第六章 わたし、ゴリラなんだもん!
僕が五山凛子にタックルを決めた日から、数日がたった。
あの日から、女子たちが口々に噂していた僕への非難もめっきり聞かなくなり、実に平和な高校生活を送っていた。
その代わり、また、べつの話題が持ちあがって来て、新たに僕をとり巻こうとしていた。
「いやー、まさか、五山に告白するとはね。いまだに信じられないぜ」
「また、その話しかよ。角田!」
「あー、ヨシオは本気で、五山のことが好きだったんだなー」
「もういいって、言ってるだろう」
「情報収集していたのも、そのためだったんだなー」
「新田まで、やめろ」
と、こんなふうに、僕が五山に告白してふられたことを面白がり、馬鹿にして冷やかしてくるのだ。静かに弁当も食べられない。
「もしヨシオの恋が実っていたら、『ゴリラと普通』になっていたのにな」
「は? なんだよ、それ!」
「いや、『美女と野獣』ならぬ『ゴリラと普通』だよ。もし、ヨシオが美男子だったら、男女逆転してそのまま成立していたのに。ヨシオが普通なばっかりに、五山凛子とつり合わず、ものに出来なかったんだぞ」
「うるさいよ。僕が美男子じゃなくてわるかったな」
「まあ、ヨシオじゃあ仕方ないよ」
「角田っ!」
「ああー、どうして俺は、あのとき先に帰っちまったんだー。もう少しで、ヨシオの愛の告白を拝見することができたのによー」
「おい、角田。もしそうしていたら……俺みたいに、こうなっていたぞ」
花一は、そう言って。首に手をそえた。
「あっ……」
花一は、側頭部に五山の強烈なキックを浴びせられ、空手をやっていたという自負があったにもかかわらず無残にも圧倒され、最後には失神してしまったことで心身ともに大きく傷ついていたのだった。
頭を蹴られた衝撃で、むちうち状態になり首を痛めてしまったという。なるべく首を動かさないようにしているので、ロボットみたいな動きになっている。骨に異常はないというのだが、あのときの記憶があまりないらしい。
「なあ、花一。そういえば空手やっていたらしいけど、何年ぐらいやっていたんだ?」
と僕は、首がまわらない花一に、訊いた。
「えっ、なぜ俺が空手やっていたこと知っているんだ?」
花一は目を丸くして、言った。
「自分で言ったじゃないか」
「え、そうだったか? 俺そんなこと言ったっけ? というより俺、空手なんかやっていたかな?」
……どうやら、幼少のころの記憶まで亡くしたらしい。
「まあまあ、ヨシオ。そう気にするな。また、次の新しい恋を見つければいいんだよ」
と、角田が言った。
が、僕にはその意味がよくわからなかった。ふられたことを気にはしていたが、次というのがわからない。今が終われば次へ進むのだが、僕のなかでは今はまだ終わっていなかった。
「おい、ヨシオ。今もずっと五山のこと見ているけど、もしかして、まだあきらめていないのか?」
僕はまだ、五山凛子をあきらめたわけではないのだ。なぜなら、彼女はゴリラなのだから。
もちろん五山のことが好きだしすぐに忘れられるはずがない。それと彼女がゴリラなわけを探るのを、ふられたからといってここでやめるわけにはいかなかった。
僕は今まで通り、五山凛子観察をつづける。
観察していて、五山の言葉が理解できるようにはなったものの、ほかは以前とほとんど変わりはなかった。多少、表情がやわらかくなったように思えるだけだ。
今日の五山は、机をならべて、真殿さんと一緒に弁当を食べている。この光景は以前からも時折り見ることができた。
僕のあの噂が、広まっていったときからだ。
二人は、楽しそうに話をしながら弁当を食べている。
どんな話しをしているんだろうか。今なら聴こえてくれば話の内容がわかるのに、ここからではその声はとどいて来ない。
あっ! 五山が、口を開けた。
真殿さんが、箸でおかずをつまんで、五山の口にもっていった。
五山はそれを、パクリと食べた。
「あーん」というやつだ。しかし、僕にはゴリラに餌を与えているようにしか見えなかった。
「おいしい」と言っている。口の動きを読んだ。
真殿さんは、手をたたいて喜んでいる。
五山が、人差し指を立てて「もう一つ」と、言ったのか?
