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この男は、もしかしたら神なのかもしれない。
我々に罰を与える為に神が降りてきたのだ。
室内に差し込む薄い光だけでも眩く煌めくプラチナブロンドの髪。
燐光を放っているように鮮やかなライムグリーンの瞳。
廃教会の薄暗がりの中でさえ、淡く輝いているような錯覚を覚える神々しいほどの美しさを持つ男の両手には、使用者の美貌に似つかわしくない武骨な拳銃が握られていた。
男が一歩足を踏み出すたびに、漆黒のカソックの上でロザリオが揺れる。
ゆっくりと近付いてくるこの男が、先程手に持ったその銃で自分の仲間を殺していたとしても、もう反抗の意志など湧いて来なかった。
「お前に幾つか質問したいことがある。全て正直に答えろ」
発せられた言葉は、神の啓示にも等しい響きを持って耳に届いた。
無意識のうちに頭を垂れ手を組むと、頭部に冷たい金属が押し当てられる感触がした。
「お前たちの仕事内容は何だった」
「はい、我々の仕事は各地での人身売買とそのオークションの手配です」
「お前たちのチームにリーダーはいるか。その居場所は」
「はい、我々のリーダーはロベルト・F・マッケンジー。先程までこの場所にいましたが、恐らくこの混乱に乗じて地下のルートから逃走しているでしょう」
「逃走ルートの出口は」
「はい、出口はこの街の南端、15番街のアンテ海運名義の倉庫内に通じています。二つありますがその内の赤い扉の方です」
「そうか。――――この建物の中に、他に人間はいるか」
「はい、この建物の中には、売り払う予定だった成人の男が一人、地下に繋いであります」
「成人男性か。何故そんな人間が売れる」
「はい、あの男は髪と瞳の色が特別でしたので、コレクターの方に良い値で売れるのです」
男の声が途切れた。自分が何か粗相をしただろうかと半ば不安な気持ちで顔を上げたが、その瞳からは何も感情が読み取れなかった。顔を上げたせいで額にあたる形になった銃口を気にもせず、真摯とも言えるような心で次の言葉を待った。
「以上だ。協力感謝する」
「いいえ、神の子たるもの神の問いに答えるのは当然のことです」
「……そうか」
引き金に掛けられた男の指に、徐々に力が入っていくのが分かった。
緩やかに目を閉じた暗闇の中で、神の言葉が響いた。
「お前の死後の魂に、神の加護があらんことを」
崩れ落ちた男の体の下に足を差し入れ転がして仰向けにすると、罪人の死に顔とは思えないほどの安らかな顔があった。
「終わったか、アーサー」
「ああ、ユーリ」
建物の外に逃げた人間を処理し終わったらしいユーリが、愛剣の刀身についた血を振り払いながら戻ってきた。足元に転がる男の表情を見て、いつも通り怪訝そうな顔をする。彼の剣が鞘に収まる音が涼やかに響いた。
「お前に殺される奴は皆こうだ。まるでお前に殺されることが至福と言わんばかりの顔をして死んでやがる」
「何故なんでしょうね。俺にはさっぱり理解ができません」
「まぁ、大方お前の姿に神でも重ねてるんだろうよ。大変だねぇ、神子様も」
「俺は神子じゃない。ただの神父です」
長い睫毛に縁取られた目を細めて、神父は美しく微笑んだ。
「それはそうと、ユーリ、この教会の地下に男性が一人捕らえられているそうです。助けていきましょう。何でも髪と瞳が珍しい色をしているそうですよ」
「地下?この教会にそんなものがあったのか」
「そのようですね。……ああ、地下への入り口の場所も聞いておくべきでした。探す手間が惜しい」
二人で軽口を叩きながら、埃を被った教会内で入り口らしきものを探索する。暫く歩き回った後、十字架の下、ボロボロの布が張り付いた祭壇の裏の床に取っ手を発見した。
見た目の割にスムーズに開いた扉の下には、思ったよりも幅の広い石造りの階段が伸びていた。明かりが一つもついていないので正確なところは分からないが、かなり深そうだ。
ユーリがその金の目を眇めた。
「存外深いな」
「そうですね、それにとても寒い。こんな場所にずっといると衰弱死してしまいそうです。早く行かなければ」
アーサーは、どこから拝借してきたのか燃えた形跡のある細い木材を二本掲げ、その先端に適当に布を巻き付けると、そこへ向けてゆっくりと息を吹きかけた。
その吐息に合わせて木切れの先で火が燃え上がる。
同じことをもう一本にも繰り返し、立派な松明となったそれを満足そうに少し揺らしてから、アーサーはユーリへ振り向いた。
「はい、ユーリの分です」
「……何度見ても、よく分からない力だな、それ」
「俺にもよく分かっていませんから」
手に手に光源を得た二人は、十分に警戒しながら下へと向かう。
廃教会の地下は非常に環境が悪かった。ここがきちんと機能していたころはそうでもなかったのだろうが、犯罪組織のアジトとして使われ始めるとあっという間に悪化したようだった。壁はあちこち内装が剥がれ落ち、床はシミだらけで隅には濁った液体が溜まっている。空気も下に行くにつれて淀んでいき、とても不快であった。その癖広く、部屋が幾つかあるため色んなことに使われていたようだ。様々な臭いが篭った空気に耐えられず、途中から眉を顰めながら袖で鼻と口元を覆っていたアーサーが小さく声をあげた。
「いました」
ユーリが前へ進みそこにいる人影に松明の明かりを掲げると、その人物はぴくりと反応し、弱々しく顔を上げた。松明があるとはいえ周りが暗いので、珍しいという色までは判別できないが、顔を見る限り大分衰弱しているようだ。あと数日助けるのが遅れていたら、もしかしたら死んでいたかもしれないと思わせるほどだった。生気のない目が大分時間をかけてこちらに焦点を合わせる。体勢が微妙に変わったことによって、首と四肢に繋がれた鎖がじゃらりと音を立てた。
アーサーは口元から手を離すとその男の前へ膝をつき、優しく話しかけた。
「…………だれ……」
「初めまして、俺はアーサー。貴方を助けに来ました」
「たす、け……?」
「そうです。……ユーリ、お願いします」
「ん」
銀光が五度、松明の光を反射して閃く。それと対応して甲高い金属音が響き、男を拘束していた鎖が断ち切られた。
「さあ、これで貴方は自由です。立てますか?」
アーサーの声に男は少し考えるように俯くと、手を床に付き立ち上がろうとする素振りを見せた。だがそれすら困難な程に弱っているらしく、少し腰が浮いたところで再びへたり込んでしまう。
「まあ、当然でしょうね……ユーリ」
「また俺か……予想は付いてたけどよ」
自分の分の松明をアーサーに預けると、ユーリは男の手を引いて立たせ、少々乱暴な動作で背負う。その拍子に男が小さく呻きアーサーは少し諌めるような目をユーリに向けた。
「ちょっと、もっと優しく扱ってください」
「うるせぇ。それならお前が背負えば良いだろ」
「俺がこの人を背負って歩ける距離なんて高が知れてるでしょうに」
「まあな」