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第三章  五山をゴリラに見えるといった奴に会ったのは、おまえが初めてだ




 その日の昼休み。いつものように男四人あつまって、わいわいと弁当を食べていた。


「それにしても、五山があんなにケンカ強かったとはな」


 と言ったのは、友達Aこと、角田だ。


「本当だよな。あの動きは本物だよ」


 友達Bこと、新田である。


「あいつ、なにか格闘技やってんのかな?」


「いや、俺が見たところあの動きはケンカ殺法だ。ただケンカが強いだけ、でもあんなに強いんだよ」


「ただのケンカじゃないだろう。あの動きはプロそのものだったよ」


「わかってないなあ新田は。プロならあそこでチョークになんかいったりしないぞ。早く勝負を終わらせるために、あえて相手の意識をなくさせて動けなくしたんだ」


「へえー、そうなのか」


「そうそう。まあ、プロはプロでも、ケンカのプロってところだな」


「そうだよな。五山はケンカ最強だよな。なあ、ヨシオはどう思う?」


「ん? ああ。ケンカ最強にまちがいないとおもうよ」


 はあ……。一体、なにを言っているんだか。


 樹貴男VS五山凛子の決闘が、昨日の午後におこったことだったため、今日になって、朝からずっとその話題で持ちきりだった。

 

僕が真殿さんと会話したことを気にとめるやつなんか、だれひとりいない。僕自身でも、あまり触れたくないんだけどね。


「人は見かけによらないものだな」


 と、新田が、納得するように言った。


「ヨシオ。これで少しは五山さんのことがわかったんじゃないのか?」


 と花一は、口の中に物を入れたまま、こもった聞きとりにくい声で言った。


「少しだけな」


 僕が知りたいのは、五山がケンカが強かったり、原チャリで爆走するといいたことよりも、もっと根本的な、どうしてゴリラの姿をしているのかということなんだ。


「五山のやつあんだけ強かったら、格闘技のトーナメント出場できるんじゃね?」


 と角田が、またバカなことを言いはじめた。


「でも、あいつ女子だぞ。女子の大会なんてあったか?」


「大丈夫だって、あいつなら男たちにまじって、ひとり女子の代表としてたたかうよ」


「相手はみんな強靭な大人の男たちだぞ。いくらなんでも、女子高生がそんな奴らにかなうわけないよ」


「新田よ、おまえは昨日ちゃんと見てなかったのか? あのケンカ殺法は、そこらの中途半端な大人なんて、あっという間にやっつけてしまうぞ」


「そうだよな。絶対大会に出られるよな」


「だろ。下手すりゃ、優勝しちまうかもな」


 ハハハッと笑って、角田と新田はバカな妄想を繰りかえしていた。


 五山がプロに混じって、格闘技の試合に出られるわけないだろう。ルール上無理なんだよ。なんてったって、ゴリラなんだからね。


「それにしても、東条ってあんな風に見えて、じつはケンカ弱かったんだな」


 弁当を食べおえた角田が、素手で口を拭いながら言った。


「そうそう。五山が強いのはわかったけど実はあれ、東上が弱すぎたっていう話もあるんだよな」


「女子が相手だったから、手が出せなかったんじゃないのか?」


 と、花一が樹貴男をフォローした。


「いやいや、そんなはずはないぜ。東条は、相手が女だからって手を抜いたりするような奴なわけないじゃないか」


 角田は、樹貴男のことをとんでもない奴みたいに思っているんだな。


「そうだろう、ヨシオ?」


「いや、樹貴男くんは、そこまで悪い人じゃないよ」


 僕は正直に、言った。


「おまえまで東条のことをかばうんだな。あんな奴、人のことなんかどうにも思ってない、自分さえよければいいと思っている奴なんだよ」

 

と、角田は、吐き捨てるように言った。


 樹貴男に何かされたか、何かあったのか?――


 と、そんなところに、話題の人物、樹貴男が僕らのまえに突然あらわれた。


 樹貴男はいかつい表情をしたまま、そこにいた僕ら四人の顔を順番に見わたして、なにかをしようとする気配をうかがわせていた。


 僕らは樹貴男のほうに目をやり、角田はおどおどしながらじっと目をふせて、この場からすがたを消すかのごとく、体をちいさくして気配を消していた。


「樹貴男くん、どうしたの?」


 と僕は言った。


「流川、話がある」


 樹貴男は低い声で、眉間のしわがより一層ふかくなった。


 角田と新田は、僕がそう言われたのを聞くとお互いの目をあわして目をぱちぱちさせ、僕のほうを心配そうに見つめてきた。


「どうしたの?」


 僕は訊いた。


「話があるんだ、ちょっと来いよ」


 いかにも、わけがありそうな言いかたである。


「樹貴男、ヨシオをどこに連れて行くんだ。ここで話したらだめなのか?」


 花一が、僕をかばってくれている。


「ああ。ここでは話せない」


 なんだ? ここでは言えないことなんて、別のところに言ってきかされたら、それはとんでもない話に決まっているじゃないか。いい予感はまったくしないぞ。


「早く弁当食っちまえ。それ食い終わったら俺についてこいよ」


「う、うん」


 僕はそう言って、急いでのこりの弁当をかきこんだ。おかげで喉がつまり、さき待ちうける危険な場面のまえに、ひとあし早く、死にそうになってしまった。


 すると、花一が、


「俺もついていくぞ。いいな」


 と言って、僕についてきて来てくれると言ってくれた。ありがとう花一。


「ああ、お前ならかまわない」


 よかった。


 ここで角田と新田が、目で合図を送ってきている。きっと通訳すると、こういうことになるだろう。――やばい、やばいぞ、ヨシオ。だめだ。逃げろ。今すぐ逃げるんだ。もしついていったら殺されてしまうぞ。五山の代わりにおまえを報復するつもりなんだ。よせ、早くこの場から立ち去るんだ。どうなっても知らねえぞ。――といったところだろうか。


