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最終章 母子の暦.

最終章 母子の暦


 廃館になっている劇場の前を通り、駅前のホテルまでたどりついた。

「ゆうさん、ここで待っててください」

 ゲラ子は私をロビーのソファーに腰掛けさせ、自分はカウンターのフロント係と、私の予約チェックをしているようだった。

 愛する人を追い求め、探偵気取りで事件を解決するつもりであったが、ゲラ子の話で、私の別府までの渡航は、ほぼ無意味なものとなった。

 母子の哀しい物語を聞かされたショックで、立ち直れないほど気分が沈んでいた。神戸で待っている真紀子に会わせる顔もない。きっと無神経な私の行動を責めるに違いない。詫びて済まされようか……。

 ふたりの娘の厳冬のような過酷な人生を考えると、浮かれ気分の自分が阿呆のように思えた。

(清子ちゃんはどうなったのか?)

 ゲラ子の話では今の清子ちゃんが登場しなかった。

「ゆうさん、チェックイン、OKです」

 ゲラ子が戻ってきた。

「おおきに。ゲラ子、ひとつ聞き忘れたことがあるんやけどな」

「なんですか?」

「由佳里の姉の清子ちゃんは今、どうしてるんや」

「……」

 ゲラ子から笑顔が消えた。

「清子ちゃんは施設で亡くなりました」

「由佳里は清子ちゃんに会えたんか?」

「いえ、会えませんでした。由佳里が真紀子ママに再会した時、清子ちゃんはすでに亡くなっていました。まあ、亡くなる前の清子ちゃんは面会者が誰なのかわかる状態でなかったですけど……」

 ダメをおされて私は深沈(しんちん)した。


 私は部屋で少し休んだ後、フェリーで風呂を使わなかったので、シャワーを浴びて着替えをした。ベッドで横になると睡魔がすさまじい勢いで攻めてきた。私は不覚にも熟睡した。

 由佳里が養母と暮らした貧しく厳しい日々が、モノクロフィルムの映画となって私の夢の中で放映されていた。養母が病に倒れてから、由佳里は身を削って暮らしをささえてきたのである。真紀子との再会も言葉にできぬほど切なかったにちがいない。


 ケイタイが鳴った。


「もしもし、ゆうさん?」

「おう、ゲラ子か」

「もう6時になりますよ、大丈夫ですか」

「こらあかん。すまんすまん。ほぼ半日、眠ってたなぁ……俺としたことが」

「疲れていたんでしょう。夕食はどうしますか、というより昼も食べていないでしょ」

「そうやなぁ。とりあえず、ゲラ子の店に連れて行ってくれるか」

「それはいいですけど、食べるものがないですよ」

 ゲラ子がすまなさそうに言った。

「近くになんかあるやろ」

「鮨屋かラーメン屋くらいやね。少し離れた所に大衆居酒屋がありますけど」

「鮨屋に行こう。それがええ。決まりや」

 食い物の話しをしているうちに腹がすいてきた。九州のネタのよい鮨が食べたくなった。

「ちょっと、値がはる店ですけどいいですか」

「かめへん、かめへん。心配いらん。俺がおごるさかい」

「それじゃ、先に行って待っています」


 ゲラ子から聞いた鮨屋の名前をフロントで聞くと、迷わず道順を教えてくれた。界隈ではちょっとした名店であった。

 暖簾をわけると、カウンターにゲラ子がひとり。

「いらっしゃい!」

 板場から気合の入った声が聞こえてきた。

「ゆうさん、カウンターでいいですか。お座敷もありますけど」

 ライトピンクのスリーピーススーツに着替えてきたゲラ子は、ナイトクラブのママも顔負けの品格があった。

「ゲラ子、野暮はいいなさんな。鮨はカウンターで食べるもんや。座敷に運んできて食べるもんやない」

「そうなんですか」

「そうや。このネタケースを見ながら好きなもんを注文したらええんや」

「わたしは、魚がよく分からないから注文しきらないです」

 ゲラ子は素直に通でないことを告白した。

「知らんでもええんや。聞けばええ。まあ、最初は白身をいくのが定石かな。大将、今日、白身はなにがええ」

 私は先客の鮨を握っている板前に聞いた。

「へい。今日はヒラメがいいですよ。刺身にしますか、握りますか?」

「そうやな。刺身をふたつしてくれるか。それにビール」

「へい、承知」

 しばらくしてビールと刺身が運ばれてきた。

「乾杯や!」

 ふたりでグラスをあわせた。

「ゆうさん、ごちそうになります」

 ゲラ子が恐縮して言った。

「かめへん、かめへん。気をつかわんでええ。俺ひとりで食ってもおいしゅうないし、今朝からずっとゲラ子には世話になったさかいな」

「そんなことないですよ。お昼もお世話するつもりでいましたから」

「いや、ほんますまんことをした。話したくもない自分や友人の過去を洗いざらい話してくれて、申し訳ないと思うてる」

「いいえ。お話しすることは真紀子ママから許しをもらっていましたから、私は特別、気にしてはいません。それより、由佳里がいつもゆうさんのことを話していたので、私も一度ゆうさんに会いたいと思っていました。どんな人なのか興味津々で」

「加齢臭ばりばりのただのおっちゃんや。期待もたせて悪かったな」

「いえ、思っていたとおりの人でした。由佳里が惚れるはずです」

 そういうとゲラ子はビールを飲み干した。

「由佳里が俺を? それはないやろ」

「これはマジの話です。由佳里はゆうさんが好きだと何度も言いました。でも最近になって……」

「最近になって、どないした?」

 私は口を閉ざしたゲラ子のグラスにビールをそそいだ。

「じつは、由佳里が読んだゆうさんの小説の主人公とスナックのママが恋中の設定になっているのが、ゆうさんと由佳里の生みの親である真紀子ママに違いないと思い込んで、ショックを受けたみたい。それに姉の清子(聖依子)は登場するのに自分はその存在すら書かれていない。由佳里はあまり愚痴をいわない子だったけど、今回はちょっとこたえたみたいだった」

