色彩ぼやけた視線の先Ⅷ
「・・・はっ」
千尋が目を覚ますとそこは薄暗い部屋の中だった。
千尋は白いベッドの上でなぜか寝ていた。
「ここは・・・いたっ」
頭に激痛が走った。
その部分をなぞると包帯が巻かれていて、手を見てみると血が付いていた。
「そういえば俺・・・ボールとチューしてまさかのファーストキッス!?」
「何言ってるの?お兄ちゃん」
「なぁ!?」
ゆっくりとドアの方へ首を動かすと麻貴が包帯を持って立っていた。
誰もいないと思って意味のわからないことを言っていたのにそれを聞かれていたとわかって顔から火が出そうな気分の千尋だった。
「おう、恥ずかしい!!・・・っ」
恥ずかしさに耐え切れず顔を布団に埋める。それが原因でか痛そうに頭を押さえる千尋。
「だ、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫・・・。それよりここはどこだ?」
「学校の保健室。ごめんね。あたしが打ったボールがあたったらしくて・・・」
「そんなに気にするなよ。あんなのただの事故だろ」
「そう?ありがとう」
麻貴は申し訳なさそうに頭を下げる。
「あ、そうだ。ちょっと待って」
そう言って麻貴は携帯電話を取り出し、誰かに電話をかけていた。
麻貴が電話を切った次の瞬間、廊下から地響きが聞こえた。
『大丈夫ですか!?』
すごい勢いでドアが開いた。
そこにはソフト部メンバーが総出で立っていた。
「おお、間宮!大丈夫か?意識は?どこか傷は?」
「だ、大丈夫ですよ」
「本当だろうな!?」
「は、はい」
「そうか・・・」
球余はそれを聞き安堵の声を漏らす。
そして、いったん部員のところに戻り、張りのある声で部員たちを整列させた。
「この度、われらの不注意で怪我をさせてしまってすいませんでした」
『すいませんでした』
保健室が震えるぐらいの声量で謝られた千尋はあわててベッドから立ち上がる。
「頭をあげてください。こちらが不注意だったのもありますし」
「いや、あれは全面的に私の責任だ。部長ともあろうものが…もっと周りに気を使うべきだった」
「そんな…あ!そうだ」
そう言って千尋は麻貴に耳打ちをする。麻貴はすぐに千尋の鞄から一つの包みを取り出した。
「これ、本当はお昼に食べようと思っていた物なんです。これを帰ってから食べるのにはさすがに無理があるので、今だれかに食べてもらえると助かるのですが・・・」
千尋はわざとらしくソフト部員たちに目を配るとソフト部員たちは生唾を飲んだ。
「これを皆さんが食べてくれるっていうので手打ちにしませんか?」
「じゅる…はっ!!だ、ダメだ。そんなのでは示しが…」
「食べてくれないのですか?」
「しょ、しょうがないな。それでいいというならそれで手をうとう」
「ありがとうございます」
「お前ら、間宮のためにも食うぞ」
『わーい』
ソフト部員はその包みをかかげ、走り去って行った。
その場には球余だけ残ってもう一度しっかりと頭を下げた。
「本当にすまなかった」
「あ、頭をあげてください。縁下先輩にはいつもお世話になっていますし」
「それはこっちも一緒だ。こんなことはもうないようにする。それに今回の謝罪は後日、しっかりとさせていただく」
「…わかりました。ですが、あまり気になさらないでください。それで先輩がけがをしたら元も子もありませんから」
「そう言ってもらえると助かる」
球余は安心したのかにこりと笑った。そして、すぐに球余もグラウンドへ戻って行った。
「ね、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「なんか今日変だよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
オレンジに染められた保健室に時計の秒針の音だけが響く。
「ああ、今日は変だ。自分でも思うよ。熱があったぽいし、風邪でもひいていたんだろ」
「本当に?」
麻貴が静かに千尋に瞳を見つめる。千尋はそれに耐えられず目をそらす。
「そ、そういえば渚は?」
「帰ってもらった」
「そうか。心配かけたしメールしなきゃ…」
「話をそらさないで!!」
「・・・・・・・・・・・・・」
千尋はうつむき、けして麻貴と目を合わそうとはしなかった。
「何があったのお兄ちゃん!?私に言えないこと!!」
「…何もないよ」
「絢お姉ちゃんに名前で呼ばれたこと」
「……関係ないよ」
「それともお母さんとおんなじように読んだから」
「関係ないっていってるだろ」
ぽつぽつと言葉を漏らす千尋に対し、麻貴はどんどん声を荒げていく。
「お母さんの事が嫌なら直すよ。それとも私たちになにか原因があるの?言ってくれなきゃ分かんないよ!!」
「詠子さんは……関係ないし…お前らのせいでもない」
「じゃあ、何がいけないの!?教えてよ、ちひろ!!」
「俺を名前で呼ぶなぁあぁあぁぁぁああぁぁぁ!!!!!!!!」
