6.突破口
明美の不審な外出は、特に家庭内で問題にならずに済んだ。しかし、学校で大原硝子に問いつめられた。
「明美、昨夜、どこに行ってたの」
「え…」
「昨日、親に『明美ちゃんと晩ごはん食べるんじゃないの』って言われたからさ。なんかマズかったらいけないから、『あれ、今日だったっけ? やばい』って言い訳して、家出て、結構遅くまでファミレスで時間つぶしたんだよね」
硝子の声は怒っていた。明美はラジオの録音を忘れた時のように、さあっと血の気が引いた。自分の家で問題にならなかったので、言い訳なんて何も考えていなかった。
「いろいろ事情はあると思うんだけどさ。私の名前を使った以上、私には説明してくれない? 私だって、親にまた何か言われた時、言い訳できないと困るんだよね」
「あの、…ありがとう」
明美は真っ先にそう言った。両親に問い詰められるより、ずっといい。
「昨夜は…別に、変な事情とかじゃないんだけど…、知り合いと食事に行って、ウチの親、うるさいし…だから、いろいろ言われないように硝子って言っちゃっただけで…」
「知り合いって、誰?」
硝子は踏み込んできた。明美は内心、
(そこまで、言わされる筋合いはないんじゃないかな)
と思ったが、自分のために嘘をついてくれた硝子にそうは言えなかった。
「…いや…別に…」
だからって、まさか相手が広瀬灯也だなんて言えるわけがなかった。2人はしばらく、黙ったまま立ち尽くした。
「悪いけど」
硝子がしびれをきらした。
「説明できないなら、私の名前は使わないでくれない?」
明美は戸惑った。硝子たち以外に言い訳に使えそうな人はいない。灯也は「またね」と言った。硝子に断られたら、次に灯也に会う時はどうしたらいいんだろう。
「私だって、親にいろいろ言われるんだけど。明美のために嘘ついて、自分が親ともめるのは嫌なんだけど。てゆうか、もう、困ってるんだけど」
「…ゴメン…」
「あのさあ、私、文句言ってるとかじゃなくて、ただ、私の名前が出てると困るから、教えてって言ってるの。明美のプライバシーがどうとかはわかるけど、私は説明される権利があるんじゃない?」
次の長い沈黙の後、硝子は、
「あんた、クロック・ロック・クロックの録音忘れたり、親に隠れてどっか行ったり、このごろ変だよね」
と言い残して教室を出て行った。
ひとりで部屋に戻り、硝子は今回の明美のことについて、いろいろと考えた。
(親に内緒で、何してたんだろ)
明美のことを心配してはいない。自分を含め、友人一同至極マジメで頭がいいはずだから、おかしな商法や宗教、犯罪といった類の何かに巻き込まれていることはありえない。だから、何かもっと別のこと。何かあるのだ。違うことで、言えないことが。
(それに…あんなに灯也くんにハマってたのに、録音忘れるなんて。灯也くんの回なのに)
重なる不審な出来事が指すものは…?
