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エバーアフター(3)

「芹生さん。実際のところ、どうなの?」

 痺れを切らしたのか、一人に促され、私は愕然としながらも答えた。

「……私、付き合ってる。あの人と」

 本当のことを言った。

 途端、周囲の空気がぴんと張り詰める。誰かが息を呑み、別の誰かが信じられないというふうに聞き返してくる。

「本当、に?」

 確認の問いにも頷く。

「うん」

 本当に。

 もう嘘はつきたくなかった。何も誤魔化したくなかった。瑞希さんから寄せてもらった想いも、言葉も、全てを肯定して、受け入れるつもりだった。

 そして同じように、あの人の想いに釣り合うような心を捧げたいと思った。今度こそ一心に想いたい。私も好きなんだって、たくさん示したい。


 辺りは、水を打ったように静まり返った。

 沈黙の中、私は顔を上げて取り囲む同僚たちを眺め回す。強張った顔の彼女たちのうち、誰かが、瑞希さんのことを好きなのかもしれない。あるいは、皆がそうなのかもしれない。その想いを打ち砕かれるのは辛いはずだ。痛くて、切なくて、苦しい思いがするはずだ。

 でも、だとしても私は――誰よりも一番、瑞希さんに、そんな思いをして欲しくなかった。

「どうして……」

 一人が堪りかねた様子で沈黙を破る。

「どうして芹生さんなの? あの課長が芹生さんを選ぶなんて――」

 その問いは鋭すぎて、口にした子以外は皆、ぎくしゃくと視線を動かした。だけど誰も咎めない。心の内には同じ疑問があったんだろうか。

 当然の疑問だと思った。私たちは見た目ではちっとも釣り合わない。私みたいな『野獣』が、瑞希さんのような『美女』といるのは、傍から見ればおかしなことなんだろう。奇跡か、もしくは何かの間違いみたいな運命だって思われるのかもしれない。

 だけど私にとってはもはや、何よりも信じられる運命だった。

「私にも、……よく、わからない」

 正直に答えて、それから私は語を継いだ。

「でも私たち、結婚するの。どうして私を選んでもらえたかなんてわからないけど、きっと、見た目じゃ全然釣り合いもしないんだろうけど、それでも結婚するつもりでいるの。好きだから、一緒にいたいから」

 皆が目を瞠る。

 私は想いを口にする。

「彼のこと、必ず幸せにする」

 絶対に。

「彼にふさわしい私になってみせる」

 私の手で、瑞希さんを幸せにする。

 だからお願い。いつか皆の目に私たちが、釣り合いの取れた関係として映るように。私たちの関係がおかしなものじゃないって認めてもらえるように。この想いを貫かせて欲しい。

 皆はもう、何も言わなかった。唇を結んで、黙ったままでいた。私の口にした想いを否定も肯定もせずに、ただ立ち尽くしていた。呆然としていたのかもしれない。

 私もそれ以上は何も言えず、黙るしかなかった。

 言葉は尽くした。あとはもう、皆にもわかるように想い、彼を幸せにする。それしかできることはない。


「あれ、まだ帰ってなかったのか」

 張り詰めた空気が、その時砕けた。

 私を含む全員がびくりとして、声のした方を見遣る。

 すると総務課のドアを開けて、彼が――渋澤課長が戻ってきた。現れた時は笑顔で、でも固まっている私たちを見るや、怪訝そうにして彼は言った。

「どうかしたのか? 揃って妙な顔してるけど」

 私はどう答えようか迷った。正直にありのままを打ち明けるようなつもりはなく、だけど全てを秘密にしておくこともできないような気がしていた。どちらにせよ答えの出た今、それを彼へと早く伝えたい気持ちにも駆られていた。

