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杜子春異伝  作者: John B.Rabitan
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第二章

 こうして僕の異世界生活は始まった。

 ここでの日常が、ここでこれから続くことになる。

 まず僕は、束ねて結っていた髪をほどき、この世界の男子と同じようにミランダに短くカットしてもらった。また、この世界の人々と同じ様な服装を、ヨスのお下がりではあるがもらって着るようになった。

 ギルドの仕組みやその建物についてなどの説明はヨスがしてくれた。でも、自分がこのギルドとどういう関係にあるかについては何も話してはくれなかった。

 僕は質問することもできない。せめて文字を知れば筆談という手もあるが、この世界の文字は全く見たこともない文様にしか見えない。自分の国の文字に比べたらつくりが単純で、数もそう多くないような気がしたけど。

 僕が質問できないということは、相手にとっては便利かもしれない。少なくとも言いたくないことを聞かれるという面倒を省くことはできるだろう。

 僕はそのヨスの家に住んで、そこから町の中のギルドへ通った。冒険者証があるから、城壁の門の出入りも自由となった。

 家とはいっても小屋と呼んだ方がふさわしいような小さな寓居だが、これまでヨスとミランダ兄妹が住んでいただけのその家には幸い空き部屋が一つあった。僕がこの世界に来て最初に寝かされていたあの部屋だ。

 部屋があり、おそらく、いや、そうに決まっているが、ミランダの手作り料理が朝晩ふるまわれ、これまで兄妹水入らずだったところへ僕が割り込む形でいつも三人で食卓を囲む。

 僕は会話には加われないものの、ヨスもミランダもいろいろと話しかけてはくれるし、なんとか身振りで答えようとする。不思議と僕の言いたいことはヨスにはすぐに伝わって、まるで通訳みたいにミランダににも伝えてくれる。だから、食事中も自然と僕は笑顔でいることが多くなった。

 これが家族なのか、家族で過ごす時間の暖かさなのかとも思った。でも、考えてみたらおかしなものだ。この二人は僕にとっては赤の他人なのだ。それなのに、これまで僕は本当の自分の家族と暮らしていた時には感じたこともないような心の安定を感じている。

 ミランダはまるで僕につきっきりという感じで世話を焼いてくれる。それが決してお客様扱いではなくごく自然に、だけど至れり尽くせりの心のこもった世話で、どうしてここまでこの()は僕のために尽くしてくれるのか不思議でならない。口がきけたらまずそのことを聞いてみたいと思うが、今はそのすべはない。

 「自分でもどうしてそうしたいのか分からないけれど、でも、そうしたくてしかたがないという気持ちがわいて、妹は君を大切にしているそうだよ」

 ミランダがいない時に、ふとヨスがそう語りかけてくれたこともあった。そのことはミランダと初対面の時に、すでにミランダ本人の口からも聞いていることだった。

 「君くらいの年頃の男の子だったら、何となく何かを感じるよねえ」

 ヨスはその言葉の奥に何かを含ませているかのように、やたらとにやにや笑いながらそう言ってきたこともある。でも僕にはその笑顔の向こうにあるものが今一つ分からなかったから、その時はその話題はそこまでだった。

 そしてそのミランダに見送られて、僕は「出勤」する。働いたら負けと思っていた元寓居衛兵の僕が、こうして毎日働く日が来ようとは思いもしなかった。

 ギルドの入り口で、毎朝シャルロッテと待ち合わせをする。

 まずはその日の仕事を確保しなければならない。

 言葉を話せないし字も読めない僕は、シャルロッテがいないと仕事を選んでそれに申し込むこともできない。

 仕事といっても冒険者駆けだしの僕には、この階級(レベル)に合った仕事しか申し込めない。モンスターとの戦いなどの冒険者本来の仕事は、僕には申請する資格すらないのだ。

