第二章 喧嘩最強女子高生
五山凛子の授業態度は、すごく真面目だった。
隠れて携帯電話をいじったり、授業に関係のない本を読んでいるやつらがいるなか、五山は熱心に授業をきいて、黒板の字をノートに写している。
そんな五山のうしろ姿とは反対に、僕は授業に集中することなく、ただ五山を観察し想像をふくらませていた。
現在は、英語の授業だった。細かく腕をうごかしながらノートを取るうしろ姿からは、なに一つ取りこぼさずに書いているということが容易に想像できた。
さまざまな色のペンを使いわけて、ペンを走らせる。
きっと、きれいで見やすいノートに仕上がっているんだろうな。
わからない単語があればすぐさま調べられるようにと、机の上には英和、和英二つの辞書をおく周到さ、学ぶ姿勢が僕とはまったくちがう。
まわりが、いかにも日本語読みの英語を発音するなか、五山だけは、
「ウホ、ウホホ、ウッホッ、ウッホウッホ」
と、なにを言っているのかわからないが、きっと自然な発音を心がけていることが、うかがえた。
この時間だけでなくほかの授業でも、五山は教師からの質問に、的確(なにを言っているかわからないけど、たぶん)に答え、模範解答を連発していた(らしい)。
几帳面で、真面目で、頭もよく、周りの生徒からも頼りにされている空気が、こちらにまで伝わってくる。
もし、ゴリラでなかったら、一体どんな人物なのだろう。
クラスでも大人しいから、物静かで、おしとやかで、清純なイメージがある。
趣味はなんだろう? 読書が好きそうだ。どんなジャンルの本を読むんだろう。推理小説かな、恋愛ものも好きそうだ。意外とホラーなんかもいける口かもしれない。
休日は何をしているんだろう? 犬の散歩をしたり、映画館で恋愛映画とかを観たりして楽しんでいるのかな? 家族構成は? 兄弟はいるのかな? 兄弟は二人いて、五山が姉で、五つ下の弟がいたりして。すると、五山はいつも弟の面倒を見ているやさしいお姉ちゃんか。……なんて、バカな妄想しても無駄だった。
五山はゴリラで、ゴリラは五山なんだから。その事実に偽りはない。
「そんなに目立つ奴じゃなかったからな」
「そうそう、地味でとくにこれといったエピソードもないよな」
と、言うのは、一年のとき五山と同じクラスだった、田中と谷口だった。
「ほらみろ、五山は、ヨシオが言うような変わったことするような奴なんかじゃないんだよ」
花一は、してやったりという口調で僕に言った。
「でもなぁ」
僕は五山の情報を調べるために、一年のとき五山と同じクラスだった奴らに、いろいろと事情を聞いてまわった。
まずは、高校に入学してから一年間で、五山が妙なことをしでかしていないか、されていないか、五山がどんな風に見られていたかなどの、五山にまつわる、ありとあらゆる情報をかき集め、収集した。
しかし、これといった有力な情報は得られず、入ってくる情報の大抵は「目立たない奴」、や「知らない」、「覚えてない」などといった、五山に関心がない空気的存在の扱いで、曖昧で不透明な、手掛かりの欠片にもならない証言ばかりだった。
「それにしても、おまえ変わった趣味してるよな」
田中が、僕に言った。
「あんな奴のどこがいいんだよ。可愛い奴ならもっとほかに、たくさんいるだろう。特に、おまえのクラスの真殿なんて、すっげえ美人じゃねえか」
五山の話しをきいたやつは、大抵こうきり返してくる。かんちがいされて、僕が五山に気があるように思われるのだ。
「世の中には、悪趣味な奴もいるもんだぜ」
と言って、ケラケラ笑う。
しかし、こうして情報を集めているうちに少しずつ、わかってきたこともある。
みんな、僕のように五山の姿がゴリラに見えているのではないが、五山の容姿の評価は低く、可愛いという評価はされていなかった。あげくには今のように悪趣味だと言われることが、少なからずあるのだ。
「よく、あんなのに惚れたな。告白したらすぐに、OKの返事もらえるんじゃないのか」