真殿さんは、首を横にふって、「だめ」と言ってる。
二人で、笑っている。
とても、ほがらかな光景だ。
こうしてみると、ゴリラと人間が一緒に笑っているという光景は、とても不思議なものだ。
今までは、高校生のゴリラがおかしいと思っていたのに、そのゴリラと普通に接している人間というのも、また、おかしなものだと思った。
こんどは、五山が両手を合わせてなにか言っている。読みとれなかった。
真殿さんは、ふくれっ面をしている。怒っているのだろか?
あっ! 今、「ごめん」と言った。ゴリラが手を合わせて謝っている。
真殿さんは、いっこうに五山を許そうとしない。なにをしたんだ?
五山は、まだ謝りつづけている。
そう思えば、ゴリラが日本語を話すというのも、不思議なことだ。
今までのゴリラ語(らしき言葉)を話していたときは、内容を把握できずにわずらわしいとさえ思っていたが、ゴリラが日本語を話すことのほうが、よっぽどおかしく不自然なことに気がついた。
ゴリラが日本語を話したり、高校生だったり、ケンカがものすごく強かったり、そのゴリラのことを好きになったりと、僕はどうしてしまったんだろう。
なぜ、僕は五山凛子のことが、ゴリラに見えてしまうのだろう。
ゴリラに見えたら、どうなんだ? ゴリラに見える人は、見えない人となにが違うんだ。
いったい、なにが起きているというんだ。
僕がこうして観察していると、目の前に人影が現れ、視界をさえぎった。
樹貴男だった。
「おい、ちょっと来いよ」
と、ぶっきらぼうに言ってきた。
一瞬、戸惑い、
「なに?」
と、言うと、
「例の話だ」
と言って、目で「来い」という合図を出してきたので、僕は樹貴男について行くため、席を立った。あまり騒がしくない場所をえらんで、そこへ行った。
「おまえ、もう例の噂をされなくなったみたいだな」
と、厳つい顔をして、樹貴男が言った。
「うん」
「なにをした?」
と、目に力を入れて、訊いてきた。
「ちょっと、いろいろあってね」
「なにが、あったんだ?」
樹貴男の顔に、ますます迫力が増してきた。
「直接、五山と会って話ししたんだよ」
「なんだと。それで素直に言うことをきいたのか? そんなわけがない」
樹貴男は、怒りにまじって、困惑もしていた。
「うん。まあ、命がけだったんだけどね」
「もしかして、あいつと立ち合ったのか?」
樹貴男は、驚きの表情をみせた。
「……うん」
「それで、よく無事に帰ってこられたな。しかも、おまえみたいな奴が」
「まあね」
「普通は生きて帰れねえよ。命があるだけでも助かったと思わなきゃならないのに、ほとんど無傷で帰ってこられたなんて、奇跡にちかいことだぞ」
大げさだな。
「だが、それだけであいつが素直に言うことを聞くとは思えねえ。ほかには何もしなかったか?」
「……まあ、いろいろと」
告白してふられたなんて、言わなくてもいいよね。
「ちっ、何かしやがったな」
と、樹貴男は言った。
「いずれにせよ、直接交渉したというわけか」
「うん」
樹貴男はこれで納得したのか、わかったと言って話しをきって、僕は教室へもどっていった。
教室へ入ると、僕を待っていた花一らが、何の話しをしたのかと訊いてきた。
なかでも角田は、依然として樹貴男のことを恐れ、まちがった認識を持っていて、
「殴られなかったか? あいつ、すぐ人のこと殴るだろう?」
などと、訊いてきたので、僕は、
「一度、五山の攻撃をうけたから、全然たいしたことなかったよ」
と言って、否定せず、おもしろがって恐怖をあおった。
角田を勘違いさせているのは僕かもしれない。
そのあと、弁当を食べたあとで必ずといっていいほど眠たくさせる、午後の授業をうけた。もちろんこの日も、眠気は僕をおそった。今日のすがすがしい天気も、それを助長させたかもしれない。
ほとんど眠って過ごした五時間目が終わった。
自分のうでを枕のかわりにして、机にうつぶせに寝ていたのだが、しばらくそのままになっていた。ようやく本格的に気持ちよくなりかけていたのに、それをすぐに放棄するのはもったいなかった。
ようやく頭を上げると、僕のすぐ目の前に、人の顔があった。
「うわっ!」
僕は驚いた。急に目の前に人の顔があったからだ。それも相手が女子だった。もうすこしで唇と唇がぶつかりそうになった。僕が驚いたもんだから、その女子もびっくりして驚いた表情になっていた。
それを見てそう思った時間は、ほんの一、二秒だっただろう。しかしスローモーションのように、はっきりと見えていた。
――ドッスーン。
