8、親友と先輩
僕は夏休みのど真ん中の日、家を飛び出して学校へ向かった。
先に先輩の叔父の家に電話したら、彼女は学校に行ったと言われたからだ。その声はひどく動揺していた。初めて話す人への礼儀もそこそこに、僕は電話を切ると、制服に着替えもせずに走り出した。
「先輩!!」
部室にたどり着くと、彼女はいつも通りそこにいた。窓際の席でじっとグランドを見つめている。いつもはさらさらと流れるように揺れている長い黒髪は、まるで時間が止まったかのように制止し、先輩も瞬きすらしない。まるで一枚の絵画のような光景だったが、その不自然な偽りの芸術にある種の不安を感じて、僕も数秒固まってしまった。
先輩がゆっくりと振り返る。だから僕は少しだけ安堵し、先輩に歩み寄る。
僕は荒い息を整えながら
「先輩・・・」
なんと言っていいかわからなかった。突然のことで僕自身、動揺している。だから本当は感じるべき感情が湧いてこなかった。
そして、彼女。彼の唯一の肉親である先輩のことが気になって僕はここに来た。
カズトが・・・死んだ。
僕が夏休みを前に休んだあの日、夕方にカズトが見舞いに来てくれた。手土産にとアイスクリームを持って、慣れた様子で僕の部屋へ入ってきた。
僕は熱のせいで食欲がなかったため、その冷たくてのど越しの良い食べ物をありがたく頂戴し、僕はベッドに、カズトは僕の勉強机の前にある回転チェアーに座ってそれを食べ始めた。朝からずっと寝ていたので体調は少し良くなっていて、まだ頭はぼうっとする感じがしていたが話す分には問題なかった。
カズトは僕の椅子でクルクルと回りながら、ポツリポツリと話しだした。彼の過去を。唐突に今まで隠していたことを明かされたために驚いたし、その悲惨な出来事に心が痛んだ。そして彼らがどうしてあんなにもボランティアに熱心に取り組んでいたのかを知った。
彼が突然こんな話をしたのは、その日の朝に起こったとある県の震災がきっかけらしい。僕はずっと寝ていたので知らなかったが、昔彼が体験したのと酷似した状況になっているらしい。カズトは言った。
「俺、行ってくるよ」
いつの間にか椅子の回転は止まっており、彼は僕をまっすぐに見ていた。
「危険じゃないか?」
「もう少しして、事態が少し落ち着いたら、一般ボランティアの募集があると思うんだ。その時には余震も完全に収まってからだから大丈夫だよ」
「僕も・・・」
「バッカ。体力ないくせに」
「・・・」
「できることやりたいんだ。あの時俺がしてもらった恩返しがしたい。もちろん、今まで通り地域のボランティアでもいいんだけど、でも、今の状況を俺はほっとけない」
「・・・先輩はなんて?」
「一緒に行くって言ったけど・・・一応受験生だろ?残るように説得したら、しぶしぶ了承してくれたよ」
僕は一瞬視線を下に落とす。手元には空になったアイスクリームのカップ。それを握るのは細くていかにも貧弱な僕の腕。僕は一緒にはいけない。他ならぬ親友の戦地で、僕は隣に立つことはできない。そして危険なその地に行くのを止めることもできない。いや、彼の気持ちを考えると、それを遮るなんてしたくない。
「・・・わかった。気をつけて。・・・早く戻ってこいよ」
「行く前からせかすなよ。大丈夫、ちゃんと戻ってくるからさ」
アイスクリームのおかげで一度は冷えた頭だったが、再び靄がかかったように、ぼんやりと火照ってきた。きっといろんなことを聞きすぎて、脳がオーバーヒートしているのだろう。
僕の具合を心配したのかカズトは立ちあがると、「じゃ、そろそろ帰るよ」と部屋の出口へ向かう。
出て行く寸前、少しだけ振り向いて言った。
「ハル、ねーちゃんを宜しくな」
僕は、ふっと笑みを浮かべて、
「ばか、すぐに戻ってくるんだろ?」
彼もいつものようにニカッと笑って、部屋を出て行った。
ふいに先輩が立ちあがった。
「先輩・・・?」
僕は弱弱しく、もう何度目かになる、意味のないその単語をまた口にした。カズトから彼女を頼むと言われたのに、いざその時になると僕は何もできなかった。体力もなくて、体も細くて、力だけじゃなくて心すら弱い、ちっぽけな人間で。
先輩は僕のことを認識していないのか、僕の姿にも声にも反応を見せずに僕のすぐ横をふらりと通り過ぎた。
「・・・っ!先輩!!」
思わず大声で叫び、僕は彼女の腕を乱暴に引くと、自分の体に引き寄せた。彼女の体は簡単に僕の胸に収まってしまった。その低い体温を感じながら、彼女の体の小ささに戸惑う。
いつも僕の前を歩く、堂々とした先輩。何にも縛られることのないような自由な先輩。眩しくて目を細めなければ見ることのできなかった先輩。
その先輩の体は、実はこんなにも小さくて。
僕よりももっともっと細くて白くて弱弱しい。
僕はほんの少しだけ腕に力を込めて彼女を抱きしめた。そのいかにも脆そうな体を壊さないように。
先輩。ねぇ、先輩。僕は・・・




