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1、僕

「ボランティアサークルへようこそ!」

 白い引き戸を開けて、中に入った瞬間、先輩は子供のように無邪気な笑みを見せた。

 窓から入る温かな光と、さわやかな風。それに乗って春の香り・・・草花のみずみずしい香りが僕の鼻孔をくすぐった。


 ねぇ、先輩。

 どこでどう間違ってしまったんでしょうか。

 あの春の日から一年と少し。

どこをどうすれば、こんな結末にならなくて済んだのかな。

ねぇ、先輩。

先輩・・・。






 8時半。授業は9時からなので、教室の中には、まだ生徒は半数ほどだった。僕は開け放たれたドアをくぐり、窓際の自分の席へまっすぐ向かった。もちろんだれにも声をかけないし、誰からも朝の挨拶などされなかった。

 席にたどり着いて鞄を置こうとしたところでため息が出る。


「またか・・・」


 僕の机の上には極太の黒ペンで(たぶん油性だろう)


“調子に乗んなよ根暗メガネ”

“優等生ぶってんな!!”

“馬鹿にしたような目がむかつく!死ね!”


 などなど。

 よくもまあ毎日毎日・・・。昨日は6時半くらいまで残って勉強していたから、たぶん書いたのは今日の朝だろう。これだけのためにわざわざ早く来ているのだろうか。本当にあきれる。こんなことをするくらいなら、朝もう少し寝た方が有益なはずなのに。・・・馬鹿にした目?こんなくだらないことをする奴ら、馬鹿でなければ何なんだ?

 僕はまたひとつため息をついてその席に座った。もちろん、座る前に、座席に画鋲や糊などがないかさりげなくチェックしてからだ。どうやらこのクラスの連中は、まだそこまで頭が回っていないらしい。やっぱり馬鹿だ。


 僕がこの高校に入学して一ヶ月が立つ。桜はとうに散り、青々とした葉桜が窓の外で気持ちよさそうに風に吹かれている。横目でそれを見ながら、僕はこの一ヶ月をぼんやりと思い返した。

どこで間違った?いや、そんなのはっきりしている。入学直後の実力試験だ。ちなみに言うと、僕は全然悪くない。悪いのは全部無能な教師だ。


 実力試験の翌日、担任が解答用紙とともに、この試験でその生徒の順位が何人中何位であるか、と、担任からの一言の書かれた小さな紙が渡された。

 中学の中ごろからだろうか、この地区の学校ではそんな決まりができた。何でも、順位を廊下に張り出すスタイルでは、下位の生徒がいじめの対象になる危険があるからだとか。

 と、いうわけで、例にならってその教師も僕にそれを渡したのであるが、そのあとがいけなかった。なんと、彼は僕の手を取り、「いやぁ、君は大変優秀だ!入学試験だけでなく、今回の試験でもトップを取るとは!君には期待しているよ。東大も夢じゃない!」

 ニコニコと、あほ丸出しの顔で教師は笑う。

 その瞬間、クラス中の生徒の視線が・・・ただの視線ではなく、敵意、嫉妬・・・そういった暗い感情を伴う視線が僕に集中した。


 ・・・この教師、馬鹿じゃないのか。


 僕は信じられないといった表情で彼を見つめた。しかし、担任は悪気など全くないといった笑顔で白い歯を見せている。見た感じ年齢は40を超えていると思うが、10年以上教師をしていて、何も知らないのか?


 いじめを受けるのはなにも下位の生徒だけではない。ずば抜けて成績のいい人間にも向けられるのだ。もちろん、本人の人間性とかもあるので、必ずしもそうとは限らない。たとえば、優しくて面倒見のいい生徒会長とかなら、一般生徒たちはあこがれこそすれ、嫉んだり、ましてやいじめの対象になどしないだろう。しかし、あいにく僕はそこまで人間性が優れているわけではない。というか、はっきり言って歪んでいると自覚している。


 しかし、それでも普通に人と会話はできるし、別段、人に不快感を抱かせるような外見でも、話し方でもないし、暴言もはかない。面倒見はよくないかもしれないけれど。

 それにこのとき、まだ入学3日目である。それほど親しい人間はいない。もし僕の人間性がとても優れていたとしても、それすらきっとまだ発揮できていない時期だ。なのに。

 そこで担任のこの発言だ。生徒たちの暗い視線の理由はよくわかる。加えてここは進学校。自分以外に向けられる賛美や、贔屓、期待に彼らは敏感だ。

 ・・・終わったな。ここでも。

 僕はそれでも、一瞬だけ動いた表情を引っ込めて、「そうですか、どうも」と感情のない声で言い、自分の席に戻った。そこまで仲良くはなれなかったが、この三日間は他の生徒たちも普通に接してくれていたのに。「何のためのもんだよ」誰にも聞こえない小声で呟き、小さな順位表を握りつぶした。



