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第四章  可哀そう過ぎる。もう、黙ってなんかいられない

   

「ねえねえ、流川くん」


「どうしたの、真殿さん」


「あのね。流川くんに、お話しがあるの」


「なに? そんなにあらたまって」


「流川くんに、黙っていたことがあったの」


「黙っていた? 何かな?」


「このまえの放課後、教室に残って東条くんと話ししてたじゃない。あのとき、とつぜん私が入って行ったでしょ。実はあれ……偶然じゃないんだ」


「えっ? どういうこと?」


「本当は……流川くんのことを、待っていたの」


「僕のことを?」


「……うん」


「待っていたって、どういうこと?」


「あのね……本当は、話しの内容なんて興味なかったの……凛子のことだって言われても、正直どうでもよかった……ただ……流川くんと一緒にお話しがしたかっただけなの」


 ……え?


「流川くんとお話しできて、すごく楽しかったよ」


「ぼ、僕も楽しかった」


「本当? うれしい」 


 真殿さんの、まぶしい笑顔。


「ねえ、私もっと、流川くんと仲良くなりたいなあ」


 真殿さんは、艶かしくゆっくり歩いて、僕に接近してくる。


「ヨシオくんって、呼んでもいい?」


「も、も、もちろん。いいよ」


 真殿さんは、細い腕を、僕の肩にまわしてきた。


 僕はおどろいて、肩をすくめてしまった。


「どうしたの、ヨシオくん?」


「な、なんでもない」


 大人びた言いかたが、よけいに僕を緊張させる。


 細い腕は、肩から首筋へ、そして頭部へと、這うように、からみついてきた。


「ヨシオくん」


 と、真殿さんの甘い吐息が、僕の鼓膜へ吹きかけられる。


「ま、真殿さーん」


「ねえ、ヨシオくん。もっと私のこと見てえ?」


 真殿さんは、胸のリボンをスーとほどいた。そして上から順にボタンを外していく。


「……真殿さん」


 手を背中にまわし、ブラをはずし、次にスカートがパサッとおちた。


「ま、まと、まと、真殿さーん!」


「もう、そんな言い方しないで、若菜って呼んで?」


 と、上半身を露にし、こぼれ落ちそうな乳房に手をあてて、真殿さんは言った。


「わ、わ、若菜!」


「そうよ、ヨシオ」


 緊張して固まる僕の腕を、真殿さんはぐいとつかんで、自分の乳房におしあてた。


 やわらかくて、あたたかい感触が、僕の手のなかにある。


「どうしたの、ヨシオ? 私のこと嫌い?」


「そんなこと、ないよ」


 知らない間に、僕は服を脱がされていた。


「だったら、いいでしょう?」


 真殿さんの冷ややかな手が、僕の体を虫のように這う。


「う、うん」


 キスをした。


 やわらかい女性の肉体を、撫でまわした。


 その感触が、今でもはっきりと残っている。


 体が火照ってきた。あつい。


「ねえ、早くしてえ」


「わかった」


 もう、まわりは、何も見えなかった。


「そうよ、流川くん」


「いい、流川くん」


「ねえ、流川くん」


「ねえ、ってば」


「流川くん?」


「流川くん!」


 ――流川くん



 ……?


「――流川くん」


 ……え?


「……ねえ、流川くん」


「……」


「ねえってば。起きてよ、流川くん」


 ……


「……若菜?」


 声のほうに目を向けると、


「はあ? なに言ってんの?」



 真殿さんが、露骨に嫌な顔をしていた。それに、きちんと制服を身につけていた。


「え、もう……終わり?」


「なに寝ぼけてんの? よだれ垂れてるよ」


 ――はっ! 


