姫騎士とおこづかい
「シルフィー」
「なんだー?」
シルフィに声を掛けたが、ヤツは人を堕落させるクッションに横になり、完全に堕落している。ちょっとやそっとでは起き上がりそうにない。
「ちょっとこっちこい」
「なんでだー?」
「いいものをやろう」
「いいもの? バウムクーヘンか? 仮面バイカーグッズか?」
いいもの、という単語に反応して起き上がったシルフィは、リビングのテーブルに接近してくる。いいものの選択肢に、仮面バイカーグッズが増えたのは先日の件があるからだろう。だが、今日はそれ以上にいいものだ。
「もっといいものだ。ほれ」
そう言って、俺は財布から一万円札を取り出し、テーブルに置いた。
「いちまんえん……一万円!」
シルフィは一万円札を手に取り、驚きに目を見開いている。
「い、いいのか!? 大金だぞ!」
「おう。毎月末、一万円をお小遣いにやる。生活必需品以外の物は、それでやり繰りして買え」
世間一般の女子高生が一体幾らのお小遣いを貰っているのか知らないが、これだけあれば充分だろう。一万円が大金だと言う金銭的価値ができたんだ。ちょっと多い気がしなくもないが、価値が分かった今、決して無駄にはしないだろう。ちょっと負担が増えるが、その分酒を飲む回数を減らせば問題ない。
「ありがとう! 大事に使うからな! ……これだけあればバウムクーヘンが沢山買えるぞ。いや、仮面バイカーアクションフィギュアも捨てがたい……」
ちょっと心配だが、あげた小遣いの使い道にまで口を出すつもりはない。……よっぽど変な物に使おうとしない限りは。
「そうそう。ついでにこれも渡しとく」
そう言って、俺は足元の紙袋を拾い上げ、中の包装紙に包まれた箱を取り出してシルフィに渡す。
「このサイズに重量感……もしや、仮面バイカーBUSHIDO銭投げセットか!?」
「ある意味惜しいな」
包装紙に包まれた物は全部仮面バイカーに繋げるシルフィに、苦笑を禁じ得ない。包装紙をむしり取っていくシルフィを眺め、どんな反応をするか、ちょっと楽しみだ。
やがてむしり終えた後に出てきた箱から、シルフィは中身を取り出した。
「これは、財布か?」
シルフィの手にあるのは、淡いピンク色の二つ折りの財布だった。
「金だけ持ち歩くのは、ちょっと不格好だろうからな」
世の中には財布は持たず、ポケットに金を突っ込んで済ませる人もいるらしいが。何となく、シルフィにはそうなって欲しくない。
「そうか……。ありがとう」
バウムクーヘンでもないし、仮面バイカーグッズでもなかったが、どうやら喜んでくれたらしい。ニコニコしながら、早速、一万円札を財布の中へとしまっていた。
「なあなあ、今日は買い物に行かないのか?」
「うーん。昨日、仕事帰りに買ってきたばかりだからなぁ」
食材が切れかかったので、ちょうど昨日、買い足したばかりだった。財布を手に入れたら、使いたくなったのだろう。新しいおもちゃが手に入ったら、すぐ遊びたくなる理論である。気持ちはすごく分かる。俺も帰りの車の中で、買ってもらったばかりのゲームの取扱説明書を読んだ覚えがあるからな。
「なんなら、これから買い物に行ってくるか? 一人で」
「え、いいのか?」
「ああ。もう一人で行っても大丈夫だろ。それと、行くならスーパーにしとけ」
俺の言葉を聞いたシルフィは、すごいニンマリしている。よっぽど買い物に行きたかったらしい。それとあえて、スーパーに行かせるようにした。
「じゃあ行ってくる!」
「歩いて行けよ」
「分かってる! 行ってくる!」
返事もそこそこに、シルフィは部屋から鞄を持ち出すと、その中に財布を突っ込み出かけて行った。因みに、一人の時の自転車は、まだ許可していない。
期せずしてシルフィの初めての買い物が始まったわけだが、ぶっちゃけ心配だ。もう一人でも大丈夫だろ、なんて言ってしまったが、シルフィに何かあったらと思うと不安で仕方ない。何かあっても、アイツなら全て叩き潰しそうではあるが。
「……行くか」
俺は陰ながらシルフィを見守ることにした。決してストーカーではない。断じて違う。
シルフィが家を出た後、時間差で俺も家を出た。エレベーターは使わずに階段を駆け下りる。マンションの敷地の外に出たら、一定の距離を開けて追った。
俺の心を知ってか知らずか、肩から鞄を提げ、シルフィは意気揚々と前を歩いている。歩いているのは、いつもスーパーに買い物に行く時の道だ。ゆっくり歩いても、10分掛かるか掛からない程度の短い距離である。その短い距離でも心配で堪らない俺は、暴走した車に轢かれるんじゃないかとか、ひたすらハラハラと見守っていたが、結局は特に何も起こらず、シルフィは無事にスーパーに辿り着いた。