驚いて、体を大きくそらした反動で僕は椅子ごと、うしろにひっくり返って、倒れてしまった。
「っ痛あー」
ひじを強打した。
「大丈夫?」
「う、うん、大丈夫」
「すっごい、痛そーう」
と、至近距離から僕の顔を見ていた犯人、真殿さんが言った。
僕は、じんじんするひじを押さえながら、
「どうしたの?」
と言った。すると、真殿さんは、
「流川くんこそ、椅子から転げてどうしたの?」
と、そっけなく言ってのけた。
「真殿さんが驚かすからだろっ」
「えー、うそー。私はなにもしてないよー」
と、本気でそう思っているらしい。
「突然、目の前に人の顔があらわれたら、びっくりするじゃないか」
それに、もう少しでキスするかと思うくらい、顔が近かったのだ。
「だって、勝手に転んだの、流川くんだもーん」
まったくの知らん顔。もういいよ、もう言わないよ。
倒れた椅子と、ずれた机の向きを正し、もういちど、きちんと椅子に腰をおろした。
「で、なんか用でしょ?」
と、僕が言うと、真殿さんは、にやりと笑って、
「好きだったんだねえー」
と、突然、停止装置がはずれたかのように、感情を最大値まで増大させ、僕の二の腕をバシバシ叩いてきた。
痛い、痛い、痛い。一体どうしたんだ?
僕は困惑して、
「な、なに?」
と、怯えるしかなかった。この流れをとめる方法なんて知らないし、習ってない。
「凛子のこと好きだったんだねー」
と、これ以上ないくらいの笑顔で、なにかに納得してなんども頷いている。
ああ、そのことか。
「流川くんも、素直じゃないねー」
「え、素直じゃない?」
「そうだよー。全然素直じゃないよー。もうー」
たしかに僕は、素直じゃないけど。ん?
「男子は、好きな人をいじめたくなるんだよね。好きだったから、凛子のことをゴリラだとか言っちゃったんだね。もうー、本当に子供なんだからー。流川くんって、小学生みたいなことするじゃーん」
真殿さんの目は、とてもおだやかだった。
「いや、それは……」
「もうー。それならそうだって言ってよー。どうしてあのとき教えてくれなかったのよー。そうしたら私、協力してあげたのにいー。私、勘違いしちゃったんだからね。もうー」
と、唇を尖らせている。
「まっ、それはいいんだけどー、……告白までしたんでしょうー」
と言って、ぐっと、顔を近づけて来た。
僕は、また椅子ごと転げおちないように気をつけながら、身をそらせた。
「う・・・・・うん」
「凛子から、聞いたよ」
「ああ、そうなんだ」
「すごいじゃーん」
と、本気で褒めてくれている。
「でも……」
「ふられたんでしょう?」
その言葉が、あらためて胸につき刺さった。
僕は、ゆっくり頷いた。
「まあ、まあ、まあ」
と真殿さんは、軽い感じで、励ましてくれている。
「そうだよ……ふられたんだ」
と、僕は言った。
「なんか、シチュエーションがわるかったんでしょ?」
「うっ……」
「ストーカーついでに、告白したんだとか」
……詳細に知っているようだね。
「そ、そうだけど……」
「そりゃ、だめだよ。そんなの、ふられても文句言えないよ」
「……そ、そうなの?」
「あたりまえじゃん。気持ちわるすぎだよー」
と真殿さんが、真顔で言った言葉が、またも僕の胸につき刺さる。痛い。でもその通りだ。ストーカーに告白されるほど気味のわるいことはないだろう。
「なんでも思ったこと言えばいいってもんじゃないんだよ、告白は。子供じゃないんだからさー。それぐらい、わかろうよ」
グサグサと、つき刺さってくる。もうわかったから、これ以上言うのはやめてくれ。
「それに、あのとき流川くんの変な噂あったじゃない。いろいろ言われててさー、女子たちの間でけっこう評判わるかったんだよ。そんな状況でよく告白したよねー。なにか勝算でもあったわけ?」
「なかったけど……」
それに、あんな噂になったのは誰のせいだよ。
「で、さー、もう一回、告白する気とかないの?」
「え?」
「もう一回、告白すればいいじゃーん」
と、にやにやしている。
「どうして」
「えー、だってー、いいじゃん。こんどは私が協力してあげるからさ、ね?」
「いいよ、そんなの」
「なんで、なんでー。今でも凛子のこと好きなんでしょ? だったらもう一回、告白したほうがいいよー」
真殿さんは必死で、僕がもう一度告白することをすすめてきた。
「うーん、そうだけど……」
「ねっ、ねっ?」
「ついこのあいだ、ふられたばかりだよ?」
「いいの、いいの。もう一回やれば、返事が変わるかもしれないんだからさ」
この人は、なにを根拠にそんなことを言っているんだ?
