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番外編:おうちで作る簡単パエリア(実践編)

 一海の為に、何か料理が作れるようになりたい。

 できれば僕のような初心者にも簡単に作れて、見栄えもよくて、一海がとても喜んでくれそうな美味しそうなメニューを――。

 こんな僕の面倒な相談事に、播上は快く乗ってくれた。

『ご家庭で揃いそうな調味料だけで作れるようにしておいた。アレンジは慣れてからした方がいい』

 電話の後、播上はメールでレシピを送ってくれた。

 メニューはパエリア。米を使った、代表的なスペイン料理の一つだ。


 播上が書いてくれたレシピは、ごく少ない工程で作れるようになっていた。

 材料を揃えて刻んで、炒めて水を入れて蓋をして煮込むだけ。手順はそう難しくない。僕でもできそうだ。

 問題は材料。冷蔵庫を覗いてみたところ、あったのはニンニクと玉ねぎだけだった。トマトは切らしていたし、鶏肉は足が早いからあまり買い置きしないらしい。シーフードは冷凍のミックスがあったがこれで十分とは思えない。それとサフラン。

「一海、サフランってうちにある?」

 何気なく尋ねてみたら、一海はたちまち怪訝そうな顔をした。

「サフラン……ですか? 香辛料の?」

「そう、それ」

「うちにはないですけど、一体何に使うんですか?」

「うーん、内緒。料理ってことにしといてくれ」

 僕が答えを濁すと、彼女は目を瞬かせながらも頷いた。

 とりあえず、サフランはなしか。その場合はカレー粉を使えと播上のレシピにはある。

「じゃあカレー粉は?」

「それはあります。調味料入れに入ってますよ、缶のやつが」

 キッチンの調味料入れを開けると、確かにカレー粉はあった。赤い缶のやつだ。

 塩と胡椒はある。コンソメもある。そして米もある。フライパンの蓋もある。

 となると買ってくるものはトマト、鶏肉、シーフード。これらが揃えばパエリアはできる。

「買い物に行くけど、他に買うものある?」

 僕は目的を伏せたまま一海に声をかけた。

「ええ、夕飯の買い物をしようと思ってて。一緒に行きますよ」

「いいよいいよ、僕が行く。ついでに夕飯も僕が作るから」

「瑞希さんが?」

 一海は細い目を丸くして驚いた。

 いや、ほとんど『うろたえた』と言ってもいいかもしれない。驚いたのを押し隠すみたいに、慌てて苦笑してみせた。

「何を作ってくれるんですか? 瑞希さんだったらやっぱり、焼きそばとか――」

「今回は違うよ、もっとすごいものだ。何を作るかは内緒だけど」

 僕は誇らしげに言うと、尚も怪訝そうな一海に向かって告げた。

「ヒントはスペイン料理だ」

 一海は答えがわかったのかもしれない。

 少し間を置いてから、ようやくほっとしたように微笑んだ。

「播上さんから教わったんですか?」

「……当たりだ」

 そこは遠慮なく言い当ててきたから、僕も隠さず笑い返した。


 買い物を済ませ、帰宅してからはいよいよ作業開始。

 ここからは播上レシピと首っ引きで調理を行う。携帯電話を調理台に置いて、しばらくの間ご指南を願おう。

 手順その一。きれいに手を洗ってから米を研ぐ。これは一人暮らし時代から何度もやっているし、そう難しいことでもない。

 米をザルに上げたら、次は他の材料を切る。ニンニクと玉ねぎはみじん切り。パプリカは粗みじん切り。鶏肉は角切りにして塩と胡椒を振っておき、トマトも同じように角切りにする。


