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2/22

2.会おうよ

 次の広瀬灯也名義のメールは、ちょっと違っていた。

『前々からなんか変だなと思ってたんだけど、明美ちゃんって、もしかして、これを誰か他の人が書いてると思ってない? このメール送ってるの、間違いなく、広瀬灯也本人です。T.V.キュービックのスタジオで声かけて、名刺渡したよね。あとで知ったんだけど、キミの着てた制服は私立城西が丘中学校っていうすごい頭のいい学校のだったんだね。ちゃんと覚えてるし、俺自身はちゃんと明美ちゃん宛てにメールしてたつもりだったんだけどな。ちょっとショックです。

 たまたま中学生くらいの女の子の友達がほしくてキミに声をかけただけで、ホントに本人です。T.V.キュービックにお勤めのお父さんに、ひどいよってクレームつけちゃうよ! 疑ったこと反省して、またメールください。楽しみにしてます。  広瀬灯也』

 明美は激しく混乱した。これは、どう疑ってみても自分宛のメールだ。

(でも、絶対にそんなはずないし…。私みたいに感づいてる子対策として、こういうことがあった時は1回くらい本人が対応するのかな?)

 心の奥底では本人であってほしいとずっと思っていた。でも、そんなうまい話があるはずはないし、あるとしてもそれが自分に起こるなんて信じられない。でも確かに、本当の本当は、人気グループのクロック・ロックが地道な客寄せや宣伝のために中学生に名刺を渡すなんておかしいとも思っていた。

『すみませんでした。広瀬さん本人がいちいちファンにメールなんか出してるヒマがあると思えないので、きっとそういう販売活動なんだろうなと思ってました。でも、今回のメールはホントに広瀬さんが書いたのかなと思いました。そう思えただけですごく満足しました。ありがとうございます』

 明美はとりあえずそれだけ書いて送った。やっぱり本人だと信じることはできなかった。おかしな人が明美と灯也の会話をどこかで聞いていて、利用しているとでもいうほうが確率的にはありそうだ。明美はそんな可能性に思い至って、怖くなった。

 返事はすぐに来た。

『全然納得してないみたいだね。まあ、こんな0と1のデジタルなやりとりだけで信用しろっていうのが無理な話かもしれないけど。それで、信じてもらおうと思って今日、「スタジオ6」の収録の時のトークでキミのことちょこっと話してみます。名前は出してないから安心して。放送は6月10日、見逃さないでよ。それで信用してくれたら、もっと普通にメールちょうだい。  広瀬灯也』

 明美は、読み終えて顔がものすごく熱くなった。

(うっそー)

「スタジオ6」は、毎回6組のアーティストを呼んで1曲ずつ演奏する音楽番組で、音楽主体のシンプルな構成が音楽ファンに好評だ。明美は、半信半疑…というよりも、半分以上信じながら6月10日を待った。


 クロック・ロックは「スタジオ6」の収録を終え、控え室に戻ってきた。すぐに次のスケジュールが控えていて、メンバーは急いで着替えを始めた。収録中に灯也が「中学生の女の子のメル友ができた」と言ったことに、里留はいやな予感を覚えていた。

「灯也、素人はまだしも、幼女はやめてくれよ」

 里留が衣裳のボタンを外しながら灯也に囁いた。灯也は涼しい顔で答えた。

「中学生は幼女じゃないよ。それに、プライベートな友人関係は自由だし、それが十年後に恋愛になったとしても、それを今責められる筋合いはないなあ」

 灯也は荷物を軽やかに背負い、ドアに向かった。里留も上着を手にして続いた。

「灯也、中学生は…」

「里留ー、まだメル友だって。神経質になりすぎだよ」

 2人は小声で言い合いながら移動のワゴン車に乗り込んだ。車の中で、里留は真剣な顔で言った。

「まだとかもうとか、のらくら言ってるけど、おまえが前に13歳以上は犯罪じゃないって言ってたの、覚えてるからな。13歳以上が犯罪じゃないのって、肉体関…」

 灯也は、相手の言葉をかき消すように強い口調で、小さく言った。

「里留。壁に耳あり、障子に目あり。注意してくれよ」

 里留は慌てて口をつぐんだ。灯也はずるがしこい顔で笑って、言った。

「大丈夫、大丈夫。変な勘違いしたり、増長したり、マスコミにタレ込んだり、訴訟起こしたりしない『いい子』としか仲良くなんないから。…友達でもね」

 元々、灯也は派手好きな青年だった。芸能人になったから増長しているのではなく、子供の頃からルックスが良くて女の子にもてたし、なるべくして早熟に、発展家になった。「恋愛」という楽しい人間関係が好きだったし、自信も大いに持っていた。