「どうしてだよ」
真殿さんはまた、にたーっとした笑みをうかべて、
「いいからー、だからさー、もう一回告白しなよー」
と、しつこく誘ってきた。
「えー、僕はもういいよ」
「だめ! もう一度告白しなさい」
どうして、怒られなくちゃならないんだよ。
「ちゃんと私がセッティングしてあげるから。わかった?」
「本気なのか?」
「あたりまえじゃん。それじゃあ、今日の放課後なにも予定ないでしょ?」
「えっ、ちょっと待ってよ」
「なにか、予定あるの?」
「……べつに、ないけど」
「じゃあ、決まり! 今日の放課後に、コンビニの裏にある公園に来てね」
「勝手に決めないでくれよ」
「なに? 凛子のこと嫌いなの?」
「……嫌いじゃないよ」
「だったらいいでしょ」
「でも、それにしても今日って、いくらなんでも急すぎるよ。まだ、こころの準備ができてない」
「早くしたほうがいいと思うけどなあ。女心はすぐに変わっちゃうよ」
そうだけど。
「えーっと、五時ぐらいでいいかな。それくらいに公園で待っててね」
「ちょっと……」
「じゃーねー。よろしくー」
「ちょっと、真殿さん……」
真殿さんは、そういい残して去っていった。
なんなんだよ、これ。こんなの告白するというよりも、無理矢理やらされるって感じじゃないかよ。本当に真殿さんは頑固なんだから。
でも、なんだか成功するっていっているような、言いかただったな。
それなら、すごくうれしいんだけど。
*
待ち合わせした公園は広々としており、普段はサッカーの練習をしている小学生なども見かけることがあるのだが、今日はいつもと違って、がらんとして人も少なく、どこかもの寂しげな雰囲気があった。
僕は待ち合わせの時間より、一時間以上も早く公園に来てしまった。
ひとりでベンチにすわり、五山とたたかったときのことを思い出していた。もしあのとき人を呼ばれずに、あのままたたかっていたら僕はどうなっていただろう。形勢を逆転されて、本当に命を落としていたかもしれない。僕は運がよかったんだ。
などと思っていると、これから告白しなくてはならないのに、五山に対して恐怖感が生まれ、だんだん怖気づいてきてしまった。
本当に告白しても大丈夫だろうか。
小石を蹴って暇をつぶしたり、空を見て雲のうごきを眺めたりしていた。
すると、まだ時間になっていないのに遠くのほうから、人影がふたつこっちに向かって近づいてきた。
五山と真殿さんかなと思ったが、そうではなかった。しかし、その影は、よく見慣れた二人の影だった。
「おーい、ヨシオー」
と、手をふっている。
その声を聞いて、僕はいままで高ぶっていた緊張感がいっきに解放された気分になった。
二人は、僕がいるベンチのところまでやってきた。
「おう、ヨシオ」
「どうしたんだ、花一?」
「もう、ここで待っているのか? まだ時間じゃないだろ?」
「ああ。なんか緊張して、じっとしていられなくてな。ちょっと早いけど来てしまったんだよ」
「そうだったのか」
「で、花一は、何をしに来たんだ?」
「あー、そうそう。なんか樹貴男がヨシオに話しがあるみたいなんだ。そうだよな、樹貴男?」
「ああ、そうだ」
と、樹貴男は言った。
いつもの樹貴男とは、どこかちがう雰囲気があった。
「樹貴男くん、話しってなに?」
「杉本から訊いたぞ。これから、五山に告白するらしいな」
と、樹貴男は不敵な笑みをうかべていた。
「おいっ、花一。なに言ってんだよ!」
「わるい、わるい。でも、ヨシオが以前に五山のことで仲よくしてたからいいかなって思ったんだよ。今日ヨシオが、五山と待ち合わせしてるって言ったら、しつこくてさあ。どうしてもヨシオにあわせろって言うから、仕方なくつれてきたんだよ」
おい花一、口が軽いぞ。
「おまえが五山に告白する前に、忠告しておいてやろうとおもってな」
と、樹貴男は言った。
「あっ、そうなんだ。ありがとう」
「ふっ、まあな」
樹貴男は穏やかだった。
「樹貴男くんが応援してくれるなら心強いや」
と、僕は言った。すると、樹貴男は、
「応援? 誰が応援すると言った。なぜ俺がおまえを応援するんだよ!」
と、急に態度が一変し、僕をにらみつけた。
