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それなりに早い目覚めだったはずなのだが、既に姫崎は起きていて、ゲーム機のコントローラーを握っていた。
「このゲーム、難しいぞ。何て名前なんだ?」
「スプラチューン」
「スプラチューン、か。覚えた。今度買おうかな」
「ゲーム好きなの?」
「いや、全く。遊んだのもこれがほとんど初めてだ」
「じゃあ何で」
「なに、加奈君と長尾君が遊んでいたのを見て、興味を引かれたんだよ」
昨夜の風呂上がり後、あの二人は休憩と称してスプラチューンで遊んでいた。僕と姫崎はそれを横目に勉強していたのだが、まさか姫崎の心を動かしていたとは……。
「何事も経験だよ。あの二人があれだけ楽しそうに楽しめるだけの力を持った遊技だ。試したくもなるさ」
そういうものなのか。
「実際、どう? 遊んでみて」
「なかなか良くできてるね。ハマる人が出るのもわかるよ」
客観的なコメントを出すということは、姫崎自身はまだ本当に面白いとは感じていないのだろう。
「まあいいや。僕は朝食の用意するから、姫崎は遊んでて」
「手伝うぞ」
「いや、いいよ。一人で充分」
「人の好意は素直に受け取っておくものだよ、泉君」
「……それじゃあ」
彼女にはサラダ作りを頼むことにした。野菜を洗って切って盛りつけるだけの、簡単な作業だ。そのはずだ。
「……姫崎、料理の経験は?」
「何事も経験だよ」
大丈夫かなあ……。
不安は的中し、不揃いな形のキュウリやらレタスやらが雑然と並べられた代物ができあがった。
「我ながら頑張ったと思う」
「頑張るだけじゃ料理はできないんだよ……」
まあ、サラダだから食べられるものにはなっているだろう。そこが救いだ。
やがて長尾と加奈が眠たそうに起きてきて、皆で朝食と相成った。
「やっぱり日本人には鮭の塩焼きだねえ」
「うわっ、この味噌汁めっちゃ美味ぇ! 何でこんなに美味ぇんだ!?」
「このサラダ、大きさがバラバラですー」
三者三様にご飯を楽しむ様を見ていると、何だか不思議な満足感がある。
これまでずっと、自分で作って自分で食べるだけだったからなあ。
人に食べてもらうことがこんなに嬉しいものだとは、加奈が来るまで知らなかった。
「なー泉ぃ、味噌汁の秘密教えてくれよぉ」
「鰹節で出汁を取ってるだけだよ」
「出汁ぃ? それってかなり面倒じゃねえのか」
「そんなことないよ、出汁パックに鰹節詰めて煮込むだけ。それだけで風味がすごく良くなるから」
「はー、泉はすげぇなあ」
「別に、普通だよ」
「普通の高校生はそもそも料理なんてやんねーから」
「そうかな……」
「かーっ! いつも思うが泉は自己評価が低い! 学年一位の成績だってとんでもねえことなんだぞ!」
「うーん」
「うーん、じゃねえ。もっと自信持てよ! そりゃゲームは下手かもしれねえけどよ」
「別にゲームは下手じゃないよ!」
「何でそこだけムキになるんだよ!」
僕たちの掛け合いを見て、くすくす笑う姫崎。 加奈は興味なしといった様子で黙々とご飯を平らげている。
自己評価が低い?
考えたこともなかったな、そういうこと。
朝食の後は昼まで勉強。十二時を回った頃に僕のお手製ラーメンを皆で食べ、そしてまた勉強。夕方六時頃に勉強会はお開きとなった。昨日に比べ、今日は勉強がはかどった方だと思う。まあ僕は人に教えている時間の方が長かったけれど。
長尾が手洗いに立ったとき、姫崎がぽつりとつぶやくように言った。
「楽しかったな」
「……そう」
「みんなで勉強をするだけのことがこんなに楽しいとは知らなかったよ」
「……」
「またひとつ経験を積めたな。感謝するよ、泉君」
「……感謝なら長尾君にしてあげてよ。この企画を立ち上げたのは彼だから」
「そうか。じゃあ後で伝えておこう」
感謝の意を述べられて慌てふためく長尾の姿がありありと想像できるな……。
二人が順々に帰っていった後、がらんとした部屋を見渡す。何かいつも以上にしんとしているような、何か物足りないような、そんな空気が蔓延している。
僕は姫崎の言葉をふと思い出す。
『みんなで勉強をするだけのことがこんなに楽しいとは知らなかったよ』
僕も全く同じ心境だったことに、そのとき初めて気づいた。
「何まじめくさった顔してるんですかー、泉さん」
横からひょっこりと顔を出す加奈。
そうだ、こいつがいた。
彼女が来る前のこの部屋の静寂を、僕はもう思い出せなくなっている。
「……加奈」
「何ですー?」
「今日はもう勉強やめて、一緒に遊ぼうか」
「そうですか? うわーい!」
無邪気にはしゃぐ加奈。
「そんなに嬉しい? いつも一人で楽しそうに遊んでるじゃないか」
「嬉しいに決まってますよー! 一人より二人の方が楽しさも倍増なんです!」
「でもスプラチューンって基本一人用じゃないか。もう一人は後ろで見てるだけでさ」
「それでも、です! それでも二人でわいわいやってた方が楽しいです。特にそれが泉さんなら!」
「そういうものかな?」
「そういうものです!」
そして僕たちは手早く夕食を済ませ、そして夜遅くまでゲームに興じたのだった。一抹の寂しさを紛らわせるようにして。
*
期末試験、僕はきっちりと総合一位を取った。勉強合宿の効果がそれに寄与したとは全く思っていない。ただ、長尾の成績が中間試験より大幅にアップしていたことは、僕にとっても喜ばしいことだった。
「泉ぃ、ありがとうなぁ」
「別に何もしてないよ」
「何言ってんだよ。絶対にあの勉強合宿のおかげだって! あのときの泉の教え方が的確だったから、苦手な数学も何とか赤点にならなかったんだよ」
「それは長尾君自身の頑張りのおかげだよ」
「まあそれもあるけどよぉ、それだけじゃねーって本当に」
執拗に感謝してくる長尾。正直、僕も悪い気はしなかった。
「お、長尾君は全教科赤点回避か。すごいじゃないか」
「ひ、姫崎……」
「姫崎はどうだったの?」
僕は彼女へと水を向ける。
「まあ前と変わらずといったところかな。合宿の効果があったかどうかは判断できないね」
「ふうん」
「私は数学一位でしたよー!」
ふふんと自慢げに胸を張る加奈。
「国語は?」
「赤点でした……追試です……」
しょぼんと頭の下がる加奈。
見ていて飽きないな、本当に。
「まあ得意科目があるってのはいいことだよ」
「下手な慰めはいらないですー」
「いや本当なんだけどな……」
全教科まんべんなく成績がとれることは、それはそれですごいし入試にも有利に働くだろうが、それよりも飛び抜けて得意な教科のある一転突破型の方が、もしかしたら将来性があるかもしれない。
だから僕は加奈を素直に尊敬するし、数学で負けたことを悔しく感じてもいるのだ。
だがそんな考えを、あえて彼女に伝えたりはしない。彼女は天使見習いだ。生き方が根本的に僕たちと違う。だから、将来に関わるような話は無責任なように感じられて、僕にはできなかった。
期末試験が終了して。
いよいよ僕たちは夏休みに突入する。