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番外編:蜜月旅行(4)

 時間があったら浜辺を散歩してみるといいよ、と教えてくれたのは真琴さんだ。

 せっかく港町に来たのだから、直に海を見なくてはもったいない。私と瑞希さんは勧められた通り足を伸ばすことにした。播上さんのお店をお暇したのは午後二時過ぎで、少し時間を潰してからホテルのチェックインを済ませる。車は置いていくことに決め、歩いて浜辺を目指す。


 アスファルトの真新しい海岸線は、交通量が少なめだった。道なりに続く堤防に沿ってしばらく歩くと、消波ブロックの山をいくつか越えた先、遊泳禁止の看板が立てかけられている階段を見つけた。コンクリ造りの階段はやや急で、砂利の敷き詰められた波打ち際へと続いている。ひび割れから青々と生い茂った草が、海の匂いがする風に揺れている。

 温泉街からは歩いて三十分ほど、お腹ごなしの散歩にはちょうど良かった。

「砂浜じゃないのか」

 瑞希さんが呟いて、私に手を貸してくれる。

「どちらにしても歩きにくいのには変わりない。気を付けて」

「気を付けます」

 私は彼の言葉と手に従い、潮風の中、浜辺へと下りる。

 手を繋いだ影が先を行く。階段の上では折れ曲がり、砂利の上では長く伸びた。


 夕暮れ時を迎える直前の海に人気はなかった。

 あるのは錆の浮いた古い漁船がいくつかと、透き通った浅瀬で揺れる海藻と、穏やかな波の音に重なる砂利の洗われる音。私たちが並んで歩き出せば、靴底で同じように硬い音がした。

「見事に丸い石ばかりだ」

 瑞希さんが足元を見ながら言う。小学生の頃に習ったように、浜辺に落ちている小石は角が取れていて滑らかだ。

「清水さんも言ってたな、きれいな小石があるって。探してみる?」

「はい、是非」

 海に来ているせいか、旅先だからか、私は少し浮かれていた。

 同じように彼もはしゃいでいる様子だったから、二人でしばし童心に帰った。

 波のぎりぎり届かない辺りで屈み込み、きれいな小石を探し始める。晴れた日の終わりはまだ暖かく、潮風が吹き付けてきても宝探しに夢中になっていられた。


 砂利の中には様々な色の石があった。

 黒いのも、灰色のも、白いのも、押し並べて角が消えている。

 薄い緑のガラス片まで丸く、ドロップみたいに丸みを帯びた形状をしている。

「こういうの見ると、白いのばかり集めたくなるな」

 手のひらに小さな白い石を乗せて、瑞希さんが軽く笑う。片方の手からもう片方の手へと、じゃらじゃら音を立てて移し変えてみせる。私の視線に気付くと、子どもみたいな顔をして更に言った。

「ほら、これを撒いておけば迷子になっても家に辿り着ける」

 言い出すことも小さな子みたいだ。ちょっと可愛い。

「ヘンゼルとグレーテルみたいですね」

「うん。お菓子の家まで行って、お菓子だけ食べて帰ってこよう」

 名案だと胸を張りたがるそぶりがおかしかった。だけど彼は器用な人だから、悪い魔女だって本当に出し抜いてしまうかもしれない。想像してみたら一層おかしくて、遂に吹き出してしまった。

「だけどこれ、ちゃんと月明かりで光るのかな」

「どうでしょうね……待ってみますか、月が出るまで」

「試してみたいけど、夕食の時間に間に合わなくなっちゃうな」

 そう言うと彼は立ち上がり、沈む日に向かって目を細めた。

 雲一つない空も次第に色を変え始めている。もうじき一面がオレンジになる。


 目映い陽射しを受けた立ち姿はきれいだった。風にそよぐ前髪の下、額の形からして整っている。

 男性なのに『総務課の美女』と称された彼は、やはり昔から好かれる人だったのだろうか。少なくとも私は、彼にこそ目を細めたくなる。


 すぐに彼が振り返ったから、屈んだままではにかむ羽目になった。

 彼も笑んで、尋ねてきた。

「やっぱり君は、海が好きなのかな」

「……どうしてですか?」

 やっぱり、という言葉の意味を尋ね返すと、瑞希さんは軽く肩を竦める。

「ここに来てから楽しそうな顔ばかりしてる」

 自覚はあった。私は今日、ずっと笑っているような気がする。

「楽しんでます、とっても」

「そうか。良かった」

 意外なくらい安堵の色を浮かべた彼が、更に続けた。

「あと、名前に『海』って付くから。もしかしたら特別海が好きなんじゃないかって」

 おどけた口調をされたから、また笑ってしまう。

 私の名前がどうでも、特別海が好きになるということはなかった。ただ他の景色と同じように、きれいな海なら眺めていても飽きない。

 ここの海も素敵だ。静かで、穏やかで、きらきらしている。

「海だけが好きな訳ではありませんけど、旅は好きです」

 私はそう答えた。

「いい旅行になったなって、今は思っているところです」

 それから付け加えて、同じように立ち上がる。

 彼の隣に肩を並べると、間を置かず手を握られた。ひやりと冷たいのは潮風のせいだろうけど、心臓が跳ねたのは相手が彼だからだ。半年くらいではまだ平然としていられないものの、こんな時にどうにかうれしそうにしている余裕は出来たと思う。顔を向けて、微笑んでみた。