 勢いよく体を起こし、背筋を伸ばした。口からこぼれているよだれも拭いた。


 僕はすっかり夢を見ていたらしい。まだ少し、視界がぼんやりしている。それにしてもいい夢だったなあ。


「ねえ、流川くん。ちょっと来て」


 と真殿さんが言った。


「わかった、なに?」


 と言ったところで、僕は、自分の体の異変に気づいた。


 男性、とくに若い思春期の男子たちには、この異変を理解してもらえると思う。ただし若い生娘の方たちには、到底理解しがたいことだと思うが、ここでそれをはっきりと申し上げようなことは、僕が照れちゃうのでしないけど、このときの真殿さんもきっと、このことをわかっていなかったと思われる。


「早く、来てよ」


 と、真殿さんは、僕を急かす。


「だめだ、ちょっと待って」


 僕は、今この状況で、ここから移動することは出来なかった。


「どうかした?」


 真殿さんは、こんなだめな僕を心配してくれる。


「いや、あの、ちょっと」


「なによ。何もないなら、早く立ちなさい」


「う、うん、わかった。すぐに立つから……」


 すでに起ってはいるが、立つことができないその矛盾に、僕には可笑しくなった。


 しかし、まだ立ち上がることが出来るような、状態ではなかった。


「なにしてんの? 来てって言ってるでしょ?」


「ああ、うん。今行くよ」


 とは言うものの、一向に動く気配のない僕を見て、真殿さんが、


「もう、さっさとしてよ。話しがあるんだからさあ」


と、ものすごく苛立っている。そりゃ、こんなにあせらされたら、怒るのも無理ないか。


「う、うん。そうだね」


 僕は、なんとかしようとして、笑ってみた。


「なに笑ってんの、そんなのいいからさあ」


 僕もわかっている。でも、こうするしかないんだ。


「すぐ済ませるからさ、ちょっと来て?」


 だが、一度おさまりかけていた波が、ここに来てもういちどはげしく押し寄せてきた。


「あっ。い、行くよ、行くから、ちょっと待って……」


 意を決して腰を上げた、が、やはり見られるのが恥ずかしくて、結局すわり直しただけの形になった。


「もういい! ……やっぱり、流川くんって女子には……ひどいんだね!」


 真殿さんは、そう言って、その場から立ち去った。


 えっ? 僕が、女子にはひどい? 


 今のことを言っているんだろうけど、やっぱり、ってどういうこと?


 

      *




「ヨシオ。なにやってんだよ」


 と花一が言った。


「んん?」


「今のなんだよ? 真殿さん怒ってたぞ」


 と、うしろ向きのまま、親指を、真殿さんのほうにさして言った。


「ああ、見てたのか」


「見てたのか、じゃねえよ。どうして怒らせたんだ?」


「いや、ちょっと夢みててな」


「おまえが夢みてて、どうして彼女が怒ることがあるんだよ」


 僕はいちいち説明するのが面倒だったので、


「わからん」


 と言った。


「わからんって、おまえなあ」


「そんなことより花一、いま何時間目だ?」


「今は、五限目が終わったところだよ。さっき弁当食ったばっかりじゃねえか」


「そうだっけ」


「まだ、寝ぼけているのかよ」


「そうかもな。いい夢だったんだよ」


「なに、どんな夢だったんだ?」


「うん。やわらかくて、プニプニで……ああ。もう、こんなので……」


「バカか」




 そんな調子のまま六時間目へ突入し、覚えているのは突然はじまった先生のむかしの思いで話しだけ。それもどんな内容だったかは覚えていない。


 今日は、掃除の担当の日だった。


 ホームルームが終わったあと、残って教室を掃除していた。そのころにようやく脳みそが目覚めて頭がはっきりしてきた。


 規則正しい一定のリズムで箒を前後に動かしていると、うしろから僕をよぶ声がきこえた。


 ふり返って見ると、真殿さんだった。


 普段の麗しい表情ではなく、どこかくもりがちだった。


「ねえねえ、流川くん」


「どうしたの、真殿さん」


「あのね。流川くんに、お話しがあるの」


 あれ? この台詞、どこかで聞いたことあるぞ。


「なに? そんなにあらたまって」


 と僕は言った。


「どうしても、流川くんに言わなきゃならないことがあるの」


 と、真殿さんは、真剣な顔をして言う。


 まだ掃除中だったのだが、その訴える顔があまりにも真剣だったので、僕は掃除をすっぽかし、こっそり教室を抜け出した。


 真殿さんがあまり人のいない場所がいいと言うので、そのあとについて行き、人通りの少ない階段の陰になっているところまで行った。


「どうしたの?」


 と言いつつ、僕は、態度に出さないように、密かにうっすらと甘い希望を抱いていた。こんな場所につれて来られたのだから当然である。そうかあの場所はここだったのか。


「私ね、考えてたんだけど……やっぱり、だめだと思う」


 どういうことだろう? こんなこと言ってたっけかな?


