姫騎士とバウムクーヘン
女神様からお願いを受けた翌日、普段は休日であれば惰眠を貪っているところだが、今日は平日と同じ時間帯に起床していた。
なんせ今日の午前9時には異世界からお客さんが来るって言うんだから、それなりの準備っていうものがある。昨日のうちにやっとけ?俺は明日出来ることは明日するタイプなんだ。
というわけで、平日と変わらぬ時間に起きた俺は、一週間のうちに溜まった洗濯物やら、部屋の掃除やら、来客用の布団を干したりやらこなしていった。そうこうしていると、あっという間に9時5分前になった。
あくせく準備している間はよかったが、それらも終わると途端に不安になってくる。
ムキムキなのかガリなのか、というかそもそも男なのか女なのかとか、為人を全く聞いていなかったことに、今更気が付いたのだ。何が仕事内容の把握は社会人として重要なことであるからして、だ。昨日の俺に文句の一つでも言いたい気分であるが、そわそわしているうちに刻限が来てしまった。
……おかしい、来ないぞ。
リビングの椅子に腰掛けて待っていたが、かれこれ5分は過ぎている。あのどこかボケっとしながらも仕事ができる女神様が時間を間違えるだろうか?
というか、どうやって来るのかも聞いてなかったな。
リビングに転送されてくるのか。
まさか空から落ちてくるパターンで見逃したか?とかアホなことを考えつく位には大分落ち着きを取り戻してきた俺の耳に、規則的な小さい音が届いた。トントントン、と。
「あん?」
そして、少しの間をおいて、またトントントン。
「うっそ、まじか!」
これはきっとノックの音だろう。
玄関から来るパターンだったようで、というか、異世界で日本ほど文明が進んでないって女神様言ってたじゃん!だとしたら、インターホンの使い方なんて分からないだろうし、そりゃノックするわな。もしかして5分ずっとノックしてたんだろうか。
申し訳ない気持ちになりながら、慌てて玄関に向かう。
「ごめん、お待たせ!」
そう言いながら玄関のドアを開け放つと、そこに居たのは。
「うむ、こちらも急に押し掛けた身だ。気にしないでくれ」
金髪碧眼の、白を基調としたドレスに要所要所を保護するプレートアーマーを身に付け、腰には豪奢な剣を提げた、美人と言うべきか可愛いと言うべきか、いやもうとにかく姫騎士だった。
「お、おう」
そんな彼女への返事は何とも気の抜けたものだった。
「あ、とりあえず中にドゾ」
いつまでもマンションの共用廊下に立たせておくわけにいかない。こんな目立つ格好でご近所さんの目に触れたらと思うと色々と小っ恥ずかしい。最悪、どんなプレイだよ、とか思われてしまう。そうなったら俺のご近所さんの地位が地に落ちてしまう。
「ああ、邪魔するぞ」
一先ずリビングに通そうとするが、そのままズカズカと土足であがって行きそうになるのを慌てて止める。
「あ、ちょっ、靴は脱いで」
「む……?ほほう、そういう文化なのだな」
玄関に並ぶ俺の革靴を見て、1人納得したらしい姫騎士さん。平民の意見なぞ聞かぬわ!な人じゃなくて助かった。
「うん、そうそう、家の中でまで靴履いてたら疲れちゃうじゃん」
などと、いい加減なことを言いながら、カチャカチャと靴(具足とでも言うのか?)を脱ごうとしているのをただ待つのも気まずいので。
「俺、お茶淹れてるから、脱ぎ終わったらあっちに来て」
「ああ、了解した」
数分後の俺に全てを丸投げして逃げ出すことにした。
「粗茶ですが」
とりあえずインスタントの紅茶と、茶菓子としてバウムクーヘンを用意した。
「かたじけない」
そう言いつつ、姫騎士の視線は部屋のあちらこちらを行き来している。部屋そのものや、置いてあるあれやこれやが珍しいのだろう。
ひとしきり見終わると、紅茶とこちらにチラチラと視線を向けてくる。一体なんだろうか。あ、俺が飲まないと飲みにくいのか?
試しに一口飲んでみると、姫騎士は少しホッとした様子で紅茶を飲み始めた。
「…美味しい」
「そりゃよかった」
インスタントだけどな。お口に合ったようで何よりだ。ちゃんとした紅茶の淹れ方なんてわからないからな。
ただ、こうやって何時までもお見合いを続けるわけにはいかない。ここは年長者としてリードしていくべき場所だろう。ここは俺のホームだしな。
「一息ついたところで、まずは自己紹介しようか。俺は藤倉玲だ。ファミリーネームが藤倉で玲が名前」
「この立派な建物といい、家名といい貴殿は貴族なのか?」
そう言いながら、姫騎士はバウムクーヘンを口へ運ぶと、目を丸くしていた。美味かったんだろう、食べ終わった後は俺の手元にあるバウムクーヘンへと視線を注いでいた。
「いんや、この世界では大体の人が家名を持ってるよ。それとこの建物は俺のじゃない。この部屋を借りてるだけだ」
「ふむ…」
思案げなことを呟くが、視線は相変わらずバウムクーヘンに釘付けだ。
恐らくだが、この姫騎士の世界では平民は家名、苗字を持たないんだろうな。まあ、それは今はどうでもいい。視線を姫騎士へと向けると、俺の意図を察したのだろう、一つ頷くと口を開いた。
「私の名はシルフィナ・ストラシア。ストラシア公爵の娘で、騎士をやっていた。よろしく頼む」
そう言ってぺこりと頭を下げるシルフィナはホンマもんの姫騎士だった。すごい、姫騎士なんて初めて見た。当たり前だ。
「こちらこそ、よろしく。まあ詳しい話は追々していこう」
俺はそう言うと、またもやシルフィナに熱視線を注がれた手元のバウムクーヘンを差し出した。
「む、いいのか?」
「そんな物欲しそうな顔をしながら言うセリフじゃないぞ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
頬を僅かに染め、だけれど嬉しそうな笑みを浮かべる腹ペコ系姫騎士に、俺は苦笑を浮かべるのだった。
気がつけば、当初抱えていた不安も何処かへと飛んで行ってしまったようだ。
ゆるく続きます。