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第9章 花電車のチヨ

 第9章 花電車のチヨ


 車は国道10号線を大分方面に向かっているようだった。左手にはおだやかな別府湾がひろがっている。国道の両脇にホテルが並んで見えてきた。そのほとんどが天然温泉を有しているのである。巨大温泉街の登場である。

 見なれない地元のホームセンターやスーパーマーケットを目にすると、異国を走っていることを実感する。

「運転手さん、わるいけど、北浜交差点の手前にあるファミレスにとめてくれる?」

 ゲラ子が言った。

「ゆうさん、朝食まだでしょ」

「そういえば、まだ食ってないなぁ」

 いろいろと思いめぐらすことが多かったせいで、あまり腹はすいていなかった。それでも珈琲と煙草は飲みたかった。

「まだ、朝が早いから、食事をしてから動きましょう」

 ゲラ子はとなりの私をしっかりと見つめながら言った。

 朝の通勤ラッシュ時というのにレストランはずいぶん空いていた。キーボードを叩くようにサクサクと動くビジネスマンの姿はあまり見られなかった。夜の街の、あの、まったりとした時間が朝になっても流れている。

 コーヒーとパン、それにスクランブルエッグに焼きベーコンを添えたモーニングセットがふたつ、テーブルに並んだ。私は珈琲を飲み一息ついた。ゲラ子はコートを脱ぐと、ナイフとフォークを器用に使いながら、話し始めた。量感のある胸のふくらみがますます女性を意識させる。朝からなんだか不思議な感覚の中にいた。

「ゆうさんは由佳里のことをどのくらい知っていますか」

「おかあさんが別府におることくらいで、くわしいことはよう知らん。由佳里はあまり自分のことを話さん子やったな」

「そうでしょうね……」

 ゲラ子は少しうつむいてコーヒーカップを口に運んだ。私はその様子が気になってしようがなかった。あの由佳里が消えた日、以来、何度も味わったじれったさである。どうしてそんなに思わせぶりに口を閉ざすのか。私はいらだちから答えを性急に求めた。

「ゲラ子、もったいぶるのはやめてくれ。真紀子ママから、なんて言われたんや。全部話してくれ」

「ええ、そのつもりです。ママからは、『ゆうさんが知りたがってるのは由佳里のことや、うち(真紀子)と由佳里のことはみんな話してええけど、由佳里には会わさないようにしてちょうだい』と、言われました」

 ゲラ子はそれだけいうと、ハンカチで口を覆った。

「なんでやね。俺は由佳里に会いに来たんや。べつに二人の素性を調査するためにノコノコ別府に来たんとちゃうで。真紀子も真紀子や、まわりくどいことして。アホくさい。ええかげんにしてくれや」

「ゆうさん、そんなに怒らないで。ゆうさんも、夜の街に働く者に色々と事情があることくらい知っているはずでしょ。真紀子ママは由佳里をそっとしておいて欲しいだけです」

「わからんな。なんで由佳里だけ特別なんや?」

「それは……」

 ゲラ子のまなざしが私を射ぬいた。

「それは、なにや?」

「由佳里がママの子だから」

「なに……」

 晴天の霹靂(へきれき)だった。言葉を失った。

「由佳里がお母さんと呼んでいる人は、育ての親なんです。清子(せいこ)ちゃんと由佳里は姉妹です。由佳里が乳飲み子のときに清子ちゃんが重い病気にかかってしまって、清子ちゃん一人看るのが精いっぱいだった真紀子ママは由佳里を手放したんです。苦渋の選択だったと思いますが、女ひとりで重病の子どもを背負うというのは仕方のないことです。それがまったく偶然にふたりは再会。そのあとはゆうさんも知ってのとおりです」

「まさか……」

『托卵小景』に書かれていた事実がひとつ違うといった由佳里の言葉の意味がようやくわかった。あの真紀子をモデルにした由紀子の娘は聖依子(清子)ひとりでなく二人だったのである。自分が登場しない小説を由佳里はどんな思いで読んだのであろう。胸がシクシクと痛んだ。

「知らなくて当然です。無理もないですよ。私以外は誰も知らないんだから」

 ゲラ子は食事の手をとめ、珈琲を飲んだ。

「由佳里はその事実を知ってるんか?」

「当然です。だって私が由佳里から聞いた話しですもの。ママはなにも語りませんでしたが、真相を問うと首を縦にふりました。

「親子なら、親子の名のりをすればよかっただろうに」

 私はそういうのが精いっぱいだった。

「人生いろいろ、この続きはまたあとで」

 ゲラ子は、私と自分のカップを取り上げた。

「珈琲のおかわりをしてきます」

 ゲラ子は席を立ち、締まったお尻を振りながらドリンクバーに向かった。


 海側にあるファミレスを出て、地下道をくぐり国道交差点を駅方面(山側)に向かった。ゲラ子は一言も話さず歩く。薄暗く狭い通路に温泉マークの落書き。チューハイの空き缶に焼酎の空きビンが散乱している。夜の街のあのきらびやかな光景の影を見たような気分がした。由佳里の事実を知った驚きがまだ続いている。打ちのめされたような衝撃で足がやたらと重かった。