「だめって、なにが?」


「そういうふうに、言っちゃいけないとおもうの」


 まだ、事をよく把握できない。夢でないことはたしかだ。


「真殿さん、なんのことを言っているの?」


 真殿さんは、力強く拳を握っていた。


「私、人のことをゴリラとか言っちゃだめだと思う」


 あっ。五山のことだ。


「えっ。それ、どういうこと?」


「だからね、いくら流川くんがそう思ったからといって、女の子にゴリラとか言うの、間違っているとおもうの」


 冗談を言っているのではなさそうだ。そもそも、こんな冗談を言わない。


「真殿さん、それはちゃんと説明したよね。僕は、五山のことが……ゴリラに見えてしまうんだ……」


 と、僕は言った。


「それだよ! それがだめだって言ってるの!」


 真殿さんは、声を張り上げた。


「だから、これは僕にも、どうしようもないことなんだ……」


「・・・・・ひどい。凛子が聞いたら、どんなふうに感じると思う? ひどいと思わないの?」


 真殿さんは、少し目に涙をためていた。


 本気で、五山のことをかばっている。


「それは……」


「だったら、もうそんなこと言うの、やめてあげて」


 僕は、なにも言えない。


「あいては女の子だよ。それに同じクラスの仲間じゃない。どうしてそんなふうに言うのかわからないよ。私、流川くんはそんな人じゃないと思っていたのに……」


 その言葉が、僕の胸につき刺さった。


「真殿さん……」


「……流川くん、ひどいよ」


「ちがうんだ。僕も本当は……」


 真殿さんは、首を横にふった。


「ううん。もういいの」


「えっ?」


「だから、このことを凛子にも言おうと思うの」


 目のまえが、真っ白になる体験をいまはじめてした。


「……どうして」


「だって、凛子が、かわいそうなんだもん」


「ちょっと、待って」


 真殿さんは、泣いていた。


「こんなにひどいことを、知らないところでずっと言われているんだよ。かわいそう過ぎるよ。もう、黙ってなんかいられないよ」


 涙が、頬をつたって、落ちた。


 そんな姿を見せられても、僕はそれを阻止しなくてはならなかった。それは非常につらい選択だった。


「でも、言わないって、約束したじゃないか」


 真殿さんの瞳から、次々と、涙があふれ出してくる。


「だって、だって、ゴリラなんて、ひどすぎるもん」


 そう言って、真殿さんは、あふれる涙をふり落としながら、走っていき、僕のまえからいなくなってしまった。


 まるで自分のことのように真殿さんは、五山のことをかばって守ろうとしていた。そこに、女同士の強い友情と、絆を見ることができた。 

 しかし、今の僕には、それはなんでもなかった。激しい恐怖がこみ上がってきていた。


 


      *


 