 もっとも、今の状況では申請できたとしても、翌日も申請できるとは限らない。こんな状態でモンスターと戦っても翌朝はもうこの世にはいないだろうから。

 だから、僕が申請できる仕事は、前にも聞いていた通り草むしりやどぶさらいがやっとだった。

 今日もギルドの受付の窓口の脇の掲示板で自分の階級相応のコーナーから仕事をチョイスし、申請用紙に応募の旨を書いて窓口に提出する。

 僕の場合、それをすべてシャルロッテが代行してくれていた。

 そして冒険者の僕は、今日も剣を背に威勢よく戦いに出かける。

 敵は城壁の外に一面に広がる草原の、城壁に沿ったあたりで伸び放題の草たちだ。

 剣は背中のまま、僕の手には草刈の鎌があった。

 黙々とひたすら草を刈る。周りには同じような駆けだしの冒険者たちが同じように草刈をしているが、皆僕よりもずっと若い。

 本物の冒険者になるための修行だと、彼らは日々汗を流している。

 はたして僕にそのような目標はあるのかと、時々首をかしげる。

 でも、ある。

 強くなることだ。

 彼らのようにちっとも具体的ではないけれど、漠然としてはいても目標は目標だ。

 そしてミランダを守るのだ。

 実際、昼過ぎにはまたシャルロッテが迎えに来てくれる。

 「今日も始めるぞ」

 シャルロッテのその一声で、近くの森の中の空き地でシャルロッテ相手に剣の修行が始まる。

 「なかなか腕をあげてきたな」

 最初は剣を振り回すのがやっとで、シャルロッテは笑いながら相手をしてくれていたものだった。

 それがなんとか形になり、格好がついてきて、打ち込んだら払いのけられるものの一応はシャルロッテめがけて斬りかかれるほどになるまで数日かかった。

 最初はシャルロッテの槍に弾かれ、地面にたたきつけられたり転がされたりということの繰り返しだった。

 痛みが全身を走る。

 もう、立てないと思ったことも何度もあった。

 でもそのたびに、ミランダの愛くるしい笑顔を思い出す。

 そうだ、ミランダを守るのだ……僕は自分に言い聞かせて、なんとか立ち上がった。

 ミランダの笑顔を思い出して頑張ったのだが、家に帰っていざ実際にミランダの顔を見るとなんだかこっぱずかしくて、そんなことを考えたことは記憶の中に封印したくなってついぎくしゃくしてしまう。

 そんな毎日だから、家に帰った時は全身傷だらけなんてこともざらだった。

 だが、そんなことは知らないミランダは純粋に僕の傷を見て、心配そうな顔をした。

 「大変。すぐにベッドにの上に横になってください。傷の手当をしますから」

 でも……

 ――傷の手当てをしますから、全部脱いでください……なんていうお約束通りの展開を期待して僕は服を脱ぎかけたが…、

 「脱がなくていいんですよ。服のまま、とにかく横になってください」

 そこで、そのままうつ伏せになった。その姿勢からだとミランダが何をしているかは見えない。ただ、背中の患部が熱くなり、数分後には傷は全く癒えていた。

 驚いたのは、足をけがして歩くのもやっとの感じで帰ってきた時である。この時はベッドに腰掛けたままで、ミランダは僕の前に屈んだ。そしてもごもごと詠唱を唱えながら僕の足の患部に向かって手をかざした。僕の体からは一尺(三十センチ)くらいは離れていた。するとその手のひらから鮮やかな青色の光がまばゆいくらいに発せられて、僕の足を包んだ。

 全く手は触れていないのに、ミランダの暖かい手のひらでずっと押さえられているような感触があった。

 これが、今までミランダが僕に施してくれていた治癒魔法だったのだ。

 そうして元の健康体になって翌日もギルドに「出勤」し、あてがわれたどぶさらいなどの仕事をしながら、そのあとでまたシャルロッテによる僕の強化訓練となった。

 だんだんに腕をあげてきた僕は、まともにシャルロッテに斬りかかれるようになっていた。

 でも、その斬りかかる相手が長い金髪を持つ美人騎士とあっては、どうも勝手が違うような気がしてならなかった。

 

 息を殺して剣先をシャルロッテに向け、間合いを詰める。シャルロッテの槍も、自分の鼻さきを突かんばかりにこちらへ向いて光っている。正真正銘、文字通りの「真剣勝負」だ。

 まずは槍の先を払わないと、手元が短い剣の方が槍よりも不利だ。

 僕は剣で槍の先を思いきり跳ねあげる。同気(シンクロ)しているからこそ軽々と振り回しているが、実際には持つのもやっとの重さの剣だ。それに弾かれたら槍もかなりの高さまで跳ねる。だがすぐにそれは振り下ろされるので、それまでの間に間合いを詰めても、すぐにまた落ちて来る槍先を跳ね上げなければならない。

 その繰り返しをしながらシャルロッテに近づいていく。シャルロッテも見事な槍裁きで、時には体全体で飛び上がったり位置を変えたりでなかなか狙いが定まらない。

 僕と彼女の動きは光速で旋回し、剣と槍の描く軌道は目にもとまらないだろう。ぶつかり合う金属音があたりに響く。

 こうして長い時間なのか短い時間なのか分からないうちに何とか間合いを詰めた僕は、最後に思いきり力を込めて槍を弾いて、剣先をシャルロッテの鼻先に寸止めした。寸止めがうまくいかなければシャルロッテを傷つけてしまうし、最悪の場合はその命も危ない。

 だが、なんとか目の前で止まっている僕の剣の先を見て、シャルロッテはにこりと笑った。

 「ずいぶんと強くなったな。実際にモンスターと戦ってみるか?」

 モンスターと聞いて、僕はやはりためらってしまう。だが、いつまでも逃げていては前進はない。

 僕はゆっくりとうなずいた。

 「そこの谷間の川岸に何匹かいるだろう」

 ――え?