 一方、クロック・ロックの演奏側の三人は地道に腕を磨いてきた努力家だ。腕に自負はあったが、インストゥルメンタルバンドではそうそうデビューできないという理由から、同じ大学で歌っていた灯也を見つけて四人になっただけだ。「ただカラオケで歌いまくっただけ」で磨いたという灯也の声は天性の輝きを放っていて、それは何か圧倒的なものだった。「人種が違う」としか言いようがなかった。

 天才・灯也と秀才の三人はうまくやってきた。けれど、こういったささいなところに三人と灯也の価値観の違いが浮き彫りになる。

「俺、芸能界入ってからはかなり真面目にやってるつもりだけどな。多少女の子と仲良くなったからって、なんでもそうして目くじら立てないでよ」

「そんなんだと、いずれ、なんか起きるからな」

 そこでマネージャーから灯也に声がかかり、話は中断してそのままになった。


「…なんか、このごろ恋愛が空しいんだよね」

 灯也は一人の部屋で煙草の煙をゆっくりと吐き出しながらひとりごちた。絶え間なく恋愛をしながら生きてきたのに、最近は女の子と過ごす時間がどことなくバカバカしくなっている。「それなりの年齢のそれなりの男なら、彼女がいて当たり前」…恋愛にその程度の気分しか持てなかった。その感覚は、灯也を焦りに駆り立てていた。

 灯也は自分の変化を受け入れられず、「何か」を探していた。その時、たまたま中学生の女の子が目に入った。オシャレにも目覚めていない、髪も真っ黒な、どことなくぼうっとした真面目そうな子。中学生にもなるとみんな綺麗に装っていっぱしの女の子になっているはずなのに、時代に取り残されたように一人だけ色づいていない子。

 興味本位、そしてある種の悪意でもあった。

 普段なら絶対に恋愛の対象にならなそうな範疇。そして、何かあっても騒いだりしそうにない、おとなしそうな女の子。漠然とした閉塞感の気分転換にならないか…ただそれだけの理由で灯也は明美に声をかけた。

 もちろん、審査は慎重にやらせてもらう。でも、この前まで小学生だった女の子、しかも名門中学に合格するほど真面目に勉強ばかりしてきた子供なんか、灯也にはどうにでもなるような気がした。

(大丈夫、キミの初恋の、いい思い出になってやるって)

 明美がすでに13歳になったことを知らない灯也は、

(明美ちゃんって、いつ13になるのかな?)

 と思って笑顔になった。今手を出したら、あるいは犯罪かもしれない…と考えた時の後ろめたさは、久しぶりに灯也の気持ちをドキドキさせてくれた。


 6月10日の放送を見て、明美はまたいろいろと考え込んでいた。「メールには裏があるに違いない」という発想は、もはや言いがかりに近くなっていた。

(…でも、それだって、「中学生のメル友」がイコール私ってことにはならないよね? …それとも、テレビ関係者のイタズラかな。…いや、お父さんが私を喜ばせようとやってることだったら、どうしよう?)

 明美は、むやみにたくさんの「もしかしたら」を頭の中いっぱいに散らかして悩んだ。一生懸命頭を使って、広瀬灯也名義のメールを疑っていた。そして、何倍にも膨れ上がってしまった「もしかして…」という期待を胸に、「広瀬灯也」を名乗る相手へメールを送った。

『スタジオ6を見ました。垣口さんの猫へのすごい愛情みたいなのがおかしくて、笑ってしまいました。

 それから、なんだかもう何がなんだかわからなくなってきたので正直に書くことにします。私は、このメールを、やっぱり広瀬さん自身からもらっているとは思えません。たしかにスタジオ6では中学生のメル友…と言っていらっしゃいましたが、それが私を指しているという証拠は全然ないし、それに広瀬さん本人も言っていたと思いますが、ネット上で広瀬灯也を名乗っている人っていっぱいいるような気がします。そして、そういう人に騙されてはしゃいでいる広瀬さんファンの子もいっぱいいる気がします。

 だから、もし広瀬さん本人でないなら、私は別に怒らないので、このまま返信をやめてもらえないでしょうか。私はきっと今後も疑っていくと思います。

 私は、自分が広瀬さんにメル友として扱っていただけるほど楽しい人間だとも思えないし、そういうものすごいラッキーがなくても別に人生構わないと思っています。私は普通の人だし、普通くらいにしかラッキーじゃないし、別に普通でいけないとも思いません。