 ゲラ子は由佳里への同情心から物憂げな表情をみせた。

「十年前に書いた『托卵小景1985』のことやな。たしかに真紀子ママをモデルにさせてもらったのは事実やけど、真紀子の家族のことを書きたいんじゃなくて、主人公と酒場のママ、お互いそれぞれの子どもを幸せにできなかったという悲劇を描きたかったんや。それにしても実存する人々を混乱させた罪は深いな。情けないけど作家としては失格」

「う~ん、でも、ゆうさんがこの別府まで会いに来てくれたのは、由佳里、きっとよろこぶと思うけどね」

「そんなもんかの。俺は正直、ようわからんようになってしもうた。この話しはここまでや。ゲラ子、今から握ってもらうさかい、しっかり食えよ」

「ガッテンです!」

 それからしばらく、ふたりでにぎりのフルコースをたいらげた。

「もうだめ、ゆうさん。これ以上は……」

「そうか。もう食えんか。ほな、ゲラ子の店へ行くか」

「承知しました」

 ゲラ子に連れられ、鮨屋を出た。


 別府北浜・新宮通り スナック『友達の詩』


 ゲラ子の城は、カウンターだけのこじんまりとした店だった。壁面すべて鏡張りの異次元を感じさせる少しばかり異様な内装だった。カウンターの両端に置いてあるカサブランカと胡蝶蘭が、鏡に反射して店中に咲き乱れたように写っている。

「ゆうさん、何にします?」

「スコッチのロックをくれ」

 ゲラ子が手際よくマッカランの12年ものをダブルでつくってくれた。

「ゆうさんがそこに坐っていたら、由佳里きっと驚くだろうな。ママからは会わせるなといわれたけど、ゆうさん、今夜は由佳里に会ってやってください」

 ゲラ子はそういって、メンソールの細巻き煙草に火をつけた。

「お前が真紀子から叱られるのはちょっとな」

「いいですよ。私はママから叱られるようなことは今まで一度もしたことはないんですから」

 煙草をふかすゲラ子の顔が魅惑的だった。

「そうや。ゲラ子、煙草がきれたんや。買ってきてくれるか」

「銘柄は?」

「これや。私は残り少なくなっていたジタンをカウンターの上に置いた。

「ジタンやね。置いてるかな」

 ゲラ子が首をひねった。

「なかったらマルボロでええ」

「わかりました。ゆうさん、ひとりになるけど、いいですか?」

「かめへん。俺が留守番してるさかい」

「それじゃ、おねがいします。由佳里ももうすぐ出てきますから」

 ゲラ子はコートを羽織り、店を飛び出して行った。

 私はあらかじめ用意してあった無地の白封筒をジャケットの内ポケットから取り出し、『御礼』と書いて1万円札を三枚、その中にしのばせた。そして神戸から持ってきた由佳里のGucciのドレスウオッチを、その封筒の上に置いた。

(由佳里、しあわせになれよ)

 私はそうつぶやいて、店を出た。

 やよい銀天街から駅前通りに出て、JRの別府駅をめざした。今から上りの特急で小倉まで出て、新幹線に乗りかえれば、神戸に帰ることができる。

 私はミユキのケイタイに電話を入れた。

「あ~らまあ、ゆうさん、異国からなにごと?」

 いつものあっけらかんとしたミユキの声が聞こえてきた。

「まるであの世から電話してるみたいにいうな」

 沈んでいた気分が少し高揚した。

「酔いどれゆうさん、女とともに失楽園へ。三宮では今、もっぱらそんなうわさ話でもちきりやで。北野坂に帰ってきたら、パパラッチか文春に追いかけられるのまちがいなしや」

 ミユキは嬉しそうに言った。笑顔が目に浮かんだ。

「なにをアホいうとんや」

「冗談ちゃうで。ほんまの話や。それよりどないしたん、急に電話してきて」

「ちょっとお前に大事な話があるんや。今から神戸に帰るさかい、『踊り子』で待っててくれんか。約束どおり俺が御馳走するさかい」

「つきあうのはええけど。その大事な話って、なんなん? 気になるな」

「聞きたいか」

「うん」

「このあいだ、おまえと朝まで飲んだ夜のことやけど、お前、あの日、いやらしいリボンのついたピンクのパンツはいてたやろ?」

「ギャーッ、やっぱ、ゆうさん、うちのパンツ見たんや。この助べえじじい、知らん顔してたくせに」

「あんなに大股ひろげてひっくりこけたら、見とうなくても見えるわい。お前はだいたいクラブやのうてヨシモトに出たらええんや」

「いらんお世話です。それにしてもショックやな……でも、ゆうさんやったら見られてもええわ。ここだけの話やけど今日のパンツはもっとかわいいで。いや、ゆうさんに会えるんやったら勝負パンツに着替えとくわ。北野坂で待ってるさかい、気をつけて帰ってきいや」

「おおきにミユキ。今夜は覚悟しときや。家には帰さんで」

「よろこんで」

 そういってミユキは電話を切った。

 私は煙草に火をつけた。紫色をした煙が、夜空に大きな温泉マークを描いていた。


                                      (おわり)


酔いどれゆうさんの酒夢・散歩におつきあいくださいましてありがとうございました。

年明けに続編を連載したいと考えています。ご期待ください。

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