028.「自由落下」
階層都市の第三層、工業区画層は、人間が居住する区画としては最も人口密度が低い。日中の盛況さばかりが目立つけど、倉庫区画なんかは昼間でも人の姿は少ないし、夜中のリム駐機場ともなれば皆無に等しい。ただ、夜を徹して稼働する工場などは当たり前にあるから、遠くから響く騒音だけは引っ切りなしに聞こえる。それが逆に、人の少なさをより助長するから不思議なものだと思う。
かつ、階層の高さはリムの往来を見越して三十メートルは取られているから、特に視界を遮る建物も無い外周部になれば見通しも良くなる。階層を支える支柱ばかりが整然と並ぶ虚ろな空間は、工房や工場が軒を連ね始めるあたりまで続く。
リムの駐機場はそんな場所に作られることが多く、その例に漏れず囲いも何もない駐機場で腹這い姿勢を取る、キャスティの乗機ザルマンも階段の上からよく見えた。
「待ち伏せされてるって?」
「そー。ほら、あの辺とかー」
「普通のハゲたおっさんが歩いてるようにしか見えないんだけど」
「歩き方がねー? 微妙に中腰な上に、ブレてないんだー」
どうやら軍隊にもそれなりな期間身を置いたというキャスティからすれば、ご同業の所作に見えたということらしい。パンチング加工された金属板だけの簡素な階段壁面に隠れ、目だけを出しているキャスティに倣い、同じく身体を隠す。
「たまたま従軍経験のある人だった、って可能性は?」
「同じような歩き方してる人ー、見ただけで三人くらいかなー」
それだけ居れば偶然とは思えない、ってことか。
次から次へと何故急に現れ始めたのか、という疑問が浮かぶ。まあ、これまでただ気付いていなかっただけなのかもしれないけど。
「軍隊やら尾行やらに追われる生活、かあ」
「ねー、言ったでしょー。後戻りできなくなるよーって」
「ここまで急激に世界観変わるとは思ってなかったけど、引き返すつもりは無いからな。……どうする、レイルズさん呼び戻す?」
「ダメでしょー。話を聞くだけって言っといてー、あんなに引っ張ったんだしさー」
「ま、それもそうだよね……」
「……それにー、もう関わり合いにもなりたくないしー」
付け加えるように呟くキャスティに、ふと違和感を憶える。とは言え、元々源流十三家の世話にはなりたくない、と言っていたし、これもそんな苦手意識からなんだろう。
「まー、向こうとしてはー、リムを押さえれば逃げ出せないだろってゆー考えだろーしねー」
「実際その通りじゃん。アンダイナスは置いてきてるし」
そう。ディーネスから出る手段は、ザルマンしか無い。ではアンダイナスが何処にあるかと言えば、俺が目覚めたあの施設に放置したままだ。
そうせざるを得ない理由もあって、一番は俺の個人情報まつわる全てが凍結されているからだ。当然、アンダイナスの所有者登録も例外ではなく、中核都市内部に運び込むことはその時点で無理。俺自身も身分証明の手段がないから、正規の手続きで出入り可能なザルマンの背部にマウントされた、乗り心地など欠片も考えられていない物資用増設コンテナの中で息を潜めて検問を通るのを待つしか無かった。
……それ以外にも、理由が無いわけではないけれども。
「さてー。それじゃー、遊び場所に移動しよー」
「まさか、人目を掻い潜ってザルマンのとこまで行くつもり?」
「いやいやー、さすがにそこまで考えなしじゃないよー?」
忍び笑いをなお、かみ殺しつつ進むキャスティの後を続く。
何を考えているか知らないけど、たぶん碌なことじゃない。そんな気はするけど、結局ついて行かざるを得ないのだ。
◆◆◆
基礎階層直通エレベーター、人によっては陸港直通ベーターやリムベーターなんて呼ぶ人もいるけど、つまりリムを街の外につながる陸港から工業区画層まで持ち上げるためのでっかいエレベーターだ。
縦横高それぞれ二十メートルくらいで、二機、入れ方によっては三機のリムが同時に使用可能なほど巨大な籠は、安全のために速度は遅めだし、見た目も金属の骨組みと金網、柵だけの実用性第一な代物だけど、これが無ければ実質的に街の中と外の行き来ができない。蟲狩りのみならず、都市間の輸送も何もかも、リムが無ければどうしようも無いからだ。
