過去からの星空きっぷ
渚が目を覚ますとあたりは静かな暗さで包まれ、空にはまんべんなくきらめく星が散りばめられていた。
「あ、起きた?」
いきなり渚の視線を何かの影が埋める。それは千尋の顔だった。
「・・・ここは?」
「野球場の近くの公園」
渚は自分の置かれた状況を理解することができなかった。その顔を見た千尋は苦笑いを浮かべた。
「ええっと、鬼ヶ島と一緒に野球見に行ったのは覚えてる?」
コクコク
「で、その途中で番長が打ったホームランボールが鬼が島の頭に直撃して、気を失っちゃった感じ。いやぁ、心配したよ」
「ご、ごめん」
渚は心配させてしまったことやら野球場で色々と迷惑をかけてしまったことなど、色々と面倒をかけてしまったことに申し訳なくなり、顔をそらそうと寝返りを打った。
そこで初めて自分の状況を知った。渚は千尋に膝枕をされていた。
「っ!!!」
渚は顔を真っ赤にした。それを千尋は心配そうに見つめた。
「どうした、鬼ヶ島!?顔が赤いぞ。熱でも出たかな」
そう言って千尋は顔を渚に近づける。
そのまま、おでこをくっつけしばらく目を閉じた。
渚はさらに顔を赤くした。
「ちょ、ちょっと離れろ!!」
「お、おい。暴れるな」
手で千尋を押し上げ起き上がろうとした渚を千尋は肩を押さえ、自分の膝に頭を預からせるように寝かせた。
「まったく、もう少しけが人は静かにしてなさい」
「で、でも・・・」
「でも?」
「これはさすがに恥ずかしい」
「人に心配させた罰です」
そう言いながら千尋は楽しそうにほほ笑んだ。
「でも、本当に何んともなさそうで良かった」
千尋は夜空を見上げながらつぶやいた。その息は白くなっていた。そこで野球場に入った時に千尋が来ていたはずの上着が自分にかけられていることに渚は気づいた。
「お、おい、これ・・・」
「いいから、けが人は黙って看病されればいいの」
渚は上着を持ち上げるが、それは千尋の手で強制的に戻された。
渚にもう一度上着をかけなおすと千尋は小さな声で呟いた。
「星がきれいだな」
「ああ、そうだな。僕、星空こんなにしっかりと見るのは久しぶりだよ」
「俺もだよ。小学生以来かな」
そのあとも無言で二人は星空を見上げた。
「あれ、そういえば麻貴ちゃんは?」
「ああ、先に帰ってもらった」
「そ、そんな・・・」
「大丈夫だよ。親父に来てもらったから」
「ぼ、僕なんておいといて帰ってもよかったのに」
「だめだ!!」
千尋は少し大きな声を出してしまったことに自分でも驚いたらしく、目を見開いたあと苦笑いを浮かべていた。
「ご、ごめん」
「こちらこそ、大きな声出してごめん。でも、どんな小さな怪我だって軽く見ちゃだめだよ。何があるか分からないからね」
「うん」
「本当に人なんて脆くて、いつ、何が起きるかなんてわからないんだから」
千尋は渚に言い聞かせるようにつぶやいた。渚には千尋の表情が微笑んでいるのになぜか悲しそうに見えた。
「なぁ、鬼ヶ島・・・すこし、俺の昔話に付き合ってくれないか。迷惑なら聞き流してくれ」
「・・・うん」
星空を見上げ千尋は小さく息を漏らした。
「お前も知っての通り、俺と俺の妹たちは血がつながってない。いわゆる義妹ってやつなんだよ」
「しかも、完璧にだ。父親も母親も全く違う人だ。親父が再婚しなきゃただの他人だったやつらだ」
「俺の前の母親はもともと体の弱い人だった」
「そのせいもあって家のベッドでよく寝てたよ」
「俺の一番の遊び相手だったよ。よく絵本も読んでくれた」
「その声はいつも優しくて、暖かくて、弱弱しくて、すぐに消えてしまいそうだった」
「だから、俺はいつも母さんの近くに行って、絵本読んでって言ったんだ」
「俺は母さんがいなくなるのが怖かったのかもしれない」
「親ってすごいよな。なんでもお見通しだった。俺のそんな気持ちもばればれだったよ」
「ある日、母さんが言ったんだ」
「もし、私が居なくなったも周りの人に優しくできる子でいてね」
「そして、英司さんが私以外の人を選んだとしても、その人を許してあげてってね」
「その一週間後に母さんは病気が原因で遠くに行っちまった」
「本当に悲しくて、それから一カ月は何もかもがかすれて見えたよ」
「それから三年の月日がたった」
「親父が再婚した」
「俺には一人の母親と五人の妹ができた」
「俺は妹にさびしい思いをさせまいと必死だったよ」
「でも、おれは心の中でそれを認めることができてないんだ」
「今・・・・・・・・・・・・この時も」
千尋は公園の奥の暗闇を睨みつけた。まるでそこに自分の一番に憎む相手がいるかのように。
渚は小さな声で聞いた。
「認められないって何が」
千尋はまるで自分をあざ笑うかのように微笑んだ。
「全部だよ」
「親父が再婚したことも!新しい母親ができたことも!五人の妹も!!」
「俺の周りのすべてを!!!」
千尋は泣き出しそうな目で叫んだ。近くを歩いていた通行人がおかしなものを見たかのような視線を向けるが、そんなことも気にせず千尋はつづけた。
