7、ねーちゃんと俺
夏休みを前に終業式を残すのみとなったある朝、携帯が鳴ったので俺はベッドから体を起こした。メール送信者は“丹羽春樹” なんだあいつこんな早く起きてるのか?まだ6時だぞ。と思いつつ、メールを開く。・・・今日は休みか。夏風邪だろうか?あいつ体力ないから大丈夫だろうか。夕方見舞いにでも行こうかな。
いつも起きる時間よりもまだだいぶ早かったが、目が覚めてしまったのでそのまま起きることにした。勉強机とセットの回転チェアーに座り、意味もなくクルクルとまわしてみる。
あいつと出会ってもう一年以上が経つ。はじめはねーちゃんがいきなり連れてきたから何事かと思ったし、何やらちょっと癖のありそうな奴だったから正直仲良くなれるか不安だったけれど、今ではものすごく打ちとけることができた。部活の部員というだけでなく、男同士で語り合ったりとか、そういうのができる親友だと思っている。
ねーちゃんもあいつを気に入っているし、俺たちはこれまで一緒にいろんなことをして、いろんなことを話し、多くの時間を共に過ごしてきた。
しかし、俺たち兄弟は、ひとつだけ、まだあいつに話せていないことがある。
いつか言おうと思ってるんだ。だから、もう少し、心の準備をしてから・・・。
話さなくても別にいいんだけど、これからの俺たちの関係に、何ら関係はない過去の話だ。だけどあいつには話しておきたいと思う。
まぁ、いくらでも時間はある。きっと俺たちはこれからもずっとつるんでいるだろうから。
俺は机の上に置いてある写真立ての中の写真に目をやった。去年の夏休み、夏祭りの準備中に気のいいおっちゃんがとってくれたものだ。俺とハルとねーちゃん。心なしかハルはぐったりしているように見える。体力ないからなぁ。
その隣にもう一つ、写真立てがあった。中には若干古ぼけた一枚の写真。写っているのは俺とねーちゃんと、それから、両親だった。
彼らが死んでしまったのは、もうずっとずっと前で、俺はもうほとんど彼らについて覚えていない。だから両親の姿は、この写真に写る、この表情だけしか俺は知らない。だから二人が死んだあの時のことも、覚えているのはその時の強い感情と、ねーちゃんのことばかり。
俺はふと去年の夏祭りのことを思い出した。薄暗い土手の上で、3人で屋台の物を食べながらしゃべった時のことを。
ねーちゃん。ねーちゃんはやっぱりまだ、夏が嫌いなんだな・・・。
俺は泣いていた。焦げ臭い辺りと埃っぽい空気にむせながら、それでも、目の前で住み慣れた家がペチャンコになってしまったから――-両親とともに。
突然俺たちの住む町を襲った地震。異常なほど大きく揺れる中、俺たちは父親に連れられて外に出された。何が何だか分からなかったが、ねーちゃんが俺の手をぎゅっと握っていたから、再び中へ戻ろうとする父の背に手を伸ばしたけれど全然届かなくて、彼が入ってすぐ、再びの大きな揺れとともに家は潰れた。
まだ幼かった俺は、人が死ぬとかそんなことよくわからなかったけれど、失ってしまったという膨大な喪失感と、恐怖が体中を埋め尽くしていたことを今でも覚えている。
俺はひたすら泣きわめき、ねーちゃんは俺の手を取ったままただぼうぜんとそこに立っていた。
辺りの人たちは互いに押し合いへしあい、どこかへと避難していくのだけれど、俺たちはそこから動けずにいた。だって両親がまだその下にいるのだから。
そうしている人は周りにも数人いて、しかし彼らは自分の大切な人を助けるために必死になっていたのでもちろん俺たちには目もくれず、俺たちはその小さな体では彼らのように瓦礫をどけることもかなわず、二人で手をつないで震えていた。暑い暑い、夏の昼すぎのことだった。
3時間もすると辺りには誰もいなくなった。俺は泣き疲れてぐったりとその場に座っていたのだけれど、ねーちゃんは立ったままだった。のどが痛くてしゃべりたくなかったが、徐々に辺りを漂い始めた異臭に耐えられずにかすれた声で「何のにおい?」とねーちゃんに尋ねた。ねーちゃんは「夏だから・・・」とだけ答えた。
そうして暗くなり始めたころ、ようやく到着した救急隊員に俺たちは保護され、近くの小学校の体育館に大勢の人間たちとともに詰め込まれた。