そんな大事な基礎階層直通エレベーターは、最下層の東西南北それぞれにある陸港の奥、都市内に乗り入れられない超大型輸送リム用の荷揚げ場から第三層とを繋いでいる。今は夜間帯だからか、四基ある床面ゴンドラは全て基礎階層に降りているらしい。
俺とキャスティの二人は、階段を降りてこっそり遠回りをし、階層間エレベーターの前まで辿り着いていた。駐機場周辺からは三百メートルほど、待ち伏せらしき人影は無い。それどころか、夜間の都市外活動は危険が伴うこともあり、基礎階層へ下りるリムも無くあたりは全くの無人。
「こんなところに来て、リム無しで何する気だよ。……もしかして生身で外に出るとか」
自分で言っててぞっとしない話だ。生身で外に出て、あまつさえバグに遭遇したときの恐怖は身を以て知っている。死にかけたこと一回、ほぼ死んだこと一回の経験は伊達じゃない。
ただ、そこは流石のキャスティでも常識外だと判断したらしい。手をパタパタと振りつつ、
「そんなわけないじゃーん、ジュート君じゃあるまいしー」
一言多いんだ、このバーサーカー。
「さてー。ジュート君、このエレベーターってさー、呼び出しボタン付いてないよねー」
「え、ああ……そりゃそうでしょ、リム用なんだし」
リムが乗ったまま乗ることを想定した階層間エレベーターは、目立つところに呼び出しボタンなんて存在しない。ではどうやって操作するかと言えば、リムの操縦席から遠隔操作を行う。あくまでも、人がそのまま利用することは考えられていない。
「じゃー次。あいつらさー、なーんでリムの周りに陣取ってるんだろーねー?」
「そりゃ、俺らが乗り込もうとするのを待ってるんでしょ」
「うんうん、そうだよねー。生体人は、そうするしか無いもんねー」
「あのなあ、今更そんな当たり前のこと、」
「でもねー? それって結局、生体人の常識じゃん。うちらにはー、うちらのやり方があるからねー」
キャスティの笑みが、深くなる。
ああ、これはもう確実だ。嫌な予感は当たってる。
後は、被害者があまり出ないことを祈るだけ。
「んふ」
「不安になるような笑い声出すな!」
「失礼なー。授業だよー、授業。電脳人の自覚が薄いー、ジュート君のためのー」
そう言うキャスティは、見た感じでは何かするような様子もない。腕組みし、視線はやや距離のあるザルマンの方向。
自然な動きで、目を閉じた。やや時間をかけたまばたきにも見える、それだけの動きを見せた、その時。
「な……!?」
何が、と声を出す必要もなかった。明確な変化は二つあった。
一つ目は、今目の前にある階層間エレベーターが突然動き始めたこと。ワイヤーではなくギアで動くエレベーターは、ぎりぎりと耳障りな音と、吹き込んできた砂塵を巻き込んだのか、ざり、という音とを織り交ぜながら上昇してくる。次いで、二十メートル四方の大きな口を塞いでいたハッチが二つに割れて左右に飲み込まれていく。
そしてもう一つは、見ただけでは何が起きたのかわからない。確かなことは、聞こえてくるのはリムのアクチュエーターが奏でる甲高い駆動音であることと、周囲の人間が慌てふためいていること。それだけで何が起きているかは明白だ。
「なんでザルマンが動いて……」
「そういうのは後でー。行くよー」
そう言われ手を引かれる先、階層間エレベーターのうち一基がじりじりとせり上がって来ていた。床面とほぼフラットになり、少し遅れて周辺を取り囲む立ち入り防止の警告札がぶら下がったワイヤーが引き込まれ、キャスティと俺は易々と黄色でマーキングされた正方形の中に足を踏み入れる。
背後からは何か怒鳴る複数の声とともに、ザルマンの歩行に合わせた足音が響いている。高速走行時のために装備している尻尾じみた重心安定機構もあって、トカゲのような姿のザルマンは都市外なら静粛さがウリではあるけど、さすがに反響しやすい第三階層では勝手が違うらしい。四足歩行のリズミカルな足音は、生産業の騒音にもかき消されず、だんだんと近付いてくる。
「そろそろかなー?」
再び目を閉じて、キャスティ。今度は先ほどの逆戻しで、立ち入り防止ワイヤーが再び周囲を取り囲み、振動とともに床面が沈んでいく。
それと同時、数十メートル先の倉庫から、図体に比べてやや小ぶりなザルマンの頭が顔を出し、テンポの速い足音とともにトカゲそのままな独特の歩き方でこちらに向かってくる。
「ちょっ、もしかして!」
