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14.秘密の電話

 灯也はウイークリーマンションの部屋でふてくされていた。まさか、あそこから逃げられるとは…。

(俺の方が、相手が中学生だっていう認識が甘かったな。13歳は、おうちへ帰る…)

 いや、待てよ。

(…それとも、図書館なんて、言い訳か?)

 そこまで護身のノウハウを身につけているようには見えないけど…。

 それにしても惜しかった。灯也は一人芝居に興じてみる。

「俺のこと嫌い?」

 嫌いなんて、言えるはずがない。

「こんなの、おかしいかな。こんな気持ち…」

 どんな気持ちかは明言しない。そこからそっと抱きしめる。

「少しだけ、こんな風にしててもいい?」

 多分、もう、返事は返らないだろう。しばらく抱きしめたら、

「お願い…」

 それだけ言って、キスに持ち込む。ロマンチックに、夢物語みたいに。そう、だって、夢だから。そして、唇を離して、一回謝る。

「…ゴメン、でも、俺、ホントは…」

 キミがずっと好きだった…そんなセリフは、一人芝居じゃバカバカしくて出てこない。かわりに笑いがほとばしる。

(ここから…あの子は逃げられるかな? もう恋してどうしようもなくなってるのに、俺を突き飛ばして、逃げられるかな?)

 クリスマスの仕事の予定が決まらない。どうも周の母親の具合が悪いらしく、今、調整できる予定は調整して、休みを取れるようにしている。ファンクラブのクリスマスイベントがあるから25日の夜は絶対に動かせないが…。

 予定が決まったら、電話で明美を呼びつけよう。これから「恋愛関係」になだれ込むから、メールなんて「証拠」は残したくない。その場で泡になって消える「声」で、この後の関係を進めなくては。

 次はせっかくのクリスマス、一晩一緒にいたいところだ――。灯也は次回の作戦を延々と練ってその夜を過ごした。


 灯也から受け取った携帯電話はバイブレーター着信にしてタオルに包んだ。一人の時だけ、出して身につける。見つかったら、「拾っただけの、落とし物」と言うことにしよう。

 でも、どういうことなんだろう。どういうつもりなんだろう。

 可愛い、という言葉がこだまする。あのまま黙っていたらどうなったんだろう。時間がなかったから、思わず逃げてしまった。けれど…。

(好きな人はいるのかとか…、会いたいとか…それは、恋愛感情だったのかな。告白されるところだったのに、私は、逃げちゃったのかな…)

 でも、大丈夫。携帯電話を渡された。また会ってくれる。しかも、クリスマス。

(…13歳でもいいの?)

 からかわれているんだろうか。でも、だったら、こんな色気のない子どもに恋愛を持ちかけてもしょうがないとも思う。

「そんな子だからこそ面白い」なんていうゲーム感覚の思惑を知る由もなく、明美は果てしなくわき上がってくる恋の予感に戸惑いながら、灯也からの連絡を待つことにした。


 TV局の廊下で、灯也は蓮井まどかとすれちがった。挨拶をした瞬間、まどかの目配せを感じた。一瞬だけ個人的な視線を返して、それを返事にした。案外、うまく生き残ったらしい…。灯也は意外に思った。

 まどかは灯也に会えたのがことさら嬉しかった。何たって、ここはTV局の廊下だ。そして、連ドラのスタッフと一緒…。

(ね、私だって、それなりにやってけるのよ)

 まどかは、灯也に繰り返した泣き言のことなんてとっくに忘れていた。

 次の、1月からのクールで、まどかは某局でメインになるプライムタイムのドラマに脇役をもらった。主人公を裏切る友人の役どころ。まどかが主人公の恋人に迫るシーンがある。ちょっとした肌の露出があるが、いわゆる「脱ぐ」わけではない。

 ドラマのスポンサーに、蓮井まどかヌード写真集の出版元になる予定の出版社が入っている。その関係で、蓮井まどかを使ってほしいと要請が出ていた。ドラマのきわどいシーンが撮られたら、そのあとすぐに写真家から「写真集を撮りたい」という依頼が行く。ドラマでの人気が後押ししていると言えば、まどかも乗ってくるだろう。お色気シーンがあるのだから、そのレベルまでの露出ショットは撮らせてくれるだろう。…あとは、うまくすれば、ヌードまでいけるのではないか?