 どんな話しかわからないけど、さっきの話を聞かれてたら、おまえらの方がやばいんじゃないのか。


「よし、食い終わったな。じゃあ行くぞ」


 樹貴男は、ようやく食べおえた僕を待っていたせいか、イライラしていて早くここから出たがっている感じにみえた。


「ヨシオ、行くぞ」


 と、花一が立ち上がった。


 僕は、いそいで片づけて、あわてて立ち上がった。


 俺はもう知らねえ、といったような顔で僕を見ていた角田が、少し腹立たしかった。


 三人そろって、そこから立ち去ろうとしたとき、樹貴男が振りかえり、角田のほうを見てキリっと言った。


「おまえが、俺を弱いと言ったことは忘れねえからな」


 角田は一気に青ざめて、泣きそうな顔をして何度も僕の顔を見ながら、教室を去る僕らのうしろすがたを見送っていた。

 

 僕らは人どおりの少ない校舎の裏につれてこられた。いかにもあやしい雰囲気が漂ってくる。しかしこっちには花一がいて、二対一だ。いざとなれば、すぐに逃げられる体勢もできている。さあ、その人まえでは出来ない話しとやらを、ここでしてみろ。


 樹貴男は左右を見わたし、誰もいないことを確認すると、僕らとちかい距離をとって、こう言い出した。


「あのよー、昨日おまえら、いろいろと五山のこと訊いてきたよな」


「ああ、おまえが急に怒り出したけどな」


 花一は、けん制するように言いかえした。


 あれ、話しって、五山のこと?


「あのときは、悪かったな。無様にやられたんで、ちょっとイライラしてたんだ」


「で、それがどうかしたのか」


 花一は、僕の代理人のように話をすすめてくれる。


「おまえら、五山のことを、いろんな奴らに訊いてまわっているらしいな」


「ああ、そうだ。それがどうした。それがなにかおまえに迷惑でもかけたか?」


「そうじゃない。なぜそこまで、五山のことを調べているのかと聞いているんだ」


 と樹貴男は、真面目に言ってきた。


 花一は戸惑って、僕の顔を見て、たすけを求めているような顔をした。


「どうしてだ? どうしてそんなに五山のことを気にしているだ?」


 樹貴男は、まるで自分のことのように、その理由を知りたがっていた。


 僕は、本当の理由を明かさないように、話しを濁しながら言った。


「あの、それは、昨日も言ったと思うけど、僕が五山のことを気にしているんだ」


 樹貴男はじっと僕の目を見て、


「おまえ、まさか、五山のことが……」


「違う、違うよ。好きとか、そういうのじゃなくて……」


「わかっている。そんなことじゃない。おまえは、もしかして、五山のこと……ご、ゴリラに見えているんじゃないだろうなあ……」

 

 へ? どうして? どうして知っているの?


「その表情をみると、その通りみたいだな」


 と、樹貴男は、やんわり笑ってみせた。


「どうして、それを?」


 樹貴男は、そのまま笑みを絶やさず、僕が言うのをおもしろがるように聞いていた。そして、


「やっぱり、おまえもか。おまえも五山がゴリラに見えるんだな?」


 樹貴男が最終確認するみたいに言った。


「う、うん。僕も五山凛子がゴリラに見える」


「やはり、そうか」


「えっ、それじゃあ、もしかして樹貴男くんも?」


「ああ、俺もあいつがゴリラに見える。というより、ゴリラにしか見えねえ」


 よかった。僕だけじゃなかったんだ。助かったー。今まで僕ひとりだけが、彼女をゴリラに見える病気なのかと思っていた。でもちがったんだ、樹貴男も僕と同じように、五山がゴリラに見えているんだ。やったぞ。


「そうだったんだ」


「ああ。それで、おまえはいつからゴリラに見えているんだ?」


「僕は二年に進級してからすぐに、同じクラスにゴリラがいると思ってたんだ」


「それじゃあ、最近か……」


「えっ、樹貴男くんはもっと前から、五山がゴリラだということに気づいていたの?」


「ああ。五山がゴリラに見えて、もうかれこれ四年ぐらいになるかな」


「そんな昔から? ねえ、どうして五山はゴリラなの?」


 樹貴男は、首をよこに振った。


「わからねえ。俺にもわからないんだ」


「そうなんだ……」


 やっと手掛かりにめぐり合えたと思ったのに、結局わからないままか。でも、確実に前には進んでいるぞ。


「なあ、流川、おまえ五山が言っていることわかるか?」


 それは突拍子もない質問だった。しかし、いまに限ってはそうではなかった。


「わからない」


「人間の言葉に聞こえないだろう?」


「う、うん」


「まるで、鳴き声か、うなり声にしか聞こえないだろう?」


「そ、そうなんだ。その通りだよ、樹貴男くん」


「俺も以前まではそうだった。でも少しずつ、あいつの言ってることがわかるようになってきたんだ」


 樹貴男も同じなんだ。同じように五山の鳴き声がきこえていたんだ。いつか僕も、五山の言ってることが、わかるようになるかもしれない。すこし希望が見えてきた。


「おい、ちょっと待ってくれよ。さっきから一体なんの話をしてるんだ?」


 と、花一が言った。


 花一は僕らとは違って、五山のことがゴリラに見えず、通常の人間のすがたに見えているのだ。だから、こんな奇妙な話しにはついて来れないのはごくごく当然である。こんな話をしている、僕らのほうがおかしいのだから。