 こんな城壁近くの谷にモンスター? 城壁の外とはいえ、この辺りは人々も普通に平気で歩いている場所だ。そんなところにモンスターが住んでいるなんて、みんな怖くないのだろうか? あるいは、知らないのか?

 僕のそんな疑問をよそに、シャルロッテはさっさと谷間に向かって歩いていく。そこにモンスターが潜んでいて、いつ襲ってくるか分からないし、襲ってきたら壮絶な戦いが繰り広げられることになろうなんて予感はみじんも感じさせないような、まるで遊びに行くかのような足取りだった。

 谷といっても小川の両岸が少し低くなっているだけのくぼみで、斜面には草が茂っていた。

 その草の茂みに入ると、さすがにシャルロッテの顔つきも真剣になってきた。

 「来たぞ!」

 シャルロッテが叫ぶ。僕も剣を構える。

 すると茂みの中から、小型の動物くらいの生きものがシャルロッテめがけて飛びかかってきた。

 シャルロッテの槍が瞬時にそれを突く。

 ぱっと砕けたように、その生きものは消滅した。

 「油断しないで!」

 その怒号がまるで合図だったかのように、僕は周りを小動物に取り囲まれているのを見た。

 ――なんだ、ウサギじゃないか。

 色は茶色だが毛並みはよく、思わずモフモフしたくなるような衝動に駆られる。あの睨みつける真っ赤な眼光さえなければ、の話だが。

 目だけでなくて、歯も鋭い牙となって伸びている。大きさも普通の動物のウサギよりは一回(ひとまわ)り大きい。それらが十匹ほど、僕への包囲網を縮めて、今にも飛びかかろうとしている。もう敵意丸出しだ。

 「あの歯にちょっとでも触れられたら、死ぬわよ!」

 やはりこれはウサギではなくモンスターなのだ。僕とシャルロッテはラビット・モンスターの包囲網の真ん中に、背中合わせに立つ形となった。

 やがて一匹のラビット・モンスターが後ろ足ではねて飛びかかってきた。僕の目の高さまで跳ね上がる。それを合図にしたかのように、やつらは次々と跳ね上がる。僕は落ち着いて、正確に剣を振り、一匹一匹を切りつけた。

 ほとんど感触はなく、剣が触れたモンスターはその場で空中霧散する。

 「殺さないで普通に生け捕りにしたら、毛皮や肉が売れるんだけどね」

 戦いながらも、シャルロッテはそんなことを呟いていた。

 わずかな時間で、大方かたづいた。戦っているときは気がつかなかったけど、モンスターを一匹消すごとに小さな石がその体内から出て地に落ちる。シャルロッテはその石を拾い集めていた。

 「この石も売れるのよ。もっともこんなラビじゃあ一個で銅貨一枚だけどね」

 そしてそれを全部拾うと僕に渡してきた。

 「これは全部、君の分」

 一個銅貨一枚といっても、一日の草取りの報酬よりは多そうだった。僕は最初遠慮したが、シャルロッテに無理やり押し付けられた。

 「さあ、早くこの谷から出ましょう。やつらの仲間が来たら面倒だわ」

 シャルロッテについて、僕は草で覆われた斜面を登った。谷の上はもう普通の人々が行きかっている城壁外のあたりだ。

 「やつらはこの谷に人が足を踏み入れない限り襲ってくることもないし、自分たちでこの谷から這い上がって人間を襲ってくるなんてこともしないから安いのよね」

 歩きながら、シャルロッテは、そんなことも呟いていた。

 ギルドでその日の給与とは別に、シャルロッテの言うとおりこの石を換金できた。本当はこの仕事をするには自分の冒険者としての階級(レベル)では不足だし、依頼に正式に申し込んだわけではないのだから換金の対象にはならないとのことだったが、そこはシャルロッテがうまく丸めこんでくれた。

 「だいぶ腕も上がったし、どう? 自信ついた?」

 微笑みながら尋ねるシャルロッテに、僕も笑顔でうなずいた。

 

 それからはまた草取りや清掃などの雑務の傍ら、シャルロッテ相手の特訓の毎日だった。

 家に帰ると、ミランダの手料理と家族のだんらんが待っている。

 こんな毎日がいつまで続くのかと、僕はふと思う。もう、前にいた世界のことなど忘れてしまいそうだ。

 でも、ほんのふとした時にあの爺さんの顔を思い出す時もある。あの爺さんは、なんで僕をこの世界に送ったのか? 