 おぼつかない足どりでふらふらと教室にもどると、すでに掃除も終わっていて、そのなかに、べつの場所を担当していた花一も掃除を終えて、僕を待っていてくれていた。


「よお、ヨシオ。一緒に帰ろうぜ」


 と、花一は、おだやかに言った。


「……うん、帰ろうか」


 花一は、僕の表情からなにか感じとったのか、


「どうしたんだ、暗い顔して?」


 と、僕を気遣ってくれた。


「そう?」


「ああ。ものすごく暗いぞ」


僕たちは、そのまま教室を出て、学校をあとにした。


 空は雲しか見えず、灰色で、気持わるい湿った風がふいていた。今すぐにでも雨が降りそうだった。


「さっきからどうしたんだ、ヨシオ? また、五山さんことで悩んでいるのか?」


「僕が、間違っていたんだ……」


「んん?」


 花一は、目を見ひらいた。


「すべて僕がわるいんだ」


 僕は言った。


「これから、僕は、どうなってしまうんだ?」


「どうした、ヨシオ?」


「僕が、見える、ばっかりに、こんなことになってしまった。僕はこの事件に、まき込まれてしまったんだ。どうして僕なんだ!」


「ヨシオ!」


「なぜ僕が、『見える人間」に選ばれたんだ!」


「落ち着け」


「僕は怖いんだ! 恐ろしいんだよ! なぜ僕には見えて、花一には見えないんだ! なにが違うっていうんだよ! 僕がなにをしたっていうんだ!」


「落ち着けって」


「僕は、五山凛子が怖いんだ! 自分が怖いんだ! ゴリラが怖いんだ! もう、なにもかもが怖すぎて、たまらないんだよ! どうして、どうして、ゴリラが、僕に襲いかかって来る

んだよお!」


「いいから落ち着くんだ、ヨシオ!」


「おしえてくれよ、花一……」


 僕は、泣き叫び、うなだれた。


「……僕は、どうすればいいのか、わからない。どうすれば、いいんだ」


「……五山さんのこと、なんだな?」 


 と、花一は言った。


「ゆっくり、話してみろ」


 花一の表情は、大人びていて、たのもしかった。


「……さっき、真殿さんに呼び出されたんだ。真殿さんは怒っていた。そして真剣だった。そしたら、真殿さんは言った……五山に報告する、と。僕が『ゴリラに見える』ってことを、