「ゴリラがどうとか、泣き声がどうとかって、それが五山さんとなにが関係あるっていうんだ」


「……まさか、こいつ、ゴリラに見えないのか?」


 樹貴男は、驚いて体をのけ反らせた。


「そうなんだ。花一は、僕と一緒に話しを訊いてまわっていただけで、五山のことはゴリラには見えないんだ。」


 花一は、なんのことかさっぱりわからず、きょろきょろと首をふっているばかりだった。


「大丈夫なのかよ? 見えない人間に、こんな話しきかれちまってよう」


「だ、大丈夫だよ。花一は誰にも言いふらしたりなんかしないから」


「本当だろうなあ!」


 僕は何度も、小刻みに頷いてみせた。


「ヨシオ、なにの話しをしていたのか教えてくれないか?」


 と、花一が言った。


 僕が樹貴男の方をちらりと見ると、樹貴男は腕を組みながら、怪訝な顔をしてこちらを睨みつけていた。


「花一、前に言ったと思うけど、僕は五山凛子のことがゴリラに見えているんだ。それは正真正銘のゴリラなんだ。図鑑や、動物園で見る、あのゴリラなんだ。そして樹貴男くんも、僕と同じように見えている。信じられないかもしれないけど、本当なんだ。僕らには五山がゴリラの姿にしか見えないんだ」


 花一は、一つ大きな息を吸って、


「あのとき言っていたことは本当だったんだな。今はまだすぐに納得できないけど、俺はヨシオの言っていることを信じるよ。まさか、ひとりの人間がゴリラに見えているとはな。驚いたよ」



「ありがとう、花一」


「おい、流川。まだ話は終わってないんだ。放課後もつきあえよ」


「う、うん。わかった」


 時計を確認すると、もう間もなく昼休みが終わろうとしていた。僕たちは午後からの授業をうけるため、教室へ戻っていった。

 

まさか、樹貴男が僕と同じだったとは思いもしなかった。でもこれで同じ境遇の仲間ができたとおもえば、とても頼もしく感じられた。なにより僕が見える以前からゴリラに気づいて、見えていたのだから。その知識も豊富でいろいろ教えてもらいたいことが山ほどあった。

 

僕は、見える人間の先輩である樹貴男から、早く五山凛子がゴリラな真相をききたかった。



      *

 


「じゃあ、放課後わすれんなよ」


 と樹貴男が言って、教室のまえで別れた。


 あたらしい情報を得た僕は気分よく、教室にもどると、まず目にはいったのが真殿若菜のつめたい視線だった。


 なぜ、このような視線を浴びなければいけないのか、まったくもってわからないことなのだけれど、実際にそうなっているのだから、それを受け入れなければ仕方がない。


 朝いちばんにみせてくれたときの、あの笑顔がまるで嘘のようだった。


 僕と樹貴男が一緒にいるのがそんなにだめなのか? それとも、単純に僕のことが嫌いになったとか。あっそうか、樹貴男のことが気になるんだな。真殿さんは、きっと樹貴男のことが好きなんだ、それで僕が邪魔なんだ。と、僕は勝手な解釈をして、自分の席についた。


 僕が腰をおろすと同時に、角田と新田がやってきて、なにを言われたやら、どんな目に合わされたやらと、人を凶悪事件に遭遇した被害者のようにあつい、身の安全や心配をしてくれた。ただ、角田は教室を出る直前に言われたことをずっと気にしていたみたいで、


「東条と仲良しになったのなら、俺のことを守ってくれ」


 などと、僕に泣きついてきた。


「大丈夫だ、彼はそんなことまったく気にしていない」


 と、言うと、


「本当か? 本当に守ってくれるのか? たのんだぞ、ヨシオ」


 と言って、背中を丸めてとぼとぼと、新田と共に自分の席にもどっていった。


 午後の授業がはじまった。


 二時間とも僕は、五山凛子観察にその時間をあてた。いつにもまして、観察に力がはいっていた。細かいところまで注意して、できるだけ見極めようとした。


 すると、ある変化に気づいた。以前より、なんとなく髪の毛が短くなっているような気がした。気のせいかもしれないが、短くなっているような感じがする。前髪の辺りなんかが、とくにそうだ。

 

ふで箱も新しくなっている。まえはもっと大きくて赤い花が描かれている、華やかなやつだったのに、いま使っているやつは中身があまり入らなさそうな細い形で、銀いろのアルミ製のやつみたいだ。


 使っているシャーペンも新しいやつかもしれない。まえのは持つところがあんなに太くなかった。


 こうやって五山凛子を見ていると、あっという間に時間がすぎていく。たいくつな授業が退屈でなくなるのだ。


 ずっと観察していたい。そして五山凛子のすべてが知りたい。 



 いつの間にやら六時間目の終了ベルがなっていた。


 途中の休憩時間に、五山と真殿さんがなにかを話しているのを見た。なにを話していたのかすごく気になる。僕が五山のことを調べていることを、報告しにいったのかな。それだったらいやだな。