「過去形にするには早いよ。まだやることが一杯残ってる」

 意味深長な瑞希さんの表情を、風に吹かれた私の髪が遮る。かぶりを振れば続く言葉も揺れて聞こえた。

「今日泊まるホテルは、客室に露天風呂がついてるって話だ。それもまた楽しみだろ?」

 ホテルの予約を取るのにはやはり播上さんが尽力してくださったらしい。

 そして値段の割には随分いい部屋のようだった。私もチェックインの際に覗いてきたけど、客室に備え付けの露天風呂なんて初めて見た。だから確かに興味はあるし、楽しみにもしている。

 瑞希さんは楽しみを通り越して、この上なくうきうきしているようだったけど。

「温泉が好きなんですか、瑞希さん」

「君と一緒だからな」

 強調するように言われると、こちらとしては反応に困る。


 目を逸らして空を仰げば一面のオレンジが広がる。寄せては返す波の向こう、震える水平線の上には赤々とした日が落ちかけていた。

 もうすぐ夜が来る。その後は今日も、旅行の一日目も終ってしまう。


「せめてもう少し、時間に余裕があれば良かったのにな」

 彼も同じことを考えていたんだろうか。夕焼け空を見上げて、ぼやいていた。

「もっと長く新婚旅行出来たら。そしたら、君の希望ももっと取り入れられたんだろうけど」

「希望というならもう十分です」

 気遣わしげな言葉には目を伏せた。今日は本当に楽しくて、有意義な日だった。口にしたらまた、過去形にするには早いと言われてしまいそうだけど、でも心から思う。楽しかった。

「私の知らない瑞希さんを見られて、とってもいい思い出になりました」

 そう告げたら彼は照れた様子で、微かな笑い声を零した。それでもこっちを向いて、ごまかしのない口調で確かめてくる。

「あいつら、いい連中だよな」

「はい」

 私も即答する。播上さんも真琴さんもとてもいい人だった。瑞希さんのお友達という時点で、いい人だと信じて疑わなかったけど――考えていた以上に素敵な、温かい人たちだった。初対面の私のことさえ優しく迎えてくれたほどだ。

 心の温かい人のところには、同じように温かい人が自然と集まってくるのだと思う。

 冷たくなくなった手を軽く握って、私はそのことを実感する。――そして私が瑞希さんの隣にいることも、そういう風に思ってもらえたらいい。思ってもらえるような自分でありたい。以前の卑屈だった私とは違うのだということ、私自身で証明出来たらいい。

「君にそう言ってもらえて良かった」

 瑞希さんは今、とても幸せそうな顔をしている。

「君を、あいつらに自慢出来て良かった」

 言葉自体は照れ隠しにも聞こえたけど、嘘でもないのだろう。彼の気持ちにも胸を張っていたかった。


 いつの間にか、夕日は海面に溶け込もうとしていた。

 潮風も冷たくなってきた。意識しないうちに身震いする私に、彼が声を掛けてくる。

「そろそろ戻ろうか」

 だけど私は旅先の海に名残惜しさも覚えていて、答える代わりに別のことを口にした。

「一つだけ、教えて欲しいことがあるんです」

「何?」

「瑞希さんは……」

 繋いだ手に力を込めて、彼を引き留めておく。

「……どうして、播上さんと喧嘩になったんですか?」

 私の問いを聞いた彼は、たちまち気まずそうな表情になった。

「一海までしつこく言うことないだろ」

「でも気になります。瑞希さんがそうそう喧嘩をする人だとは思えませんから」

「喧嘩なら君とだってしたじゃないか。結婚前に」

 そういえば、そうだった。


 あの夜のことは他のどんな記憶よりもくすぐったく、気恥ずかしい思いで残っている。

 考えてみればあの夜も、喧嘩のきっかけ自体は実に些細なことだった。ただ私の考え方が酷く歪んでいただけで。

 瑞希さんも播上さんも、かつての私のように歪んでいたとは思えない。ましてそのきっかけが焼肉というなら、経緯が気になる。聞いてみたかった。


「本当はそれだって、いい思い出のうちなんでしょう?」

 重ねた質問は、何だか冷やかしのようになってしまった。

 彼は瞠目してしばらく私を見つめていたけど、やがて大きく溜息をつく。

「しょうがないな」

 それから、観念したそぶりで語を継いだ。

「あいつはさ、焼肉奉行なんだ」

「焼肉……奉行?」

「そう。僕が肉を引っ繰り返し過ぎだってうるさく言って、しまいには肉に触るなとまで言われた。僕だって代金を払ってるのに、触るなはないよな? 僕は早く焼けて欲しいと思って引っ繰り返してただけなのに」

 返答に詰まった私を見てか、彼は更に続ける。

「それから僕が好きなものから食べようとすると制止して、順番があるって言い張った。塩が先でタレは後だって」

「……それは、播上さんの主張が正しいように思います」

「君まで言うのか。僕の妻なのに、僕の肩は持ってくれないなんて」

 ふくれっつらになる瑞希さんは、その時余程お腹が空いていたのかもしれない。

 彼は自分の主張が間違っているとは思っていないようだけど、私はむきになっている様子からしておかしくて、笑ってしまった。

「そういうことで喧嘩が出来るのって、いいですね」

「そうかな。……まあ、仲直りは早かったけど」

「どんな風に仲直りしたんですか?」

 尋ねてみたら、彼はふくれっつらを維持出来なくなったらしい。

 笑いを堪えるような面持ちで言った。

「あいつが、サイドメニューのアイスが美味しいって言うから、一緒に注文して、食べてやった。そしたら本当に美味しかったから――」

 こんなに可愛らしい喧嘩が他にあるだろうか。


 私はもう止まらなくなってしまって、ホテルまでの帰り道もずっと笑い続けていた。

 途中で瑞希さんも笑い出していたから、夜の訪れも幸せな気分で迎えられた。

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