 地上に出ると、ゲラ子は繁華街のアーケードがあるほうへ左折した。ちいさな酒場がところ狭しと(のき)を並べている。化粧がはげたような朝の盛り場はどこかやつれていてさびしい。

 しばらく行くと、ピンクの看板がやたらと目だつ路地に入った。温泉町につきもののソープ街である。女の子の写真が貼られた看板もある。広告に目を奪われていると忽然(こつぜん)とお寺のような立派な建造物があらわれた。かなりの格式と歴史を感じさせた。

「これは?」

 私はゲラ子の背に向かって言った。

「別府で一番有名な(たけ)(がわら)温泉よ」

 ゲラ子がいくぶん胸を張っているように見えた。

「明治時代に建造されたらしいの。当時、竹屋根瓦をつかっていたから、そう呼ばれていたみたい」

 ゲラ子はボランティアの街ガイドみたいに饒舌(じょうぜつ)に名所を紹介した。

「入湯料は、なんぼや」

「百円よ」

「百円! めっちゃ安いなぁ」

「別府温泉のほとんどは市営だから、一律百円。気軽にお風呂を利用できるので町の人は大助かりよね」

「ほんまやの。ゲラ子は入ったことあるんか」

「由佳里も私もまだない。由佳里と知り合った頃、午後風呂が始まる時間によくふたりでここのベンチに座って、しあわせそうな家族連れやカップルをながめてたよ」

「なんでやねん。百円で入れるのに」

「風呂の入口に向かうこの石段が、私たちにとって万里の道やった」

 ゲラ子は意味不明な事を言った。そして冷たいベンチに腰をおろした。

「ゆうさん、北浜一丁目、一番地は、そこの商店街からもう少し先、以前、ストリップ劇場があったんやけど、今は廃館になってます。由佳里はその近くに住んでいたの」

「そうか。えらいにぎやかなところやな」

「夜はね。朝昼は別世界。私の顔とおなじで見られたものやない」

 ゲラ子は謙遜(けんそん)して言った。

「そんなことあらへん。ゲラ子は今も十分すぎるくらいキレイやで」

 私はそう言って、ゲラ子の横に腰をおろした。

「さすがは放浪の酒場作家ゆうさんね。女をおだてるのがうまい」

自信をもって『女』といったゲラ子の顔は本当に美しかった。

「まずはわたしの話からするね」

「お前たちの関係が、ごちゃごちゃしてて、正直、ようわからん。全部話してええという真紀子ママの許しがあるのやろ」

「わたしは日本人のお父さんと韓国人のお母さんとの間に生まれたハーフです。生まれは博多。男の子として生まれたのだけど見てのとおり。女の子になりたくて、両親には何もいわず家出をして神戸に。なんでもいいから仕事を探していたら、ジャズクラブの仕事があったの。そこで裏方の仕事をしていた頃に真紀子ママに知りあって、北新地にある有名なショーパブを紹介してもらった。そこでがんばって、女になるためのホルモン注射や形成手術の費用をつくったわ。あの頃は夢を実現するために必死だったなぁ」

 すこしうつむいたゲラ子の横顔を見て私は彼女が心まで健気な女性であると確信した。

「ゲラ子のあるいてきた道もけわしいの……」

 私はためいきをつくと煙草に火をつけた。寒空に煙草の煙がまっすぐのびていく。朝日を受けてゲラ子の黒髪がキラキラと輝いていた。

「それから店を出したくてママに相談したら、いずれは九州に帰りたいといっていた私のために別府の今の店を紹介してくれたの」

「真紀子ママはゲラ子にえらく応援してくれるもんやな。なんか特別な関係でもあるんか」

「いややな、ゆうさん。なんにもないよ」

「いやすまん。そんな意味と違うんや」

 私はあわてて煙草の火をもみ消した。

「真紀子ママは、『うちは一生懸命働く人が好きや。文句を言わず黙々と汗を流す。そういう人は人を裏切ることはない。夢を実現するというのはそういうことよ』が口癖で、私のまっすぐな性格が気に入ってくれたみたい」

 ゲラ子は顔をあげて微笑した。

「いつかは博多に帰りたいと思っているけど、今は別府で頑張っています。別府には清子ちゃんの病院もあったので、以前からママも神戸と別府を行き来していました」

「そんなことやったんか」

 真紀子とは長いつきあいだったが、プライベートなことは、ほとんど知らなかった。それが大人のつきあいというものである。

「由佳里と知り合ったのは、私の店に由佳里がお客さんとして来てくれたのが最初。よく朝まで飲み明かしたわ。由佳里の育ての親は『花電車のチヨさん』といって、あの劇場の踊り子として数十年前は一世を風靡(ふうび)していたらしいの」

