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「勉強合宿?」
耳慣れない言葉に僕は訊き返した。
「おう。一泊二日で。どうだ、泉?」
「どうだって言われても……」
「そろそろ期末試験が近いだろ。ここらで一気に勉強して遅れを取り戻したいんだよ」
「僕は別に遅れてないけど」
「そう言うなよ、泉ぃ」
長尾は泣きつくように僕に言う。
「そもそもどこでやるの」
「泉の家で良いだろ。かなり広いって噂だし」
「そんな気軽に言わないでよ……」
「あとな、泉」
長尾の目が少し泳いだ。
「姫崎さんも誘ってほしいんだが」
「……ああ」
なるほど。
急に勉強合宿などと言い出した理由はこれか。
「……まあ、いいけど」
「本当か!? 泉ぃ、おまえ最高だよ!」
そう言って僕の肩をバシバシ叩く。
「おまえと友達になれて良かったよ」
「打算まみれじゃないか」
「まあ、そう言うなって」
あははと笑う長尾を見て僕はため息を吐く。
姫崎が素直にうんと言うかどうか、僕にはわからないんだぞ……。
「ああ、いいぞ」
あっさり好意的な返事をもらえた。
「学年一位の泉君にいろいろと教えてもらえるなんて、すばらしい機会だからね。ただ妙だな」
「妙?」
「君に勉強合宿を行う理がない。一位なんだから、誰かも教えてもらう必要はないだろう。そもそも一緒に勉強するなんてことは、頭の良い方にとってはギブはあってもテイクがない損な行為のはずなんだが」
身も蓋もないことを彼女は言う。
僕は少し考えてから、ある程度正直に言うことにした。
「長尾君に誘われたんだよ」
「長尾君? 君と接点があったのか」
「最近友達になったんだよ」
「友達に。何でまた」
「さあ……たまたまだね」
その僕の言葉に訝しむ表情の姫崎。
「よくわからないな。性格も特に合わないだろう、君とは」
「そうだね」
「それでよく友達になったものだ」
「自分でもそう思うよ」
これは本音。
「……まあいい。今週土曜曜の午後三時に君の家に集合、勉強道具と寝間着は持参、これで良いね?」
「ああ」
「了解した」
というわけで、計四名の勉強合宿開催が決定したのだった。
*
「よう」
先に来たのは長尾だった。
「広ぇ家だなあ。ここに一人で住んでんのか」
「今は二人だけど」
「ああーっ、そうだよ、加奈ちゃんと同棲なんてお天道様が許しても俺が許さんぞ!」
「今更その話蒸し返さないでよ……」
「誰ですかー」
僕の後ろからひょこっと顔を出す加奈。
「あっ、長尾さんですー、はじめまして」
ぺこりと頭を下げる。
「はじめましてじゃねーよ! 毎日学校で会ってるだろ」
「でもほとんど会話したことないですー」
「一緒にゲームもやってるだろ!」
「……あっ、『ながもん』!」
どうやら同一人物だと気づいてなかったらしい。
「ながもんさん、今日はスプラチューンしに来たんですかー?」
「ちがわい。勉強だよ、勉強。聞いてねえのか、勉強合宿の話」
「ああー、そういえば今日でしたー」
「そういうこと」
「でも私、そんなにまとめて勉強しなくても大丈夫ですよー」
「期末テストが迫ってんだぞ」
「どうせほとんど全部百点ですからー」
「何っ!?」
長尾が素っ頓狂な声を上げる。
そうなんだよな、加奈、こんなポンコツなのに成績はめちゃくちゃ良いんだよな……。天使見習いはみんなこうなんだろうか?
「だから今更勉強することなんてあまりないですー」
「じゃあ俺に勉強教えてくれよ」
「嫌ですよーめんどくさい」
「そう言わずにさあ」
二人がこうしてじゃれているうちに、ピンポンとチャイムが鳴った。僕は玄関へと赴く。
「やあ」
「……姫崎って意外とおしゃれだよね」
「そうかい、女子としては普通だと思うが」
白いレースのスカートをひらひらさせながら彼女は言う。おそらくだけど、そんなに普通じゃないと思う。
「それじゃあ、お邪魔させてもらうよ」
僕が返事を言う前に靴を脱いで中に入っていく姫崎。そして未だ会話の応酬をしている二人とはち合わせた。
「長尾君、こんにちは」
「ひ、姫崎……」
急に固まる長尾。そんな態度じゃすぐに気持ちがバレるぞ……。
「これで全員だね。早速始めようじゃないか」
姫崎のその台詞で、皆準備に取りかかった。
居間のテーブルは四人分の勉強スペースが充分にとれるほど大きい。僕は若干苦手な歴史を重点的に学習する予定だった。が。
「泉ぃ、ここ教えてくれよぉ」
たびたび長尾からヘルプの依頼が飛んでくる。
「これはこうやって樹系図書けば数えられるから」
「なるほど、よしわかった!」
とその場では威勢が良いのだが、十分もするとまた「泉ぃ」と来る。
「あのさあ」
姫崎がお手洗いに行ったところを見計らって僕は言う。
「僕だけじゃなくて姫崎にも訊いたらいいんじゃないの?」
そもそもそれが真の目的だったはずだし。
「そ、そんな、恐れ多い」
「恐れ多いわけないでしょ、勉強合宿なんだから。次はそうしてよ、僕はもう教えないから」
「そんなぁ、泉ぃ」
泣きそうな声で長尾は言う。学校でのイメージからは想像できない態度だった。
そして加奈はといえば、黙々と数学の問題集を解いている。かなりの解答スピードだ。
「加奈、それ合ってるの?」
「合ってますよー、全部答え合わせしてますー」
「そう」
僕のもっとも得意な科目が数学だったが、この速度には負けるかもしれない。
加奈に負けるとか、僕のなけなしのプライドが許さないぞ……。
「加奈、勝負しようか」
「勝負?」
「今からこの上級問題集のここからここまでを同時に解き始めて、先に全問正解した方の勝ち。どう?」
「いいですよー、どうせ私が勝ちますけどー」
「僕は学年一位だよ? 油断しない方がいいね」
そんな僕の言葉を鼻で笑う加奈。
こいつ……!
