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目を覚ました時、まず飛び込んできたのは白だった。

見渡す限りの白。着ている服まで白。ベッドも家具もトイレも風呂場も、全て白。


白白白白白白白しろ白白白白しろシロ白しろシロシロ白白。


精神が犯されそうな白。出口はないかと探すが、どこにもない。

ドアは勿論、窓もない。家具を動かしてみたりしたが、隠し扉のような物もない。

出口がないのなら、私はどうやってここに入ったのだろう?

出口が見つからないのなら仕方ない。少し疲れたから休もう。

ベッドに座ってふと気づく。

そういえば、私はなんだろう?名前さえ分からない。ここに来る前は何をしていたのだろう?なぜこんな、おかしくなりそうな空間にいるのだろう?

私は何で、ここはどこで、ここはなんだ?

ベッドの下を覗こうとして、ふと私の髪が目についた。

白の中に映える、髪の黒。

嗚呼なんだ。私は私の色があったのか。

でも、圧倒的な白の前に髪の黒は些か弱々しい。

もう白を見ていたくないから、寝よう。




二日目。騒がしい物音で目を覚ました。昨日は物音ひとつしなかったのに。

私が立てる音しか、昨日はしなかったから。

だから、私のじゃない物音がするだけで安心する。

シーンと言う音を聴かなくて済む。

おかしくなりそうだから、物音がずっとしていればいいのだが。

なんとなく、部屋の中を何回も往復する。

三人家族が住んだら丁度いいような、3LDKの部屋。

昨日同様、私以外誰もいない。まぁ、いたらいたで驚くが。

そして昨日同様、出口はない。記憶も戻らない。

嗚呼、本当白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い白い。

頭が割れそうな白だ。髪を指に絡めてくるくると遊びながら、黒を眺める。

白の中の唯一の黒。もしこの髪まで白になったらどうしよう。嫌だな。

ふと何も食べてないことに気づいて、冷蔵庫を開けてみる。何も入っていない。冷たいのに、食べ物は何も入ってない。なんとも悲しい形だけの冷蔵庫だ。

そうだ。気分転換をしてみよう。

ベッドに座って目を瞑って壁に耳をつけて、物音を聴く。

なんだろうか、この物音は。破壊音と、走る音と、悲鳴。

何を言ってるか分からないが、何かから逃げようとしているのは、なんとなく分かる。

そして、断末魔の絶叫。悲鳴。何かを引き千切る生々しい音。

この部屋の向こう側には、沢山の誰かがいるらしい。

この部屋の向こう側では、誰かが喰われてるのだろうか?

嗚呼でも、この白に彩りを加えてくれる音が出来て嬉しい。




三日目。相変わらずの不快な白に溜息を吐く。

どうやら音を聴きながら眠ってしまったようで、壁に耳をつけたままの体制で眠ったものだから、関節がごきごきと鳴って仕方がない。

腹がぐぅと鳴って、再び溜息を吐く。鳴ってもらってもない物はないのだから、仕方ない。

しかし、食べたいものは食べたい。

なんとなく、バーニャカウダとシチューでも食べたいな、と口にしてみた。

うん。虚しいだけだな。とりあえず、水が出るのか確かめよう。今更だが。

食器棚からコップを出して、蛇口を捻ってみる。当然だが、本当に本当に当然のことだが、水が出た。コップの中に水が注がれて行く。当然のことなのに、異常な空間の中では当然のことも驚愕に変わる。

飲んでみると、普通に水道水だった。

水道が使えるなら、風呂も使えるな。キッチンの蛇口が使えて、風呂の蛇口が使えないなんてことはないだろう。

なんとなく、冷蔵庫を見る。あの中に食べ物が入っていたりしないだろうか。

入ってないだろうと思いながら、開ける。そして、驚く。

中に、バーニャカウダとシチューが入っていたから。

さっき私が口にしたのと同じ食べ物。

昨日は何も入っていなかったのに、どうなっている?

