姫騎士と成人
「ただいまー」
シルフィと暮らすようになってからするようになった、帰還の挨拶をしながら玄関のドアを開ける。
今日、俺の手に提げられているビニール袋には、レトルト食品は入っていない。なぜなら、今日の俺は頑張ったからな。課長から降りてくる仕事にも負けず、定時で仕事をやりきったのだ。そんな自身へのご褒美が入っているのである。
「おかえり。何やらご機嫌だな」
「わかるか? さて、さっさと飯にするぞ」
気付かないうちに、顔が楽しみでにやけていた様である。リビングに移動し、ビニール袋からご褒美達をテーブルへと取り出す。
スーパーで買った豆腐にフライドポテト、アジフライ。焼き鳥はわざわざ焼き鳥屋で買ってきた。
「おお、今日は品数が多いな」
何だか、日頃佗しい思いをさせているみたいで罪悪感が半端ないが、平日は料理をしている時間がないから、基本レトルトになってしまう。その代わり、今日は当社比で豪勢なメニューとなっている。
なお、栄養バランスは全く考慮していない。年頃のシルフィの事を考えると、これじゃいけないとは分かっているが、その辺の事は近い内に本気を出す事にする。
「ふふふ、たまには贅沢にやってもいいだろう?」
「全面的に賛成だ」
シルフィのやつ、分かってるな。腕組みしてニコニコしながら頷いている。そんな分かってるシルフィにも、ご褒美が必要だろう。俺は満を持して、ある物を取り出した。
「じゃじゃーん。果汁百パーセントりんごジュース!」
取り出したるは、瓶詰めのりんごジュース。瓶詰めってだけで、すごく美味しそうな感じがするのは俺だけだろうか。
「おお! 果実水か?」
果実水? 果汁を水で割ったものだろうか。よくわからんが、多分そうだろう。
「これは、全部果物の絞り汁だ。水を後から加えて割ったものじゃない。シルフィにやろう」
「おお! 本当にいいのか? 後から返せと言っても返さないぞ」
「そんなこと言わないから安心しろ」
シルフィは早速、りんごジュースに手を掛けたが、開け方が分からないらしい。
「こうやって開けるんだ」
瓶を固定し、蓋に力を入れて回してやると、それは外れた。シルフィ用のカップにりんごジュースを注いで、渡してやる。
「この蓋は、また封をするのに使えるからな」
蓋を瓶の口に載せてくるくる回してやると、開ける前と同じ状態に戻った。
「このガラス瓶の細工もすごいものだな」
感動してるような口調だが、腹ペコ系姫騎士はりんごジュースにチラチラと目が向かっている。別に待ったをかけているわけではないのにな。飲む様に促すとコクコクと飲み始め、そのままカップの中身を全部飲み干してしまった。すんごい幸せそうな顔をしているし、まあいいか。
さて、俺の方も買ってきた物たちに手を加えなければ。豆腐はシルフィの分と半分に切り分けて、これまた買ってきた長ネギを刻み、その上に載せる。更に鰹節をパラパラと振りかけ、冷奴の完成だ。醤油は各自で適量を。フライドポテトにはマヨネーズとケチャップを横に盛って、味を変えながら食べられるようにしてやる。アジフライには辛子を添えて、ソースはお好みでかければいいだろう。焼き鳥はレンジで温めなおせば完了だ。後は、冷蔵庫で寝かせていたきゅうりのたたきと、楽しみにしていたアレを取り出すだけである。それと、シルフィには加藤のご飯を忘れずに出してやる。
全てテーブルの上に移し、晩飯の始まりだ。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
両手をパンッと合わせて、いつもの食前の挨拶をする。これも、シルフィと暮らし始めてから習慣化したものだ。
俺は箸には触らず、ある缶へと手を伸ばした。プルタブを指で起こしてやると、カシュッという音を立てた。そのまま中の液体をグビリグビリと3口ほど飲んでやる。渇いた喉に、炭酸の刺激が堪らない。
「くはぁっ! 美味い!」
正しく、至福の時だ。さてもう一口、と思った所で真正面から視線を感じた。
「……まさか、それの中身はエールなのか?」
そのまさかである。普段ならビールを選んでいるのだが、スーパーで見かけて試しに買ってみたのだ。ビールとエールの違いなんてのは知らない。ただ、ビールより、ほんの少しフルーティな気がする。気がするだけで、外れてる可能性もある。俺の舌は当てにはならないしな。
「ああ。ほら」
そう言って、何の気なしに缶の商品名を見せてやる。そこにはちゃんとエールと書いてあるはずだ。
しかし、何故だかそれを見たシルフィの顔は怒っているそれだった。
「自分だけ酒を飲んでるなんて、ずるいぞ! 私にも飲ませろ!」
ええー? いや、だってシルフィって未成年だろ。あ、異世界では成人してるとか言ってたな。16歳で飲ませろ発言である。こいつの将来がちょっと心配だ。
「俺は成人してる大人だからな」
「私も大人だ! エールくらい、何度も飲んだ事がある。週に3度は酒場に行っていたぞ」
まさかの飲兵衛発言である。こいつの場合、酒場=大人の図式が成り立つ事が容易に想像がつくから、酒が美味いからとかそういう理由ではなさそうであるが。そもそも、この歳でエールやらを美味しいと思えるんだろうか? 俺がシルフィくらいの時に親のビールを勝手に飲んだ時は、とても不味い思いをした記憶があるのになぁ。あの時はもう飲むまいと思ったのにな、今では俺もビール好きだ。何がどうなるかわからない。
「1つ、大事な事を知らせてやろう」
まあ、それは置いといて、シルフィには非情な現実を突きつけてやらねばならない。この国の一般常識だ。
「これを見ろ」
「なんだ?」
訝しがるシルフィに、手に持つ缶の一部を見える様にしてやる。そこに書かれているのは。
「二十歳未満の飲酒は法律によって禁止されています……だと……!」
驚きに、シルフィの目が見開かれる。
「嘘だッ!」
次いで出てくるのは、冷酷な現実を認めたくないからだろう、叫びだった。
「本当だ。因みに、この国の法律では二十歳で成人とされる。シルフィ、お前はこの国ではまだ子供なんだ。酒もタバコも、パチンコも禁じられている」
「そ……んな」
シルフィは拳をテーブルの上で握り締め、項垂れてしまった。俺はもう一口、エールを飲んだ。美味い。
「パチンコってなんだ……」
そんな言葉が、やたらと俺の印象に残った。俺は辛子を付けてアジフライをかじった。美味い。
相変わらず項垂れているシルフィをみかねて、空いているカップに果汁百パーセントりんごジュースを注いでやる。
「これでも飲んで、機嫌直せ。こっちの方が美味いだろ?」
シルフィはゆっくりとした動きでカップを掴み、ジュースを飲むと、またぽけらとした幸せそうな顔をするのであった。
「うむ、こっちの方が美味い」
やっぱり、シルフィは酒を美味いとは思っていなかったらしい。俺は苦笑して豆腐に醤油をかけた。