いつもならとっくに寝ている時間になっても、俺は全く眠ることができなかった。真っ暗な中、辺りに大勢の人間がうごめく気配がする。それが怖くて、ねーちゃんにしがみついて声を出さずに泣いていた。泣き叫んだせいでのどが痛くて声が出なかったからだ。そんな時だった。
「坊や、何で泣いとるんかね?」
優しい声がした。聞いたことのない声だったので知らない人だ。近くで聞こえたと思ったら、もともとすぐ隣で寝ていたおばーさんだった。体育館の窓は全開になっており、そこからさす月明かりでかろうじてその人の顔を認識することができた。
「・・・」
俺は何も言わなかった。ねーちゃんにしがみついたまま、警戒するように彼女を睨みつけた。
「ごめんなさい、おばーさん。静かにさせますから・・・」
ねーちゃんはそういうと、俺の手を取り立ちあがろうとした。きっと外に連れ出そうとしたのだろう。周りで寝ている人たちの邪魔にならないように。
「何を言っとるかね。文句をいっとるわけではないんよ?」
老人は困ったように笑い、再び俺たちをその場に座らせると、ポケットから何やら出した。
「ごめんねぇ。暑さで溶けちゃったけんど、まぁ、味は変わっとらんと思うから・・・」
そう言って俺に差し出したのはレモンキャンディーだった。はちみつ入りの、甘くておいしいやつだ。
「・・・!」
俺はおずおずとそれを受け取って包みを破った。老婆の言う通り、それは溶けて原形をとどめていないし、包み紙に張り付いてなかなか取れない。しかし、なんとか口の中に入れると、さっきまで痛みを訴えていたのどがスッと鎮まるのを感じた。同時に口の中に広がる甘い味。
「あ・・・ありがとう」
俺はようやく出るようになった声でおばーさんにお礼を言った。
「・・・ありがとうございます」
ねーちゃんは俺の頭をなでながら、礼を言う。
「・・・で、おねーちゃんにはこっちがいいかな?」
そんなねーちゃんにおばーさんはまた違った包みを渡した。いぶかしみながら受け取るねーちゃん。
「ごめんねぇ。こっちも砕けちゃったんよ」
その手に渡されたのはビスケットだった。やはり中身はいくつかに割れている。ねーちゃんはそれをじっと見つめて、それから老婆を見て、また手元に視線を戻して「いただきます・・・」と言って口に含む。
そしてふいに嗚咽が聞こえ始めた。
俺はのどの痛みが引いたおかげでうっすらと眠りに引き込まれつつあったのだが、その声に顔をあげた。――――ねーちゃんは泣いていた。
ビスケットを口に含んだまま、涙をぼろぼろと流し、同時に口から嗚咽とともにビスケットもぼろぼろと落ちる。両親が目の前から消えてから、俺はひたすら泣いていたけれど、ねーちゃんが泣くのはこれが初めてだった。その涙を決壊させたものは一体何だったのか。老婆がくれたビスケットだったのか、もっと他のものだったのか。
おばーさんはそんなねーちゃんの小さな体を抱きしめて「えらいなぁ。あんたは偉いなぁ。よう頑張ったね・・・」と優しく背中をさすっていた。俺はその震えるねーちゃんの背中を見て、どうしようもない気持ちになって、ねーちゃんの背にしがみついてまた泣いたのだった。
そんな昔のことを考えていると、気がつけば1時間以上が経過していて、いつも俺が家を出る時間が迫っていた。
あわてて制服に着替えて顔を洗い、1階へと階段を駆け下りて行く。ねーちゃんはとうに家を出たのだろう。玄関に見慣れた靴はなかった。
リビングに入ると叔父が熱心にテレビに見入っていた。いつもは新聞を読んでいるのに、その新聞はといえばテーブルのわきに追いやられている。俺はどうしたのだろうと何気なくテレビを見やった。そこには
“○県○○地区、巨大地震により倒壊”
のテロップとともにアナウンサーが切羽詰まったようにまくしたてている様子が映っていた。
『ただいま○○地区の手前まできております。しかし、現場へ向かうための唯一の道は瓦礫により完全にふさがれており、緊急車両は全く進めない状況であります!よって被災者の状況は全く確認できておりませんが、我々テレビ局のヘリが上空から確認したところ、ほとんどの建物が崩壊・・・・・陽が昇り、霧が完全に晴れ次第、上空からの救助が開始されるとの報告が・・・・・』
どさっと言う音に反応して叔父が振り返る。俺の、筆箱しか入っていない軽い鞄がフローリングの床に落ちた音だった。
「和人・・・」
「・・・」
俺は無言で鞄を拾い、朝食を食べるのも忘れて、そのまま家を出た。