「えっ、だってさっき……」
「俺は忠告してやると言ったんだ」
「うん、だから」
「だから忠告してやる。五山に告白するのはやめろ」
「どうして? 僕は今から――」
「うるさい。告白するのをやめろと言っているんだ。それでもやめないと言うのなら、俺が力ずくでも阻止してやる」
「どうしてだよ。僕は真殿さんに言われて、今からこうして五山に告白しようとしているんだ。樹貴男くんには関係ないだろう。放っておいてくれ」
「うるせえ。関係あるから言ってるんだろうが。そう簡単に告白できると思ったら大間違いだぜ」
樹貴男は、殺気立ってきた。
「樹貴男くん。なにを言ってるんだよ」
僕は、なんとか樹貴男に興奮を抑えてもらおうと思った。しかし樹貴男の勢いはますます加速していった。
「もし告白したいのなら、俺をたおしてからにしろ」
と、樹貴男は、ファイティングポーズをとった。
「そんなのどう考えてもおかしいじゃないか!」
僕は、樹貴男にやめさせようとした。
樹貴男が僕に告白させるのをやめさせるなら、反対に、僕は樹貴男に暴力をふるわせるのをやめさせたかった。
「そうだぞ、樹貴男。これはヨシオと五山さんの問題だ。おまえは関係ないだろ」
と、樹貴男の暴走をとめようとした花一に、
「おまえは黙ってろ! おまえこそ関係ないだろうが」
と、樹貴男は一喝した。
「おいっ、流川ヨシオ。どうするんだ?」
樹貴男は、怒声をあげて、凄んだ。
「僕は……僕は、止めない!」
必ず、五山凛子に告白してやる。
「そうか、わかった。手加減しないぞ」
樹貴男は改めてファイティングポーズをとり直し、僕を睨みつけながら、リズムをとりつつ、攻撃を仕掛けるタイミングを見はからっていた。
「ヨシオ。俺は、誰か人を呼んでくる。それまでなんとか耐えてくれ」
と、花一は言った。
「わかった。頼んだぞ!」
僕は、走り去る花一を見おくって、目線を樹貴男にもどす。
今、公園のなかには僕たち以外、だれもいない。
閑散とした公園のなかに僕と樹貴男が相対して、理不尽な都合のために、たたかわざるを得ない状況におちいってしまった。
「どうして、こんなことをしなきゃならないんだ」
「おまえが言うことを聞かないからだろう」
と樹貴男は、大振りのパンチを出してきた。
僕はうしろへ退いて、それをよけた。
「危ないじゃないか」
「俺は本気だぜ」
にやりとした樹貴男は、ふたたび飛びかかってきた。
「おらーッ!」
僕はなんとか樹貴男のパンチをかわした。
「やめてくれよ、樹貴男君っ!」
「チっ。……あのとき、おまえの噂、すぐにおさまったよな」
「噂……、すぐじゃないよ、けっこう長かったんだから」
嫌なことを思い出さされた。
「あんなの短いほうだぜ。俺が中学の頃は、あれよりもっとひどい噂が広まって、三年間ずっと言われっぱなしだったんだからな」
「えっ、三年間も? 樹貴男くんも、同じ目にあったことがあったの?」
「ああ、そうだ。しかもおまえが非難されていたよりも、もっともっと、ひどい言われようだったぜ!」
樹貴男は、目いっぱい腕を振りまわして、僕をねらってくる。僕は、必死になってそれを避ける。
「だから、“見える”ことは言わないほうがいいと、教えてやったのによ!」
そうだったのか、樹貴男も五山がゴリラに見えると言って非難された、経験者のひとりだったのか。
「だったら、そう言ってくれればよかったのに」
と、僕は言った。
「そんな、みっともない話しができるか!」
樹貴男は、大きく肩で息をして、疲れたのか、攻撃の手を休めている。
僕も、この隙に呼吸を整えた。
僕の周りをぐるりとまわって、隙をうかがっている。
「ずっと、五山に無視されつづけたんだぞ!」
樹貴男のフックパンチが飛んできた。
「うわっ」
間一髪、僕はしゃがんで、よけた。
「だから、五山凛子に、想いを伝えられなかったあ」
と、放たれた樹貴男の蹴りが、避けきれず僕の顔面を直撃した。
目の前が、真っ暗になった。殴られた直後は、なにが起こったのかわからなかった。だが、次第に痛みがじわじわと出てきた。口の中も切れて、血の味がした。
