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 味噌汁をかき混ぜる音。

 めざしがパチパチとはぜる音。

 炊飯器のピーというブザー。


 いつもの朝の、いつもの音。


「ふわあー、いい匂いですー」

 目をこすりながら起きてきたのは加奈だ。

「朝食、もう少しでできるから」

「これ全部真也さんが作ったんですかー!」

「うん、まあ……」

「すごいですー!」

「誰でもできることだよ」

 これは謙遜ではなく、僕は本気でそう思っている。

「普通の家はお母さんがやるんですよー。それを自分で、しかもこんなに立派にやる真也さんはやっぱりすごいです!」

 ずずいっと顔を寄せて加奈は言う。

「自分を卑下するのは良くないですよー、真也さん」

「近い近い、顔が近い!」

 加奈の顔は控えめに言っても美人だ。流石に目前まで迫られると少しドキッとする。止めてほしい。

「……あっ、味噌汁!」

 僕はごまかすようにコンロへと飛んでいく。予想通り、味噌汁が沸騰しかけていた。火を止め、おたまでかき混ぜる。少しすくって、味見。

「うん、これでいいかな」

 めざしもちょうど焼けたみたいだ。

「そこの椅子に座ってて、いま食事持っていくから」

「わかりましたー」

 わくわく、わくわくと声に出して待っている彼女の元へメニューを一品ずつ並べていく。

「うわー、おいしそうですー!」

「普通だと思うよ」

「いただきまーす!」

 加奈は言うが早いか、すごい勢いで味噌汁を、めざしを、お米を体内に吸収していく。見ていて惚れ惚れするような食べっぷりだ。

「んぐ、うむ、この味噌汁すごいですー、ちゃんとカツオの出汁を取ってるんですね!」

「よくわかるね」

「お姉ちゃんが作ってたのより風味が断然違いますー!」

「お姉ちゃん?」

「はいー。お姉ちゃん、料理が趣味なのにあんまり美味しくないんです。残念です」

 ていうか天界にも味噌汁ってあるのか……。

「良ければおかわりもあるけど」

「本当ですかー!」

 目を爛々と輝かせる加奈。

「ぜひ! ぜひに!」

「どうしてそこまで……」

 僕は少々呆れて苦笑する。だが本心を言えば、やっぱり少し嬉しかった。僕の料理を誉めてくれる人なんていなかったし、そもそもこうして誰かと二人で食事をすること自体、思い出せないくらいひさしぶりだった。


「はあー、満腹ですー」

 食べに食べた加奈はお腹を丸くして床に転がっている。その様子を眺めながら、僕は別室へ移動して、寝間着から制服へと着替える。ちょっと変わったデザインの、紺色のブレザーだ。

「あれえ、どこ行くんですかー?」

「学校だよ。決まってるだろ」

「ああ、そうでした! 今日は平日なんでした」

 彼女は飛び起きるなり言った。

「私も学校行かないとー」

「学校? 天界の?」

「何言ってるんですか、真也さんと同じ学校ですよー」

「はあ?」

 それは困る。

 非常に困る、気がする。

「来ても不審者扱いされるだけだよ」

「大丈夫なんですよー、これが」

 そう言って彼女は「てへっ」と笑った。


 加奈の言い方は不気味だったが、もう出ないと遅刻する。

 僕は急いで鞄に教科書を詰め込むと、加奈さんに別れを告げて家を飛び出た。自然と軽く早歩きになる。無遅刻無欠席は、高校生活をできる限り平穏に過ごすために自分に課したもののひとつだった。