 しかし、だからと言って別段困ることもないのだけど。

 窓の外に視線を投げたまま、机に頬杖をつく。グランドの向こうに白い建物が見えた。まだ新しいプレハブ小屋はどうやら部室棟らしかった。放課後になると部活に所属している生徒たちが吸い込まれていくからだ。そして暑苦しそうな野球のユニフォームや、卓球の、なぜそこまで短くしたのか分からない短パンに襟付きの派手な色合いのユニフォームなど、それぞれの衣装に身を包んだ者たちが出てくる。僕は放課後、そんな風景を眺めたりしながら、ここでのんびり宿題と予習復習、たまに読書などをしてから家路に就く。


 机に落書きされようと、机としての機能を果たしてくれればそれでいいし、机の中にもロッカーの中にも私物は入れていない。起き勉なんてしようものなら格好の餌食になるのだろうけれど、家でも参考書とかは使うし、体育シューズも毎回持ち帰ってまた持ってくるのはそんなに苦ではない。僕は帰宅部だから、部活に必要な物がない分、みんなよりも荷物は軽いし。


 チャイムが鳴った。ぼんやりしているうちにもう授業が始まる時間だ。僕は部室棟から目を離す。その時、視界の端に何かが引っ掛かった。白い建物の一番端、そこだけ影になっている部屋。開いたままの窓辺に、人影があった。長い黒髪が風に揺れる。

 もう授業が始まるのに、あんなところにいてもいいのだろうか。この学校、成績だけでなく、出席率もわりと重視するのに・・・。


 そんなことを考えていると、英語の教師が教室に入ってきた。僕は視線を前に戻し、クラス委員の号令で起立、礼、着席・・・。授業が始まる。




 昼休み、僕は屋上にいた。もちろん、昼食をとるためだ。

 教室は騒がしいし、何かとうっとおしい。周りの視線とか。

 それに外はこんなに気持ちがいい。春は好きだ。単に気候が好きというのもあるが、もしかしたら僕が生まれた季節だからかもしれない。それは僕の名前が春樹という、何のひねりもない名前に反映されていて、そっちの方はあまり気に入ってはいないのだが。


 入学してから今まで、毎日ここで昼休みを過ごしている。もともと一人が好きなタイプだった。静かな場所が好きで人混みが嫌い。でも、人が嫌いなわけではないし、友達が欲しくないわけでもなかった。ただ、僕を下らない理由で嫌うやつらとは友達になりたくないだけで。


 もう少しして、日差しが強くなり始めたら、ここもちょっと厳しいかもしれない。屋上は空に一番近いだけあって、地上よりは体感温度が高いし、ここには影になるようなものはない。そしたらどこに移動しようか。別に静かな所ならどこでもいいのだけれど。

 僕は昼食のコンビニおにぎりをほおばりながら、空を仰ぐ。チチチッと鳴きながら小さな鳥が横切った。

 そうだ。5限目は生物の授業で小テストがあったはず。

おにぎりを飲みこんで僕は隣に置いてある鞄の中をあさった。鳥を見て思い出すのはそれか。なんとも風情のないことだ、と自分にちょっと苦笑する。余談だが、別に昼休みまで勉強しようというガリベンだからこんなところまで鞄を持ってきたわけではない。もちろん、教室に置いておくと大変なことになるからだ。まだこの学校では何の被害も出していないのだけれど。

 

 何を隠そう(いや、別に隠してはいないが)、僕は中学のころからこのような・・・いわゆるいじめにあっていた。物を隠されたり、机に落書きは当たり前。理由は今と同じ、成績がいいというだけで。今の、成績を他者から見えないようにする制度は残念ながら中学の途中からできたので、中学に入学したての実力考査、張り出された成績を見て、一発で標的にされた。当時はそれなりに悲しかったし、予想もしない嫌がらせにものすごく苦労した。 


 しかし慣れてみればそれらはパターン化しているし、こちらがうまく立ち回れば難なく回避できるものだ。それが高校生活でも大きく役立っているのは大変不本意だが。


 勉強はまぁまぁ好きな方だ。知らないことを知るのは楽しい。好きこそものの上手なれともいうように、やるから成績は伸びる。でも、僕は別段それを鼻にかけたりしていなかったし、もちろん周りを見下したりしなかった。乞われれば快く教えるつもりだ。誰も聞いては来ないけれど。しかし周りはそうは見えなかったらしい。変な先入観で人を見て、勝手な人物像を描いていく。

 そして僕はそれを日常として受け入れている。悲しむことなく、淡々とこなす。ただこの目は、だんだん曇って来て、人を映す時、黒く染まってよく見えない。そして見えないまま見ようとしなくなって、どうでもよくなっていく。


でも、仕方がないじゃないか。


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