この空間は分からないことだらけだ。

私が自らここに来たのか。それとも記憶を奪われた挙句、この異常な空間に閉じ込められたのか。

名前さえ思い出せないとは。

とりあえず、あるのだから食べよう。腹が減っては戦は出来ぬと言うし。

私にそもそも戦う相手がいるのか分からないが。

シチューを持ってみると、丁度いい温かさだった。もし、誰かが私の寝ている間に冷蔵庫に入れたとして、なぜここまで温かいのか謎だな。

……毒など入っていたりしないだろうか。まぁ、それはないか。もし私を殺したいなら、寝てる間に殺すだろう。

テーブルに置こうとして、スプーンが用意されていることに気づく。

……いつの間に?用意した覚えはないと言うのに。そもそも、スプーンが入っている場所を知らないのに。私以外の気配はないのに。

嗚呼……ここは異常な空間だから、いちいち驚いていては精神も体力も持たないな。

食べよう。



することがないから一時間か二時間程度寝て、風呂に入って、また驚いた。

用意された新品の真っ白な服。さっきまで着ていた、今は干されている真っ白な服。しかもきちんと洗われている。

うん。いちいち考えるのはよそう。

ベッドに座って、壁に耳をつける。

昨日と同じ、破壊音と断末魔の絶叫と悲鳴と走る音と引き千切る音。

音がしている。

安心してベッドに潜る。




六日目。相変わらずの不愉快な白ではなく、驚愕で目が覚めた。

なんだ!?何が起きた!?なんだこの状況は!?

ベッドを挟んだ左右の壁が、昨日まで壁だった場所に、硝子が嵌め込まれている。

どういうことだ。寝ていたとしても、気づかれずにこんな立派な硝子を設置出来るものなのか?

驚きで声さえ出ない。

嗚呼、でも、無機質で冷淡な白の世界がやっと、彩られる。

立ち上がって、右の硝子に擦り寄るように、愛しいものに触れるように、向こう側をじっくり観察して、硝子をなぞる。

嗚呼、やっと、音の主に会えた。

とてもとても大きな、恐ろしくも逞しい、怪物。

キメラーーだろうか?頭部と胴体はライオン、鬣と尻尾は蛇、鷲に似た翼。

腹が満たされているのか、気持ちよさげに寝ている。

怪物の周りは血だまりだらけで、元は人だった手足が転がっていて、白い壁も天井も、まるで装飾されたが如く赤く染められている。

そこで私の気配に気づいたのか、怪物が目を覚まし、深い深い蒼の瞳で、私を射抜くように見た。見て、私の目線に合わせて、座る。


ーーお前はなんだ?


言葉ではなく、脳に直接響く言葉の思念。思念で返すのが怪物への礼儀だろうと思い、怪物の瞳を見て言葉を思う。


ーー分からない


ーー自分がなんなのか分からないのか?


ーー気づいたらここにいて、出られなくて困っている。ここを出たら、思い出せそうな気がするんだが


ーー出るのは、諦めた方がいい。妾も何度も部屋を破壊して出ようとしたが、無駄だった。力尽くでは、出られない。策を練ろうとも、無駄だろう。この空間は、そういう空間だ


悲哀の込もった瞳を飽きるまで見つめ、再び部屋を見つめる。

巨大な怪物が走り回れる程の、広過ぎる部屋。


ーーお前に私は、どう見えている?


その問いに、怪物は困ったように目を細めた。


ーー人の形をしているが……人ではない。元は人だったのだろうが、人ではなくなった…。そう視える


人には見えるが人ではない、か。とりあえず私は、人の形はしてることは分かったからよしとしよう。

ここには姿を確認出来る物が、何ひとつないから。鏡がない。水に姿が写らない。硝子も、私の姿を写さない。家具は写っていると言うのに。

どうやらこの部屋は、私の姿を徹底的に写したくないらしい。

姿を見て、記憶を取り戻すきっかけを与えたくないからなのか。

この部屋は私に何をさせたいのだろう。

記憶を奪って、閉じ込めて、生きる分には不自由させないようにして。

何をしたい?いや、何をさせたい?