「あんな奴と付き合おうなんて奴、絶対にいないからよ」
田中と谷口がゲラゲラと、言いたい放題悪口を言ってるすがたを見て、笑いものにされている五山のことを思うと胸が痛かった。
いくらゴリラだからといって、そこまで五山凛子が罵られるほどの不美人だとは思わない。五山に申し訳ないことしている気持にさせられる。ごめん、五山。
「でも、あいつ運動神経はよかったんじゃなかったけ?」
谷口が、思い出した。
「体育の授業で、女子がバスケしてるのを覗き見していたら、五山がすごく活躍していて、ほかの女子から騒がれているのを見たことあるぞ」
これは、有力な新情報だ。運動神経が抜群か。やはりゴリラだからかな。
「ああ、そうだ、そうだ。体育祭でも、あいつリレーでも、アンカーをつとめていたよ。そのおかげで、見事二人抜きをしてみせて、逆転勝ちしたんだっけ」
「すごいなぁ」
と、僕は関心したのだが、よく考えてみれば、去年の体育祭は僕も参加していて、そのリレーも見ていたはずなのに、どうしてそのときは、ゴリラのことが気にならなかったのだろう。
そもそも、去年一年間で、同じ高校にゴリラがいることに気がつかなかったことも、変じゃないか。どこかで、すれ違っていてもおかしくはないし、すれ違ったときに、気づいてもいいはずだ。ゴリラなんだから、絶対に気づかなくてはおかしい。
「じゃあな。俺らが知っている五山の情報はこれぐらいだ。あとは他の奴に聞くか、自分で調べてくれ」
「ああ。ありがとう」
「それじゃあ、五山のことがんばれよ、応援してるからな」
と、皮肉な笑い声と、嫌な笑みを見せて去っていった。と思ったら、田中は急に体を反転させて、
「あ、それと、東条なら五山のことよく知ってるんじゃないかな。あいつも去年同じクラスだったし、五山と出身中学も同じみたいだったぞ」
と言って、今度は本当に去って行った。
東条樹貴男か……話しかけづらいなあ。あいつ見た目からいかついもんな。でも、五山の情報を集めるためだし仕方ないか。
「花一、どう思う?」
「うーん、やはり五山さんは、あまりいいようには思われていないようだな」
花一は僕に協力して、五山の情報あつめをして一緒にきいてまわっているうちに、五山に対する理解を深め、僕と同じように共通の認識をしていた。
「やっぱりそうだよな。可愛くないからって、ここまで言われなきゃならないのかな」
「大抵の奴らは、顔と容姿しか見てないんだよ。誰も、中身を見ようとしない。見た目が悪くちゃ、全てを否定されるんだ」
「そういうものなのかな」
「ああ。仕方ないけど、そういうものなんだ」
僕は、五山がゴリラなわけを知りたいがために、こうして聞いてまわっているのだけれど、そうしているうちに、だんだん五山のことをもっと知りたいと、ゴリラなことではなく、五山自身を知りたいと思うようになってきていた。
「ひとつもゴリラという単語は、出てこないなあ」
僕が、ぼそっと言うと、
「おい、ヨシオ。おまえ、見た目は気にしないじゃなかったのか」
と、花一が、高圧的に言ってきた。
「……ああ」
花一は、ずっと勘違いしている。
「いくら、ゴリラに似ているからって、おまえまで……」
「いや、違うんだ」
どう説明しても、わかってもらえそうになかったので、今ここでくわしく説明して訂正することはしなかった。できなかった。ただ、
「僕は、五山がゴリラに似ているとは思っていない!」
と、だけは言っておいた。
そう、似ているのではなくて、正真正銘のゴリラなのだから。
これだけ聞いてまわっても、誰も五山のことをゴリラだと言う人にめぐり会わない。ゴリラに似ているとも言われないし、ゴリラのゴの字も出てきやしない。
やはり僕だけに、五山凛子がゴリラとして見えているのだ。
*
「おい、ヨシオ。教室に戻るぞ」
「おう」
「昼休み、あと何分ぐらいかな」
「さあ、もうすぐ終わりじゃないか」
などと、しゃべりながら廊下を歩いて、教室の前まで来たとき、何やら中が騒がしく、物々しい雰囲気が廊下にまでただよってきていた。