「俺は、俺は・・・あいつらの存在を認められないんだ」
「詠子さんだって、妹たちだって・・・・・・・みんな、良い人だ」
「なのに俺はあの人たちを認められないんだ」
「それなのに俺は!!」
「あの人にちぃくんって呼ばれるたびに!!」
「お兄ちゃんと呼ばれるたびに!!」
「母さんが消えそうで」
「あの声が遠くに行ってしまいそうで」
「それが俺は恐いんだ」
千尋の頬になにか温かいものを感じた。それが自分の涙であることに気づくまではそう時間は必要なかった。
「・・・ごめん。こんな話聞かせて」
「ん、別にいいよ」
「本当はこんな口みたいなこと言うつもりはなかったんだけど」
「いいよ。お前の本音が聞けたからな。これを弱音に明日からパシってもらえるからな」
「なんだよ、それ」
千尋と渚はお互いに自然と笑っていた。そこには先ほどまでの悲しさはどこにもなかった。
「さて、もうそろそろ行こうか」
「もう大丈夫か」
「僕をなめんなよ。あんなボールの一つや二つ、敵じゃないよ」
渚は起き上がりながら冗談めいた言葉を吐いた。
「そんないい加減なこと言うな。もし、鬼ヶ島にも何かあったら」
千尋が怒るように、何かに恐がるかのように怒鳴ると渚は振り返り笑顔で言った。
「大丈夫だ。僕は消えないよ」
千尋の手を渚は力強く握った。先ほどまで震えていた千尋の手もその瞬間その震えも消えていた。
千尋と渚はそのまま静かな河原にそった道を歩いた。
二人は渚の家へと向かっていた。渚は一人で帰れると言ったが千尋が見送ると言い張ったので二人で帰ることとなった。
「なぁ、間宮」
「なんだよ」
「さっきの話だけどな。お前が一人で背負いこまなくても別にいいんじゃないか」
「え?」
「だからさ、お前には自慢の妹が五人もいて、学校には前園だって、僕だっている。誰かにその気持ちを吐いて、それで一緒に考えればいんじゃないか」
「・・・・・・・・」
千尋は渚のその答えに何も言えなかった。そんなことも考えたこともなかった。千尋の中にはそんなこと思いつく欠片もなかった答えだった。
「僕もここで秘密を暴露していいか」
「な、はぁ、えっ」
混乱する千尋を気にせず渚は楽しそうに道の端を歩きながら話を続けた。
「僕、実は男性恐怖症なんだよ」
「いや、だったかな」
「昔、見知らぬおっさんに変なことされそうになって」
「まぁ、未遂だったんだけど」
「その後も、男子がやっぱり怖くて」
「色々、格闘技とか覚えて」
「でも、逆にそのせいで男子・・・というか不良たちに目をつけられて」
「校舎裏に呼び出されて囲まれちゃったんだ」
「そんなとき、通りすがりの男子がさ、いきなり、その不良たちと僕の間に入ってきたんだ」
「そいつ、なんて言ったと思う」
「女一人にこんな数で挑んで、どんなナンパ集団だよ。女を口説くなら一対一でやろうぜって」
「バカだよな」
「不良たちもなんだこいつぅみたいな顔でそいつに殴りかかってきたんだ」
「そしたら案外そいつが強かったのか、不良が弱かったのか、すぐに不良たちを倒しちまったよ」
「で、僕はそいつが助けてくれたのにそいつを蹴飛ばしちゃったんだ」
「理由は単純明快。そいつが男だったから」
「でも、蹴飛ばされてそいつはなんて言ったかわかるか」
「ナンパする前にふられちゃったか。残念、だと」
「思わず笑っちゃったよ」
「で、その時に思ったんだ」
「男は皆、恐いわけじゃないんだ。こいつみたいにおもしろい奴もいるんだなって」
「それから、僕は男子とも普通に接することができるようになったんだよ」
「その男子のおかげで男性恐怖症も克服できたってわけ」
「その男子、誰だかわかる?」
「ぜんせん?そんな陽気な知り合いはいなかったと思うが」
真剣に考える千尋を見て、渚は楽しそうに笑った。
「お前だよ、間宮」
「え?」
「お前のおかげで僕は助けられた。だから、困った時ぐらい頼ってくれ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
千尋が無言のままでいると渚は立ち止った。
「あ、ここ。僕の家」
「あ、ああ、そうなんだ。結構、きれいだね」
「結構とはなんだ。失礼なやつだな」
「あ、ごめん」
「ふふ」
渚は小さく微笑んだ。その姿から千尋は目を離せなかった。今日の服装と家の北欧風の雰囲気からとても女性らしいその仕草が千尋の目を離そうとしなかった。
「これからは迷ったら僕に相談しろ。これは命令だ」
渚はそう言うと玄関のドアを開け中に入ろうとしたが、なにか考えついたかのように立ち止った。
「今日の相談費は明日のお弁当でいいぞ。お前の手作りのな」
「そ、そんなぁ」
「ふん、絶対作らないと泣いてたことばらすからな」
そう言って背中を向ける渚。
ドアが閉まる瞬間、渚は振り返り頬笑みを浮かべて言った。
「またな、千尋」
千尋はしばらくしゃべりもしないドアを見詰めていた。
その後、しばらくは星空を見上げ大きなため息をつくばかりだった。