 つまらないメールですみません。でも、ネット上の嘘はよくあることなので、私もうまく騙されられません。もしも嘘なら、どうぞこのまま返信をしないで下さい』

 明美は、相手が灯也ではないのだと自分に言い聞かせながら一生懸命書いたが、「もしかしたら」という気持ちがメールのそこかしこににじんでしまっていた。


 翌日学校に行くと、もう、

「いいなー、灯也くんのメル友、私もなりたーい」

 という話でもちきりになっていた。

 始業前のひととき、仲良しグループたちは集まっておしゃべりに余念がない。そして、この曜日のこの時間、教室の前方窓ぎわは、明美たちにとっての「クロック・ロックに関する座談会」の会場だった。

「そういうメル友とかって、恋愛とか、なったりするのかな?」

「えー、灯也くんって24歳でしょ~? 中学生、相手にするかな~」

 血相を変えて盛り上がる友人一同に気後れを感じながら、明美は、

「…どうなのかなあ、ホントに本人がメル友やってるのかなあ。雇われてる人が代わりをやってるだけだったりして。灯也くんがそんなヒマあると思えないし」

 とボソッと言った。それから、すぐに自分を恥じた。

(…私、灯也くんがホントに私のことを言ってると思ってるのかな! バカみたい! 絶対私じゃないよ。みっともない!)

 明美の冷めた言葉に、友人一同がいっせいに反発した。

「明美、つまんなーい」

「本人がメル友だって言ってるのに」

「なんか明美ってさ、ファンのくせに、ぜんぜん盛り上がらないよね」

「そんなことないよ、灯也くんのこと、すっごい好きだよ!」

 明美は一生懸命言い返した。「芸能人なんて、テレビの中のキャラクターと本人の性格は別だよ」「出会えるわけでもないし…」…いつも口先だけは冷めていたが、それは明美が自分にかけているブレーキだった。本当は、みっともないくらいのめりこんで、自分を見失いそうな自分を知っていた。

 その日の学校からの帰り道、明美は、

『そういうのって、恋愛とか、なったりするのかな?』

 という友人の声を必死で振り払いながら歩いた。

(絶対、バカみたい。芸能人と恋愛なんて、妄想だよ)

 明美は渋い顔をした。


 広瀬灯也は3日仕事で家を空け、やっと帰宅して明美のメールを見た。そして、苦笑して、しまいには声を上げて笑った。

「すっごいね、優等生の女の子は、12歳でここまで頭がいいんだね!」

 確かに、すんなり信用しろというのが無理な話かもしれない。でも、中学1年生でここまで「きちんと」警戒するなんて大したお利口さんだ。広瀬灯也本人から手渡されたアドレスなら、もうちょっと単純に期待したってよさそうなものだ。

「いいね、名文、名文。普通の人だし、普通くらいにしかラッキーじゃないし、別に普通でいけないとも思わない! それでエリート中学からいい高校行って、いい大学行って、大企業に入って、エリートと結婚するのかな? …でも、そういうエリート路線を突き進む人って、世の中のほんの一握りなんだけどな! それって、普通なのかな!」

 灯也は明美のメールに向かって語りかけた。

 灯也の父はいわゆる「普通のサラリーマン」だったが、普通に勤めていただけなのに、ある日突然会社がつぶれた。朝普通に出勤した父は、2時間後に放心状態で帰ってきて、その日から1年間職を探しつづけた。ちょうど1年が経った日から、仕事が決まらないまま、父は何日も帰ってこなかった。捜索願を出したものの、2週間後、父は自分でふらりと帰ってきた。失踪中に見つけたトラックの運転手を3年間やってから内勤に異動になり、昔のようにスーツで出勤するようになった。「父がスーツを着て毎日同じ時間に会社に出勤する日々」が戻ってきたが、灯也は父から、すべては普通だし、すべては普通じゃないと学んだ。父はどうなっても父だし、仕事には「どうにもならないこと」があるものだ。「普通」って、一体、何が「普通」なんだ…。

 安易に人生を「普通でいい」と言う感覚が嫌いだった。「普通」になら、大した努力もせずになれると思っている人々が口にする「普通でいい」という言葉が嫌いだった。そんな灯也の価値観に、まだ中学生の明美の「普通」という言葉は傲慢に響いた。

「信じようよ、広瀬灯也本人だって言ってるんだから。俺が直々にメールの名刺手渡したじゃない。嘘を信じちゃうことはあっても、本当のことをむやみに疑う歳じゃないでしょ、12歳って。そんなの、頭でっかちで、可愛くないよ?」