 ホームルームが終わって帰りの支度をしていると、窓のすき間から、早くも僕のことを待って、廊下で仁王立ちしている樹貴男の姿が見えた。


「ヨシオ、一緒に帰ろうぜ」


 と陽気に角田が、僕に声をかけてきた。


「悪い、今日はだめなんだ」


「どうしてだよ」


「ちょっと、ある人と話しがあるんだ」


 と、僕が廊下のほうをちらっと見ると、角田もその先にいる人物を確認して、


「そうか、わかった、わかった」


 と言って、僕の肩をぽんぽんとたたいた。


「おまえも厄介なやつに目をつけられたな。同情するぜ。もしやばくなったら逃げるんだぞ、おまえなら必ず逃げきれる」


 と言って、うんうんと二回ほどうなずいた。


 角田がひどい勘違いをしているものだから、僕は魔がさして、


「昼休みに樹貴男くんが、角田のこと殴るって言ってたぞ」


 と、冗談めかして言ってみた。


 すると、角田はひどくおちこみ、がくっと肩を落として、うつろなままその場に立ち尽くした。


 あれ? 本気にしちゃったかな。まっいいか。


 しばらくして、樹貴男が僕らの教室に入ってきた。


 角田は新田と一緒に、樹貴男が入ってきたドアとは反対のほうから、逃げるようにして足早にでていった。


 角田は、完全に樹貴男をビビッている。明日、嘘だったと教えてやらないとな。


「おい、流川。今はまだ人が多いからもう少し待って、人がすくなくなってから話そう」


 と樹貴男は言った。


 花一も、僕らのほうに来た。


「おい、ヨシオ。もう話しをはじめているのか?」


「いや、まだだよ」


「そうか、よかった。俺のことをおいてけぼりにしてるんじゃないかと思ったぞ」


「そんなわけないよ」


 ははっと僕は笑った。


「おい、流川。杉本も話しにまぜるのか?」


 と、樹貴男がむずかしい顔で言った。


 えっ? と、一瞬とまどったが、五山のことがゴリラに見えない花一を、話しに参加させていいものだろうかという迷いが生じてきた。樹貴男もそのことを懸念して言ったのであろう。



「なんだ? 俺は話しに混ぜてもらえないのか?」


 と、花一は言った。


 僕はなるべく、花一の気に触らないように、


「花一は、一緒に話しをしたいんだよね?」


 と、訊いた。


「あたりまえだ!」


「でもよお、見えない人間に、見える人間、の話をしてもいいのかよ?」


 と、樹貴男が言った。


 たしかに、そうだ。「見えない」花一にとって、「見える」僕らの話が、どこまで信用できるものかわからないし、かえって花一をつらい目にあわせことになるかもしれない。そんな危険な目に、花一を巻き込むわけにはいかない。


「いいだろう、ヨシオ?」


「ごめん。花一は聞かないほうがいいかもしれない」


「なんだよ、ヨシオまで!」


「違うんだ、花一」


「俺だけのけ者かよ! わかったよ!」


 花一は、完全に頭に血が上ってしまっている。花一は、仲間はずれにされるのを一番嫌うのだ。



「もういいぜ。ゴリラだかなんだかしらないけど、俺は五山さんがゴリラになんか見えねえんだよ!」


「杉本のバカ。まわりに聞こえちまうじゃねえか」


「うるせえ、そんなの知るか」


 花一はカバンを雑に拾い上げて、がつがつと机や椅子に体をぶつけながらドアの前まで行き、そこで一度たちどまり、


「二人で大事な秘密の話しでもしてろよ!」


 と怒鳴って、教室を出て行ってしまった。


 まだ教室に残っていた者たちは、あっけにとられて、花一を見たあと、もちろん僕と樹貴男を不審な目で見てきた。


「聞かれちまったかもしれないぞ」


 樹貴男が不安そうに言った。


「そうだね……」


 そのあと、教室から人がいなくなるまで、黙ってじっと待っていた。それはけっこう長い時間で、途中で何度も人が入れかわり立ちかりで、全然おちつこうとしなかった。放課後の教室がこんなに、忙しないとは思っていなかった。


 人がまばらになり、最後まで残っていた女子三人組みも帰っていき、ようやく僕と樹貴男だけになったところで、待ちかねていた樹貴男が、


「やっと帰ったか」


 と言って、すわっていた机から飛びおりた。


 その拍子に机が動いて、静かな教室にガラッと大きな音がひびいた。


 樹貴男は、指の関節をポキッポキッと鳴らしながら、


「さあ、これで心置きなく話せるぜ」


 と言った。


「昼のつづきでも、はじめるとするか」


 首や肩をぐるぐる回し、かるい準備運動をしている。


 ただ、話しするだけなのにそんなの要るか? と思っていると、


「シャアアアアア」


 と、いきなり大きな声で雄たけびをあげた。


 僕は驚いて、椅子から転げ落ちそうになるのをなんとかこらえて、


「どうしたの?」


 と言うと、


「こうやって自分に気合を入れないと、これから話すことは、そう簡単に口に出せることじゃないんだ」


 と、自らを奮い立たせていた。


 僕は動揺しながら「そうなんだ」と言った。


 

      *



「おまえ、まだ五山の言葉がわからないんだったな?」


「うん」


「そうか。じゃあ、それはもうすこし時間が経てば、なにを言ってるかわかるようになってくるだろう。俺がそうだったからな」


「ねえ、なぜ五山は言葉までゴリラになっているの? あれは、ゴリラ語なの?」


「わからねえ。正直言って、まだ俺にもわからないことが多すぎるんだ」


「……そうなんだ」


 僕はがっかりした。


「俺が五山についてわかっていることは、ごく僅かだ」


 樹貴男でも、まだ五山のことが全て理解できているわけではないのか。


「四年間、探っているけどさっぱりだぜ」


 樹貴男は、静かに側にあった椅子に腰掛けた。


 僕はもうひとつ訊きたかったことを、訊いてみた。


「どうして昨日、あんなケンカをしたの?」


 樹貴男は、大きく息を吸い込み、


「あまり思い出したくないことなんだけど、そのことを話そうと思ってな」


 と、教室の天井を見上げた。


 遠くのほうで野球部の練習している声がかすかに聞こえてくる。


「うん、聞かせてよ」


「ああ。話すとながくなるが、あれはまだ俺が中学一年のとき。――


 俺は五山と同じクラスだった。小学校を卒業して、これから新しい環境で、新しい友達をつくったり、いろんなことを学ぼうと、心躍らせて中学生になったばかりだというのに、五山は入学して間もなく、同級生らによるいじめにあったんだ。理由は五山の性格が暗いということだったらしい。最初は女子たちから無視されたり、持ち物を隠されたりしていたんだが、次第にいじめはエスカレートしていき、ついには男子たちからもいじめられるようになった。

 