なにがあったのかとキョロキョロしながら教室に入ると、そこにいた全員が同じ方向をむいて、食いいるように傍観していた。
その注目の的となっていたのは、ゴリラ……いや、五山凛子だった。
ようやく、みんなが彼女のことをゴリラと認識したかと、多少の期待してみたが、すぐにそうでないことがわかった。
ゴリラとして見ていたのではなく、ある一人の男子生徒と激しく口論をしていたために、みんなからの視線を集めていたのだ。
「どうなんだよ。わかったのかよ!」
「ウホッ。ウホッウホウホウホ、ウホッ」
「いい加減にしろよ、もうあいつには絶対近づくな!」
「ウホ、ウホウホッ、ウホウホ」
「五山!」
五山凛子が言っていることは、まったくわからない。
その、何を言っているかわからない五山凛子と、言い争いをしているのは、隣のクラ
スの東条樹貴男だった。
樹貴男は、全身を大きく揺らし、ものすごい剣幕で五山に言いより、捲し立てていた。五山もなにやら、言い返してはいるのだが、僕には何が何だかさっぱりわからなかった。
樹貴男は普段から、茶色く染めた髪の毛を立たせ、だらしなく着こなした制服で、みるからにヤンチャそうな風貌を全面におしだしている。
それに加えて、今の五山とのやりとりで、明らかに五山に対して、いちゃもんをつけているようにしか見えなかった。ただし、五山の言葉が理解不能なので、正しい判断ができないのだが。
「おいっ。五山!」
と、樹貴男は言って、すぐ側にあった机を足の裏で蹴りとばした。
騒々しい音がひびき、まわりにいた女子からも「ひぃ」という声がもれた。
今まで、じっとすわったまま樹貴男と睨み合っていた五山はようやく立ち上がり、小さな体で興奮する樹貴男の顔をさらに睨んだ。
「なんだよ」
樹貴男は、小さな五山を見下ろし、威圧しながら言った。五山は表情一つ変えずに、じっと樹貴男を睨み続けている。
「ウホウホウホ。ウホッ」
と、五山は言った。
すると、五山は一瞬のあいだに、樹貴男のみぞおち辺りに一撃パンチを食らわした。
「うっ」
と、苦悶の表情を見せ、体を屈める樹貴男に、
「ウホッ」
と、もう一撃、同じ箇所に同じような、五山のパンチが入った。
「うおっ」
悶絶する樹貴男は、声にもならないような声を出して、体を震わせながらその場にうずくまった。一瞬の出来事だった。
僕にまでその痛みが伝わってきたほど、五山のパンチは重そうだった。
五山ってこんなに暴力的だったのか。ゴリラの闘争本能が目覚めたのか?
「ウホホッ、ウホ、ウホホホッ。ウホ」
と、五山は、うずくまる樹貴男を見下ろして(わけのわからないことを)言った。
それでもまだ、樹貴男は腹部を押さえながら、膝を立て、ゆっくりと立ち上がって、この場から去ろうとする五山の肩に手をやった。
樹貴男、もうやめておいたほうがいいよ。
肩に、樹貴男の手が触れた瞬間に、五山はその手を払いのけて、体を反転させ、間合いをとって、ファイティングポーズをとった。リズムをとって体を弾ませている。
五山もまだやる気か? それにボクシング? 運動神経のよさを、こんなとことで垣間見ることができた。
五山のその構えに、樹貴男は一瞬怯んだような仕草をみせた。
そりゃ誰だって、女子高生に見事なファイティングポーズとられたら、狼狽するに決まっている。
樹貴男も負けじと、見様見真似でそれらしき姿勢をとってみせた。だが、明らかに不細工で、そんな構えからきちんと、五山の攻撃に対応できるとは思えなかった。
(――カンッ)
第二ラウンド開始のゴングが(僕の心の中で)鳴った。
「おい、五山。おまえ本気やろうっていうんじゃないだろうな」
樹貴男は相手の様子を伺いながら、まずは、口でけん制してみせた。
それに対して五山はなにも言わず、樹貴男の周りに円を描くように反時計回りに、ぴょんぴょんと軽快なフットワークを見せている。
「おい、なんとか言ったらどうなんだ」