(まさか、この夏休みの間に、彼氏とか…できたんじゃないのかな)
あんなに、中学1年生の恋愛は早すぎると言っていたくせに。でも、そういうことなのだろうか。好きな人と2人で会っていて、もう片想いではないのだろうか。「13歳でつきあうとか、早すぎるよね」と一緒に言い合っていた明美に彼氏ができたとしたら、それは裏切りのような気がする。そんなことの言い訳になんか、使われたくない。
硝子は悶々と窓の外を見ていた。
『先日はありがとうございました。カレーもおいしかったですが、ナンがものすごくおいしかったです。作詞のほうはどうでしょうか。私にあんまり楽しい話がなくてすみません。運動部とかに入っていれば、なにか感動的な話とか、もってたかもしれないのですが…。
ライブは、今頃仙台ですね。涼しいですか? 夏風邪に気をつけてくださいね』
『テレビの夕方のニュースでケガをした話をしていましたが、大丈夫ですか? 札幌の2日間がまだ残っているので、友人一同と真剣に心配しています。脚は、松葉杖使うくらいひどいんですか? 心配することしかできませんが、お大事にしてください』
札幌のライブが終わっても返事は来なかった。明美はテレビの芸能ニュースでクロック・ロックの夏のツアーが大成功で終了したことを知り、ホッとした。
(…返事、来ないな…。忙しいのかな…。そうだよね、アルバムの準備中で、ツアーの最中で、移動もしてるんだもん…)
もしかして、もうメールも来ないかもしれない…と、明美は何となく思った。
灯也はプロデューサーに渡す前に、メンバーに新しい詞を見せた。青森孝司と小淵沢周は「いんでねーの」と、読んですぐに灯也に返した。2人は元々、歌詞の良し悪しなんてよくわからなかった。自分たちも詞をつけるが、クロック・ロックには塙カツミという作詞家がついていて、ダメなら介入してくれる。
2人のあまりにそっけない態度に、灯也は不安になった。結局、またプロデューサーにダメを出されて作詞家の道はアウトだろうか。できれば、曲だって作りたいのだが…。
「なんだよ、孝司と周は、ダメってこと?」
「ああ、違う、違う」
周は顔の前で手を振った。孝司も、
「おまえが歌えば、カッコいいっしょ。俺、『ゴキブリ』おまえに歌わせてーもん」
と言った。「ゴキブリ」というのはラジオで孝司が即興で歌って大反響を巻き起こした「飛ぶゴキブリの歌」のことだ。あのあと、子ども向け番組の歌のコーナーに採用したいという話が来てしまった。おかげで急遽2番の歌詞まで書き、孝司が自分で歌う形でシングルが発売される予定だ。
「やだよ俺、激しい羽音とか黒いイナズマとか。天井に激突して裏返しに床に落ちたってとことか、すげえ具体的なんだもん。あれは孝司がうつろに歌うからいいんだよ」
灯也が言うと、周も「ゴキブリは孝司でいーよ」と笑った。孝司は真剣に考えてから、
「おまえ、カップリング歌わない? 同じ曲の、広瀬灯也バージョン」
と言った。灯也は首を激しく振った。絶対、自分のイメージに合わない。
「いいと思うんだけどなあ。おまえは、ソフトにもハードにも歌える実力派だし」
「それ、ソフトとか、ハードとか、そーいう問題か?」
灯也と周は笑った。孝司は自分のセリフのどこが受けたのかよくわからず、納得いかない顔をしていた。
「里留は、どうなの、俺の詞」
灯也は里留に訊いてみた。クロック・ロックのプロデューサーは、織部繁信という、事務所のプロモーション部の有能な男が務めているが、最近明らかに里留の発言力が増してきている。このまま売れ続けて多少のわがままが通るようになったら、里留にプロデューサーをスイッチするのではないかとメンバーは思っていた。灯也もそれでいいと思っていた。だから、織部がダメを出しても、里留がOKならこの詞も通るかもしれない。
里留が歌詞の紙を下げ、顔を上げた。灯也はさりげなさを装ったが、緊張した。
「これ、この前俺が作った曲に合わせるように作ってきた分だよな」
里留は難しい顔をしていた。灯也はちょっとガッカリした。
「…ん、織部に渡された3曲。もらった順番に書いてるけど」
静かなバラードが一曲、明るくてポップなロックが一曲、切なくてサビが強烈なハードロックが一曲。今回、それを聴きながら灯也が詞を書いた。