それを助けたのが、当時、クラスのリーダー的存在だった柏木(かしわぎ)(たく)()だった。柏木は、反対に自分もいじめられるかもしれないことも覚悟して、精いっぱい五山をかばった。毎日かばい続けた。いじめている奴らに、やめるよう注意したり、呼びかけたりした。その成果、ついに五山はいじめから解放された」


「それと、昨日のケンカがなんの関係があるの?」


「あせるな。話しはまだ終わってねえ。――五山はそれからというもの、ずっと柏木の側を離れなかった。柏木もそれを嫌がってはなかった。いつも一緒に行動していた。どこに行くのも一緒だった。きっと付き合っていたんだな。仲のいい恋人同士だった。羨ましいほどにな。


 だが、それも永遠には続かなかった。中学の三年間ずっと一緒だった二人も、高校進学の際に、別々の高校に入学することになったんだ。五山は俺たちと同じように東高校、柏木は別の進学校に行っちまった。


 柏木と同じ高校に行った奴らに話しを聞くと、高校に入ってもしばらくは付き合っていたらしい。でもしばらくすると、柏木は新しい彼女を作って、五山のことは知らないという態度をとった。


 それでも五山は柏木のことが忘れられず、執拗に連絡をとったり、家の前で待っていたりと、別れたくないらしかったらしい」



「だから、それは、ケンカの要因には……」


「うるせえ。ちょっとは黙ってろ! ――高校に入ってから新しく柏木と付き合った彼女というのは、俺らと同じ中学の奴だったんだ。だからそいつに、五山と同じ高校の俺に『柏木にもうつきまとうな』と言ってくれと頼まれたん

だ。

 それが半年くらい前で、その件はもう終わったと思っていたのに、また頼まれて、それでもう一度五山に言ったら、昨日のあのざまだ」


 樹貴男は、自分の首をなでた。


「そういうことだったのか。ということは五山はまだ、その柏木って人のことが忘れられないんだね」


「そう、みたいだな」


 樹貴男は話しを続けた。


「俺は最初から五山のことが、ゴリラに見えていたわけじゃないんだ。ゴリラに見えたのは、いじめられている五山を柏木が助けてしばらく経ったあとだった」



「じゃあ、それまでは五山のこと、どんな風に見えていたの?」


「それまでは、ほかの奴らとなんら変わらない普通の女子だった。それがある日、突然ゴリラに姿が変わったんだ。初めは、いじめられてそんな格好をさせられているのかとも思ったんだ。でも違った。話す言葉もゴリラみたいに変わっていた。それ以降ずっとゴリラのままだった。それが現在までずっとつづいているというのが現状だ」


「中学から、ずっとか……」


「それに、五山がゴリラに変わったことに、誰も気づかないんだ。今度は俺がいじめられて、そういう風に仕組まれているのかと思ったが、そんな周到なまねは、中学生にはできるはずない。誰に言っても信用してもらえず、笑われるばかりで、いつの間にかそのことを誰にも言わないように自分の中に封印していたんだ。五山をゴリラに見えるといった奴に会ったのは、おまえが初めてだ」



      *



 樹貴男の話しを聞いて、五山凛子の過去をすこし垣間見られたのだが、それだけではまだ、核心にはいたらなかった。


 樹貴男はこれ以上のことは知らないと言った。ただ自分の知っていることを、ゴリラの姿が「見える人間」である僕に話しておきたかったのだろう。


 あとは、これまでみたいに、自分で調べるしかないのか。


 と思っていると、突然、ドアが開く音がした。


 はっとして、おもわず背すじが伸びて、そちらを見ると、ドアのまえに立っていた相手も驚いていた。


 ドアに手をかけたまま立ち尽くして、しばらくして、なかに足を踏みいれた。


「あれー、二人でなにしてるの?」


 と真殿さんは言った。


「きっと、怪しい相談でもしてたんでしょ」


 もしかしたら、今の話を聞かれていたんじゃないだろうか。


「おまえこそ、なにしに来たんだ」


 樹貴男が、慌てて言った。


「どうしたの? 私は忘れ物とりに来ただけだよ」


 と言って、真殿さんはこっちを見ながら、自分の席があるほうへ歩いて行き、机のなかから一冊のノートをとり出して、今度は僕らがいるほうに近づいてきた。


「ねえ、なに話してたの?」


「おい、今の俺たちの話し聞いていなかっただろうな?」


 と、樹貴男が問いただした。


「なんのこと。なにか大事な話してたの? あっ、でもぉ、キミたちだったらぁ、凛子の話ししてたんでしょ」


「おいっ、てめえ。やっぱり聞いてたんじゃねえか!」


 樹貴男は、血相を変えて怒りだした。


 怒鳴られた真殿さんは、 


「ちがう、ちがう」


 と言って、軽く両手をあげて、頭をぶるぶると振った。


「でもー、そんなに怒るってことは、やっぱり凛子の話だったんだ。図星でしょ。ねえ、そうなんでしょ。やっぱりなあ、たぶんそうだと思ったんだよねえ」


 真殿さんは、ひとりで勝手に内容を解釈してしまったようだ。


「おい、真殿!」


「なに?」


「絶対に言うなよ」


「だからぁ、どんな話ししてたのか知らないってばー」


「嘘をつくな」


 樹貴男が、机をバンッと叩いた。


「だったらどうして、五山のことを話していたとわかった!」


 おいおい。その言い方だと、真殿さんの言ったことが、その通りだと言っているようなもんだよ。


 すると樹貴男は、以前にも見せたことのあるファイティングポーズを、真殿さんに向かってとった。


「きゃっ」


 と、真殿さんは可愛い悲鳴をあげて、樹貴男から遠ざかるように僕の後ろにまわって、腕にぎゅっとしがみついてきた。


「流川くん、たすけて」


 女性のやわらかさが伝わり、僕はにやけそうになる顔をなんとか抑えこみ、


「やめなよ、樹貴男くん」


 と言った。


「だまれ、流川。ここでこいつの口を封じなければ、あとで厄介なことになるぞ」


 樹貴男は、そこをどけと言わんばかりに一度大きく腕をふり、後ろにいる真殿さんを睨みつけている。


 そもそも口を封じるって、いったいどうする気だ?