 写真集を一気に売ったら、そのまま蓮井まどかを別のプロダクションに売る。見かけは引き抜き、その実、厄介払い。まどかを買うと言っているプロダクションは、経営が厳しいので、多少エグい内容でもいいから現金を稼ぎたい。落ち目の女性タレントを安く買い、裸で稼ぐつもりだ。


 蓮井まどかの帰り道の足取りははずんでいた。写真集のオファーが来た。グラビア写真ではそれなりに名前を聞くカメラマンで、女性を撮る腕は確かだろう。

「今の、綺麗な時を撮っておきたいんです。それに、うちの出版社では、ここのところのご活躍を拝見して、これから人気が出るとふんでるんですよ」

 これから人気が出るという言葉が頭の中で繰り返し響く。事務所も掌を返したように熱心だし、ドラマの仕事も次々に入った。嬉しい。

(芸能界に勝った。私は、落ちなかった。残れたんだ)

 でも、今のこの喜びを分かち合う人はいない。携帯電話の名前を片っ端から見たが、誰もが他人だった。まどかは少しだけ迷って、灯也に電話をかけた。

 灯也はまどかからの電話に一瞬嫌な気がしたが、今日TV局で会った時のことを思い出し、一応出ることにした。

「灯也、今日、偶然だったね」

 まどかの弾んだ声に、灯也はホッとした。

「そうだね、意気揚々と歩いてたよな。もう売れっ子じゃない」

「そんなの、明日はわからないのが芸能界だもん。でもね、私、つくづく灯也に悪いことしたなあって思って。結局、なんとかなったわけじゃない。なのに、死ぬとか電話して…もう、ホントゴメン。そのことを、改めて謝りたくって」

 それは、本当は、言い訳。嬉しくて、誰かと話をして、はしゃいでいたい。そうだ、次の仕事の報告をしなくては。

「そうだ灯也、次の仕事、なんだと思う?」

「え、ドラマ? …は、今撮ってるか。映画とか?」

「写真集」

 自分で言って、喜びでゾクッときた。

「写真集! へー! 俺でもクロック全体でしか出してないのに!」

 灯也は明るい声で言いながら、内心はやや不愉快だった。引退勧告までされていた落ち目の女優が、人気絶頂のクロック・ロックのボーカルより華やかな仕事をもらうなんて。

「え、灯也は実力で売ってるんだもん、写真集とか来ないのは仕方ないよ」

「一応、ルックスでも結構売れてるんだけどな~」

 灯也は上手に応対を続けたが、不快感は消えなかった。悪いが、「売れている」という度合いで言ったらまどかとは格が違いすぎる。

「ねえ、灯也、ひとつ反故にされた約束があるの、覚えてる?」

 まどかは上機嫌で言った。灯也は一応思い出したが、とぼけておいた。

「…やばい、なんだっけ」

「会ってくれるって言って、結局逃げたじゃない。埋め合わせしてよ。もう、死ぬとか言わないから」

 冗談の声色でそう言ったが、まどかは電話のこちら側でだけ、小さく自嘲して目を伏せた。祝ってくれる人は、誰もいなかった。

「お祝い? …送るよ、何がほしい?」

 会うのは勘弁願いたいと灯也は思った。あまり頼られたくない。

「ううん、祝杯をあげてくれる人がほしいだけ。私のオゴリで行こうよ」

 まどかは灯也がなんとなく警戒しているのを感じ取った。これまでの自分の態度を思い返し、殊勝な気分になった。そして、あるセレモニーを思いついた。

(…これを最後にしようかな。運も向いてきたし、今までの自分を全部リセットして…。私が過去に向かってグズグズしてるから、運が来なかったのかもしれない)

