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番外編:蜜月旅行(2)

 車を降りると、風を感じた。

 港町の風は趣が違う。海辺ではないのに海の匂いがする。暮らしている街とは明らかに違う匂いは、旅先にいるという実感を強くさせる。


 それだけが理由ではないのだろうけど、瑞希さんはいつになくそわそわしていた。

 お店の前に立つお二人を見るや否や、

「作務衣か」

 即座に作務衣姿の男性が反応する。

「何だよ」

「だってこっちは、スーツにネクタイの播上ばかり見てきたんだぞ。そんな格好して出てきたら、お、って思って当然じゃないか」

 気安い口調で言いながら、瑞希さんは、何だかとてもうれしそうに表情を緩めてみせた。

 そして遠慮もせず作務衣姿の男性――話を聞くにこの人こそが播上さんだろう――を眺めている。にやにやしているのは愉快さの他、若干の照れ隠しも含まれているみたいだ。挨拶よりも早く服装に注目してみせたのも、つまりはそういうことなのかもしれない。

「だからって笑うことないだろ。似合ってないのはわかってる」

 播上さんはと言えば、瑞希さんの視線をやや不満げに受け止めている。もっとも本気で腹を立てているようではなく、やはり照れからくるものだろうか、居心地悪そうな顔つきだった。


 実際、ご本人が言うほど不似合いないでたちではなかった。真面目そうでいて不器用そうにも見える顔立ちに、白い作務衣は格調高く映る。失礼を承知で例えるなら、リクルートスーツに身を包んだ新入社員のようなまっさらさだった。

 逆に言えば、この人がスーツを着ていたらずっと落ち着いて見えたのかもしれない。初対面の私には想像することしか出来なかったものの、そんな風に感じた。そういえば播上さんもかつては総務課勤務だったと聞いているけど。


「似合ってないとは言ってないよ、若く見えるだけだ」

 にやにやしながらフォローしている瑞希さん。

 若く見えるといっても、私からすればお二人は歳が離れているような感じはしない。むしろこの瞬間から揃って何年分か若返ってしまったようでもある。時間が何年か前に巻き戻ってしまったのかも。

 それから瑞希さんは、播上さんの隣にいた割烹着姿の女性に目を向けた。感心した様子で声を上げる。

「奥さんはすごく似合ってるな。大分長いこと働いてるみたいだ」

 ということは、こちらの女性が清水さん――もとい、播上さんの奥さんのようだ。

 播上さんの隣に立つとやや小柄で、若いというならこの人もまた同じように若く見えた。浮かべた笑みには実に愛嬌があり、そして確かに、割烹着が良く似合っていた。

「うれしいな。でも、播上だってそう悪くはないよね?」

 播上さんの奥さんが続けて応じる。

 旦那さんを名字で呼んでいるんだ、と驚いたのは私だけで、瑞希さんは特に驚くこともなく平然と応じていた。

「君が言うなら間違いないだろうな」

 その反応からは付き合いの長さが窺えた。


 きっと播上さんたちのご結婚前から、こんな会話をしてきたんだろうな。からかいや不満もぶつけ合える、気安い仲だったのだろう。

 瑞希さんがお二人とどんな風に友情を育んできたのか、同期として付き合っていた頃はどんな様子だったのか、知りたくなる。

 だけど一番知りたいのは、見ていたいのは、今の瑞希さんだった。

 再会の時に心なしかあどけない表情を浮かべている彼。はしゃぐ横顔を見つめているうち、私まで幸せな気持ちになる。


 と、そこで播上さんが切り出してきた。

「そっちこそ、奥さんの紹介はしてくれないのか」

 水を向けられた瞬間、とっさに緊張した。

 さすがに人見知りをする年頃ではないものの、私はあまり表情が柔らかい方ではないし、こうして瑞希さんのお友達に会わせてもらうのは初めてだ。失礼のないように挨拶をしなければと思い、ひとまず笑顔を作ろうと試みる。

 私の緊張も、だけど彼にはお見通しだったのかもしれない。播上さんの言葉に応じてか、何よりも先に、隣に立つ私の手を取った。

 握る力の優しさ。あ、と思う間もなく、彼の口から紹介がされた。

「うちの妻の一海。可愛いだろ?」

 私の緊張が場違いになるほど軽く、親しげな物言いだった。

 直後、彼は呆気に取られる私を見て、大切なお友達を紹介してくれた。

「一海、こっちが播上とその奥さん。話してた通り、二人とも僕の同期だ」

 それで私は急いで頭を下げ、内心、どう挨拶を切り出そうか迷った。


 緊張も畏まりたくなる気持ちもまるで空気に合わない。この場では、あまり丁寧にするのはかえって水を差すようで、失礼なのかもしれない。せっかく瑞希さんがはしゃいでいるのだから、私だって、少なくとも仕事の時よりは柔らかめの挨拶にするべきだろう。顔を上げた時にはそう考え直していた。

 ちょうどその時、播上さんご夫婦と目が合った。どことなく不器用そうに会釈をする播上さんと、ぴょこんと一礼してからにっこりする奥さん。お二人は揃って私を見ている。興味の色を隠さずに、『大切な友達』が連れてきた、家族として。