五山に直接伝えると言ったんだぞ。誰にも言わないって約束したのに!」


「そうだったのか」


「どうなるんだよ。五山にバレたら、僕はどうなってしまうんだよ?」


 僕は、花一に頼るしかなかった。


 花一に迫り、答えを求めた。救いを、求めていた。


 花一は、なにも抵抗することなく、無言のままただじっと僕を、見守ってくれていた。


「……花一っ」


「とりあえず、現実を受けとめるんだ。それから考えればいい」


「じゃあ、どうすればいい? 五山にバレてしまったら、僕はどうなる?」


 花一は、少し黙って考えた。


「自分のことを、ゴリラだと言いまわっている奴がいれば、たとえ五山さんでなくても、放っておかないだろうな。俺なら、そんな奴は許さない」


「そうだろ。僕は殺されるんだ……」


「まだ、そうと決まったわけじゃない」


「でも、まえに見ただろう? 五山がケンカで、樹貴男くんをボコボコにしているところを」


「ああ、はっきりと見た」


「ボコボコにされたあと、首を絞められ、完全に意識を失っていた」


「ああ。その通りだ」


「僕も、あれと同じような目にあってしまうんじゃないのか! いや、きっとあれ以上の地獄が、僕を待っている……」


「だから。決めつけるのは、まだ早いぞ」


「いいや、五山は必ず、僕をねらってくる。間違いない」


 僕の動物的な勘が、そう感じていた。


 しばらく黙ったまま、歩いた。


「ねらわれると言ってもなあ。どうにか対処しなきゃならないし、何かいい考えはあるか?」


「わからない、わからないけど、僕はやってやる。やってみせるよ……」


「ん? なにを、やるんだ?」


「逃げるんだ。逃げて、逃げて、逃げまくる。もし逃げられないなら、隠れる。隠れて、見つからないようにする。今は、それしかない」


「そんなこと言ったって、本当に逃げられるのか? 毎日、学校で会うことになるんだぞ。授業は出なきゃいけないだろう? 勉強はどうするんだ」


「逃げるといっても、そこまで本格的に逃げるわけじゃないよ。この話題から、避けて逃げるだけだよ」


「そうか」


 と、花一が言った。


「今はまだ、それしか思いつかない」


「いけそうか?」


「ああ、がんばって耐えてみせるよ。ただ……」


「ただ?」


「今は逃げるだけだが、いずれ、こちらからも何らかの行動をおこす」


 花一は、僕の顔を見張った。


「チャンスが来れば、こっちからも攻めるよ」


「攻めるって、あいては五山さんだぞ。ケンカ最強の女子高生なんだぞ。そんなことすれば返り討ちにあって、地獄を見ることになるぞ」


「だから、チャンスが来たときにだよ。いつか必ず僕にもチャンスが来ると思うんだ。だから、そのときまで耐えて、待ってなきゃならないんだ」


「本当に、そんなチャンスは来るのか?」


 僕は、小さく頷いて、


「たぶんね」


 と言った。


 すると、花一は、ふと空を見上げた。


 どうしたのかと思い僕も空を見ると、灰色に染まった曇が勢いよく移動していた。手にぽつりと感触があって、そこに水滴がついていた。雨が降ってきた。


 まだ、降りはじめらしく、ぽつぽつと細かいやつで、あまり気にしなかった。


 花一も「雨だ」と言っただけで、さきほどまでと変わらず、同じように話し出した。


「チャンスが来たら、俺にも言えよ。なんでも協力するからな」


「うん。ありがとう。僕はそれまで必ず逃げてみせる。なにがなんでも、生き延びてやるんだ」


「少し、大げさだけどな」


「こんなところで、死ぬわけにはいかないんだ。僕は絶対に死なない。五山凛子の正体をつかむまでは、絶対に」


「応援するよ」


「絶対に死なないぞ」


 と、僕は決意した。


 花一は、大げさだと称したが、僕にとっては決して大げさではなかった。真殿さんが、五山に言うことによって生じる波紋が、どのくらい僕に影響するのか想像もできず、考えるだけで恐ろしくなってくるのだ。


 考えれば、考えるほど恐怖がわいてきて、自分の軽率な行為を責めてしまう。そんな恐怖におびえる自分に、言い聞かせるためにも、多少大げさであっても、ああ言っておきたかった

のだ。

 

 翌日。


 曇り空は変わることなく、この日もすっきりしない天気だった。


 空気はよどんで、べったりとした肌が、うっとうしかった。


 朝、登校して、教室へ入ると、まず僕は全体を見まわした。まだ授業が始まるまで時間に余裕があったので、来ている人数も多くなかった。五山凛子は、まだ登校して来ていなかった。


 しかし、真殿さんはすでに着席していて、数人の女子とおしゃべりをしていた。僕が教室に入ってすぐに、僕に気がついたみたいで、こちらを気にしている様子だった。


 僕はすぐに、そのことに気づいていたが、あえて無視していると、僕に向けられている視線が、いつまでたってもやむことがなかったので、仕方なくその視線をそそいでいる真殿さんのほうを見た。


 すると真殿さんは、さっきまでずっと僕のことを見ていたのに、僕が見た瞬間、ぷいと目をそらし、横を向いてしまった。


「なんだよ」


 と、僕は、少しイラっとした。


 少しすると、またさっきと同じ方向から、同じような視線を感じて、気になって見てみると、また真殿さんは目をそらして、周りにいる女子たちと話しはじめる。


 なんの真似だ?


 次からは、真殿さんと一緒にしゃべっていた、残りの二人も一緒に僕のほうを見て、なにかを言いながら、ひそひそとやっている。


 見たくはないのだが、どうしても僕がいる席の位置からは、それが嫌でも視界に入ってしまう。彼女らが、なにを言っているかは聞こえないのだが、明らかに僕のことを言っているであろうそぶりと、視線がじんじんと伝わってくるのだ。


 徐々に、人が増えはじめて、教室内が騒がしくなってきた。


 それを利用して、わからないようにもう一度、真殿さんたちのほうを見た。


 真殿さんは、僕にかまうことなくおしゃべりしていたが、僕の視線に気がついたのか、僕と目線があってしまった。そしてすぐに、慌てて顔を横向けた。


 昨日は泣いて、あんなに弱弱しく繊細だったのに、今はまるで性格が入れかわわったみたいに、強強しく大胆だ。一日でそこまで変貌するのかと、僕はおどろいた。


 五山凛子が、遅刻ギリギリで教室にとびこんできた。走って来たのだろうか、鼻息が荒くふんふん聞こえてくる。これもみんなには、ただ息を切らしているようにしか見えないのだろうか。ハンカチで汗を拭いている姿が、やけに滑稽だった。