 僕が教室に入った瞬間、予鈴が鳴りひびく。あぶないところだった……と僕が安堵していると、担任の女性教師が入ってきた。

 何だかとても嫌な予感がする。

「えー、今日からこのクラスに転校生が来ることになった」

 ざわっとする教室。

「それじゃあ、入ってこい」

 ガラリと教室のドアが開いて、てけてけと歩いてきたのは、フリフリの白い服。

「はじめまして、加奈っていいます。天使見習いです。どうぞよろしく」

 そう言ってペコリと頭を下げた。

 ざわめきがより一層濃くなる。「天使?」「見習い?」「あの服すげえ」「ってかかなりかわいくない?」などなど、様々な声が耳に入ってくる。

「あっ、真也さんだ。おーい、真也さーん!」

 加奈はこちらを見るやいなやブンブンと手を振った。これじゃあ目を逸らしていたのが台無しじゃないか。誰もいなかったら盛大に頭を抱えていたことだろう。

 クラス全員の視線が、一斉に僕の方を向く。

「あ……あはは……」

 僕は思わず愛想笑いをした。他人には奇妙な表情に映ったことだろう。

「はいはい、こっちを向けー」

 担任が手を叩きながらいう。

「というわけでだな、加奈は天使の見習いなんだそうだ。で、卒業試験として、一年間泉のサポートをすることになったらしい。そうだよな?」

「そうですー。てへへ」

 なぜか恥ずかしそうに笑う加奈。

「席は泉の後ろが開いているから、そこでいいだろう。天使とはいえこのクラスにいる限りは普通の学生だ。みんな仲良くしてやってくれ。以上!」

 それだけ言って、彼女はスタスタと去っていった。

 本鈴のチャイムが鳴る。


   *


 業間休み。

 案の定、加奈は質問責めにあっていた。

「天使って何なの?」

「見習いってどういうこと?」

「何で泉君のサポートしなくちゃならないの?」

「空飛べるの?」

「羽根ってあるの?」

 それらひとつひとつに、彼女は嫌な顔ひとつせず、むしろ楽しそうに答えていた。

「天使は天使ですよー。人間を幸せにするのが仕事なんですー」

「見習いだから、まだいろいろできないこととか、やっちゃいけないこととかあるんですよー」

「真也さんは私のパートナーに当選したんですよー」

「もちろん空は飛べますよー」

「羽だってありますよー。ほら」

 彼女はくるりと後ろを向く。そこには小さな羽根がぴょこんと二つ生えていた。「おおー」というクラスメイトの声。

「それでですねー」

 一通り同級生を驚かせたあと、彼女がにこやかに切り出した。

「私、みんなにお願いがあるんです」

 そして立ち上がって僕の近くまで来て、肩をぽんぽんと叩いた。

「みなさん、真也さんの友達になってくれませんかー!」

 うわ。

 やりやがった、こいつ。

「ちょ、ちょっと待ってよ加奈さん」

「真也さん、きっと友達少ないと思うんですよー」

 少ないっていうか、いないけれど。

「だからみなさんに、友達になってほしいなって、その方が幸せだなあって、そう思うんですー」

「勝手に決めつけないでよ!」

 僕は思わず机をバンと叩いた。ざわついていた周りがい一瞬で静まる。

「僕は平穏に過ごせればそれでいいんだよ! 友達なんて要らないから!」

「えー、でも、友達いたほうが楽しいですよー?」

「どうして無邪気にそんなことが言えるんだ! そういうのを要らぬお節介って言うんだ!」

 僕は叫ぶように言ってから、ハッと我に返った。周囲のドン引いている雰囲気が痛いほど伝わってくる。そして加奈はと言えば。

「ご、ごめんなさいですー……」

 今にも泣きそうな声でそう言った。

 痛ましいほどの表情。

「あ、ご、ごめんこっちこそ」

 僕は慌てて謝った。が、時すでに遅し、最悪な空気のまま、授業開始のチャイムが鳴った。


 友達なんて要らない。

 これは本音だ。少なくとも自分の中ではそう思っている。

 小学校時代はそれなりに友達も多かった。全てが変わったのはあの事故からだ。僕は親戚に引き取られることになり、転校を余儀なくされた。転校先は端的に言って地獄だった。僕がかわいそうな子として扱われたのは最初だけで、徐々にいじめの対象となっていった。それは中学に上がっても変わらなかった。だから、親戚が育児放棄して僕を追い出したことは、僕には逆にありがたかった。こっちの学校に戻ってこられるのだから。

 再転校する際、僕は誓いをたてた。

 友達の一人も作らず、目立たず静かにしていよう。

 そうすれば、苦しいことなんて起こらないはずだ。だから、僕はそれでいい。

 たとえ、代わりに楽しいことも起こらなくなったとしても。


 昼休みがやってきて、僕が手製の弁当を食べていると、しょげた様子の加奈がやってきた。

「さっきは本当に、ごめんなさいです……」

「気にしてないし、僕も言い過ぎたよ」

 彼女は休み時間になる度、こうして謝りに来ている。よほどダメージが大きかったのだろう。あるいは打算的に考えれば、試験に合格する為なのかもしれない。

 いや……そんなこと考える自分が嫌になる。

 彼女が心から僕のことを思って行動したことは、きっと間違いない。それくらいは僕にだってわかる。それを踏みにじった僕こそ責められてしかるべきだろう。

 お互い落ち込んだ表情をしていると、いきなり第三者のかわいらしい声が降ってわいた。

「やあやあ、お二人さん。どうしたんだいそんな顔して」

姫崎(ひめさき)……」

 彼女はクラスメイトのひとりで、学級委員を担っている。活発で明るくて、そして少し変だと評判の女子だった。

「さっきは凄かったねえ。『友達なんて要らないから!』って、五年経ったら思い出すだけで悶絶ものの黒歴史だと思うなあ」

「茶化しにきたのか、姫崎」

「いーや」

 彼女はセミロングの髪を振りながら言った。

「泉君、君と友達になりたくてね(傍点)」

「はあ?」

「あ、もちろん加奈君とも友達になりたいんだけど」

「変な同情は止してくれよ」

 僕はいぶかしみながら言った。

「同情でも憐憫でもないさ。あたしはただ、面白い人たちだなって思っただけ。だからできれば、一緒に遊んだりしたい。どう?」

「どう、って……」

 僕が答えに迷う暇もなく、飛び上がって喜んだのは加奈だった。

「うわあ、ありがとうございますー!」

「タメ口でいいよ」

「これは癖なんですー、容易に直せないんですー」

「じゃそのままでいいや。とにかく、これで加奈ちゃんとは友達ね」

「うわーい!」

 手を取ってブンブンはしゃぐ加奈。そしてそのまま、ふたりして僕の方を見た。

「……はあ」

 僕はため息を吐く。

「じゃあ、それでいいよ」

「それで、とは?」

「友達でいいよってこと」

 まあ、名義上友達ってだけなら迷惑にもならないだろう。

「よかった。安心したよ」

 にこやかに笑う姫崎。

 無邪気に笑う加奈。

 憮然とした表情の僕。


 とりあえずは、この三人組が誕生したのだった。

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