「灯也、迷惑かけたお詫びに、ちょっとした式をしない? それで、直接会いたいの」

「式?」

「お互いの携帯から、名前消さない? 別れたのにずっと頼ってたの、ゴメン。私も強くならないといけないよね」

 灯也は思わず「ヒュー」と口笛を吹いてしまいそうだった。それは素晴らしい提案だ。

「なんかこう、出発するぞー、みたいなことをね、やりたいの…。変?」

「いいね、順風満帆の蓮井まどかさんをお見送りに行って、俺も運気をもらおうかな」

 この提案は是非、受けなければならない。まどかの携帯電話から自分の名前が消えるのをこの目で確認できる。灯也は、今からだって車で出掛けていきたかった。

 会う日はすぐに決まった。まどかの存在自体がさっぱり片付きそうで、灯也は上機嫌で明美にメールを打った。

『この前はありがとう。夜って、いつも家にいる? 1日の21:00頃、電話します』

 広瀬灯也の署名もやめた。まあ、差出人名が「Toya」になってはいるが…。

 今後のメールは、いわば「証拠品」だ。慎重にしなくては。うかつな言葉を文字で残したくない。これからはメールで「電話する」と入れて、話は電話でつけるほうが賢明だ。


 硝子の働きにより、明美の中学での環境は改善に向かっていた。硝子は明美のいないところで仲間たちに説明した。

「明美、本気で灯也くんに近付くつもりらしいんだ。灯也くんが結婚するまで、チャンスはあるじゃん。3年でも、5年でもかかっていいわけじゃん。明美のお父さんってTV関係だし、全然可能性がない…ってことはないんじゃないかなあ。でもね、やっぱ本人はそれを『バカだ』とかだいぶ気にしてて、私らに引け目を感じてるらしいのね。それで、態度とか変に退いてるらしいんだ」

「え、マジで、マジなんだ」

 仲間たちはどよめいた。みんなクロック・ロックのメンバーに憧れていたが、そんなことを考えたことはなかった。

「よく聞き出したね~。さすが硝子だね」

 硝子は、仲間からそんな風に賞賛されるのが大好きだ。

「たまたまチャンスがあったから。だからさ、私たち、わかってあげようよ」

 いじめなんかするのは低俗だし、仲間外れなんてみっともない。優等生は、誰からも非難されない存在。そんなプライドが彼女たちを結束させる。

「そっかー、わかってあげなきゃねー」

 仲間たちは程なく元通りの雰囲気を取り戻すことができた。明美はホッとしたし、硝子は満足した。


 日常生活の中で明美が感じる違和感は、仲間たちとは逆に、増大していた。もちろん、中学に居場所がないのは嫌だ。でも…。

(私が灯也くんとつきあうことになったりしたら…)

 そんなことはないと打ち消しながら、明美はそんなことばかり考える。一人だけ次の世界に行く。憧れでしかなかった「彼氏がいる」という女の子になれる。しかも、相手は広瀬灯也。特別な恋にめぐりあえたシンデレラ。

 本当は、さりげなくみんなから孤立している方が良かったのかもしれない。隠しておきたいことがたくさんあるから…。

 明美は時計を見た。あと1時間以上あるが、これから、灯也から電話がかかってくる。ずっと携帯電話を胸に抱いたまま待っている。

(…この電話で、告白されたり…)

 そんなはずはないと、何度自分を戒めても止められない。


 灯也は約束の21:00より10分早く明美に電話をかけた。明美はまだ鳴るはずのない時刻に電話が震え、びっくりした。「取るときは、ここ押して」と言われたボタンを慌てて押し、ベッドの布団にくるまって耳に当てた。親に部屋での話し声が漏れたらまずい。

「明美ちゃん、コンバンハ」

 はじめて聞く、電話での灯也の声。明美は感動に打ちひしがれた。

「…こんばんは…」

(…私だけの、灯也くんの声…)

 会っているときも自分だけの声なのに、明美はそんな風に思った。だって、この電話は、この声を届けるために灯也が渡してくれたもの…。

「ゴメン、約束の時間より早いけど、なんだか待ちきれなくって。あのさ、この前、大丈夫だった? ご両親、帰りが遅いって怒らなかった?」

「あ、…ちょっと遅いなって顔はしてたけど…どこの図書館って言わなかったから、あんまり気にしなかったみたい」

 灯也は渋い顔をした。だったら、もう少し遅くなっても良かったのに…。

「そっか、よかった」

 灯也は溶けるような優しい声色で言った。明美はしっかりドキドキした。

「電話、どう? 使えそう?」

「…大丈夫、だと思う。機械苦手だけど…」

「とか言って、そのうちスマホから目を離さなくなるんだよ」

「え、私、高校生になったって、携帯電話とかスマホとか、持たないもん」

 灯也は苦笑した。実際こうして、今、男と連絡を取るために携帯電話を手にしているというのに…。どうせ時間の問題だ。

「それでさ、まだ予定は決まらないんだけど、クリスマス…どうしようか」

 灯也はまた、優しい声で言う。もう、すでに恋人になったみたいに甘い声。

「…私、どこにでも行くから、灯也くんが決めてほしい…」

「でもね、実は困ってて、ホントに全然予定が立たないんだ。直前にいきなり電話して、『明日』とか『今から』とか…そういうのじゃ、困るよね」

「ううん、合わせる。いつでも、どこにでも行くから、仕事頑張ってほしい…」

 明美は自分の言葉に酔った。

(…私だけの灯也くん…)