 だけど、私が口を開くよりずっと早く、一人が言った。

「課長」

 硬い声で彼へと言った。

「芹生さんと結婚するって、本当ですか」

 それで彼は、目を瞬かせた。

 口元の笑みは消え、ゆっくりとこちらへ視線を巡らせる。目が合って、私は小さく顎を引き、それを認めた彼も頷いた。

 そして、

「ああ」

 きっぱりと答えてくれた。

 張り詰めていた緊張が解ける。私はそっと息をつき、皆の間には諦めにも似た動揺が走る。そして課長が――瑞希さんが幸せそうに笑う。

「祝ってくれる?」

 軽い口調で告げられると、皆は顔を見合わせて、それからおずおずと声を発した。

「はい……」

「おめでとう、ございます」

「うん、ありがとう」

 礼を言った課長はその後で、こちらへと近づいてきた。ポケットから何かを取り出し、皆の注視する中で私の手を取る。掌に何かを置いた。

 彼の車のキーだった。

「じゃあ帰ろうか、一海」

 そう言って笑んだ彼に、私は笑い返す余裕なんてなかった。だけどせめて聞こえるように、声は張り上げようと思った。そして力一杯、頷いた。

「はい」


 駐車場に停めたままの車内で、瑞希さんはぎゅっと私を抱き締めた。

「瑞希さん、人に見られたら……」

 定時後の会社の駐車場は人気こそないけど、それでも誰に見られるかわかったものじゃない。慌てる私をよそに彼は気にした様子もなかった。

「今更だろ? もうあの子たちには結婚するって言ったんだし」

「そ、そうですけど、でも」

「早いうちに公表してやるさ。それより」

 腕の力が少しだけ緩んで、気遣わしげな瑞希さんが顔を覗き込んでくる。

「皆に、何か言われた?」

 尋ねられて、一瞬だけ答えに窮した。

 でも隠し立てするより、素直に答えた方がいい。

「質問されただけです。私たちのことを聞かれたので、答えました」

 嘘じゃない。皆は何も言わなかった。私たちのことを否定しなかったし、はっきりと不釣合いだと言われることもなかった。私にとっては、今はそれでよかった。


 恋が打ち砕かれた瞬間、だったのかもしれなかった。

 あの時、私は本当に、誰かの想いを粉々にしてしまったのかもしれない。だけどはっきりとはわからなかった。傍目には、誰の反応も同じに見えた。私が打ち砕いてしまったかもしれない心の、かけらすら見えなかった。

 だからきっと、かつての私もそうだったのだろう。一人で引き摺ってきた傷も痛みも、私にしかわからないもの。傍で見ていたかつてのクラスメイトたちには、私がどれほど痛い思いをしたかなんて、わかるはずがなかった。伝わるはずもなかった。

 私しか知らない痛みを、終わらせることができるのも私だけだ。

 もう決めていた。子供の頃の話なんて、引きずるのはやめよう。


「本当に?」

 瑞希さんがもう一度尋ねてきて、私は頷く。

「はい。……ただ、おおごとにしてしまってすみません」

「それはいい。気にしなくても」

 言った後で、瑞希さんはちょっとだけ笑った。

「まさかあんな形で返事を貰うとは思ってなかったけどな」

 もう一度、ぎゅっと抱き締められる。私はつられるように笑いつつ、詫びた。

「すみません」

 私だってあんなふうに返事をするとは思わなかった。早く言いたいと思っていたから、その望みだけは叶ったわけだけど。

「謝ることじゃないよ」

 彼がかぶりを振ると、頬に髪が触れてくすぐったい。

「けど、改めて聞かせて欲しいな。僕と、結婚してくれる?」

 私も少し首を傾げて、彼の耳元に告げた。

 間違いなく聞こえるように。

「はい」

「本当に?」

「本当です」

 嘘はつかない。誤魔化したくない。

 これからも彼のことだけを想い続け、そして彼を幸せにする。


 今までだって何度も何度も思ったことだ。

 なのにふとしたことで挫けそうになったり、びくびくしたりして、結局一番大切な人のことを蔑ろにしてしまった。

 もうそんなことはしない。私が、瑞希さんを幸せにする。自惚れでも何でもなく、私じゃなくちゃ彼を幸せにはできないんだから。


「よかった」

 返事を聞いた瑞希さんは、深々と溜息をついた。

「何だか自分で思ってたよりも……余裕、なかったみたいだ。ほっとしすぎて気が抜けたよ」

 後に続いた言葉がわずかに震え、彼の身体から力が抜けるのがわかった。私は慌てて彼を抱き締め返した。ぎゅっと。

「お待たせしてごめんなさい、瑞希さん」

「うん。待ってた甲斐があった」

「……私、瑞希さんを幸せにします。お待たせした分も、幸せにしますから」

 絶対に。もう、辛い思いはさせない。

「ありがとう」

 小声で応じた瑞希さんが、また笑った。私は顔を上げて、その拍子に、いたずらっ子の顔の照れ笑いを目にする。

「あんまり顔、見ないように」

 やんわりとたしなめられて、怪訝に思った。

「どうしてですか?」

「どんなふうにしてたらいいのか、わからなくなってる。嬉しいんだけど、感無量っていうか……君の前では余裕のないとこ見せたくないのにな」

 瑞希さんがそんなことを言うから、私は逆に、その顔を見つめていたくなる。

 いつも余裕ありげに見える人の、余裕のないところなんて、なかなか見られるものじゃないから。それとも私が気づいてなかっただけで、今までも時々は余裕がなかったりしたんだろうか。

「前に、瑞希さんが言ってましたよね」

 ふと思いついて私は言った。

「幸せそうにしてくれてたらそれでいいって。私も今、同じ思いです。余裕がなくたって、瑞希さんが幸せそうなら、それだけでいいです」

 だから二人で、幸せになりましょう。

 ――そう告げたら、彼は黙って私を抱く腕に力を込めた。

 抱き締めてくれている腕が温かい。人目を気にしながらも、私は感無量の彼の気持ちが落ち着くまで、このままでいようと思った。いっそ、ずっとこのままでもいいような気さえしていた。


 結局、指輪は買ってもらうことにした。

 と言ってもあまり派手なものや、宝石のついたものは不似合いな気がしたから、ごくシンプルで、その代わりどこへでも着けていけるような指輪にしたいと伝えた。

 その指輪を見る度に、今の気持ちを思い出せるように。ともすれば忘れがちになってしまう、一番大切で、一番優先すべきことを、私が忘れないように。そしていつまでも、彼を幸せにしていられるように。

 美女と野獣は、見た目には不釣合いかもしれないけど、美女を幸せにできるのは一番傍にいる野獣だけだった。そして逆も然りだ。

 だから私は瑞希さんを想う。これからもずっとずっと想い続ける。


 いつか誰の目にも、私たちがお似合いの夫婦として映るようになればいい。

 皆に認めてもらえるように、私はこれから一心に、瑞希さんを愛していく。

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