 いや、むしろこの異世界の方から召喚されたのか? 

 どっちにしたって、なんで今僕がここにいるんだろうと、ふとした時に思う。本当に「ふとした時」だけだ。ふとしない時はここでの生活にもう慣れ親しみすぎてしまって、なんだかもうずっと前からここにいるような気にもなる。

 僕はここで初めて家族のだんらんを知った。僕はここで初めて自分が強いと認識した。毎日が同じ日の繰り返しであるけれど、なんだか楽しいのでこれでいいと思ってしまう。

 でもやはり、いつまでも草むしりは嫌だ。冒険者らしくもっと階級(レベル)を上げて、高い賞金のかかったモンスター退治を引き受けもしたい。

 やはり、もっと強くならないとだめだ。

 そんなことを考えていたある日……その日引き受けた仕事はいつもの草むしりと違って、薬草摘みだった。依頼を受けた数人はその日限りの臨時のパーティーを組み、城壁を出て少し遠出するとのことだった。

 僕はシャルロッテに見送られ、初対面の人たちとともに奇妙な二本足の動物が引く荷車に乗せられた。荷車はかなり揺れた。だが町を離れるにつれてそこには雄大な景色が広がった。どこまでも続く草原である。

 遠くに青い山が横たわっているほか、そこまでは何も視界を遮るものがない。実に広い。この世界はどこまで広いのかと思ってしまう。

 パーティーは十数人。ほぼ僕と同世代の人が多かったが、中には少し年食っている人も交じっていた。

 「あんた新入りかね」

 車の上で隣に座って僕に話しかけてきたのも、そんな年食った人だった。

 僕は黙ってうなずいて、自分の口に手を当てて手を左右に振り、口がきけないのだということを身振りで示した。

 「そうか。それは気の毒に」

 小太りの男は遠くの平原を見つめていた。

 「それでこの道で食っていこうというのも大変だよな。俺なんかもう初めて冒険者に申請してから十年。その十年の間、毎日草むしりだぜ」

 苦笑する男を見て、正直「そりゃそうだろう」と内心思った。いかにも愚鈍、強さとは程遠いといった感じで、この男が剣を振りかざしてモンスターと戦っているところなどどうしても想像できない。他の連中を見ても、中にはこれから階級(レベル)が上がっていくだろうなあと思える人もいれば、かわいそうに一生このままじゃないかと思うようなか弱そうなのもいる。

 そんな弱そうな人がなぜ冒険者に申請したのかということになるけど、この世界ではそれが一番手っ取り早くとりあえず食っていく手段のようだ。かつての僕のように寓居衛兵でございなんて、いい気になってはいられない世界なんだな、ここは。

 さっきの男は、言葉がしゃべれない僕なんか相手にしていてもしょうがないと思ったのか、もう反対隣の細身の男と話しこんでいる。

 ま、僕としてはその方が助かるが。

 やがて、草原に一本だけぽつんと生えている大きな木の下で車は止まった。天を突くような巨大な木で、周りは何もない大草原になんでこの木が一本だけ生えているのか不思議だった。

 車から降りると、同行してきた領主様お抱えの薬剤師から薬草の説明があった。なんとうら若い、まだ「女の子」と呼んでいいような女性だった。

 僕らは巨大な木の舌の草むらに足を投げ出して三角座りに座って、薬剤師さんの説明を聞いていた。

 薬剤師さんは髪は短く赤色で、声が鈴の音のように愛らしく、僕は薬草の説明よりも彼女の顔に見入ってしまっていた。

 そして、車の上で僕に話しかけてきたおじさんに突っつかれて我に返ると、説明は終わろうとしていた。慌てた僕の様子を見て薬剤師さんはくすっと笑い、それがまたもう、なんといっていいやら…。

 気を取り直して、説明通り――実際はあまり聞いていなかったが――、なんとか薬草を摘み始めた。周りの連中が摘んでいるものと同じものを摘んでいれば無難だろうと思ったのだ。