 心が決まった。


「……初めまして、渋澤一海です」

 さすがに緊張は解け切らなかったものの、すんなりと言えた。

「お二人のことは瑞希さんからよく聞いていました。こうしてお会い出来てとてもうれしいです」

 僅かながらくだけた口調になった私を、瑞希さんもうれしそうに見ていてくれた。ほっとする。

「どうも、播上です」

 播上さんの挨拶は短かった。愛想がない訳ではなく、ただやはり不器用そうな印象を受けた。シャイな人なのかもしれないと思い、密かに共感する。

 奥さんの方は対照的に、はきはきと語を継いだ。

「播上真琴です、よろしくお願いします。渋澤くんの昔話とか、ちょっと恥ずかしい話とか、播上と二人で喧嘩してた話とか、いいネタいっぱい入ってますから期待しててね!」

 びっくりするくらい愛想のいい人だった。もちろん小料理屋で働いているのだから愛想はいい方が合っているのだろうけど、それ以上に優しさを感じた。私のことも歓迎してくれているのだとわかった。

「妙なこと言うなよ、真琴」

「ちょっと清水さん――いや、清水さんじゃないんだっけ。とにかく、ちょっと恥ずかしい話なんて僕にはなかっただろ?」

 ただ奥さんの言葉は、播上さんと瑞希さんにとってもびっくりする内容だったようで、二人はほぼ同時に抗議の声を上げる。

 奥さんはそれでもまるで意に介した様子はなかったものの。

「そうだった? 二人が焼肉の焼き方で喧嘩したの、まだ覚えてるよ、私」

 聞いたことのない話だった。瑞希さんが播上さんと喧嘩をしたというだけでも驚きなのに、その理由が焼肉の焼き方だというのは意外過ぎる。一体どんな経緯で喧嘩になるのかちょっと想像がつかない。でも食べ物のことでむきになる瑞希さんは、よくよく考えてみるとあり得るような、あり得ないような――。

 もちろん、俄然興味が湧いた。

「楽しみにしてます」

 私は正直な思いを奥さんに伝え、

「任せて!」

 真琴さんは張り切った返事をくれて、更に笑いかけてもくれた。

 すごく可愛らしい人だと思ったし、その笑顔を恐々と見守る播上さん、瑞希さんも含めて、いい関係だなとも思う。

 いつの間にか私も緊張が解れて、一緒になって笑っていた。笑おうと意識するより先に、口元が緩んでしまった。まだ繋いだままだった手がぎゅっと握られたから、私も感謝と信頼を込めて、握り返しておく。

 まだ着いたばかりだけど、いい旅行になりそうだった。


 通された小料理屋の店内はとてもきれいで、掃除も行き届いていた。

 私はこういう和風のお店に入る機会があまりなかった為、内装の全てが物珍しく映った。柔らかな間接照明を受けた白い壁、落ち着いた柄の上品な花瓶、小上がりの席の奥には掛け軸もあり、繊細な毛筆で崩した文章が綴られている。学がないので読めないのが惜しい。

 木目の美しいカウンター席を勧められ、私と瑞希さんは並んで腰を下ろす。カウンターの中では播上さんが調理を始めていた。私たちにお昼ご飯をご馳走してくれるのだという。

「話してた通り、奴の料理は絶品なんだ。楽しみにしてるといい」

 瑞希さんはまるで自分のことみたいに誇らしげに語る。そして言葉通りとても楽しみにしているようだったから、私までつられてわくわくしてくる。

 そういえば時刻は既に正午過ぎ、朝も早かったからすっかりお腹が空いていた。


 播上さんの手際の良さは目を瞠るものがあった。包丁さばきにしろ箸での盛り付けにしろ、てきぱきとしていて動きに無駄がない。明らかに料理を仕事にしている人の動作だった。

 その上、真琴さんとの連係も良く取れていた。

「真琴、お皿取って」

「はい」

 播上さんが指示を出すと、すぐさま真琴さんがお皿を持ってくる。

 何度か眺めていてわかったことだけど、播上さんは『どの料理を盛る為のお皿か』は言わない。真琴さんも細かく言われなくても、播上さんが今何を作っていて、どんな用途のお皿を必要としているかを把握した上で用意している。気が付いた時はその以心伝心ぶりに驚かされた。

「そろそろ出せるから、そっち頼む」

「うん」

 串物を焼く播上さんの背後で、真琴さんはご飯をよそい始めている。さして広くないカウンター内で、背中合わせにきびきび働くお二人を、ついじっくりと観察してしまった。本当に仲が良いんだな、と思いながら。

 そして私の隣では、瑞希さんもお二人をじっと見守っていた。お肉の焼ける良い匂いと音が充満する中、ふと私に囁いてくる。

「……やっぱりな。僕はずっと、似合うと思ってたよ」

 声音も顔つきも実に得意げだった。私が少し笑うと、彼は小首を傾げてみせる。

「だけど、安心した。君もあんまり緊張してないみたいで」

「はい。すっかり楽しんでいます」

 瑞希さんたちを眺めているのに忙しくて緊張もしていられない。

 柔らかな光に照らされた店内は、とても居心地が良かった。

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