「流川くん、たすけて。東条くんなんて弱いから、きっと流川くんでも勝てるよ。がんばれっ」


 握っている僕の腕を、ぐいっと押してくる。


「なんだと、こら!」


「ほら、真殿さん。そんなこと言うと、余計に怒らせるだけだよ」


「もうー、こわいー」


 僕の腕を押したり、引いたりしている。


「まあまあ、樹貴男くんも落ち着いて」


 とは言いつつ、その状況をひそかに僕は楽しんでいた。


「なにを言っているんだ。五山のことを聞かれたんだぞ!」


 だから、その言い方は、五山の話しをしていたことを裏付けることになるんだって。


 樹貴男は僕の周りをまわって、真殿さんに近づこうとしながら、


「あの話しは、見えない人間、に聞かれちゃまずいんだ!」


「聞いてない、ない。だから暴力はよしてよ、ねっ」


 と、真殿さんも弁解しながら、僕の周りをまわっている。


「ほら、真殿さんもこう言っているんだしさ。それに、女子に暴力はまずいよ」


「うん、うん。そうだよ、東条くん。女の子に手ぇだしたら、あとで痛い目にあうかもよ。凛子のときみたいに」


「真殿さんっ」


 と、彼女のほうをふり向き顔で合図し、彼女がこれ以上余計なことを言わぬように制止した。真殿さんは、頬をふくらませ、顔をそらせ、ぷいと知らんぷりをする。もう一度僕は、


「真殿さん!」


 と、注意すると、


「はいはい、私は何もきいておりません」


 と言い、樹貴男にむかって、ぺこりとお辞儀をした。


「ほら樹貴男くん、こう言ってるんだし、もうやめなよ」


 樹貴男は苦々しい顔をしながら、ファイティングポーズを解除し、


「どうにかなったら、おまえが責任とれよ。俺は知らねえからな」


 と言って、体を反対むけた。


「わかった」


 と僕は言った。


「真殿さん、もう大丈夫だよ」


「ありがとうー。流川くん」


 真殿さんは、小走りで近づいて来て、うしろから背中に抱きついてきた。


 うん、やわらかい。


 樹貴男は、側にあった机を蹴りとばした。


 耳障りな大きな音がたち、真殿さんはびくんとして、僕から離れた。


「おい、真殿。ほかの奴らに余計なことしゃべったら承知しねえからな」


「わっ、う、うん。わかった、言わないよ。私なにも聞いてないから、言うことないもん」


 樹貴男はチッと、僕らにも聞こえるほど大きな舌打ちして、帰っていった。



      *


 


「あー、こわかった」


 と言って、真殿さんはぐでんと、机の上に崩れた。


「東条くんに襲って来られたら、どうしようかと思ったよ」


 と、顔だけ僕のほうに向けた。


「そんなの、僕が守ってあげていたよ」


 と、言うと、


「ムリ、ムリ、ムリ。流川くんに、東条くんは止められないよ」


 と、あっさり言いきった。


 なんだよ。せっかく、たすけてあげたのに。ちょっと自分が美人だからってさ。そんなにはっきり言わなくてもいいじゃないか。少しぐらい気を使ってよ。


「あーあ、遅くなっちゃった。ミカたち先に帰っちゃったかな?」


 ふん。そんなこと知るか。


「ねえねえ、一緒に帰ろう?」


 僕は真殿さんのほうを見た。彼女も僕のほうを見ていた。

 くそう。可愛い。


 僕たちは、一緒にならんで歩いていた。


 彼女からすると普通なのだろうが、僕にとってはその距離が非常に近く感じられた。すごくドキドキした。


 真殿さんは、まだ残って部活の練習をしている知り合いに、手をふって「また明日」やら、「あとでメールするね」などと言って、別れの挨拶をしていった。その相手の人たちが、横にいる僕のことを、どんなふうに思っているのか、気になって不安になった。



 こんな可愛い子の隣に、僕なんかがいて大丈夫なのだろうか。


「ふー。みんな、がんばってたね」


「うん」


「ねえねえ、それでさ。さっき東条くんとなに話してたの?」


 彼女は、じっと僕の目を見てきて、僕も目を合わせた。


 ――そのまま、数秒。


「……いや、べつに、なにも」


「なにもって、なによそれ。そんなのだめ。ねー、ちゃんと教えてよー」


 僕の袖をぐいぐい引っぱってくる。まるで恋人が彼氏に甘えるようにして。


「だめなんだ。言えないよ」


「えー、なんでえ。いいじゃん。お願いっ」


 と言って、小さく顔のまえで手を合わせ、


「ね、ね」


 と、顔をのぞき込んで、ねだってくる。


 僕はこの誘惑に勝てるだろうか。耐えきれずに、いっそ全てのことを吐き出してしまおうかとも思った。


 いや、だめだ。ゴリラのことを、知らない人に言ってしまうのは命とりだ。


「ねえー、教えてよ。凛子のことなに言ってたの」


 そうか……五山のことを話していたことは、先ほどの会話の流れから、もう十分知られてしまっているのだ。多少しゃべっても……いや、だめだ。


「ねえってばー。ちょっとぐらい教えてくれたっていいじゃん」


 ほっぺたを膨らましている。


 どうしよう、怒っているのかな? 話したほうがいいのかな?