「……じゃあ始めよう。ようい、スタート!」
僕はかけ声と同時に問題集を開く。ノートに猛烈な勢いで数式を書き連ねていく。
そんな風に勝負してると、姫崎がゆったりと戻ってきた。
「ふう、ちょっと疲れたね」
「ひ、姫崎……」
「ん? 何だい長尾君?」
「ちょ、ちょっとここ、教えてほしいんだが……」
「ああ、良いよ。どこだい?」
姫崎が長尾の隣に座る。長尾は見るからに体をこわばらせ、緊張していた。
僕はその様子を視界の端で捉えている。
あれはあれで気になるのだが……。
「よし、これで半分!」
僕は露骨に声を上げて加奈にプレッシャーをかけようとする。今はこちらの勝負の方が僕には重要だ。
「え、まだ半分ですかー?」
それは心の声が漏れたような言い方だった。間違いない。加奈は僕より先行している。解答スピードをもっと早めなければ……!
僕は完全にゾーンに入っていた。周囲の雑音はもはや聞こえない、感じない。ただただ数式だけがそこにはあり、僕はそれだけを考えていれば良かった。
楽しい……。
数学ってこんなに楽しいものだっけ。
そして僕はついに自己ベストともいえる早さで全てを解き終えた!
「終わったぞ! どうだ加奈!」
「ようやく終わったですかー、私もう検算まで全部済ませちゃいました」
検算……だと……!?
僕はがっくりとうなだれる。勉強に関しては加奈は化物のごとくだ。なぜ、なぜこんな優秀なのに君はポンコツなのだ……!
「私、ちょっと休憩しますー」
そう言って加奈はスプラチューンを起動する。その様子を見た長尾が「おっ、俺もちょっと休もうかなー」と誘惑に負けそうになる。
「駄目だよ、長尾君」
そうたしなめたのは姫崎だ。
「君の今の学力ではどうやら期末テストは赤点間違いないからね。もっと集中してやっていこうじゃないか」
「あ、ああ……」
集中を妨げているのはきっと姫崎の存在だと思う。
こうして僕たちの勉強合宿は夜遅くまで続いたのだった。
*
やがて就寝時間が近づいてきて、僕たちは順番に風呂に入ることにいた。
「一番風呂、いただいてもいいかな」
そう言ったのは姫崎だ。
「少し潔癖性の嫌いがあってね、人が入った湯船につかるのが苦手なんだ」
僕たちに拒否する理由は何もなかった。
姫崎が風呂場に消えると、とたんに長尾が泣きついてきた。
「泉ぃ、二番目は俺にさせてくれぇ」
「いいけど、何で?」
「何でって、姫崎が入ったばかりの風呂だぞ! 入りたいに決まってるじゃないか!」
「うわあ……」
それは僕の心からの返答だった。
「そんな気持ち悪そうに見るなよぉ、男なら当たり前の感情だって!」
「いやまあそうかもしれないけどさ」
とはいえ僕にはよくわからない。
「じゃ決まりな! ありがとう友よ!」
「姫崎からはいろいろ教えてもらえたの? 勉強」
僕は訊いてみる。
「ああ。だがなあ、姫崎の教え方、良くわからねえんだよ……」
「良くわからない?」
「『ここはこの式でズドンと解けば終わりだから』とか平気で言うんだぜ。こっちは『この式』がわからないってのに……」
「姫崎は理論派だと思ってたけど」
「どうやら感性で説くタイプだったっぽいぞ」
それは意外な事実だ。
無駄話をしているうちに、姫崎が風呂から上がってきた。寝間着は予想外にかわいい熊の模様があしらわれたものだった。
「良い風呂だったよ。ありがとう」
そういう彼女を僕はポカンと見つめる。髪を濡らした風呂上がりの彼女はびっくりするほどに美人に見えた。僕がそう感じるのだから、長尾にはどれだけの美しさだったか、想像に難くない。
「次は誰かな?」
「お、俺……」
「じゃあいってらっしゃい」
「は、はひ……」
ぎくしゃくと歩く長尾。手と足が左右同じに動いている。あれ、あのまま風呂に入ったら死ぬんじゃなかろうか……。
さすがにそれは心配しすぎだったようで、十五分ほどで長尾は戻ってきた。そして僕のところに来て「ありがとう、ありがとう……!」と肩を抱く。その様子を不可思議な様子で姫崎と加奈が見つめていた。
寝る場所は流石に男二人と女二人で別々、ということになった。
二人分の布団を敷いて、横に並んで寝転がる。
「なあ、泉」
「何?」
「俺、泉と友達になって良かったよ」
「打算まみれだなあ……」
「それだけじゃねえよ」
「え?」
「それだけじゃねえんだ、本当に」
そう言って長尾は黙った。僕もあえて詮索しなかった。やがて隣から静かな寝息が聞こえてきた。
友達、か。
正直なところ、僕には友達というものが未だ良くわかっていない。姫崎や長尾と本当に友達なのかもわからない。
でも、友達とは本質的にどういうものかわからないものなのだという気もする。簡単に定義できるものではないのだ。
……。
いつしか僕も、眠りの世界に入っていった。