姫騎士と料理
「私も家事を手伝おうと思う」
休日の朝、飯を食べ終えたところでグッと拳を握りながら、シルフィはそう宣言したのだった。
「一体全体、どういう風の吹き回しだ?」
今まで、食うか寝るか、仮面バイカーのDVDを観るか、勉強しかしてこなかったのに。あ、買い物には付いてきてたか。手伝いをしようという気配は微塵も感じられなかった。とりあえず、いい傾向だから話を聞く分には問題あるまい。食器を片しに腰を浮かしかけてたが、イスに座りなおす。
「うむ、家族はみんなで助け合いながら暮らす、と言うのを知ってな。いつもレイには世話をかけてばかりだと、そう思い至ったのだ」
おお、良い事言うじゃないか。しかし一体何が、そんな殊勝な精神をシルフィに植え付けたのか。それには感謝をしなければなるまい。
「なるほどな。休日はともかく、平日は仕事で疲れてるからな。そう言ってもらえると助かる」
「ふふん、やはりな。助け合いは大事だと、仮面バイカーのムサシが言ってからな」
……まあ、何に影響を受けようと、今回は良い方向に向かったからな、感謝しなければ。
「ところで、シルフィ。お前、家事はした事はあるのか?」
「全くないぞ」
腰に手を当て、胸を張りながら言う。そんなに自慢気に言う事じゃない。
「私は公爵家の人間だからな。そう言った事は身の回りの人間がしていた」
ふむ、シルフィとしても、やってもらって当然な環境に居たからこそ、今まで疑問に思わずに過ごしてきたんだろう。それに気が付いた所は、褒めてやるべきだな。
「よし、じゃあ早速洗い物からするぞ」
「うむ、任せろ」
こうして、シルフィに家事の仕込みを始めるのだった。一度も家事をした事がないなんて、不安以外の何物もなかったが、それは杞憂に終わった。洗い物にしろ、洗濯にしろ、掃除にしろ、お手本でやり方を見せたら、ぎこちないながらもこなす事ができたのだ。
家財が破壊されまくる事を考えると、不器用系姫騎士でなくて本当に安心した。
教えながらやっていたせいもあるのだろう、いつもより時間がかかり、あっという間に昼になってしまった。
「もう昼か。今日は何が食べたい?」
豚の生姜焼きを作ってから、俺のレパートリーもそこそこ増えた。やっぱり、自分の手料理を食べてくれる人がいるのは励みになる。自分一人だったら、面倒臭くてレトルト若しくは惣菜一直線コースだ。と言うか、シルフィが来るまでがそうだった。
「今日は私が作るぞ。料理なら私にもできるからな」
「え、本当か?」
「ああ、料理には少し興味があってな。野営地なんかでは、教えてもらいながらスープを作ったりしたものだ」
意外だ。今まで、料理を教えろなんて言って来なかったのに。まあ、そうまで言うなら自信があるのだろう。
「そか。んじゃ、任せてみるか」
「ああ、任された」
シルフィにはコンロの使い方や材料の場所を教えて、俺はまったり過ごさせてもらうとする。最近読めてなかったネット小説でも読むとしよう。俺はパソコンのある自室へと向かった。
「レイ、できたぞ」
読み始めて、どれくらいの時間が経っただろうか。シルフィが声をかけてきた事で、パソコンに没頭していた意識が引き戻される。
「おお。因みに何を作ったんだ?」
「スープだ。渾身の出来だぞ」
作り慣れているものを作ったらしい。出来ないものを無理して作ろうとしないあたり、安心出来るポイントだな。しかも、渾身の出来だという。
女性の手作り料理が久し振りというのもあって、少し楽しみになってきた。自室を出て、意気揚々とリビングのドアを開ける。と、同時に、酸っぱい臭いが目と鼻をついてきた。
「ぐっ!? な、なんだこの臭い!」
「何って、スープだが?」
そう言って、キョトンとしながらシルフィは首を傾げる。あざとい、さすが姫騎士あざとい。じゃなくて。
俺は臭いの発生元を確認すべく、中へと足を踏み入れる。あ、無理。まず換気だ。息を止めて、リビングの窓という窓を全開にし、キッチンの換気扇を回す。これでようやっと、まともに呼吸できる。
「で、そのスープってのはこれか?」
コンロに載ったままの鍋を指差して聞く。と言うか、これ以外にあるまい。鍋の周りは一段と臭いがキツイ。
「うむ、早速テーブルに運ぼう」
「いや待て」