すると突然、怪物が立ち上がった。


ーーそろそろ人が連れて来られる時間だ。妾にとっては食事だが、お前は見ない方がいい


ーー大丈夫だ。意外と平気だったから


悲鳴。断末魔。引き千切る音。気持ち悪くなるなら音でなっている。


ーーそうか


それだけ言って、寝ていた位置に戻って、寝ているフリをし始めた。

直後に人が十人程、どこからともなく現れた。皆、呆れるほど震えている。分かっているのか。これから皆仲よく、あの怪物に喰われることを。

怪物が目を開け、目にも止まらぬ速さで、一人目を頭からばっくりと喰った。

両の足首だけ怪物の口から落ちていって、九人の前で肉片をぶちまける。

皆パニックに陥って、少しでも怪物から逃げようとする。

出口がないから逃げようがないのだが。

一人、また一人と喰われて行く。痛みを感じる間もなく、或いは手足を千切られ痛みと恐怖と絶望を感じながら。

音の正体は分かったが、謎は深まるだかりだな。

飽きたから、左の部屋を見つめる。

この部屋の方が謎だな。男と女と子供。恐らく家族だろう、が、幸せそうに笑いながら食事をしている。

だが、なぜか不自然だな。違和感?

嗚呼、笑顔がぎこちないせいか。

そうか。どことなく笑顔がぎこちないから、不自然に感じるのか。

一見幸せそうだが分かってしまえば、全てがぎこちない。

笑顔も、食事を運ぶ手が微かに震えていることも。

声は聴こえないかと、硝子に手をつける。はっきりと聴こえてきた。手を離すと、まるっきり聴こえてこない。

なるほど。手を硝子につければ好きな時に聴けると言うことか。四六時中知らぬ家族の会話を聴かされるのは、苦痛に成り得るし。この部屋の配慮か。

そういえば、あっちに私の部屋は見えないし聴こえないのだな。硝子をばんばんと叩いてみても反応がない。

壁が凄まじく薄そうだが、常識が通じないのがこの空間の常識だからな。

手をついて、会話を聴く。


ーー口に合うかしら…?大丈夫?


女が心配そうに笑いながら訊く。


ーー…………


子供は不貞腐れたように笑いながら、無言で食べる。


ーー俺には合わないな。なんで俺より低い奴の飯を……


男が不機嫌そうに笑いながら、食べる。

俺より低い?嗚呼なるほど、身分か。身分も違う者同士が、家族ごっこをさせられているのか。

なぜかは、考えたところで無駄だからな。

しかし、あのぎこちない笑顔は気色が悪いな。機嫌が悪いのに、あんな風に笑って。

笑わなければならないのか?それとも、あの部屋はそういう部屋なのか?

それぞれの部屋に役割があると思っていいだろうが、それを知る術はない。

知らないのは私だけで、あの家族は何かを知った上であそこにいるのだろうか。

そうだとしたら、羨ましいかもしれない。

私は記憶を奪われて、訳が分からないまま閉じ込められているのに。

後ろを振り返る。怪物が前足で押さえつけている女の胴体を、真っ二つに咬み千切ったところだった。血飛沫が、へたり込んでいる男の全身を濡らす。

残りは五人。なぜ、怪物に喰われるのだろう。いや、喰われなければならないのだろう。

……それこそ、考えるだけ無駄か。

前の部屋に向き直る。手をつけているから、ずっと会話が聴こえている。

会話と言っても、男が愚痴らしきことを言っているだけだが。

俺はこんなところに来る人間じゃない、何かの間違いだ、なぜ俺がこんな薄汚い女と餓鬼と一緒にいなくちゃならない、俺はあいつらのために。

それを聴いている子供と女の表情は、冷たいものだ。

どうやら、聴こうと思えば心で思っていることも、聴けるみたいだ。

子供は只管に、父親と男を重ね合わせて憎んでいて、女は殺意すら男に抱いているようだ。

男の心は…聴くまでもないな。

その時、緊張感を破るような腹の虫が、私の腹から鳴った。

そういえば昨日は、寝てばかりで飲みも食いもしてないな。そりゃあ腹の虫が怒って鳴く訳だ。

食べたい物を浮かべながら台所に行って、冷蔵庫を開ける。

………………?