「…曲、ちょっと書き換えていい?」
里留はもう一度歌詞に目を落とした。
「…で、どうなの?」
灯也は諦め気味に訊いた。里留はしばらく黙った後、
「うん、いいんじゃない。この詞の方に、曲を合わせたいな…と思って」
と言った。
灯也は平静を装いながらも飛び上がりたい気分になった。里留には一目置いている。たしかに口うるさいが、リーダーとしてはこの上ない存在だと思ってもいる。それに、「俺じゃないとここまでカッコよくならない」と思えるのはみんな里留の曲だった。
「そーだよね、俺さ、ここの『熱い、熱い、熱い』って繰り返すとこが結構聴かせどころになると思うんだよね」
周が乗り出してきた。眼鏡がちょっと落ち、長い指がそれを元の位置に戻した。
『痛みが地面に叩きつけられて影になる 踏みつける足が熱い 熱い 熱い 熱い体が俺を勝手に運んでゆく』
はじめはバラードにつけていた詞をハードロックに持っていった。同じ旋律が繰り返す部分に「熱い 熱い 熱い 熱い」と単調な言葉をあえて並べた。タイトルは「スコア ゼロ」。思っても届かない恋心を激しく歌い上げるナンバー。これは、手帳の『恋愛で0点をとった気持ち』というメモを使って書き直した。
「『これ以上恋うな君を 金網にすがりつくようなみじめな自分』…」
里留は、熱いサビに続くこの部分を静かな淋しいメロディに変えて歌ってみせた。サビを受けてそのまま熱く激しく終わるメロディだった曲が、新しいメロディの淋しさは「みじめな自分」という歌詞にグッと合っていた。
「…なるほどねー」
周がうなずいた。孝司も、
「泣けるんじゃない? ソレ」
とうなずいた。灯也もその方がいいと思った。熱いシャウトが一気に淋しさに変わる、強い対比が効いていた。
「あとの2曲も、もうちっといじらせて。これ、借りる」
里留はギターケースに灯也の歌詞を仕舞った。
里留が曲を直し、灯也の詞と合わせて織部に手渡した。翌日、織部は灯也にOKを告げた。
「今度のは結構泥臭くって、いいんじゃない」
「そーすかね」
灯也は照れて、強がった言い方をした。織部は売れない頃から一緒にやって来たプロデューサーだ。最初は試行錯誤もあったし、実力が認知されるのにも時間がかかったが、結果として今の売り方でトップを取ったのは織部のプロデュース力に違いない。クロック・ロックには、織部の力が必要だったと思う。一見アイドルバンド、だが本当は実力派、コアに若い女性ファンを置きながら、その周辺に確実に男性ファンもいる土台の広さ。今や音楽においてもクロック・ロックにできないことはない。
しかし灯也は、自分だけがデビューの頃と同じレベルに踏みとどまっている気がしていた。3人がどんどんいい曲を作り、里留はプロデューサーとしても頭角をあらわし、孝司はボイスパーカッションも覚えたし、周はバイオリンとサックスを覚えた。ラップ、アカペラもやれる。ただ、灯也はメインパートを歌うだけだ。デビューしたときと同じに…。
「おまえのメインボーカルがないと、クロックにならないからな」
それは確かだが、3人が曲を作り、他のことを学んでいる間、灯也はただ遊んでいた。始めから突っ走っていた天性の灯也の才能に、3人の努力がゆっくり追いつき、追い越してきているような気がした。
(…とにかく、詞のOKが出た。今後のクロックの詞は全部俺が書くくらいのクオリティに持っていってやる)
灯也は手帳を開いた。
『1つに決めたら、ゼロか1しかない』
もう一つ、使っていないテーマ。次はこれを使うかもしれない。手帳を眺めていると明美の言葉を思い出した。
『就職まで視野に入れて、大学、高校って逆算して考えろ、って』
「冗談でしょ」
灯也はつぶやいた。自分が作詞を今必死でやっているのは、歌声が飽きられた時、あるいはもっと先までいられたとしても声が老いた時、次にできる何かを得ておきたという意識もある。一芸に秀でているだけでは、その一芸が潰えた時、何もなくなる。灯也は最近になって、やっとそのことに気がついた。
「就職先決めて、そこに合わせて大学、高校決めて、…それで就職活動するときにその会社が倒産してなくなってたら、どうするんだろうね」