樹貴男の口は止まらず、五山の動きを目で追うのが精一杯といった感じだ。
――シュ、シュ。
五山がジャブを出した。樹貴男には届いていないが、リズムと距離感を計っている。すごくたたかい馴れている感じがする。
「五山! いい加減にしろよ! いつまで続ける気だ」
口では威勢がよく攻めているつもりだろうが、樹貴男はこの状況に、完全に慌てふためいている。
この状況から判断すると、たぶん君が伸されるまでやめないと思うよ。
五山が、徐々に樹貴男との距離をつめていった。今の距離だとリーチの長い樹貴男が手を出せば確実に五山に当てられるのに、樹貴男は手が出せないでいる。五山の威圧感がそれをさせないのだろうか。
もう少しで五山のパンチが届くか、という距離になったときに、いい音と一緒に、五山の右ローキックが樹貴男をおそった。
ボクシングじゃない。立ち技、全般いけるのか。
つづけざまに、五山のローキックが数発きまった。樹貴男の脚は、もう真っ赤になっているはずだ。
五山の、ジャブ、ジャブ、ローキック。コンビネーションが決まりだした。
そして次の一瞬。五山は、樹貴男の懐にはいり、左足で踏ん張り、勢いよく体をねじっ
て、左の拳を樹貴男の腹部へ突き刺した。見事な肝臓打ち(リバーブロー)だった。
「強い!」
僕は、思わず口にした。
樹貴男はものの見事に、膝から崩れ落ちた。崩れ落ちたところに、五山は背後へまわり、樹貴男の首に腕をまわして一気に絞めはじめた。チョークスリーパーだ。
打撃だけでなく、寝技もできるのか。なんと恐ろしい女子高生だ……いや、なんと恐ろしい女子ゴリラ高生なんだ。
喉を絞められた樹貴男は、だんだん意識もうろうとなり、口から泡をふき出し、白目になったとたんに、ぐったりと、完全に落ちてしまった。
(――カン、カン、カン、カン)
と、ここで終了のゴングが(僕の中で)鳴った。
完全な、五山のKO勝利だった。
僕は思わず拍手を送りたくなった。送ってもよかった。その価値は十分にあった。
戦いは一方的ではあったが、間近でこんなにも激しい、リアルな戦いを見せられて、僕は興奮をおぼえた。それと、一種の恐怖も感じた。
運動神経がいいといっても、まさか、あれほどとは思っていなかった。
僕が今まで探ろうとしていたゴリラは、男子高校生をいともあっさりとやっつけてしまうような格闘技のセンスのもち主で、僕なんか瞬殺されそうなほど強い相手だったことに、初めて気がついた。
このまま、ゴリラの理由を探りつづけて大丈夫だろうか。もし、彼女の気に触るようなことがあれば、僕も今みたいにボコボコにされるのではないか、という恐怖がどんどん込みあげてきた。
僕なんか絶対にかなわないだろうな。一秒としてもたないはずだ。情けないけど、その自身は十分あった。
その日の放課後。花一にも付き合ってもらい、僕は、東条樹貴男が来るのを、校舎の入口の下駄箱の前で待ちぶせていた。
女子に告白するわけでもないのに、ましてや男子を待っているだけなのに、どきどきして鼓動が早くなるのがわかった。樹貴男からは、誰にでもぐいぐい寄って行くのに、他人からは話しかけづらい。あの独特の雰囲気がそうさせる。
しばらくすると、その樹貴男がひとりで闊歩しながらだんだん、近づいてきた。
話しかけるのが躊躇される、嫌な気持ちになったが、意を決して声をかけた。
「あ、あの、樹貴男くん」
「なぁん?」
と振り返った。
樹貴男は僕に睨みをきかせてのっそりと、顔を揺らしながら近づいていた。しかし、脚を痛めているためか、どこか歩き方がぎこちなかった。
「なんだよ? なんか用か?」
凄みを利かせた言い方だった。
「あ、ああ、あの……」
と、僕がまごまごしていると、
「ちょっと、聞きたいことがあるんだけどいいか?」
と、花一がはっきりとした口調で言った。
「なんだよ?」
面倒くさそうに、樹貴男は言う。
「あのさ、五山凛子のことなんだけど……」
と、僕が言った途端に、樹貴男は、
「はああっ! 五山がどうしたんだよ! 今日のことを笑いにきたのか!」