「樹貴男くんも、五山のことが……」
口の中が切れていたので、上手くしゃべれなかった。
「おまえには、五山凛子は渡さないぞ!」
頭がぼんやりして、視界がはっきりしない。足もとも定まらず、ふらついている。
樹貴男がなにか言っているけど、全然耳に入ってこない。
そんな僕に、樹貴男が追い討ちをかけてきた。
一発目は、顔へのパンチ。二発目も同じところを殴られた。そのあとも、何発も殴られたり、蹴られたりしたが、ほとんど覚えていない。
気がつくと、僕は傷だらけになって地面に倒れていた。
樹貴男が、そんな僕を見下ろしていた。
「俺より弱いやつに、五山凛子をとられてたまるか」
と言った。
どうしてこんな目に合わなくちゃならない。僕はただ告白しに来ただけなのに。サンドバッグになりに来たわけじゃないんだ。
そうだ、こんなところで寝てるわけにはいかない。
僕には、五山にも避けることができなかった、あのタックルがあるんだ。
タックルしてやる!
樹貴男は、瀕死の僕を見て、もうなにも出来ないと思ったのか、踵を返して帰ろうとした。
僕は、ゆっくりと体を起こそうとしたが、力を入れようとすると痛みが走り、思うように動くことができなかった。しかし、痛みをこらえ、なんとか片膝を立て、体を起こしたた。
樹貴男は、完全に油断して無防備だった。
「うわぁぁぁぁー」
僕は叫びながら、突進した。
「なっ? ――」
という声を漏らし、樹貴男は、僕と一緒になって地面に倒れ込んだ。
僕は樹貴男に馬乗りになった。樹貴男は身動きがとれず、抵抗することができない。
僕はどうしようかと考えた。答えは殴ることだった。僕は、体を大きくそらし、反動をつけて、拳をふり下ろそうとしたとき、樹貴男がブリッジで僕の体を返した。
僕はバランスを崩し、はね退けられた。
樹貴男はあわてて僕から逃れようとした。
逃がさないぞ。
腹這いになって逃げようとする樹貴男の背後にまわり込んだ。そして、うつ伏せになっている樹貴男の背中にのしかかった。
そして素早く樹貴男の首に腕をまわした。
「樹貴男くん、ごめん」
と、僕は、力を加え、チョークスリーパーをかけた。
樹貴男は、ぐったりとして、眠った。
僕は、大きくひとつ、息を吐いた。
「やっと終わった……。――いや、ちがう。まだだ」
本番はこれからだ。これから五山に告白するんだ。
でも、もう体はボロボロだ。鼻血も出てるし、こんな格好わるい姿で告白したら、また怒られてふられてしまうかもしれない。どうしよう。
樹貴男が眠っている隣で、僕は地面の上にへたり込んでいた。
すぐ近くにベンチがあるのに、そこまで行くのも躊躇うほど体力を消耗していた。
そろそろ五時だ。
五山は、予定より少し前に来た。
僕はこんなみじめな姿を見られるのが恥ずかしくて顔を伏せていたが、僕の姿を見つけるや否や、五山は走ってきて声をかけてきた。
「どうしたの、その顔? すごいことになってるよ」
僕は、苦笑いをして、
「さっき、一勝負あってね」
と、樹貴男のほうをちらりと見た。
「あっ、そこで寝てるの東条? じゃあ、きみは勝負に勝ったんだね」
と、五山はどこか、うれしそうだった。
「立てる?」
五山は、へたり込む僕に、手をさし伸べてくれた。
僕は、五山の少しかたい手をつかみ、立ち上がった。
「ありがとう」
「歩ける?」
「うん」
足を出すたびに痛みが走るのを我慢しながら、ゆっくり歩いた。五山は、付き添うように、そんな僕を見守りながら歩いていた。
「あの……来てくれてありがとう。若菜、強引だったでしょ?」
五山は照れくさそうに言った。
「そ、そんなことないよ……僕のほうこそありがとう」
五山はいつもより、落ち着きがなかった。
「あ、あの……この前は、ごめんね……」
「え?」
「なんか……突然、だったから……わけ、わかんなくなっちゃって……殴っちゃったりして……」
そんなこと気にしていたんだ。そんなの謝らなくてもいいのに。
「あれは、僕がわるいんだ。僕が、五山の跡をつけたりしたから……だから、僕が謝らなきゃいけないことなんだ、ごめん」
「……いいよ。そんなこと怒ってないよ」
五山は、笑ってゆるしてくれた。