何も入っていない。閉めて、もう一度食べたい物を、カルボナーラとレアチーズケーキを思い浮かべて、開ける。

…………ない。なぜだ?一昨日は出たのに。一昨日と何が違う?

嗚呼そうか。一昨日は食べたい物を言葉にしたのだ。

早速カルボナーラとレアチーズケーキが食べたい、と言葉にしてみる。

冷蔵庫を開けたら案の定、入っていた。

カルボナーラを持ってみる。一昨日と同じように、丁度いい温かさだ。

テーブルに向かうと、やはりフォークが置かれていた。

座って、美味いなと呟きながら、考える。

とりあえずこの部屋は、私を生かしたいのだろう。

私が何者なのか。記憶を奪ったのは、私が理由を知ったら逃げ出す恐れがあったから、と言うのはどうだろうか。

早急にこの部屋に入れる必要があった。しかし、理由を知れば逃げ出す恐れがある。だからこそ記憶を奪い、外に出る理由を失わせた。

この異常な空間だ。記憶を奪うくらい簡単だろう。

それに、生きる分には不自由しない部屋だ。

恐らくこの部屋は、私の思い通りに、いや、命令通りに動く空間と考えていいだろう。

だからこそ、思っただけでは部屋は動かなかった。

言葉にしなければ、命令にはならない。ただの思考はどこまでも、ただの思考だ。

食器や服を用意したのは、部屋が私を困らせないように考えたのだろう。

だが、命令通りに動くとは言え、記憶は逃げ出す恐れが消えない限り、返さないだろう。

だったら。


この空間はなんなのか、私に何をさせたいのか説明しろ


そう言葉にしてみた。

…………しばらく待ってみたが、反応がない。

……あれ?私の命令通りに動くと言う読みは、間違いだったか?

自信があっただけに、恥ずかしい。

風呂でも入って寝よう。




七日目。怠いなと思いながら、欠伸をしながら起きる。

右を見ると、怪物が腹がいっぱいなのか眠っている。

左を見ると、子供が男を刺し殺しているところだった。

硝子に近づいてみると、女も血塗れになって死んでいた。滅多刺しにされて目を見開いていて、あれじゃあ死の疑いようがない。

硝子に触れると、子供の声が聴こえてくる。死ね、と繰り返している。

たった一日の間に、何が子供を凶行に駆り立てたのだろう。

もしかしたら左の部屋は、そういう空間なのか?

人の狂気、負の感情を増幅させ、凶行に駆り立てさせる。そういう空間なのかもしれない。

だが、そうだとして、なぜこんな部屋が存在するのか。無差別に選ばれているのか。

…………考えても仕方ないか。私に害がないのなら、それでいい。

ベッドに戻ろうと振り返って、初めて声を上げて驚いた。その際に肘を硝子に強かにぶつけて、痛い。

恐る恐るそれに、それとも人(?)に近づく。

壁から人が生えている。腹から上が生えていて、腕と顔をだらんと垂らして、まるで眠ってるみたいだ。

顔を覗いてみると、あどけない男の子のように見える。

さっきまでは異常なかったのに、ちょっと目を離した隙に壁から人が生えるとは。

本当に、人なのだろうか?ただの飾りなのかも。

呼吸を確かめてみる。……呼吸している。

鼓動を確かめてみる。……鼓動している。

…………生きてる。

うん、下手に刺激しないようにしよう。なんなのか分からないし。

トイレに行こうとして、またもや驚いた。

玄関の先に、ドアがある。探すのを諦めていたドアが。

なんのつもりだ?今更逃がすつもりか?