 そうこうして半日ほど作業は続いた。

 少し休憩ということで、僕らかけだし冒険者たちは思い思いに草むらの上に座ったり、寝転がったりで疲れを癒していた。

 薬剤師さんは車のところで、我われと同行してきている依頼主の関係者らしい人と話をしていた。その偉い人も領主様のお屋敷の人のようだ。

 僕は草むらに横になったままそんな彼女の愛らしい笑顔を見てから、仰向けのまま空を見上げた。この世界の空は、色が僕が元いた世界とは微妙に違う。でも、ここの色に慣れてしまって、僕の元いた世界の空の色がどんなだったかどうもよく思い出せない。

 その時、地面に近いところにある僕の耳のヘッドセットから、ごくわずかだが音声を捕らえていた。

 「やつらみんな寝てるぞ」

 「ああ、寝てなくても座って油断してやがら」

 「今のうちにやっちまえ」

 僕は慌てて跳ね起きた。だが周りのみんなは寝そべったままだ。誰にも何も聞こえていないようだ。

 僕は立ち上がって、声のした方に歩いて行ってみた。

 声がした方といってもヘッドセットを通してなので、正確な方角は分からない。もう勘だけが頼りだ。だいたいさっきの会話内容だと、いやな予感しかしない。

 「おい。声を落とせ」

 「いや、どうせやつらは俺たちの言葉は分からない」

 ここの人たちには聞いても理解できない別言語での会話のようだ。だがご丁寧に僕のヘッドセットはそれもこの土地の人の言葉と同様に、僕の分かる言葉に翻訳してくれてしまう。

 僕は大木の巨大な幹の向こうの方へ少し歩いて、目を凝らした。横になって休んでいた連中は、なんか胡散臭そうに僕の行動を見ている。

 次の瞬間、それまで静かだった草原の、その静寂は破られた。大木の向こうの大地から、いくつもの人影が湧いて出た。それは文字通り地面の中から次々と湧き出てくる。だが僕はその前に、今まで気がつかなかったが大木の向こうの草原にぽっかりと巨大な窪地があるのを見ていた。その窪地の中から多くの人影は湧き出て、こっちへ向かってくる。

 「ゴブリンだ!」

 冒険者の一人が立ち上がりると、皆一斉に慌てて飛び起きた。

 穴から湧き出てきた人々は三十人ほどいようか、ゆっくりとこっちへ近づいてくる。冒険者たちは固まって車の陰に隠れた。僕は何が何だかわけが分からなかったので、ぽつんと突っ立って迫って来る人影を見ていた。

 「おい! 新入り! 何やってんだ! ゴブリンの襲来だぞ! 早く逃げろ!」

 仲間の一人が大声で叫んでくる。

 でも僕は、ここで逃げていてはいけないような気がして、まずは敵をよく観察しようと思いそのまま立っていた。

 近付くにつれ、それは「人」ではなくモンスターであることが分かってきた。緑色の皮膚に腰のまわりだけ布を巻き、顔も緑で耳は尖り、何よりも鼻が醜くカギ状に曲がっていた。背丈は我われよりも少し小さい。

 さっき冒険者たちが言っていた「ゴブリン」というのは、このモンスターのことらしい。

 でも、手には斧や鎌などの武器を持っているし、さっきは会話もしていた。つまりモンスターといっても、人間に近い知性を持っているようだ。

 僕は背中から肩越しに剣を抜いた。

 冒険者の中にも耳が尖ったエルフが何人かいて、僕の隣に立った。彼らはすぐに詠唱を始め、わーっと大声で叫びながら一気に突進してきたゴブリンたちに魔法陣の防御を施した。

 でも、彼らの魔法は防御魔法しかないようだ。

 そこで僕が躍り出て、剣を振り回してはゴブリンを一体、また一体となぎ払っていった。

 相手はモンスターといえばモンスターだが、別種族の知性のある生物であるともいえる。つまり、その分、人間に近い。全くの動物のようなモンスター相手とはどうも勝手が違って、なんだか人を殺しているような後ろめたさも感じてしまう。

 人殺しなんて、僕にとっては初めての経験なんだ

 でも、そんなことを言ってはいられない。()らなきゃ()られる。

 ゴブリンたちも斧や鎌など手に持った武器で攻撃してくるから、それと闘いながら一体ずつ倒していく。剣を振り回しつつも同時に多くのゴブリンの体を消滅させるのだから、我ながらなんか曲芸でもしているみたいだ。

