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5、夏休み

 

 日々はゆったりと過ぎて行く。猫探しの一件はやはり特別だったみたいで、それからの活動は、他のお年寄りの家を訪問して、縁側でお茶を飲みながら会話をする、といったような穏やかなものだった。活動は毎日ではない。2日か3日おきに、全部で10件ほどのお宅を順に回った。どの家でも新入部員の僕を快く迎えてくれた。


 僕はあまり話がうまい方ではないし、話題もそんなに持っていないから心配していたのだが、それは杞憂に終わった。どちらかと言うと僕たちではなく、お年寄りたちがいろいろと話して聞かせてくれたからだ。楽しい話、興味深い話、勉強になる話、そして時には涙を流しながら語られる悲しい話を僕たちは聞いた。難しくてよくわからないところもあったけれど、そう言った話を聞くうちに、僕の目にかかっていた黒い靄のようなものがだんだん晴れて行くような気がした。気のせいかもしれないけれど。


 そして例の猫は、再びいなくなることはなく、飼い主の女の子とともに無事に家に帰ったらしい。あの一件の後、彼女に何度か会ったけれど、人とのかかわりを恐れていた部分は、いつの間にか消えたように見えた。



 活動日ではない日でも、僕たちはなんとなく部室に集まっていた。それぞれ思い思いのことをして過ごす。と言っても、僕はたいてい勉強していて、カズトは昼寝、先輩は読書といった感じでほぼ定着しているのだけど。

 その間、ときどきどうでもいいような会話が交わされる。


「暇ねぇ・・・」


 先輩が言う。


「ねーちゃん、もうすぐ夏休みだし、心配しなくても忙しくなるよ」


 なぜ夏休みが忙しくなるのだろうか。僕は数学の宿題を解きながら頭半分で聞いていた。


「そうね、今年の夏まつりはどんなことをするのかしら。去年の花火の準備は大変だったわね」


 苦笑しつつ先輩は言う。そんなに大変なのか。夏休みということで油断していた。活動は続くし、時間的な制限がないからこれまでよりも仕事が増えるかもしれないな。

 そんなことを考えていると、開け放たれていた窓の向こうが何やら騒がしくなってきた。

 何事かと目をやると、いがぐり頭の野球部員や、髪を今風に逆立て、練習着をおしゃれに着こなすバスケ部員たちがそろいもそろってブルーのゴミ袋を抱えて校舎へと向かっていく。正確にはその向こうのゴミ捨て場だろう。


「こんな時期に大掃除ですかね」


 不思議に思って僕は言う。まぁ、夏休み前だし、それも分からなくもない。しかし先輩は、


「あぁ、夏休み前に、部室の場所移動があるからよ。定期的に交換しないと、不公平だからって」

「え、じゃあ、僕たちも片づけないと・・・」

「何言ってるの。私たちはこのままよ。別に許可を取って使ってるわけじゃないもの」

「・・・へ?」


 きょとんとする僕に、先輩はいつかのように、さも当然と言った感じで言う。


「前にも、この部は認可されてないって言ったでしょ。だから部室棟の一番端の、日陰になっててどの部も使わないこの部屋を、勝手に使ってるだけなの。だからハル君、先生たちには内緒ね」


 いやいや、授業をさぼって窓全開で昼寝している人が言わないでよ。


「ま、もし追い出されちゃったら、他を探しましょ」


 本当にこの人は自由だ。悪い意味ではなく。

 そして事もなくそんなことを言うもんだから、そうなったとしてもなんだか大丈夫な気がしてくる。実際にはこんな良い場所、他に見つけるのは苦労するだろうけど。


 先輩は、自由な人だと思う。

 世の中はたくさんの人がいて、いろんな人がいて、いろんなものがある。加えて学校というのは思春期の子供たちが大勢集まってぎゅう詰めにされているので、たいそう窮屈だ。

法律に始まり、この世には・・・この国にはたくさんの決まりや制限があって生きにくいと思う。そんな中、先輩はとても自由だ。決まりを破っているわけではないし、否定しているわけでもない(多少曲げてるかもしれないけれど)。でも、縛られているようには見えなくて。


 先輩は窓の外に目をやり、去っていく生徒たちを楽しそうに見ていた。僕はシャーペンを置き、テーブルに頬杖をついて同じように彼らに視線を投げる。彼らは汗だくになりながら、タオルやごみ袋を振り回しはしゃいでいた。気温は徐々に上がり、もうすぐ夏がやってくる。


「ねぇ、先輩」


 僕は彼女の横顔に視線を移した。彼女は視線をそのままに「なぁに?」と言う。


「夏休み・・・楽しみですね」


 先輩がちらりと僕の顔を見た、のが視界の端に映ったが、その時僕はすでに教科書に顔を戻していたので、彼女がどんな表情をしたのかは分からなかったけれど。


「そうね、楽しみ」


 先輩の声は弾んでいた。





 夏休みが始まる前には、もちろん学期末考査がある。僕は普段からそれなりに勉強しているし、いじめられるほど成績がいいので、普段と変わらなかったのだが、カズトはそうでもないようで、テスト前週間になると僕に泣きついてきた。