「わたし、今日ここに、流川……くん、来てくれないかと思ってた……」
「どうして?」
「だって、若菜が強引に決めたから……わたしも若菜に、流川……くんに無理に言っちゃだめだって、注意したんだよ……若菜が、わがまま言っちゃってごめんね……」
「いいよ、そんなの謝らなくたって」
五山と話していると、痛みが薄れていくような気がした。
「あそこ、座ろっか?」
五山が、ベンチを指さした。僕らは二人ならんで、そのベンチに腰をおろした。
ベンチに座ってから、今まで気軽に話していたのが嘘のように、急に緊張が増してきて、僕はなにも言うことができなくなってしまった。僕だけでなく、五山もだまり込んで、しばら
くの間、沈黙はつづいた。
「……あ、あの……五山」
僕は、沈黙を破った。
「……なに?」
僕の緊張は最高潮に達していた。そして、五山も緊張していることがわかった。
「僕は……」
「……うん」
「……僕は、五山のことが好きだ」
「……うん、ありがとう」
五山は泣いていた。
僕には、五山がどうしてこんなに泣いているのかわからなかった。
「ありがとう、流川くん、うれしいよ……だけど……」
「……五山?」
「だけど……わたし、可愛くないよ? もっとほかに可愛い子いっぱいいるよ? わたしじゃなくても若菜みたいに可愛い子たくさんいるんだよ? なのに、どうしてわたしなの?」
「そんなことないよ。五山は……可愛いよ……」
「うそだよ……だって、わたし……」
五山の涙があふれ出して、とまらない。
「わたし、ゴリラなんだもん!」
その声は、公園中に響いた。
「わたし、知ってるんだよ! 自分がゴリラだってこと! 流川くんには、わたしがゴリラに見えているんでしょ? 似ているとかじゃなくて、本物のゴリラに見えているんでしょ!」
僕は、言葉を失った。
「ねえ、そうなんでしょ? はっきり言って?」
「……そうだ。僕は……僕は、五山のことがゴリラに見える!」
五山は俯き、そしてまた、涙をながしながら、話し出した。
「それなのにどうして、わたしのことが好きなの? どうしてゴリラのわたしを好きになったりするの? ゴリラだよ? わたしはゴリラなんだよ? どうしてっ?」
「ゴリラでも五山が好きなんだ!」
僕は、大声で答えた。
「うそ! そんなのうそよ! わたしのことなんか好きになるはずない。ゴリラのわたしを好きになる人なんていないのよ!」
「そんなことない! 僕は五山のことが好きだ」
「流川くんが好きなのは、ゴリラになる前のわたしなんだよ……だから、まだ好きだと錯覚しているだけだよ!」
ゴリラになる前の五山? そういえば……。
「たしかに、そうかもしれない。まだ一年のとき、廊下ですれ違う君を見かけて、僕は一目惚れした。名前も知らない娘に一目惚れして……、ずっと気になっていたけど、僕は勇気がなくて何もできなかった。そしてそのまま月日が流れ、あっという間に季節が変わり、一年が終わり、二年生に進級した。そして二年になり、クラス替えの発表のときに、教室で君を見つけたんだ。でもゴリラになった今でも、その気持ちは変わらない! それどころか、今のほうがもっと好きになっている!」
「うそよ……だって、わたしはゴリラなんだもん……」
「だったら、僕のこの気持ちはなんだって言うんだ!」
僕の気持ちに嘘はなかった。真剣に、ゴリラの五山が好きだった。
「わたしには、他人がわたしを好きにならないようにする呪いが、かけられているの!」
「えっ! 呪い?」
「そうよ! だれもわたしのことが好きになることがない呪いよ。悪魔と契約したのよ! いじめから救ってもらう代わりにね! それなのに、どうして流川くんはわたしを好きになったの」
「……好きになったんだから仕方ないだろ。それに、どうしてそんな、悪魔と契約なんかしたんだよ!」
五山は涙を拭いて、話しはじめた。
「流川くんは東条に聞いて、もう知っているかもしれないけど、わたし……中学の頃いじめられていたの。原因は、なんか暗いってことでね。そんなの知らないよね……わたしは普通にしていたつもりだったんだけど……そんなに暗く思われていたのかな?