「はーい耐ショックー」
下降を始めたエレベーターはまだ俺の身長の半分くらいまでしか沈んでいないものだから、それがよく見えた。
エレベーターにザルマンが飛び込んでくる。後ろには、ようやく曲がり角に辿り着いた数人分の姿。中にはさっき見たはげ頭もいて、口汚く、逃げ隠れするやつはポルセリオの糞尿が云々、などといった言葉を吐いている。呪詛か何かの一節で、内容は『これから先あなたの身にありとあらゆる不幸が襲いかかりますように』的な意味だったはずだ。随分と恨みを買ったものだ。
そんなことには微塵の興味も無いという素振りで、実際速度を落とすこともなく直進を続けるザルマンが、元から縦方向に低い機体をさらに沈ませ、と思ったら前脚側から順に全身で大きく跳ねた。
周囲を取り囲むワイヤーは、強い力で接触したり切断したら、即座にエレベーターを停止するための安全装置だ。それを避けようというのだろう、普段は見ることもない腹部側が視界を塞ぎ、目測で数メートルは飛び上がった巨体が飛び込んでくる。
「うわああぁぁぁぁぁやっぱりいいいいぃぃぃぃ!」
「だいじょーぶだってー。誰が操作してると思ってんのー?」
のんびりとキャスティは言うが、しかし実際に全長二十メートル近い、重さ百トンを超す巨体が飛び込んでくるのだ。どうしたって声は出るし、気休めにもならないのは承知の上で腕を使って頭をかばい、身を縮こまらせもする。
そんな俺の横、数メートルを挟んで巨体が通過し、着地。
振動と共に、至近距離で凄まじい騒音が轟く。音の内訳も色々で、金属がぶつかるもの、擦れ合うもの、そこに混じる甲高い音は着地の衝撃を逃がすべく稼動するアクチュエーターだろうし、何か吹き出すようなものは衝撃緩衝機構としてエアサスが動いた音だろう。
音の奔流で、耳どころか物理的に脳まで揺らされた気分になりながら横を見れば、ちゃっかりとキャスティは耳を塞いでいる。一言くらい警告しろと言いたい。
「ピヨってる場合じゃないよー。早く乗る乗るー」
驚くことに、瞬間的に相当な負荷が掛かっただろうに、エレベーターは健気にも下降を続けていた。耐えられなくはないけど小さくもない振動が絶えず起こる床面をキャスティは平然と歩き、伏臥した自機へと向かう。
置いて行かれまいと、ディーネスまでの道中を過ごした増設コンテナに乗り込もうとしたところに、声が掛かった。
「そっちじゃなーい。こっち乗ってー」
「操縦中は気が散るからコンテナに引き籠もってろって、そう言ったのキャスだろ」
「そーだけどー。目の前で見ないとー、授業にならないでしょー?」
両手を腰に当てつつ仰るその姿は、なるほど言葉通りに教師のように見えなくも無かった。まあ、ポーズだけは。
◆◆◆
そこかしこに置かれた刺々しい造形の目立つ小物、脱ぎ散らかされた服にラゲージスペースのハッチからはみ出た下着、散乱するジャンクな食事のパッケージ。足の踏み場を探すのにも難儀する。足を踏み入れた途端にそんな光景が広がったときの、うら若き十代男子の心境を述べよ。
模範解答は、『恥も何もねぇなこの女』だ。びっくりしたわ。目が泳ぐわ。
「んじゃーね、後方シートに着席よろしくー」
足元に迫るゴミを蹴り付けて退けつつ、キャスティ。指示された方向を見れば、何だか見覚えのあるような小ぶりなシートに、尖った耳に病的な目をし包帯とガーゼを模した装飾がぐるぐると施された、猫なのか犬なのか見分けがつかないぬいぐるみが鎮座ましましている。
「なんだこれ」
「それー、めっちゃレアだから丁重にー。ブライトライツのライブ限定品だからー」
ブライトライツって言うのは、そこそこ人気があるらしい、派手なビジュアルに激しい曲調とややこしい人生観を語る歌詞が特徴のバンドだ。サツキもたまに聞いていた記憶がある。
どうやらキャスティは、そのバンドのヘビーなファンらしい。見れば、コントロールシートに散逸する小物の三割くらいはバンド関連の模様だ。この手のグッズは乱暴に扱うと後が怖い。言われたとおり丁重に、シート後ろ側に移動願うことにする。
「座ったらー、そろそろ動くからねー」
「何言ってんだよ、まだ下まで着いてないのに」