 というわけで、テスト前週間には部活動が休みになるため静まり返った部室棟で、僕たちはのんびり勉強した。(カズトは必死に)。

 そうこうしているうちに、期末考査も終わり、僕はもちろん、カズトも赤点を取ることなく、無事夏休みを迎えることができた。


 夏休みが始まっても、定期的なお年寄り訪問は変わらない。行って、良く冷えた麦茶を飲みながら、いつもより長い時間、楽しく話をした。



 そんな夏休みのとある日、僕はなぜかまた虫取り網を抱えていた。もちろん、夏休みだから蝉でもとろう、と思ったわけではない。僕がいるのは近所の河原だった。

 僕は土手に腰をおろし、夏の太陽を反射してキラキラと光る水面を眺めていた。休憩中だ。その隣でカズトものんびりと寝転がっていた。日差しは強いけれど、土手には丈の低い草が生えていてひんやりとしているし、水面を通って吹いてくる風は心地よく、暑さはあまり気にならなかった。


「ハル君!カズ!早く戻って来てよ!」


 声のする方に視線をやると、いつもは下ろしている長い髪を高い位置で一つにまとめてた先輩がこちらに向かって叫んでいた。


 今日は例によってとあるおじいさんからの依頼でここにいる。何でも、飼っているブラックバスの餌が欲しいのだそうだ。いつもはペットショップで買ってきたドッグフードみたいな魚の餌を与えているのだが、たまには活きのいいものを食べさせてやりたいんだとか。で、ザリガニでもメダカでも金魚でも何でもいいからとってきてほしいと頼まれたのだ。


 さすがに川に金魚はいないだろと思いつつも、僕たちはこうして再び虫取り網を手に、高校生だというのにはたから見ると川遊びのようなことをやっているのである。

 いや、実はと言うとそれなりに楽しかったのだ。かたわらに置かれたバケツにはもうすでに何か分からないが魚やらエビっぽいやつやらがたくさん入っている。これだけあればそのブラックバスもおなかいっぱい大満足だろう。

 しかし、先輩はまだ満足していないらしい。普段は涼しげな色合いのロングスカートを着ていることが多い彼女が、今日は濡れないようにか、かなり短い短パンをはいて、膝くらいまで水に入り楽しそうにパシャパシャとやっている。あらわになった太ももは雪のように白く、正直言って目のやり場に困るのだが、本人は全く気にならないみたいだ。


 そして、かれこれもう2時間近くやっているので僕は疲れてしまっていた。隣のカズトもそうだろう。先輩は魚が足りないのか、遊び足りないのか知らないが、不満そうに頬を膨らませてまた魚取りに戻った。

 そんな先輩を眺めながら、ボケっとしていると、寝ていたはずのカズトがむくりと起き上がった。


「あ、おはよ」

「あぁ、うん、おはよ。でも、寝転がってただけでずっと起きてたんだけど」

「そうか」


 カズトは僕の顔を見て、それから先輩の方を見た。


「なぁ、ハル」

「なに?」


 軽い調子で僕は問い返す。しかし、思ったよりカズトの口調は重い。何だろう、具合でも悪いのだろうか。


「ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだけど・・・」


 そう言うので、なんだか大事な話なのかと思い、僕は虫取り網をいじっていた手を止め、彼に向き直った。しかし、


「やっぱり、また今度」

「なんだよ、それ、気になるじゃないか」


 僕は若干拍子抜けして、口をとがらせて言った。


「悪い悪い。・・・でも、そのうち、聞いてくれ」


 カズトの様子がいつもと違うので、あまり引っ張らない方がいいのだろう。

 いつか話すというのだから、それまで待っていればいい。

 ふいに、僕の上に影がかぶる。顔をあげれば、そこにはバケツを抱えた先輩が立っていた。


「そこのだらけた男たち、そろそろ帰るよ」


 バケツをいっぱいにした先輩はどうやら満足したようだ。ほくほく顔で今にも鼻歌を歌いだしそうだ。

 先輩はカズトにバケツを押しつけて、先に歩きだした。


「ねぇ、先輩」


 僕は彼女の背に声をかける。するとくるりと振り返って「なぁに?」という。


「やっぱり・・・何でもないです」


 さっきのカズトのようだ。言いかけてやめるなんて。でもいったい僕は何を言おうとしたのだろうか。ただ無意識に、先輩を呼んでしまった。


「なによ、気になるじゃない」


 大漁のためご機嫌なのか、先輩は怒るどころか、クスクスと笑った。

 先輩の背後で水面がきらきらと輝く。僕はそれを見て目を細める。まるで先輩自身が輝いているかのようだ。いや、実際に光を放っていなくても、僕にとって先輩はいつも眩しい存在で。だから僕は、その眩しさのあまり彼女をまっすぐには見られないのだ。


「ほら、行くわよ?」


 なかなか起き上がる気配のない僕へ向かって、彼女は惜しげもなく、その綺麗な顔で満面の笑みを見せた。



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