 でも、とにかく数が多すぎる。ゴブリンは大地の穴から次から次へと湧いて出てくる。エルフたちの防御魔法も、限界に達しているようだ。

 とうとう、車の陰に隠れている冒険者たちを、ゴブリンどもがすっかり取り囲む形になってしまった。

 何しろここに武器を持ってきたのは僕だけなのだ。他は草取り用の鎌を持っているだけで、一応それを手にみんな構えてはいるけど、小柄ながらも腕っ節の強いゴブリンと闘って勝てる見込みがありそうな人は、言っちゃ悪いけどいそうにもない。まだ、誰も闘ってないけど。

 僕が気になるのは、あの薬剤師さんだ。領主付きの偉い人たちの背後で守られているようだけど、偉い人たちも武器を持っているような様子はない。あくまで事務仕事のためについてきた人たちで、護衛というような感じではなかった。

 もう、だめか……でも、あきらめたらそこで戦闘終了だ。

 こんな時、お約束ではあの紅の騎士のようなのが現れて、颯爽(さっそう)と助けてくれるはずだ。

 あの牛男(ウェアオックス)たちに襲われた時もそうだった。

 僕はあたりを見回した。でも、大木の向こうはゴブリンがわき出て来る穴があるだけで、見渡す限りの大平原。とても助っ人など湧いて出そうもなかった。

 いや、いた!

 平原のどこにも助っ人らしい人影はなかったけれど、頭の上でものすごい音がした。

 目の前の大木の上の方の枝と葉が生い茂るあたりが、風もないのにものすごい音をたてて揺れ始めた。

 そしてそこからバサッと巨大な翼が出て、怒り狂ったような恐ろしい形相の大鷲が顔をのぞかせた。

 いや、鷲じゃあない! どんな大鷲でもあんなに大きくはない。

 大地に響き渡るような鳴き声を発した後、大わしは翼を羽ばたかせて木の上にと浮上した。

 風にあおられ、我われとゴブリンたちとの戦闘はそこで凍結し、誰もが動きを止めた。

 木の上の大鷲は驚いたことに、下半身は獅子の腹と尻、後ろ脚がついていて、尻尾は馬の尻尾のようだった。前脚は鷲の脚だ。

 「グリフォンだ!」

 そんな叫びを挙げたのは、ゴブリンたちも我われ冒険者も同時だった。

 いったん空高く上がったグリフォンというそのモンスターは急降下して、我われを包囲して群れていたゴブリンを三、四体まとめて鷲の脚である前脚で文字通り鷲づかみにした。それから空中に舞い上がり、高い所から落として地面にたたきつけて殺している。地面に落ちた瞬間に、落とされたゴブリンの体は消滅する。

 当然、我われを囲んでいたゴブリンたちは、大騒ぎとなってもといた穴の方へとかけていく。逃げ遅れたものがまたグリフォンにつかまれて、空中から落とされる。グリフォンはゴブリンたちを殺しているだけで食べようとはしていないから、食料にするわけではないようだ。木の上の巣で眠っていたところをゴブリンたちの一斉の叫び声で起こされて、よほど腹が立っていたのか……それとも……

 そんな喜びの期待を含んだ甘い「それとも」は、瞬時に打ち砕かれた。あの紅の騎士は敵か味方かいまいち分からないとヨスが言っていたが、このグリフォンは敵であることは明らかとなった。

 グリフォンは車の陰に隠れる冒険者たちをも狙い始めたのである。

 僕の元いた世界では「漁夫の利」なんて言葉があったけど、このグリフォンはそれを狙ったのか……。でも、ここでゴブリンたちを倒し、我われをも倒したところで、やつにとっての「利」があるとは思えない。せいぜいまた、巣の上で安眠できるということくらいだろう。