しかし、安心するにはまだ早い。万引きGメンに万引犯と勘違いされる可能性が捨て切れない。シルフィが中に入ったのを確認すると、時間差で俺もスーパーへと足を踏み入れた。
スーパーは休日ということもあってか、それなりに混んでいた。シルフィの姿は見えないが、居場所の見当はつく。シルフィは最近、スーパーに着くとお菓子コーナーに直行するようになったからな。
早速向かうと、やはりいた。買い物カゴに一口バウムクーヘンの大袋を、シルフィはこれでもかとばかりに放り込んでいた。買い過ぎだろ……。いっぱいになったカゴを見て満足したのか、お菓子コーナーから離れようとしている。これまた見つからないように、少しだけ距離を離してから俺も後を追う。
お菓子コーナーの棚を曲がったところで、俺も同じく曲がったのだが。
「あ、れ?」
いない。少し開けた通路で、そこそこ見通しが良い場所なので、見落とすことはなさそうなんだが。隣の棚を見ても、いない。少し混んでても、シルフィの綺麗な金髪は目立つから、早々見逃すことなんてない。
このまま探し回って、逆にシルフィに見つかるのはマズイので、諦めて帰ることにした。俺はとぼとぼと家に向かった。
「あれ?」
家に着くと、何故か鍵が開いていた。出る時、鍵はちゃんと閉めたと思ったんだが、勘違いしたのだろうか。ドアを引いて開け、家の中に入る。靴を脱いで短い廊下を歩き、誰もいないはずのリビングに入ると、そこには腕を組んで仁王立ちしたシルフィがいた。え、何で?
「何か申し開きはあるか?」
「は? え?」
言ってる意味が分からなかった。あれ、俺って何かやらかしたっけ。つーか、シルフィの方が先に家に着くとか、どうなってんだ。
「一人で買い物しても大丈夫だろう、と言ったのはレイではないか。それなのに、何故コソコソと私を尾ける様なことをした」
なるほど、俺の拙い尾行はバレバレだったらしい。それでシルフィはおかんむり、と。この際、何でシルフィの方が帰りが早いんだとか、どうでもいいだろう。
「そんなに私は信用がないのか?」
整った眉を、気持ちハの字にして、少し悲しそうな顔をしている。信用がないかどうかで言うと、うん、ノーコメントで。
「いや、悪い。シルフィに何かあったらと思ったら、心配で、つい」
コメントを控えたい部分はあるけれど、心配をしていたのは事実なので、そこだけはしっかり伝える。すると、今度は口角がピクピクしだした。頰もほんのりと朱が差している。察するに、俺の心配発言が思いの外嬉しかったらしい。上がる口角を必死に抑えようとしているが、バレバレだ。
「そ、そうか。それならば、いい。それよりもだ。コレをやる」
そう言いながら出したのは、直方体の形をした箱だった。ご丁寧に、包装紙に包まれている。
「これは……。開けてもいいか?」
「もちろんだ」
丁寧に包みを剥がしていくと、中の箱が見えてくる。この箱には見覚えがある。何故なら、俺も良く知る、と言うか良く飲む酒の外箱だからだ。
「『奏』じゃないか……」
箱から、特徴的な形をした瓶を取り出す。琥珀色の液体が瓶に反射し、とても幻想的である。
「レイには普段から世話になってばかりだからな。もらった金でお返しをするのは、ちょっと違う気もするが……。その、私からの感謝の気持ちだ」
決して安い酒ではない。あのスーパーでは、高い部類の酒だろう。それでも、俺がたまに夜に飲んでいるのを見て、俺が好きな酒だと知って、俺に贈ってくれたのだろう。
「……ありがとう。大切に飲むよ」
だから、俺は素直に礼を言った。純粋に嬉しかったからな。頭をポンと軽く撫でてやると、今度は隠そうともせずに、シルフィは嬉しそうに目を細めた。
この際、テーブルの上に大量に積まれている一口バウムクーヘンの大袋には突っ込まないでやろうと思う。
余談だが、スーパーではお菓子コーナーから移動した際に、全力で俺を撒いたらしい。曰く、幻を見せるくらい訳ないと。そんで、先回りして帰ってきたと。大量の荷物に加えて俺より先に家に着くとか、シルフィの身体能力は底がしれない。
更に余談だが、未成年だというのに何故酒が買えたかと言うと、贈答用ということでお目溢ししてくれたらしい。危険を冒してシルフィに酒を売ってくれたスーパーに、お礼方々レシートを持って行ったら返品だと思われた。プレゼントを返品するなんて、というような目で見られてしまった。解せぬ。
 