 夢を追いかけて音楽をやっていると、いわゆる「普通」主義の奴が必ず「世間知らず」と陰口を叩いた。プロデビューした後も、「音楽なんか早くやめて、普通の幸福を手に入れたほうがいいよ」と言われ続けてきた。

「俺の生き方って、キミの基準で言うと多分『普通』じゃないけど、たまたま成功した俺の後ろには、ダメだった奴が腐るほど倒れてるんだよ。すっごい大勢――君のエリート中学校の受験に失敗した人と同じように大勢。音楽だって、ありがちな普通の夢だけど、キミはそういうのを『普通』の勘定には入れないんでしょ?」

 中学生相手にムキになっても仕方がないのに、灯也は明美のメールにずっと話しかけ続けた。そして、最後に上目遣いに怪しく微笑んだ。

「まだ子供だから仕方ないけど…、人生勉強しようよ、明美ちゃん」


『広瀬灯也本人なので、返信しました。きっと明美ちゃんはすごく頭のいい子なんだろうなと思ったよ。俺だったら、もっと簡単に信じちゃうけどね。でも、このご時世、メールなんか信用しちゃいけないのかな? もしかして、実は明美ちゃんも偽者だったりしてね。

 それで思ったんだけど、もう一回、会おうよ。さすがに俺の顔見たら信用するでしょ。俺のオフの日を書いておくので、明美ちゃんの予定を教えてください。  広瀬灯也』

 明美はそのまま3分くらい凍りついていた。そして、メールの相手が広瀬灯也を騙る変質者で、のこのこ出かけていく自分が殺されることを想像した。ニュースでは自分と同じくらいの歳の女の子がいろんな犯罪の被害者になっている。

(やっぱり一人で行くのは危ないかな。でも、友達に来てもらったりしても、それで本当に灯也くんだったら困るな。どうしよう)

「会おう」なんて言われてしまったら、「本人」か「犯罪」の二通りしか考えられない。明美は「きっと犯罪の方だ」と一生懸命自己防衛策を考え続けた。しかしどうしても、灯也に会えるのかもしれないと思うと気持ちは弾んだ。

 明美は動揺する気持ちを抑えてなんとか返事を書いた。

『私は学校がない時間帯ならいつでも大丈夫です。そちらで指定してください。ただ、返事をいただいてからもう一回、私の方から返信をさせてください』

 もしもひと気のない怪しい場所を指定されたら犯罪だと思って諦めよう、明美はそう思った。でも、相手がもし本当に広瀬灯也だったら、人目がある場所は困るだろうとも思った。千々に揺れる明美の心にもはや理性は働かず、とにかく「広瀬灯也」が指定してくる待ち合わせの内容を見て考えるしかないと思った。


『OK、じゃあ日付は6月26日でどうだろう。夕方から中途半端なオフがあって、何をしようか迷ってたんだ。人目につくところは厄介なので、キミが店とかでウロウロしてて、俺が声かけて拾っていくような感じにしたいんだけど。

 たださすがにキミの顔を雑踏から見分ける自信はないな。制服を目印にできたらいいけど、なんか24歳の男が有名中学の制服を着た女の子に声かけるのもおかしいよね。

 よく人目につかない待ち合わせ場所として使ってるのが、新宿Pホテルのロビーなんだけど、どうだろう? 雑貨屋みたいな一角があるから、そこで何か見るフリをしててくれれば拾います。なにか一つ目印を教えてくれると安心できるけど。

 時間は、夕方5時なら確実に行けると思います。オッケーなら返事ください。  広瀬灯也』

『6月26日の5時、大丈夫です。でも、Pホテルって高級なところじゃないんですか? 子供がウロウロしていておかしな目で見られないでしょうか。

 目印ですが、今までもったいなくてしまっておいた広瀬さんの缶バッジをカバンに3つつけて行こうと思います。3つ買って1つずつ使おうと思ったのですが、もったいなくて使えなかったので、同じ缶バッジが3つもあります。それを全部横一列につけていきます。その日その時刻にPホテルにそんなカバンを持った女の子がもう一人いるということはまずないと思います。

 でも、もし急にお仕事が入ったり、人の目についてしまったりしたら、私はあきらめますので気にしないで下さい。

 それと、もし広瀬さんに良く似ているけど違う人が来ても、私は騙されないと思います。もしこれもからかっているだけだったら、今回のこの返信で満足してください』

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