自分に可能性を残しておくことだ。自分は歌が歌えると思って傲慢にそれだけやって来た。その結果、今、閉塞感に苛まれている。いい会社に入るために、中学1年生から努力する…きっとそんな連中は、ミュージシャンなんて不安定な仕事は人生の選択肢に入っていないんだろう。
灯也は明美のことを考えた。作詞にあたっては、いいアイデアをもらった。ブランドものが嫌いだと言っていて…プレゼントしようと思ったっけ。
(作詞のお礼に、ブランドの何かをプレゼントするかな)
そして、それと同時に、明美に言ってやりたいことがあった。
『返事遅れてゴメン。作詞が佳境に入ってたんだ。
明美ちゃんにもらったアイデアのおかげで、いい詞が書けて、OKが出たよ。
お礼するから、またちょっと時間とれないかな? 広瀬灯也』
『お礼なんてとんでもないです。何もしていないし、多分、私以外の人だったらもっともっといい話ができたんじゃないかと思います。お礼は遠慮します。お礼じゃなくてお会いできるならすごく嬉しいですが…。私は中学校に行っているだけなので特に何もありません。時間を指定されたら、その時間にそこに行きます。何の話題もありませんが、会っていただける限りはお会いできればと思います』
灯也は明美の返事の調子が少し変わってきたのを感じた。
(…うん、遠慮はしてるけど、明らかに会いたそう)
13歳の女の子がどういう恋愛感情をもつのかは、さすがによくわからないけれど。でも、あるいは崇拝でもいい。同じことだ。
「あれ?」
灯也は前回、明美が加藤甚吾郎の本を貸さなかったことに気付いた。なぜだろう。直前のメールに書いていたのに…。それで、早速返事を書いた。
『今週のオフは埋めちゃったんだけど、来週のオフはまだ予定入れてないよ。丁度日曜日だし、9月14日でいい? あんまり長くはいられないと思うけど。それから、前回、加藤甚吾郎貸してくれなかったね。今度は貸してね。 広瀬灯也』
明美は一日に何度もメールチェックをし続けていた。何度もメールボックスは空のままだった。再三の空振りに落ち込みかけていた9月2日、灯也のメールを受け取った。すぐに返事を書いた。
『9月14日、あけておきます。ありがとうございます。スケジュールの変更などでダメになったら、どんどん言ってください。私が合わせます。
それと加藤甚吾郎は、広瀬さんに言われてからカバンから出そうと思っていたので…。ものを貸すと、なんだか、もう一度会ってほしいって脅迫してるみたいかな…と思って。押し付けるのはいけないかと思ったんです、すみませんでした。次回は必ずお貸しします』
そして、肝心のことを慌てて書き足した。
『それと、会ってもらう立場でとても恐縮なのですが、夕方以降は親に言い訳するのがいろいろと大変なので、早めの時間が空いたら、できれば時間だけは、早くしていただけないでしょうか。日程はいくらでも合わせますので、お願いします』
もう硝子には頼めない。でも、広瀬灯也に自分の方から時刻に注文をつけるなんてナマイキじゃないだろうか。明美は、さんざん迷ったが、結局その文面で送信した。
深夜、携帯電話が鳴った。灯也は渋い顔でウィンドウを見た。「蓮井まどか」と出ていた。昔の女の電話番号を削除するのは簡単だが、そうすると誰からの電話かわからなくなる。電話を変えて、そのまま番号を教えないという方法もあるが、それもむやみに刺激するような気がして避けている。ウンザリしたが、灯也は一応、とるだけはとった。
「もしもし?」
「灯也、まどかです。蓮井まどか」
「…何、こんな夜中に」
最近TVでまどかをまったく見なくなった。名前も聞かないし、姿も見ない。
「灯也、私…引退するかもしれない」
暗い声がつぶやいた。灯也は「ああ、それは仕方ないかもな」と思った。それだけだったから、早く電話を切りたかった。
「…なんで、まだ頑張ればいいじゃん」
それでも一応は社交辞令を言った。昔の女を敵に回すと怖い。話題作りのために過去の恋愛の話を暴露されたり、ましてや本なんか出されたら困る。
静かにまどかの声が言った。
「…うん、事務所がね…それなりに考えてくれって。私ももう、人気が落ちていくのを感じながらやっていくの、つらいんだ」
灯也はまるで心配しているかのような空気を作って黙った。何も言ってあげられない、だから何も言えないという雰囲気を電話の向こうに投げた。