 あのゴブリンたちも、自分たちの住む谷のこんなすぐそばの木の上にグリフォンの巣があるなんて知らなかったようだ。

 そんなことはどうでもいい。

 一難去ってまた一難、今度こそ絶体絶命なのか…。

 グリフォンは我われの至近距離まで急降下してくる。その大きさは普通の獅子の四倍くらいはある。

 ゴブリンたちと同じように、冒険者の何人かを同じように前脚で鷲づかみにしようとした。でもその人たちはゴブリンたちとは違って、僕にとっては仲間なのだ。

 もう僕は何も考えてはいなかった。狙いを定めるなんて余裕もなかった。とにかく飛び出して行って、瞬間的に全力でグリフォンの(あし)を剣で払った。

 剣はわずかに脚をかすったらしく、グリフォンの血が噴き出た。それでもグリフォンにとっては衝撃だったようで、つかみかけた冒険者を離すと、一度は空中に舞い上がった。

 そして、僕に向かって急降下してくる。

 僕は剣を構えた。

 「やめろ! 逃げろ! そいつには剣では無理だ!」

 冒険者の一人が車の陰から叫ぶ。

 「槍じゃなきゃだめだ。あるいは火炎魔法!」

 そんなこと言ったって槍もなければ、火炎魔法なんてできっこない。それができる人もいないようだ。剣で戦うしかないじゃないか。

 もちろん言い返せないし、たとえ言い返せたとしてもそんな時間的余裕はない。

 グリフォンは僕の目の前まで降りて来て、その前脚が僕をつかみかけた。僕はその場に倒れこんで転がり、なんとか()けた。

 空振りしたグリフォンは少し前につんのめったがすぐに体勢を立て直し、一度また上空まで上昇した。上がられてしまったら、こちらからの攻撃はできない。このまま飛び去ってくれればいいのだが、世の中はそんなに甘くはないだろう。

 案の定、グリフォンは再び僕をめがけて急降下してくる。

 「翼を狙え!」

 車の陰からの、誰かのありがたい助言だ。だが、狙えって言われても、はいそうですかと狙えるものでもない。今度もつかまる直前で転がって、つかまれるのからは逃れた。すぐに立ち上がると、グリフォンが再び上昇する直前に思いきり飛び跳ねて、翼めがけて剣を振りおろしてみた。今度はこっちが空振りだった。

 勢い余って尻もちついたところに、上空から黒い影が覆いかぶさる。

 今度は簡単に僕はつかまれてしまった。それでも剣だけは離さずにいた。

 すぐにグリフォンは飛び立とうとするが、どうもバランスが取れないでいるようだ。

 最初はなぜだか分からなかったが、僕をつかんだ方の前脚がなかなか上がらない。

 ――剣だ、と僕は思った。

 僕にとっては同気(シンクロ)したので軽々と振り回しているが、あの武器商のリザードマンでさえ重そうに持ってきた代物だ。ましてや僕の力では持ち上げることすらできなかった。

 こんなでかい図体(ずうたい)のグリフォンからしてみれば、こんな小さな剣ということにもなろうが、本来空を飛ぶ生きものは極力自分の体を軽くするような作りでできていると聞いたことがある。だから、こんな小さな剣でもそれがとてつもない比重であるとすれば、グリフォンがそれれをつかんで持ち上げるのは苦労するのだろう。あのゴブリンを三、四体も軽々しくう持ち上げたグリフォンでさえ、だ。

 激しく翼を羽ばたかせながら、グリフォンはふらふらと上昇し始めた。

 幸い、グリフォンがつかんでいるのは僕の胴体だけで、両手の自由はきいた。

 僕は剣を頭上に振りあげ、見えないながらもそこにあるはずのグリフォンの脚を払った。

 グアァァァァァ!!!

 ものすごい声でグリフォンがわめくのと同時に、脚からすごい量の血が吹き出して僕は血みどろになった。

 そして僕をつかむ脚の力が緩んだのと血で滑りやすくなっていたこともあって、僕は地面に落下した。落下したといっても、それほど高く上昇してからではなかったので、かなりの衝撃は受けたけれどすぐに立ち上がることはできた。

 同時に地面に降りたグリフォンはますます怒り狂って、獅子の後ろ脚で立ち上がり、鷲の前脚でひっかけるような形で僕に向かってきた。立ち上がると、前脚は僕の頭上よりもずっと上にあることになる。その前脚が僕めがけて降る下ろされた時は爪と剣との戦いだった。

 だが、グリフォンの硬い爪よりも、剣の方がより力は強かった。

 前脚をずたすたにされてさらに血みどろとなり、グリフォンは尻もちを突く形となった。

 ――今だ!

 そう思った僕は思い切り飛び跳ねて、その左の翼の根元を狙った。

 鮮血が噴水のごとく出て、その翼は根元からもがれてばさりと落ちた。

 もう、グリフォンは飛べない。そうなると、もうこっちのものだ。飛べないグリフォンなど恐れるに足らない。

 僕はその羽毛で覆われた上半身に飛び乗り、剣で突きまくった。

 最期の悲鳴が草原に響き渡り、僕がその首を掻き切った瞬間にグリフォンの巨体はパーッと散って消滅し、僕は地上に落下した。そして僕の隣には、例の石が同時に落下してきた。やはり巨体に見合ったかなり大きい石だった。