 灯也の声を聞きながら、明美は心で何度もそう繰り返した。

 それから1時間、何気ない話が続いた。話題は尽きなかった。明美は男の子と長くおしゃべりしたことがなかったから、驚き、不思議な感激にひたった。それと、灯也も驚いていた。ろくな話題を持っていない中学生の女の子を相手に、次々に話題をかえて長電話をしている自分に…。

「年末年始の音楽番組はもう全部録り終わってるよ。TV局の編集作業が、年末進行で密集するでしょ? 結構ね、録りは、早い。遅いのもあるらしいけど、全般的にクロックは録りが早い。あとはTVは、年末の紅白だけ」

「あのー、紅白歌合戦とか、…出るの抵抗ないの?」

「え、なんで? 選ばれないとガッカリするけどね?」

「だって、実は売れてない演歌の人とかと一緒にされるの、イヤじゃない…?」

「そんなことないよ。やっぱ、芸能界では一応ね、ステイタスなんだよね。紅白蹴るような、いわゆる『大物アーティスト』ってやつならともかく…。それに、演歌はねー、大御所とかって、今でもやっぱ芸能界にいる以上失礼があっちゃいけない相手なんだよ。売れてない…っていうのもね~…ファンの母集団っていうか、文化圏の違いであって、あれはあれで、ああいう世界だから…」

「そうなんだ…。ウチ、お父さんがT.V.キュービックだから、NHKは敵なの。だから何となく、子どもの頃から、アンチ紅白で…」

「俺は紅白好きだよ。普通だったら絶対あり得ない共演があるし。ギャラすごい高そうな人があの数出てるだけで圧巻だね。それに、絶対共演させられない歌手が平気で共演したりするし」

「えっ! 誰と誰?」

「それはダメ、芸能界にいたかったら、知ってても口には出せないの。歌番組とか見てると、このアーティストはなんでこの歌番組にだけは出ないんだろ…とかいうの、気付かない? 紅白ではその障壁がある程度、撤去されるの」

「えー! 芸能界ってホントにこわいんだー!」

「でも、バンドって結構大丈夫。いわれのない妨害みたいなものはすごく少ない」

 芸能界のことをなんでも知っているわけではないが、灯也は揚々と明美に語って聞かせた。明美が一言一句に感心するのが心から楽しかった。

「紅白、初めて出たのが去年じゃない? 白組全員ではっぴにはちまきの火消しのカッコで踊ったのがね、ちょっと…」

「イヤだった?」

「誰にも言っちゃダメだよ、実は、里留と周がね、死んだ方がマシだって言ってた。俺はコスプレとか好きな方だし、楽しかったけどね。孝司はウケ狙う方法考えてたよ。何にも浮かばなくてできなかったけど」

「あ、でも、確かに、周さんのファンの友達が、『クロックはアーティストなのに、これはないだろ』って本気で怒ってた。私は、灯也くん楽しそうだったから何にも思わなかったけど…周さんファンは、やっぱ、周さんの感情を感じ取ったのかな」

「へー、そうなんだ! そういうの、画面通しても伝わるもんだね! 俺は、周も里留も仕事と割り切って頑張ってるなって思ってたんだけど。周に言っとく。そういうのも、TVにはしっかり出るんだぞ、って」

 楽しい時間は惜しかったが、灯也がこの関係の露見を警戒して会話を終了した。

「じゃあ、また電話するよ。今日の電話は…携帯使えるかの確認と、それから…」

 灯也はこっそり、舌を出した。

「…ん、なんでもない。また会おうね…」

 優しいささやき声は今にも溶けそうだった。明美は苦しい胸を強く押さえながら答えた。

「うん、またね…」

 電話を切っても、明美は携帯電話を抱いてベッドに潜っていた。

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