恐る恐るドアノブを握って、回す。回って、押してみる。

ドアの先には、部屋があった。

狭いようだが、全面硝子張りの部屋。硝子の向こうには、建物と人々が溢れている。街を見下ろす形で、景色が広がっている。

子供は楽しそうに遊んでいるが、大人はただ生きているだけのよう。

そしてふと思う。私は、あの夢を見る必要のない、無機質な世界にいたんだな、と。

右を見ると、ゆっくりくるくる回る地球儀のような物が。

左を見ると、ミニチュアが。黒と赤の大小様々なチェスで使う駒が、ミニチュアの中で動いている。硝子の景色と見比べると、ミニチュアと景色は連動しているみたいだ。

と言うことは、駒は男女を表しているのか?駒の大きさは、大人と子供?

地球儀を回して、ある国を触る。硝子の向こうが音もなく、景色が変わった。

見るからにスラム街だと分かる、景色。

ミニチュアを見ると、ミニチュアもスラム街のそれへと変化していた。

やはり、連動しているのか。なんとなく、とある家に触る。

その家がふっと消えて、中にいた夫婦であろう男女と、子供が五人、それも消えた。

どういうことだ?

考えている間に、硝子の向こうから轟音と叫び声が聴こえてきた。

見ると、ミニチュアの消えた家と同じ位置の家が、爆発か何かで破壊され、人が死んでいた。

死んでいる者を見ると、ミニチュアと同じ、家族構成。

この硝子がモニターでなければ、この地球儀とミニチュアはやはり、世界と繋がっているのか。

繋がっているのだとしたら、私が殺したと言うことか。あの家族を。

確かめるためにもう一度だけ、家に触る。

やはり消えて、駒も消えた。それに続いて二発の爆発。血塗れの人々。

この部屋はなんだ?意味がないとは思えない。しかし、意味など分からない。

壁の子供。怪物の部屋。狂気の部屋。そして、硝子の部屋。

ふと思う。他の部屋は殺すための部屋なのに、私のいる部屋だけは、私を生かそうとしている。

この空間にとって私を生かして、なんのメリットがあると言うのだろう。

考えたところで、やはり無駄なのだが。

いつも通りに過ごそう。




十二日目。嫌な夢で目が覚めた。

出来損ないと、幼い私を責める男。汚らわしいと、私に暴力を振るう女。化け物だと、私を嗤う子供。

夢を見る必要のない世界で、私は常に夢を見ていた。

大人になったら、ここではない、見たことのない世界を見ようと。私がいてもいい世界を見つけようと。

何もしなくても生きられる世界は、私にとって死ぬほど息苦しい世界だった。

大人は日がな一日、だらだら過ごすだけ。

子供も一部の子供が活発に動くだけで、だらだら過ごすだけ。

なんのために生きるのか、探したところで見つかるはずのないものだ。それでも思った。これなら、まだペットの方が意志を持っているじゃないか。

こんなだらけきった世界で飼われて、何も思わないのかと。

十五歳の誕生日、成人したところで誰も祝ってくれなどしない日に、私は入念な準備をして街から飛び出した。

成人すれば外に出ることを許されるから。

外の世界は自然が溢れ、厳しくも素晴らしく美しい世界だった。

残酷な食物連鎖。食うか食われるかの世界。だからこそ、全ての生物が輝いて見えた。

いつも泥だらけ傷だらけで帰る私を、皆奇妙な目で見ていたな。

ただいるだけで生きられる世界なのだから、気がしれなかったのだろう。

私だって皆の気がしれなかったから。街の外には、素晴らしい世界が広がっているのに。

溜息を吐き、服の下に隠れた、男でも女でもない肉体を眺める。

父が出来損ないと詰り、母が汚らわしいと拒絶し、兄弟が化け物と嘲笑った肉体。

だが、私はこの男でも女でもない肉体が好きだった。誰とも違うこの肉体が。

しかし、思い出すきっかけが夢とは言え、なぜいきなり、記憶を夢に見るようになったのだろう。とは言え、名前だけは思い出せないのだが。

壁の子供を見る。相変わらず眠ったままの壁の子供。あの子供が生えてからかもしれない。