シルフィはテーブルに鍋を運ぼうとするが、それを制止する。まずは中を確かめるべきだろう。鍋の蓋を開くと、モワッとした、温かくて酸っぱい蒸気が、臭いが顔面を襲った。目から涙がちょちょぎれる。つらい。つらたんだ。
臭いにめげず、菜箸を取り出して、ちょんと先っぽを黄色く染まった液面にくっ付ける。んで、それを舐める。……酸っぱい。これは酢か。見たら、シンクの上に使い終わった酢の空き瓶があった。全部使ったらしい。酸っぱい臭いの原因はわかった。
だが、まだ安心しちゃいけない。今度は具材の確認だ。おたまを突っ込み、具材をサルベージする。出てきたのは、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、鶏肉、バナナ、リンゴ、ドロッとした黒い何か。闇鍋かよ。ドロッとした何かの正体は知りたくない。鍋の横にチョコチップクッキーの箱があるが、なんでだろう。俺は具材をそのまま鍋に戻した。
「ど、どうだろうか」
シルフィはもじもじしながら上目遣いでこちらを見てくる。自分の料理が美味しそうかどうか、不安で堪らないと言ったところだろう。普通の男であったなら、その一人や二人や三人くらいなら落とせたであろう、そんな破壊力を持っていた。
だが、俺には効かない。目の前の産業廃棄物を作り出したのが、シルフィだと分かってるからだ。しかし、叱る前にどう言った意図でこの料理を作ったのか、問い質さねばなるまい。実は、酢を用いたこの料理は、異世界における伝統料理なのかもしれない。だとしたら、俺はこの料理を受け入れなければならないだろう。できるだろうか。
「……幾つか聞きたいことがある」
シルフィはこくりと頷く。
「なぜ、酢を入れた?」
「仮面バイカーのムサシが、酢は体に良いからいっぱい飲めよと言っていたからな」
ムサシイイイィィィ! 何言っちゃってんの!お前には感謝なんかしないぞ!
「この具材は?」
ジャガイモに玉ねぎに人参、鶏肉までは分かる。何でリンゴなのか。何でバナナなのか。何でチョコチップクッキーなのか。よく見たら、一口バウムクーヘンの袋もあった。
「うむ。普通の具材だけでも美味いが、美味いものをたくさん入れてやれば、もっと美味しくなると思ってな!」
何その、美味いものと美味いものを掛け合わせたら二乗に美味くなる理論。美味いものって、シルフィの好物じゃねーか。
今回わかったのは、シルフィがアレンジャーだという事実。アレンジャーとは、体に良さそうだからとか、これを入れるともっと美味しくなるからとか、又聞き情報なんかで料理に独自のアレンジを加える者達の事である。その結果が、目の前の鍋だ。
「……味見はしたか? 人に食べさせる前に、味見はしっかりしなきゃなあ」
俺はそう言うと、おたまで中身をすくい取ってスープ皿へと注ぎ、シルフィに渡す。
「そう言えば、まだしてなかったな。ありがとう。どれ……ブファッ!?」
シルフィはスープ皿に口を付けると、即座に噴き出した。強すぎる酸味が喉を刺激したのか、咳がひどい。
「ゴホッ! な、なんだ、これは!」
「ほら、口直しにこれ食べな」
慈愛に満ちた目で、俺はリンゴとバナナとチョコチップクッキーとバウムクーヘンが混ざったらしい何かをスプーンに載せ、シルフィへと差し出す。
「う、すまない。……ぐっ!? すっぱ、甘い、不味い!? こ、これは毒……? そんな、いつの間に毒が盛られたのだ!」
犯人はお前だ。
この後、俺はシルフィに懇々と説教をした。事情を聞くと、どうやら、今回の様な件を何度も繰り返して、周囲に止められていたらしい。なぜ急に料理をするなんて言ったのかは、俺が料理しているところを見て、私にもそろそろイケると思ったからとのこと。意味がわからん。
「基本もわからず、無駄にアレンジを加えるもんじゃない。お前は食材を、バウムクーヘンを冒涜したのだ……」
「何ていうバカなことをしでかしたのだ、私は……。嗚呼、私のバウムクーヘン」
因みに、なぜシルフィに酸っぱい臭いが効かなかったかと言うと、風の魔法で臭いをシャットダウンできるとのこと。臭いがキツイことがわかっててコイツは……。
こうして、平日は料理を除く家事はシルフィが、料理は俺が担当する事になった。それでも料理をしたいというシルフィの希望もあり、休日は俺の監視の下、シルフィは料理の練習をする事を約束した。
この後、酸っぱい空気の中、俺たちはレトルトカレーを食べた。