 と、ここで問題が発生した。

「しまった、ボウルが足りない……!」

 少量のニンニクと玉ねぎはガラス鉢に、その他の材料はそれぞれボウルに流し込んだが、トマトまで切ったところで入れ物が足りないことに気がついた。

 まな板の上には切られたてのトマトがごろごろしている。これからエビの調理と、カレー粉の用意があるのに――。

「どうかしたんですか?」

 独り言が聞こえたのか、一海がキッチンの入り口まですっ飛んできた。

 何を作るか内緒にしている僕の意向を酌んだのだろう。顔だけひょいっと覗かせている。

「お手伝いできることありますか?」

「あー……何か、ボウルの代わりになるものが欲しいんだ」

「深さがあるものじゃないと駄目ですか?」

「できれば。トマトを入れたいんだ」

 平たい皿だと零れてしまう気がする。そう思って答えると、一海は食器棚の下を開けて木製の丼を取り出した。

「一つでいいですか?」

「二つ欲しいかな」

 僕が答えると、一海は二つ目の丼を棚から出した。

 それから不自然に顔を背けて、丼だけこちらへ手渡そうとする。

「あの、私、見ませんから」

「え?」

「メニュー、内緒なんですよね?」

 ああ、それでか。普段は年齢以上に落ち着き払っている一海が、子供みたいに顔を背け、丼を持った手をぷるぷるさせているのがすごく可愛い。

 僕はその気遣いに感謝しつつ、彼女のきれいな手から丼を受け取った。

 そしてキッチンから出ていく妻の背中を見送ってから、作業を再開することにする。


 ええと、次は何だっけ。

 調理台の上に置いた携帯電話からレシピを見ようとしたが、長らく放っておいたせいで画面は消えていた。これがあるから携帯電話は不便だ。面倒でも紙に書き写しておくんだった。

「せっかく手を洗ったのに……」

 ぶつくさ言いながらも携帯電話を確かめ、手を洗い、エビの殻を剥いて爪楊枝で背ワタを取る。

 簡単なようにレシピには書いてあったがこれがなかなか難しく、何度か爪楊枝で背ワタを切断してしまい、慌てて穿り返す羽目になった。お蔭でいくつかのエビがずたぼろになった。

「もう既に初心者っぷりを披露してるな……」

 播上にはこんな作業も楽勝で、見映えよく仕上げるんだろう。ちょっとばかし劣等感を覚えつつ、次の作業に入る。

 フライパンにオリーブオイルを引いて、まずはニンニクから炒め始める。

 播上レシピによればニンニクは大変焦げやすいそうだ。低温でじっくりを信条に時間をかけて炒めなくてはならない。ニンニクのいい匂いがしてきたら、次は玉ねぎだ。

「いい匂いがしますね」

 キッチンの外から一海の弾む声がする。

 かなり気にしてくれているみたいだ。いや、心配されているのか――どちらでもいいか。

「まだかかるから、ちょっと待ってて」

 声をかけ返しつつ、玉ねぎも炒める。

 それから鶏肉、パプリカ、オリーブオイルを足してから更に米を入れる。米をじっくり油と馴染ませろと播上レシピは言っている。


 しかしこれが難しかった。

 ただでさえたくさんの具が入ったフライパンで、ある程度隙間を作ってそこで米を炒めるのだが、狭いので上手く混ざらない。力を入れ過ぎるとフライパンから米が飛び出しそうになる。もどかしく思うほどちまちまと油をまとわせ、そこから次第に他の具と混ぜ合わせていく。

 どうにかこうにか炒めきって、水を注いだ時は心底ほっとした。


「言うほど簡単じゃないぞ、播上」

 レシピに向かってぼやいても仕方ない。

 今まで妻に甘えて料理をさぼってきたツケというやつだ。これからは心を入れ替え、もう少し家事を学ぶことにしよう。

 米は二合、だから水も二カップ入れた。コンソメで味を調え、水で溶いたカレー粉を流し込み、ずたぼろのエビを並べてしばらく加熱する。カレーの匂いはしなかった。

 それにしてもこのレシピ、ところどころに清水さん――もとい、播上夫人の存在を感じるような気がするのは気のせいか。カレー粉を入れるくだりでは『カレーの匂いは全然しません。大丈夫!』なんて書いてある。これはどう見ても播上のテンションじゃない。

「あっちの夫婦も仲がいいよな」

 結婚前からそうだった。生まれ持っての名コンビみたいに気が合って、一緒にいるのが当たり前みたいに見えていた。僕と一海とは少し違うが、ああいう夫婦仲もいいものだと思う。