エレベーターは、つい先ほど第二階層である基盤階層の底を抜け、今はようやく基礎階層に入るところだ。第一階層も第三階層と同様に三十メートルの高さがとられていて、勿論その高さをリムで飛び降りれば搭乗者もただではすまない。が。
「馬鹿正直に降りてー、すんなり出て行けると思ってるー?」
言っていることは明白だ。待ち伏せがさっきの数人だけとは限らない。
むしろ、人や大仰な装備……例えば戦闘用リムや携行火器なんかは、都市外に直通の第一階層の方が配備しやすい。備えるには先手を打つ必要がある、そういうことだ。
「まだ無茶するのかよ……」
「無茶って言うけどさー」
ぼやく俺に、キャスティがコントロールシートから身を乗り出して、見る。
「うちはー、無茶だなんてこれっぽっちも、思ってないしー。出来るって信じてるし、出来るって知ってるしー」
「根性論で何とかなるもんじゃないだろ」
「何とかなるもーん。ジュート君こそさー、この機体のことも、あの機体のことも、なーんにも知らないでしょー?」
図星を突かれ、言葉に詰まる。
そこに。
「知らないからー、信じられないし、乗れなくなっちゃうんだよー」
風が吹いた気がした。
勿論錯覚だ。密閉された操縦席に風が吹き込む要素は無いし、ただ足元……正確にはザルマンが踏みしめるエレベーターの床面が第二階層の躰体部を抜け、吹き抜け構造の第一階層に出たことで空気圧の差から風が吹き込んだ音がしただけだ。
それだけの話なのに、剥き出しの傷口が吹き曝され、じくじくと痛む感覚がした。この人は本当に、自分でも認めたくない部分を的確に突いてくる。
「……なに、言ってるんだか」
「まー、いいけどー。これはお姉さんからの荒療治だと思っておけばいいよー」
キャスティはそう嘯き、再度前に向き直る。同時、エレベーターのものとは違う振動が、機体を揺らした。
変化は視界にあった。コントロールシート全面のディスプレイに映る床面が遠ざかっていく。ザルマンの機体そのものに、何かしらの変化があることは察することが出来た。ただ、前方視界だけしか見えないディスプレイからは、それが何なのかが判らない。
代わりに表示面の片隅、黄色く縁取られた表示がある。
——Shift : Semi-belligerency
「変形してんの!?」
「いーい反応してくれるぅー。今はー、こーんな感じー」
またディスプレイに表示が追加される。今度は、ザルマンの外見を再現したらしい映像だ。
見た目からしてトカゲそのものなそれの後ろ脚部分、その付け根が繋がる扁平な胴体が分割され、現れたのは逞しい大腿部。元あった、這いつくばるようだった後ろ脚は真っ直ぐに伸ばされ、新たに現れた大腿部から繋がる脛を構成している。
そうして出来上がったのは、頭部からスタビライザーまでを水平にした、肉食恐竜然とした二足歩行のシルエット。印象としてはT—REXと言うよりも、小ぶりな頭からアロサウルスのような。
「驚きついでに、もーひとつー。このシートさー、見覚え無いかなー?」
そこでようやく気が付いた。乱雑に私物が置かれ、搭乗口も真上だったから最初は気づかなかったけど、戦闘用リムには珍しい副座型といい、これはまさに。
「アンダイナスと同じレイアウト……」
「素体は共通だからねー」
なるほど、道理だ。キャスティが俺と同じく、生体化された電脳人ならば乗機の出自も同じと考えるのが当然だ。
これまでそうと気付かなかったのは、多分作られた年代がアンダイナスよりも新しいから設計も改善され、上手く一般的な戦闘用リムジンに擬態出来ていたと、そういうことなのだろう。
高くなった視界が動く。歩行を開始したんだろう、向かう先はのろのろと広がる床面と天蓋との隙間で、その先に広がるのは乱立する支柱が心細い数の常設灯に照らされ浮かび上がる、吹き抜けの第一階層。
何をするかは聞かずとも分かる。
「飛び降りるのかよ!」
「変形したのはー、何のためだと思ってるのー」
分かるけど言わずにはいられない。さっきも言ったけど、第一階層は三十メートルの高さがあり、エレベーターが下降した分は高度が下がったと言っても飛び降り自殺に等しい。
遠ざかる第二階層の躰体が、高度を増した機体の頭頂部を追い越し、ほぼ時間をおかずに床面の端まで辿り着き。
「行くぞぉー、踏ん張れヴルカヌスー!」
それがザルマンの本名か、と察したのと同時、機体が中空へと躍り出た。