 一時間目が終わり、次の授業までの休憩のときにも、数人の女子が僕のほうを見て、ひそひそと噂をしていた。僕の名前が使われているのが聞こえたのでわかった。


 次の休み時間も、同じだった。


 またべつの女子が、僕のことを言っている。


 僕は、気がついた。クラスの女子たちは、明らかに僕の噂をしていて、そして僕を避けている。


 原因は、おそらくあれだろうと、うすうす感づいている。


 どういう経緯でそうなったのかはわからないが、噂の元になっているのは、僕の「五山凛子がゴリラに見える」ということが、関係してくるだろう。


 真殿さんが、五山以外にも言ったのか、それとも、真殿さんに言われた五山が、ほかの女子に言ったのか、そのどちらかだと僕は推理した。どちらにせよ、僕が非難されることには、変わりなかった。


「なにをしたんだ、ヨシオ?」


 と、角田が訊いてきた。


 角田と新田が、クラスの女子たちの反応を見て、すぐに僕のところにやってきたのだった。


「おい、ヨシオ。女子たちがみんな、おまえのことを噂しているぞ。一体なにをやらかしたんだ? こんなの普通じゃないぞ」


「知っているよ」


 と僕は言った。


「知っているじゃなくて、なにをしたんだ?」


「おまえたちには、関係ないよ」


「おい、それはないだろう。しかも、あまりいい噂じゃなさそうだしよう。俺たちは心配してるんだぞ、なあ新田?」


「おう」


 と、二人は顔を見合わせて頷いた。


「ありがとう。でも、これは僕の問題なんだ」


「おまえ、五山のこと好きだったんじゃねえのか? なのに、なぜ五山のことで、ヨシオが非難されているんだ」


 と言った角田の言葉を聞いて、僕の心臓がはげしく打った。


「だれがっ!……」


「まえから五山、五山って、言ってたじゃねえかよ。だから、いろんな奴に五山のこと、聞いてまわってたんじゃねえのか?」


「それと、今回のことは、関係ない……ことも、ない……けど、僕は……五山のことなんて……」


「まあいいよ。それと、女子になに言われたって気にするなよ。俺たちがはげましてやるからな。なあ新田?」


「そうだぞヨシオ。俺たちがいるから、もう好き放題に言ってしまえ。モテない男子を代表して、おまえがガツンと女子たちに言ってやるんだ」




 放課後、僕たち三人に、花一も加え、四人で帰ろうとしていると、廊下で樹貴男が待っていた。


 角田と新田は、目を合わさないように、そそくさと先に行ってしまったが、僕と花一は、樹貴男の前で立ち止まり、なにか言いたげなそぶりをしている樹貴男に話しかけた。


「なに?」


 樹貴男は、僕をぐっと睨んで、


「やはり、こうなったか」


 と言った。僕は、怯まず、


「わかっていたの?」


 と、強気に言った。


「こうなってしまったらもう、どうすることも出来ねえ」


 と樹貴男は、声を張りあげて言いつづける。


「わかっているんだろうな。おまえが悪いんだぞ!」


 僕は、すでに樹貴男に背を向けて、前を行く角田らを追って、歩き出していた。




 四人で歩いていると、ガードレールを挟んで、いつも車が行き交う交通量の多い道路が、今日はなぜか空いていた。


 誰もいない直線の道路を、まえから一台の単車が猛然と走ってくる。


 まえに乗った男が運転をして、その後部にもう一人、運転手の胴にしっかりつかまって乗っている。


 気温はこんなに蒸し暑いのに、うしろに乗ってる人物が、やけに厚着をしている格好が目についた。そう思ってよく見てみると、単車はすでに僕の真横を走っていた。


 僕は、単車の動きに合わせて、首をひねった。


 うしろに乗っていた人物は、厚着でなくて、体毛だった。黒い毛が全身を覆っていた。


 五山凛子は、僕の知らないどこかの男の、バイクの後ろに乗っていた。うしろの席を確保して、密着しながらがっちり掴まり、胴に腕をまわしていた。


 二人乗りしたバイクは、はるか彼方へ消えていった。

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