「灯也とつきあってた頃が、一番よかった。これから売れていくんだ、っていう期待感もあったし、灯也もいてくれたし」
面倒な話になりそうだった。灯也は明日が早かった。
「まどか、…今度予定が合ったら、会って話さない? …俺はちょっと、今は今後の予定とかわからないんだけど…そのうち、時間作るからさ」
「…え、…会えるの」
「何の力にもなれないけどさ。話くらい…聞くよ。予定が固まったら電話する」
「…ホントに?」
「電話、するよ。ホントに」
とにかく、その場の会話を終了させたかった。
「…本当? …だったら…待ってる。ありがとう。約束だよ?」
灯也は踏み倒すつもりで「約束」と口にして、さっさと電話を切った。
灯也はすぐさままどかのことなど忘れ、寝る前にとりあえず明美のメールに返事を出した。一時は連絡するのをやめようと思った。でも、作詞の突破口を開いてくれたことには感謝している。作詞がOKされたことで気分も少しずつ晴れてきた。今まで周りにいなかった「中学生」という生き物と、もうちょっと関わっていたくなった。そして、あわよくば…。
体をじわじわと上ってくるもどかしいような快感に身を委ねる。背徳の快楽。昔、興味本位で危険な薬物をちょっとかいでしまった時、同じ感触を味わった。気持ちイイんだけれど、これは危険なんだと体が警告する時の、微妙な快感。
「夕刻以降はダメなんて、親を言い訳にしてるけど…身の危険くらい感じちゃったかな? どうかな」
一応、次に明美に会うのは昼間にした。そして、仕事の合間を見て、ブランド店で10万円の財布を買った。明美へのプレゼントだった。
(ブランドものとバカにするか、それとも俺からのプレゼントだと思って大事にするか。さんざんバカにしてたブランドものを、どう扱うつもりだろう)
ブランドを明かして渡そうか、それとも自然にわかるのを待とうか。しばらく逡巡したが、やっぱりちゃんと言うことにした。
(誰かに指摘されて気付いたとして、それで明美ちゃんはいいけど、気付いた人が「なんで持ち主が知らないんだ?」なんて不審に思っちゃったら困るからな)
丁寧に、丁寧に。広瀬灯也は今まで、ゴシップ誌にいろいろ書かれては来たけれど、証拠を押さえられたことは一度もない。写真を撮られたりもしたけれど、読者だって半信半疑だし、七十五日もたてばみんな忘れる。そして、本当に恋愛関係にまで進んだ女性とは、実は一切書かれたことがない。
(明美ちゃんとも、書かれるわけにいかないからね)
タテマエは恋愛。援助交際でも、淫行でもない。灯也はジンクスめいた気持ちで「恋愛は書かれない」と思った。
蓮井まどかは眠れないままベッドの中で蠢いていた。自分より綺麗じゃない女の子がどんどんデビューして売れていく。悔しい。事務所の社長に呼ばれ、引退をほのめかされた時、自分の何がいけないのかと訊いた。社長は一応気の毒そうな顔をしてくれた。
「キミは綺麗なほうだと思うよ。でも、例えば字が上手な人の字って、みんな似てない? お手本みたいな綺麗な字っていうのは目立たないんだよね。キミも文庫本を読んでて、この活字が綺麗だなとか思わないでしょ。キミの綺麗さって、そういうところがあるわけよ」
不細工だから、歳をとったから商品価値がないと言ってくれればまだあきらめがついたかもしれない。お手本のように綺麗だから、目立たないなんて。だったら、目立つように売ってくれればいいのに。プロモーションの怠慢ではないか。
思えば、ずっと綺麗なだけのお人形さんのような人生だった。学芸会ではいつもヒロインだったし、男の子にももてたし、誰からも綺麗だと言われた。でも、「可愛いね」「美人ね」「綺麗ね」以外の誉め言葉をもらった記憶がない。デビューだって、友達にあおられて応募したオーディションで本選最終選考まで残り、グランプリは取れなかったもののプロダクションが目をつけてくれただけの話だった。ただなんとなく、顔がいいだけの人生。
広瀬灯也という存在が、自分の中で一番の栄光なのかもしれない…と、まどかは思った。自分は灯也を選び、その人はスターダムを駆け上った…それは自分自身の価値を高めてくれる気がした。
灯也がまた会ってくれると言っていた。まどかは指を軽く噛んだ。もしも、「やっぱり愛している」と言われたら…。憂鬱な気分は薄れ、甘い気分がまどかを満たしていった。