳打ちしてきた。
「お館様。ミチもそろそろ妙齢です。旅先で良い場所や相手が居ましたらそのまま置いてきてください。銀狼族は減ってきています。ですが娘たちはこの塔の居心地が良いせいか旅立ちません。それなのに妹まで帰ってくる始末です。」
そこは親子で話し合ってくれないだろうか、とこぼれそうになったが飲み込んだ。するとじりじりと寄ってきてさらに小声で続ける。
「お館様がミチを気に入れば持ち帰って下さい。私もそろそろ孫の顔が見たいのです。」
連れて帰ればそのまま結婚、そんな風に取れる。イヌ科の生き物は表情筋が少ないため表にでないはずだが、ニヤニヤしているのがわかる。だが、産まれた時から見ているミチをいまさらそんな目で見ることができない。彼女のためにもこの旅でいい場所か、いい相手を見つけなければ。なんなら見つかるまで帰らない。長旅でも良いようにダンジョンコアにさらに魔力を込めた。
「ちなみに近い村とか町とかノアさんは知ってますか?」
「はい。プリニオル山脈を尾根伝いに南下するとリールという町があります。大きな町でしたので、良い物も悪い物もいろいろ集まっております。」
さすが人里に通っているだけある。行程が尾根伝いとアバウトだが目印がなければそんなものだろう。まよったら探知の魔法を使えば人のいる場所がわかるため人の多い方多い方へ向かえばたどり着くだろう。
「ちなみに悪い物ってなんですか?」
「以前行った時には死霊術師がおりました。他にも領主の城に死者の秘石があるようです。どちらも臭くて敵いません。」
「死者の秘石・・ねぇ・・・」
賢者の秘石ならばよく覚えているのだが、思い出せそうで思い出せない。
「アンデッドの進化に必要な物らしいです。臭くて一週間は鼻が利きません。」
狼目線での忠告をくれた。まぁ、アンデッドの知り合いは居なかったはずだから放置しても良いだろう。だが、一つ気になることがある。
「ミチは大丈夫なんですか?」
俺の言葉にノアさんがやられたって顔をして目をそらす。体温が上がったのか舌を出し入れしながらじりじりと離れていく。
「あ、あれ・・ 対策とかは無いんですか?」
俺の追撃に部屋の入口のほうを向き、凛々しい顔を作る。
「お館様。ミチをよろしくお願いします。」
きりっとした顔でそう言い残すと颯爽と下の階に消えていった。丸投げしたノアさんを見送り、俺の準備した旅の荷物を見ているミチをみる。
「まぁ、何とかなるか・・・ なるのか?」
こちらの話を聞いていなかったミチだけは楽しそうにしていた。
旅立ち。特に決意なんかありません。ただ、ただ、暇だったのです。今まで何もしなかったのは勢いが足りなかったから。子狼のマリエルがうるさいので少しイラついて旅にでます。きっとマリエルがおとなしい子狼だったら引きこもったままです。そんな男のお話です。