「踊り子いうて、ヌード劇場のストリッパーか?」

「そうよ。由佳里の仮親になってくれたのは北九州に住む裕福な資産家だったんだけど、後妻に入った人が流れ者の踊り子だったの。結局、その女性と仮親だったお父さんが離婚。事情はくわしくわからないけど由佳里は家を出て、その義理の母親と暮らす羽目になったわけ」

「それは、あんまりやなぁ」

 二度も親から棄てられる由佳里の運命は過酷過ぎる。

「真紀子ママと由佳里が再会したのはまったくの偶然です。別府でできた一番の親友として、ママに由佳里を紹介したの。由佳里の身の上を聞いてお互い言葉がなかった。その頃、由佳里はデリヘル(出張ソープ)やソープランドの仕事をしてたものだから、ママは悲しんで、悲しんで。今もあの時のママの泣き叫ぶ姿は目に焼きついて離れない」

 思わず、絶句した。真紀子の号泣する姿が脳裏に浮かんだ。

「ゆうさん?」

 黙って天を見あげる私をゲラ子はいぶかしがった。

「だいじょうぶや。煙が目にしみただけや」

 一筋の涙が私の頬を流れ落ちていた。

「ゆうさん、わたしはこのとおり、親からもらった身体をつくりかえた不孝者です。由佳里は十代で身体を売っていた苦労人です。この立派な温泉は当時の二人にしてみれば天国のように美しいところやったの。いつかきっと成功してこの美しい風呂に入ろうと由佳里と誓いあっていたのよ」

 ゲラ子は笑顔で言った。

 夢や希望は見えない明日にある。つらく苦しい明日にある。生きる覚悟のない明日は夢や希望を運んでは来ない。

「ゆうさん、ところで『花電車』って、どういう意味なの?」

「知りたいか」

「はい」

 ゲラ子はうなずいてから私の顔をみた。

「花電車というのは、台車に乗った裸の女の人を花で飾ってステージの上を回るんや。花電車は、花は積むけど、人は乗せない。そういう踊り子のプライド、覚悟のようなものや」

 話していて胸がつまった。温泉町で生きる湯女の過酷な生きざまを身近な人々によって知らされることになろうとは思いもよらなかった。

「さすが、ゆうさん、なんでもよく知っていますね。真紀子ママが言っていたとおり」

「つまらん雑学や」

「い~え。勉強になります。それより劇場へ行ってみますか」

「いや。もうええわ。ゲラ子の話でようわかた。ところで由佳里は今どこにおるんや?」

(かん)(なわ)の貸間で暮らしてます」

「貸間というのは、湯治客が使う温泉宿のことか」

「そうです。ホテルにすればといつもいうのですけど、由佳里はお義母さんと貸間暮らしていた頃を思い出すので、鉄輪がいいといって聞きません。その由佳里のお義母さんは今、重度の痴呆症のために介護施設に入っているんです。時々、怪我や事故を起こすことがあって、その都度、神戸からこちらに帰ってきています」

 由佳里が時々神戸から消えて雲隠れするのはお義母さんの看護のためだったのだ。

「別府にいるときは、昼はお義母さんの介護補助、夜はわたしの店を手伝ってくれています。ゆうさんがこっちへ来ていることは言っていませんので、今夜も午後八時には店に出てくるはずです」

「そうなんか。その介護施設までここから遠いか?」

「車で三十分くらいです」

 私はこれからどうすればよいのか思案した。介護施設にのこのこ見舞いに行くわけにはいかず、佐希子ママから由佳里を連れ戻してほしいと頼まれている手前、このまま何もせず帰るわけにもいかない。かといってすべてを知った今、由佳里に会う私の覚悟そのものが揺らいでいる。

「ゲラ子、俺の宿はどこや?」

「駅前のビジネスホテルにしようと思っています。フロントに知り合いがいるのでチェックインの時間はどうにでもなります」

「まだ、朝やけど、こんな時間でもええんか」

「昨日から部屋をおさえていますからOKです」

「そうしたらホテルまで案内してくれるか? これからのスケジュール考えるさかい。ゲラ子も自分のことがあるやろうから、そこまででええわ。電話番号教えてくれ。きまったらこっちから電話する」

 船でゆっくり休めなかったこともあって身体がずいぶん重かった。横になりたい気分だった。

「わかりました。せっかくだから、花電車のチヨさんが活躍した劇場の前を通って行きましょう」

 ゲラ子は立ちあがると、私の手を引いた。白く細い指はやわらかくて温かだった。


                               〈この章 了〉



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