 しばらくは静寂が続いた。

 車の陰に隠れていた冒険者たちも、最初は何が起こったのか分からなかったのだろう。ただ、静まり返って、硬直した体でことのなりゆきを見つめていた。

 しばらくして(われ)に返った彼らは、一斉に拍手をしてくれた。そして涙ながらに車の陰から飛び出してきて、歓声を挙げながら僕に一斉に抱きついてきた。

 ――男たち大勢に抱きつかれてもうれしくないんですけど……それよりも僕は何とか生き延びられたということで放心状態となり、へなへなとその場に座り込み、そのまま倒れこんでしまった。

 

 幸い、意識はあった。

 皆が僕を担いで車の上に横たえてくれた。

 精神だけでなく、体もボロボロだった。あちこちで傷が痛み、立ってはいられないほどだったのだ。

 この日はこれで撤収となった。

 城壁の中へ戻るまでの間、冒険者の中でもエルフの人たちがミランダと同じような治癒魔法をかわるがわるかけてくれた。

 けがをして、傷口が開いて血が噴き出していたようなところも、彼らが手をかざすとその手のひらから出る神々しくも青く輝く光線が体内を貫き、熱く感じているうちにみるみる傷口はふさがっていく。

 お蔭で、ギルドに戻るころはすっかり元気になっていた。

 そして、それまではとにかく無我夢中だったので意識しなかった自分の功績を、あらためて思い出せるようになった。功績っていったって、死にたくないから、生きるために必死で戦っていただけなんだけど……

 でも、もしかして僕って、すごいことをやったんじゃないか……そんな興奮がひしひしとわきあがってくる。

 グリフォンの石は百両で換金できた。

 僕の剣が二十両と聞いて目をむいた彼らの物価水準からすれば、かなりの大金なんだろう。

 それよりも、翌日ギルドで、僕の階級(レベル)の昇給式が行われた。

 それまで僕らはレベル(ワン)、つまり一番下の階級(レベル)だったが、このグリフォン駆除はレベル(スリー)以上でないと依頼に応募できない仕事だった。自分の階級レベル以上の仕事は依頼を受けることはできないばかりか、勝手にやることも禁止されていた。

 もし自分の階級(レベル)以上のモンスターを、依頼も受けずに勝手に駆除しても石は換金できないし、昇級もしないという決まりらしい。でも、今回のように突発的にモンスターに襲われた場合、しかもそれを正当防衛的に駆除した場合は昇級が認められることもあるという。

 しかも今回は、グリフォンの巣がある木の下で薬草採集など、事前に調べもしないで採集場所を決めた薬草摘みの依頼主、すなわち領主側にも落ち度があったということで口をきいてもらい、昇級に至ったわけである。

 僕は一気にレベル1《ワン》から飛び越えてレベル(フォー)に昇格した。

 本来はレベル3でないと受けられない依頼だから、クリアしたらレベル4に昇格するしかない。

 昇格自体もうれしかったけど、何より、昇級式にあの赤い髪の薬剤師さんも来てくれていたことにさらに喜びを感じた。

 「本当にありがとうございます。あなたは命の恩人です。一言もしゃべらない謎の一匹オオカミさん」

 そう言ってにこやかな笑顔で頭を下げられると、命を張った甲斐があったと思った。てか、そのどこかからパクってきたような呼び方は何だあ? 僕はウェアウルフじゃあないんだけど…。

 でも、あまりにかわいく言うのでいいにしたけれど、僕は十分に照れていた。もし普通にしゃべれたとしても言葉が出なかっただろう。もちろんこの時も、はにかみながら笑って黙って頭を下げただけだった。

 でもすぐに我に返る。

 この式にはシャルロッテやヨスのみでなく、ミランダも出ている。もちろんミランダは僕が彼女を見つけた時の動揺など気づくことなく、純粋に祝福の拍手を送ってくれていた。

 こうして喜びに包まれて、式は進展した。

 でも、どんなに喜びに包まれていても、僕はその喜びを言葉で表現することは禁じられているのだ。

 本当は大声で「やったー!」とか「バンザイ!」とか叫びたいんだ。

 実際、もう少しで喜びを声に出して表現しそうになったけれど、必死で抑えた。

 その時、僕の腰のあたりの空中の、いつもお金のやり取りをする時に現れる透明の板で、赤い光が点滅した。

 板を見ると、そこに見慣れない赤いカードがあった。

 カードには見たこともない文字で「JOY」(こんなふうに)と書かれていた。この世界の文字とも違う。さらにそのカードの下には僕が元いた世界の文字で「このカードを七枚集めよ」と小さく書かれていた。署名は「秋葉博士」だった。

 そのカードの見たこともない字を覚えて、あとでヨスに書いて見せたけれどやはり読めなかった。

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