それでね、それが本当につらくて、もう、死のうかと思った。死んだほうがましだって思ってた。毎日死ぬことばかり考えてたの。このいじめがなくなるのなら、わたし、どうなったっていいと思っていたんだよ。本当に、毎日そう思っていた。
そしたらある日、夢を見たの。夢の中で、きれいなお姉さんが現れてわたしに、
『いじめから救って欲しいか』と訊いてきたの。
もちろん、助けてほしいって答えたわ。でも、その代わり、わたしをゴリラに変えるって言ったの。そして、そのお姉さんは、
『自分を好きになる奴が現れたら、そいつからは自分がゴリラの姿に見える』、
『自分がだれかを好きになっても、そいつにゴリラだと知られると嫌われてしまうから、近づけない』、
『だれからも好かれないように、おまえをゴリラ顔に変える』
『ゴリラになったら、もうだれもおまえのことを好きになる奴はいなくなる』
と言ったけど、わたしは、いじめがなくなるなら、どうなったっていいと思っていたから、『いいわ』って言った。
そして、起きて、次の日学校に行ったら、いじめがなくなっていたの。夢でいった通りになっていた。顔はゴリラっぽくなっていたけれど、うれしかった。でも、完全に夢を信じたわけじゃなかった。
いじめられているわたしを唯一守ってくれていた人がいて、それが柏木くんって人で、その彼が助けてくれたんだと思っていた。彼がわたしの命の恩人で、夢に出てきたお姉さんのことなんて、とっくに忘れていた。
わたしはその柏木くんのことを好きになって、少しずつ仲良くなって、柏木くんもわたしのことを好きになってくれたと思う。そしたら、ある日突然、彼がわたしのことをゴリラに見えるから、もう一緒にはいられないって言ってきたの。ゴリラ顔ならまだいいけど、本物のゴリラは我慢できないって……。
最初はどういうことなのか理解できなかった。でも、夢のことを思い出した。あの日見た夢は真実で、あのきれいなお姉さんが言ったことは、本当だったんだと気づいた。そして、わたしはゴリラになってしまった……」
「……そうだったのか」
また、五山の目から、涙がこぼれ落ちた。
「わたしは悪魔にゴリラにされて、もうだれも、わたしのことを好きになる人なんかいないのよ。それなのにどうして、きみはゴリラのわたしを好きになったの? 教えてちょうだい!」
僕は、五山が納得するような答えを言ってあげたかった。でも、僕には本当のことを素直に、正直に言うことしかできなかった。
「たしかに僕は、ゴリラになる前の……ゴリラ顔の五山凛子を見て、好きになったのかもしれない。だけど、僕は、五山が完全にゴリラになってからのほうが、もっと好きになったんだよ!
それに、好きだからゴリラに見えるんだろ! 好きじゃなかったらゴリラになんか見えやしないさ! ゴリラに見えるってことは好きだって証拠なんだよ! 見た目がゴリラだからって関係ない、好きな人がゴリラになったからって、嫌いになんかならないよ!
見た目はゴリラでもいいじゃないか! 中身は五山凛子なんだよ!
正直、初めは、同じ教室にゴリラがいて驚いたよ。どうしてゴリラがいるのかって思った。だから僕は、そのゴリラのことを観察したんだ。観察しているうちに、だんだんそのゴリラのことがわかってきた。
そのゴリラは、とてもやさしくて、繊細で、思いやりがあって、友達を大切にして、ときには気むずかしくて、でも可愛くて、ケンカが強くて、過去につらいことも経験していた。僕は、そんなゴリラが好きになったんだ! ゴリラの五山を好きになったんだよ!」
僕の想いがどこまで伝わったかわからない。
でも、五山は、
「ありがとう」
と言って、泣きつづけた。
「僕はその瞳が好きだ。そのふさふさした毛に触れたい、その厚くて硬い手をつなぎたい、ゴリラの強い力で抱きしめてほしいんだ」
僕は、涙をこぼしながら笑顔をつくる五山を、そっと抱きしめた。
その瞬間、ふと五山がゴリラではなく、本来の人間としての五山の姿に見えたような気がした。