 まあ、仲のよさはうちだって負けてない。

 こっちはあの二人ほど長い付き合いでもないし、歳の差だってあるけれど、それでも熱烈な恋に落ちてそのまま結婚して夫婦として幸せいっぱいにやっている。

 こういう夫婦もいいものだ。胸を張ってそう言える。


 ――なんてことを考えているうちにフライパンの中がふつふつ言い出したので、僕はレシピ通りにトマトを散らして蓋をした。あとは加熱十分、蒸らしが十五分で完成だ。

「瑞希さん、どうですか?」

 一海がまた、キッチンを覗く気配がする。

 僕は振り返って親指を立てた。

「首尾は上々。あと二十五分でメニュー公開だ」

「楽しみにしてます」

 可愛い妻のとびきりの笑顔が返ってきて、今更だがちょっとどきどきしてきた。

 ご期待に沿える出来だといいんだが。


 そして二十五分後、我が家の食卓には美味しそうなパエリアがお目見えしていた。

 米は艶照りのいい鮮やかな黄色に炊き上がり、ニンニクとオリーブオイルの香りがふわりと漂う。ずたぼろだったエビもきれいな色に仕上がっていて、背ワタ取りで苦労したことが嘘のようだ。

「すごい……パエリアですね!」

 一海が目を丸くしている。

「播上のレシピのお蔭で簡単に作れたよ」

 僕は得意になりたいのを堪えようとしたが、無理だったみたいだ。すぐに妻から言われた。

「瑞希さんも頑張ったんですね。こんなの作れるなんて素敵です」

「まあ、ちょっとは頑張ったかな」

 次はもう少し手際よくなっておきたいものだ、と思う。

 それから二人で手を合わせて、早速パエリアを口に運ぶ。

 米は上部が柔らかめで、底の方はきれいなおこげになっていた。少し水の量が多かったか、トマトの水気が多かったのかもしれない。鶏肉やエビはよく火が通っていて美味しかったし、何より香りがよかった。

「とっても美味しいです! パエリアっておうちでも作れちゃうんですね」

 一海も誉めてくれたし、とりあえずは言うことなしだ。

 反省点もなくはないが、それは次回活かせばいい。


 播上のレシピにもあった。慣れたらいくらでもアレンジを効かせればいいと――本物のサフランを使うも、シーフードの種類を増やすも、はたまたもっと楽をしてトマトの水煮缶を使うも自由だと。これはあくまで基本のレシピで、僕が踏み出した家庭料理の最初の一歩だと播上レシピは語っていた。

 それなら僕の今日の一歩は、とても大きな最初の一歩となるだろう。


「でも、どうして急に、ご飯を作るなんて言ったんですか?」

 パエリアを味わいながら、ふと一海が疑問を呈してきた。

「急かな。僕が作るって言い出したらおかしい?」

「おかしくはないです。でも、何かの記念日だったかなってカレンダー確認してしまいました」

 一海がそう言うくらいには、普段の僕はキッチンから縁遠い。

 何せ料理上手の妻を貰った。共働きだけど、料理を作るのはいつも彼女だ。僕は当たり前のようにその役目を一海に任せてきたし、一海もそのことで不平を漏らしたことはない。むしろその方がいいとさえ思われているようだった。

 だから僕が料理を覚えたら、それが当たり前じゃなくなるんじゃないかって思った。

「たまには君に楽をさせたかったんだ」

 僕は一海の疑問に正直に答える。

「それと……何にもない日だって、君を幸せにしたいといつも思ってる。そう伝えたかった」

 プレゼントなり、彼女の為に時間を使うなり、あるいは二人で遠出をするなり、一海を幸せにするやり方はいくらでもあるだろう。でもそれは毎日できることじゃない。愛を囁くことは毎日でもできるが、それだけでは足りないと思っている。

 そういう時に僕が料理を作れたら、僕らが毎日必要とする『食事』で彼女を楽にさせてあげられて、なおかつ幸せにさせられたらと思った。

「ありがとうございます、瑞希さん」

 一海がスプーンを持つ手を止め、しっとりと優しく微笑む。

「私、幸せです。こんなに美味しいご飯が食べられて」

 僕は彼女の笑顔が好きだ。

 彼女は自分の顔を好きだと思っていなかった頃もあったようだが、今はそうじゃないとわかる。僕にも惜しげもなく微笑みをくれる。それが幸せでたまらない。

 だからまた、僕はキッチンに立つだろう。

「いつでも食べられるようにしてあげるよ。もっと料理を覚えたいんだ」

「嬉しいです。私、楽しみにしてますから」

 楽しそうに、朗らかに、一海はくすくす笑い声を立てる。


 この顔を見られるのなら僕はもっと頑張れるだろう。

 次はもっとすごいレシピを教えてもらおうか――なんて、さすがに単純って言われるかな。

レシピ編は「ランチからディナーまで六年」番外編で公開中です。

よろしければそちらもどうぞ。

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