 ふくれっ面のまま、横目で僕をちらっと見た。


 喉のあたりまで声が出かかったが、ぐっと飲み込んだ。大丈夫、僕の理性はまだたもたれているぞ。


 すると次に、相手はまたべつの戦法できた。


「ねーえー、なーがーれーかーわーくーん」


 首筋がゾクゾクした。その震えが口まで伝わって、おもわず舌が動きそうになった。


「おーしーえーてーよー」


 そのリズムに合わせて、掴んだ袖をぶらんぶらん動かし、引っぱられる。


「おーねーがーいー」


「だ、だからー、だめだって言っているだろう」


「どうしてよー。ちょっとだけでいいからー」


「だめだ」


 彼女はぷいっと、顔をそむけて、


「もう。教えてくんないと泣いちゃうぞ」


 うっ、ちがう。これは相手の作戦だ。だまされるな。言うんじゃないぞ、自分。


「真殿さん」


「ん? なに、やっと教えてくれる気になった?」


「あの、やっぱりこのことは、なにも言えないんだ」


 少し、無言の時間がつづいた。


「ねえ、本当になにも教えてくれないの?」


 と、真殿さんが、ずっと握っていた僕のシャツの袖をはなした。


「本当にだめなんだ」


「こんなに頼んでるのに?」


 しょんぼりしている。


 それでも僕は、断固として断った。


「うん、樹貴男くんにも言われたから」


「もういい。流川くんのバカ」


 真殿さんは駆け出した。少し泣いてるような気がした。


「真殿さん。待って」


 僕は追いかけた。


 すぐに捕まえた。


 泣いていると思われた彼女の顔には、涙は一滴も出ておらず、白い歯がこぼれていた。


「捕まえた」


 と、逆に彼女が言って、僕に抱きついた。


 たわわな感触が、僕の片腕におし当てられている。


「なにしてるんだよ」


「あなたが白状しないからでしょ。早く教えなさい。さもないと、このままずっと放さないわよ」


 そうしてくれるとありがたいんだけど。と、言っている場合ではない。


 だめだ。もうこれ以上だまり通すわけにはいけそうにない。五山の話題だとわかっているのだから、少しぐらいいいだろう。確信に触れなければ大丈夫だ。


「わかったよ。言うよ」


「えー、本当。やったあ。うれしいー」


 と言って、ピョンピョン飛びはねた。


 ごめん。樹貴男。


「最初から全部話してね。嘘ついたら嫌だよ」


「その代わり、絶対に誰にも言わないって約束だよ」


「うんうん。ぜーったい、誰にも言わない。約束する」


 このあと僕は、根掘り葉掘り質問されて、それに答え、へとへとになりながら真殿さんの尋問から解放された。


 樹貴男のことは言わず、自分のことだけしか言わないように心がけた。もしかしたら理解してもらえるかもしれないという、あわい期待も込めて。


 僕は浮かれていたのかもしれない。真殿さんと戯れたことのほかにも、五山がゴリラに見える人間が自分以外にもいるということを知り、そして、その見える人間の樹貴男に出会えたこともあったために。


 今日まで僕が“見えない人間”に五山がゴリラに見えると言ったのは、花一ただひとりだけで、みんながみんな花一みたいに寛大で、思いやりのある人間だけではないということを、僕は忘れていたというよりも、理解していなかった。


 浮ついて、心を広くしていた僕は、人の秘密を誰かに言ってしまう恐ろしさを、まだ知らなかったのだ。


 


「ふーん。凛子のことがゴリラに見えるんだあ」


 真殿さんは、何度も小刻みに頷いた。


「そうなんだ。嘘じゃないんだよ」


 僕はわかってもらおうとして、必死に説明した。


「へえー」


 しかし、真殿さんはわかったのか、わかっていないのか、どちらともとれない曖昧な返事をした。


「真殿さんは五山のこと、どういうふうに見えているの?」


「私は普通だよ。普通の女の子にしか見えないけど」


 真殿さんは「見えない人間」なのだ。


「じゃあ真殿さんは、五山のことがゴリラに、見えないんだね」


「うん」


「五山のことをゴリラだとか言ってる人、ほかに知らない?」


 真殿さんは、うーんと少し考えてから、


「知らない」


 と言った。


 だんだん日も落ちて、空が暗くなり始めていた。そのせいなのか、真殿さんを見る印象が、いつもとは違って見えていた。


「そっか」


 せっかくあんなに聞きたがっていた話しをしているのに、その表情からはうれしさや満足している気配が一つも感じ取れなかった。まあ、こんな馬鹿げた話しをされて、よろこぶほうがおかしいんだけどね。でも少しぐらい感情を見せてくれてもいいのに。ずっと無表情のままだよ。


 と、思っていると、以前聞いたことのある、耳をつんざくような爆音が、遠くから近づいて来るのがわかった。


 ――原チャリを乗りまわす、五山凛子だった。


「あっ、凛子だ!」


 真殿さんも、五山が乗っていると気づいたみたいだ。


 五山の改造マフラーがふき鳴らす騒音に、負けないくらい大きな声をだして、


「凛子ー!」


 と、真殿さんが大きく手をふりながら、絶叫した。


 五山は風を切りながら、こっちをふり向き、軽く手を上げて、真殿さんの呼びかけに反応して見せた。その姿は勇ましくもあり、艶やかでもあった。僕はその五山の姿に、完全に魅せられていた。



「ねえ、今もゴリラに見えたの?」


 と真殿さんが訊いた。


 僕はゴリラに見えたというより、優美さが際立っているように見えた。だが、ゴリラには違いなかった。


「うん」


 真殿さんは僕の顔をじっくり見たあと、


「本気なんだあ」


 と言った。


 しばらく歩いたのち、


「じゃあね。私こっちだから」


 と真殿さんが、向きをかえて僕に手をふってくれた。


「うん。また明日」


 と、僕も、同じように手をふり返した。


 一人になってから、辺りが、急に暗くなりはじめた。


 僕は、ちょっと早歩きで、家まで帰った。



 その夜、布団に入って眠りにつくまでの間、今日のことを思い出していると、いろんな感情が僕を襲ってきた。


 真殿さんに本当のことを言ってしまった。樹貴男は言うなと言ったのに、僕は口を割った。大丈夫だろうか。


 真殿さんに、秘密をしゃべってしまった罪悪感、それと戯れたときの楽しかった高揚感で僕の頭はごちゃごちゃになった。


 だが、次第に後者が勝っていき、真殿さんの笑みを想像しながら、いつの間にか眠りについていた。



 翌日。

 朝一番に、昨日怒らせてしまった花一に謝った。

 