「・・・・・」
千尋が絶叫にも似た怒号をあげる。
麻貴もその叫びに言葉を詰まらせる。
「俺を…俺を名前で呼ぶな。俺はお前らの兄でなきゃいけないんだ!!間宮千尋じゃない!!ただの五人の妹たちの兄でしかないんだ!!」
「な、なにそれ?意味わかんないよ!」
千尋ははっと我に返りうつむいた。
「……ごめん。大声出しちゃって」
「ねぇ、お兄ちゃんは何を考えてるの?」
「……今日は先に帰ってくれ」
「やだよ!」
「帰れ!!」
「やだ‼」
麻貴の頬に温かい雫が下って行った。そこで自分が泣いてることに気付いた。
「お兄ちゃんがこんなに苦しんでるのに、私は何もできないの!?お兄ちゃんにとって私たちが重荷なら私は離れてもいい。お兄ちゃんがこれ以上、苦しむところを私は見たくない」
我慢したいのに頬を次々と流れる涙。
心の浮かぶ言葉が次々と涙とともに溢れ出す。
「私は…お兄ちゃんに笑ってほしいの!!」
不意に麻貴は手をひかれた。
気付くと麻貴は千尋の胸に顔を埋めるような形で千尋の腕に包まれていた。
「ごめんな。お前らはなにも悪くない」
「う、うわぁ~~~ん」
それから何時間経っただろうか。いや実際は数分だっただろうが、千尋と麻貴には何時間にも感じられた。
「麻貴。大丈夫か?」
「うぐ、だ、だいじょうぶ」
嗚咽を漏らしながらうなずく麻貴の姿を見て千尋は笑いながらため息を漏らす。
「大丈夫には見えないよ。ほら、ハンカチ」
「ぐすん、ありがとう」
ハンカチで目をぬぐう麻貴を楽しそうに見る千尋。
「お兄ちゃん覚えてる?私が子供のころよく男にからかわれてたこと」
「ああ、よく覚えてるよ」
「あの頃から私は運動が好きで男に負けないぐらい運動ができた」
「あの頃から麻貴はすごかったな」
「でも、男子は気に食わないらしくてよく男女なんて言われてからかわれた」
麻貴は静かに手を伸ばし千尋の手を握った。
「男子に囲まれて、男がこんなもの履くなってスカート下ろされちゃった時、お兄ちゃんがすぐに助けてくれた。私にはヒーロに見えた。私がお兄ちゃんを好きだと気付いたのはその時からだった。それから運動で男子に勝つ度にお兄ちゃんが褒めてくれて、その度に胸がキュッとなって…でもすごくうれしかった」
「……そうか」
「お兄ちゃん…大好き」
千尋はその言葉を返す代わりに、手をぎゅっと握り返した。
「………俺も勇気出さなきゃな」
「え?」
「俺は……」
千尋は渚にした過去話を麻貴にも話した。
話し終える頃には周りは夕日もほぼ沈み、電灯がつき始めていた。
「と、こんな感じの話…」
「う、う、うわぁ~ん」
麻貴はまた大声で泣き出していた。
「なんで、お前が泣いてるんだよ」
「だって、だってぇ~。お兄ちゃんがそんなに苦しんでたのに私…わたしぃ」
「ほらほら、泣くなよ。お前が泣いてたら俺が泣けないだろ」
「でもぉ~」
「もう、そろそろ帰るぞ。泣きやまないと置いてくぞ」
「ぐすんっ。わかったぁ」
保険医の先生に一言挨拶をして学校を出ると校庭にはもう誰もいなかった。
千尋はいまだに泣きやまない麻貴の方へ手を伸ばす。
「ほら、早く帰ろう」
「…うん」
二人は手をつなぎ、ゆっくりと帰り道を歩いた。
家の前に着くと千尋は麻貴の頭をなでた。
「俺も勇気を出してみるよ」
「え?」
「俺もいつまでも立ち止ってるわけにもいかないんだ。麻貴のおかげで踏ん切りがついたよ。ありがとう」
「えっと…どういたしまして?」
疑問符を頭に浮かべたままの麻貴をその場に置いて玄関のドアを開ける。
「ただいま」
「ちぃ~くん」
千尋が玄関をくぐると同時に詠子が飛びついてきた。
「大丈夫?頭ぶつけたって!?傷は!?」
球余のような反応を見せる詠子。ついそれを見て笑ってしまう千尋。
「大丈夫ですよ」
「本当に?ああ、痛そうに」
「本当に大丈夫ですよ………母さん」
「え?」
詠子は自分の耳を疑った。千尋の口から聞きなれない単語が聞こえた。
「だから、問題はないです。母さん」
「え、ち、ちぃくん……今なんて」
「もう耳が遠くなったのですか?大丈夫だって言ったんです。母さん」
「え、え…………えぇ~~~~~~ん」
詠子は腰が抜けたかのように座り込んだかと思うと急に泣き出した。
千尋はそれに驚いて、詠子を覗き込むようにして声をかけた。
「ど、どうしたんですか?」
「だ、だってちぃくんが、ちぃくんが……かあさんってぇ~」
「そんなことで泣かないでください。こんなことでいいならいくらでも言ってあげますから」
「お兄ちゃん、おかえ・・・・・・なんでお母さんが泣いてるの!?」
「にぃに。何してんの!!」
「俺は何もしてないよ!!」
「あは、あははは」
泣きながら笑う詠子の姿につられて、ほかのみんなも笑い始めた。
千尋は麻貴のほうを見ると麻貴は嬉しそうに笑った。
「おつかれ。そして、おめでとう」
麻貴と千尋は向き合って笑った。
仮面のような冷たいものでなく心からの笑みだった。