兄弟と似ても似つかないが、記憶を刺激する何かがあったのかもしれない。

なんとなく立ち上がり、左の部屋を見る。

この家族はよく持っている。今日で四日目。前の家族は入れられたその日に殺し合ったのに。

父役と母役と姉役と妹役の四人。姉が一番狂気に取り憑かれているように見える。焦点の定まらぬ瞳をして、親指の爪を噛み続けているから。

明日には、綻びそうだな。




食事を終え硝子の部屋に入る。この部屋に入るのは二度目。なぜか、入る気がしなかった。

きっと、憎かった世界を見らなければならないから、だろう。

忘れていて幸せだったものを、見せつけられる不愉快さ。そんなものを、感じていたからだろう。

眼下に広がる、腑抜けた世界。それに甘んじる人々。

左のミニチュアに身体を向ける。かつての私の家とも呼べぬ家。家族とも呼べぬ家族。

私が指一本でも触れれば、家は壊れ、家族は死ぬ。

触れるだけで、殺すことが出来る。


ーー殺したいのか?


くつくつと笑い声が聴こえたかと思うと、硝子から子供が生えていて、私のすぐ目の前にいた。


ーー殺したいのか?殺せるぞ?世界も人類も、お前の掌の上だからな


お前は、お前はなんだ。


ーー吾か?お前が命令したじゃないか。説明しろと。だから説明するために、分かりやすい形を取って出てきたんじゃないか。些か、声帯と脳を創るのに手間取ったけどな。吾はこの空間そのもの、のようなものさ


子供が面白そうに笑いながら、私の頬を両手で触ってくる。


ーーで、何を説明してほしい?


この空間はなんなのか、それぞれの部屋に意味があるのか、なぜ私なのか。疑問はたくさんある。


ーーこの空間は神の間と呼ばれてる。人の目には見えない、空に浮かぶ空間。人類が繁殖し過ぎないように管理する、神の間。増え過ぎた人類を管理するのも、人の方がいいだろう?強い生命力と意志。お前は相応しい人材だったんだよ


訳が分からない。神の間、人類を管理する者の部屋。見えないと言うことは、誰もこの空間を知らないと言うことなのか?

子供がやはり楽しげにくつくつと笑う。


ーー選ばれた神しか、この空間の知らないさ。吾がこの空間の維持管理するんだ。人類に見られるようなヘマはしない


この空間の維持管理が出来るなら、なぜ人がいるのだろう。神と呼ぶなら私より、この空間そのものである子供の方だろうに。


ーー吾にはあくまで、この空間の維持管理しか出来ないからな。それに、維持するにも神がいなければ、この空間は朽ちる。だから、神は選ばれた人の方さ。


ーー怪物の部屋は、殺人を犯した人間を裁き、お前の寿命を伸ばすための部屋。左の部屋は元々は、人の負の感情を集めるだけの部屋だった。だが、際限なく溢れる負を発散させなきゃ、パンクしてしまう。だから誰からも必要とされなくなった人間を寄せ集め、その人間に溜まった負を発散させたのさ。負に充てられた結果として、殺し合うのさ。被害妄想を膨らませてな


私の頬を両手で包んだまま、楽しげににやにやと嫌らしく笑う。


ーーそしてお前だ。お前は今や神だ。神に名前は必要ない。神だからな。そして半不老不死だ。生贄が絶えず生まれるからな。白は神に相応しい色だと思わないか?何色にも染まるのに、染まらない、無機質で冷淡な色。お前が望むなら、神から解放してやってもいいぞ?その代わり、死ぬけど


解放、か。別に今更逃げようとは思わない。人類の管理。面白そうだ。


ーーそうか。何よりだ。今までの奴らは腰抜けばっかだったからな。仕組みを知った途端に逃げようとして、だから次の神を見つけるまでの糧として、命をもらってたんだよ。お前は賢明で何よりだ。そうそう、天候管理も人類管理の一端だから、上手くやってくれ


人類の管理と言えば聴こえはいいが、要は、生かすも殺すも意のままと言うことだろう?

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