しかし花一は、まったく怒っていなかった。僕の事情をよく理解してくれて、ああなったことを納得してくれたのかもしれない。それとも、一日寝ると忘れてしまう性格なのだろうか。


 花一のほかにも、もうひとり謝らなければならない人物がいた。僕は、次の休み時間に樹貴男に、真殿さんに「ゴリラに見える」ことを、しゃべってしまったことを報告することにした。



 隣の教室が、樹貴男のいる四組の教室だった。


 教室にひとりで机にうずくまって、寝ていた樹貴男を発見した。


 最終的に起こさなければならないのだが、近くに行くまでは、気づかれないように静かに歩いて、そっと近づいて行った。そばまできたとき、ゆっくりと肩を二回ほど叩いて、僕に気づくのを待った。


 樹貴男は、むくっと体を起こし、


「なんだ?」


 と言った。


 額が赤くなっていて、開ききらないしかめっ面で僕をのぞき見た。寝起き特有の機嫌のわるさに、僕はタイミングの悪さを後悔した。


 しかし、僕は決心し、おそるおそる昨日の事を話だした。


「あの、話があるんだけどだけど……」


「あ? 何の話だ?」


「昨日の、放課後のことで。……」


「あのあと、真殿になにも言ってねえだろうなあ」


「あの、それが……」


「なんだ。はっきり言えよ」


「あの……実は……」


「なんだよ、辛気くせえな。早く言えよ」


「……あの、僕、実は……しゃべっちゃったんだ」


「はっ?」


「ごめん」


 と、僕はすぐに頭を下げるよりも速く、樹貴男の、


「なんだとー!」


 という、怒鳴り声が、教室じゅうになり響いた。


「ごめん。本当にごめん」


 教室の中がざわざわと騒がしくなった。下向いて見えはしないが、視線がこちらに集まっていることが、見なくてもひしひしと感じる。


 勢いよく立ち上がった樹貴男を見ると、顔面を真っ赤にして鬼の形相で僕を見ていた。


「こっちに来い!」


 と言って、教室の外につれ出された。


 さっきまでいた教室のなかは騒然としていた。きっとみんな、僕がこのまま殴られると思っているんだろうな。自分でも、そう覚悟した。


 トイレの前まで、引っ張られるようにつれてこ7られ、壁に向かってドンと押された。僕は壁を背にして、それとすぐ目の前にいる怒った樹貴男にはさみ込まれて、その圧力で押しつぶされそうだった。


「どういうことだ。あれほど言うなといっただろ」


 と樹貴男が言った。どすの利いた低い声だった。


「う、うん。ごめん。つい……」


「つい、じゃねえよ」


「だって、言わなきゃ帰してもらえなかったんだ」


「バカか、おまえは!」


「……」


「ベラベラしゃべりやがって。それも、あんな奴に……」


「本当にごめん」


「もう遅せえよ」


「でも、樹貴男くんのことは言ってないよ。樹貴男くんが、見えるとは言ってない」


 樹貴男は、チッと舌打ちした。


「それに、真殿さんは誰にも言わないって約束したし」


「そんなの信用できるか。おまえはそんな嘘を信じたのか!」


「嘘じゃないよ。約束したから……」


 樹貴男は、僕を汚いものでも見るような目で見た。


「ケッ。だからおまえにも、言おうかどうか躊躇してたんだ。こうなるのを恐れてな。やっぱり言わなきゃよかったぜ」


「樹貴男くん……」


「うるせえ。おまえに、うっかりしゃべっちまった俺がバカだったよ」


 と言って、樹貴男は、体の向きを反転させた。


「ごめん。もう誰にも言わないから」


「あたりまえだ! もう俺につきまとうんじゃねえ」


「そんなあ。もっと五山のこと教えてほしいのに」


「そんなこと知るか。知りたいのなら、あとは自分で調べやがれ!」


 樹貴男は、歩みをすすめた。


「ちょっと、待ってよ」


「……」


「樹貴男くん……」


「もう俺に関わるなっ!」


 と言って、とうとうその場からいなくなってしまった。



 この日、僕は自責の念に駆られて、そればかり考え、なにも頭に入らなかった。


 だが次第に、ふつふつと腹が立ってきた。僕はたしかに口が軽く、秘め事をうっかりしゃべってしまったかもしれない。しかしそれは、本当に言ってはいけないと決まったわけではなく、もしかしたら多少は理解を得られたかもしれない、そういうチャンスも含まれていたのだ。


 そもそも僕は自分のことを言っただけで、樹貴男のことは隠してバレないように工夫したつもりだ。それに文句をつけられる筋合いはない。むしろ感謝されてもおかしくないことなのに。


 真殿さんに言うことで、樹貴男がなにを恐れているかというと、それをまわりに言いふらされないか、誰かに言ってしまわないかということだろう。


 しかし真殿さんも、ちゃんと誰にも言わないと約束して、それを守ってくれている様子だし、なにも変わったようなことも起きていない。


 すなわち、僕がやったことで間違ったことはなに一つないのである。


 

 この日の夜。

 僕は、樹貴男に怒りをぶちまけられたことがすごく腹が立っていたので、その苛立ちを発散するために、昨日真殿さんと二人で一緒に帰り、戯れたあのときの楽しい時間を思い出し、無我夢中でなんどもなんども自分を慰めたのだった。


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