と、すごい剣幕で怒りだした。
こういうのが、嫌だったんだよ。でも、こんなとことでは諦めずに、
「そうじゃなくてさ、樹貴男くんが五山と同じ中学出身だって聞いて――」
「やっぱり五山のことじゃねえか、こら! はああ!」
と、五山のことで頭に血がのぼってしまって、全然僕の言うことをきいてくれない。
どうして、もっと冷静になれないかなあ。――とは、もちろん口には出せず、
「だから、そうじゃなくて、あの……なんていうか……五山がさあ」
「俺の前で、五山のことを言うんじゃねえよ! その名前を聞いただけでもムカつくんだよ!」
と、僕はどうすることも出来ない状態になってしまった。
「まあ、落ち着けよ樹貴男。今日のことでおまえを呼び止めたわけじゃないんだ」
花一は、冷静に樹貴男をなだめ、説明した。
すごいぞ、花一。
「そうなんだ、あの……」
と僕が、続いて言えば、
「なんだ、おまえ! 今日俺がやられたのを見てたんだろう。バカにしやがってよー」
と、態度が変わり、怒りをあらわにする。
そうか、僕が、樹貴男の感情のはけ口になっているのか。
「今なら、二人してかかれば、俺を倒せるとおもって来たのか! おい!」
いよいよわけのわからないことを言い始めた。このままでは埒があかないので、僕は、
「仕方ないよ。五山ものすごく強かったもの」
「てめぇ、やっぱり俺のことバカにしに――」
「違うよ」
「なに?」
「違うんだ。僕は、五山凛子のあることが、気になって……」
「なんだあ。五山がどうして、あんなに強いのかってかあ?」
「そうじゃない!」
「だったら、なんだ? はっきり言ってみろよ。言えねえのか。だったらもう用はないよな、俺はもう行くぜ。あいつに蹴られた脚が今でもじんじんしてるんだ。ったくよお。じゃあな」
と、樹貴男は足早に、この場から立ち去っていってしまった。
「ちょっと待ってくれよ」
僕は、追いかけた。
まだ、聞きたいことを、なにも聞けていない。
僕の言葉を無視して、樹貴男は歩くスピードを速めて、どんどん先へ進んでいった。校門を出てから、しばらくいったところで、
「なんだよ。まだなにか用か? どこまでついてくりゃあ気が済むんだよ」
ようやく立ち止まった。
「めんどくせえ、奴らだなあ」
僕は、樹貴男が止まったのでほっとしたのと、少し歩いたことにより幾分、頭の中も整理されて、はっきりと物事が見えるようなっただろうと思った。
「樹貴男くん。樹貴男くんは五山のこと、どう思う?」
ちょっと直接過ぎたか?
「ムカつくぜ」
「ムカつく、のほかには?」
「あいつがどうして、あんなに強いのかわからない」
「うん。僕もそれは思うよ」
「あいつのせいで、二年のやつら全員に、俺がみっともない姿になったことを知られちまった。おかげで、あのあと女子からずっと哀れな目で見られっぱなしだ。もうモテなくなっちまったぜ、くそう」
「もっとほかには? なにか五山について思い当たることはない?」
「ああ。あんな奴、ただの喧嘩最強女子高生だ」
「そうかあ」
「もういいだろう。早く家に帰って、蹴られた脚を冷やしたいんだ」
「うん、ありがとう。引きとめて悪かったね」
「もういいんだな」
と、樹貴男が言った。そのとき――
バリバリと遠くのほうから、けたたましい排気音が聞こえて来た。その音はだんだんこちらに近づいてくる。そしてその音が、原チャリだということがわかった。
またどこかのヤンチャな若者がマフラーを改造して乗りまわしているのだろうと、ほとんど気にせずに、何気なしにその方向を見てみると、――
その原チャリに乗っていたのが、なんと驚くなかれ、あの五山凛子だったのである。
爆音を響かせながら、僕らの脇の道路を高速でとおり過ぎていった。原チャリに乗っていたのは確実に五山凛子だった。なぜなら、ゴリラが運転していたのだから間違えるはずがない。
「今の、五山だったよな?」
樹貴男が言った。
「ああ。あれは五山さんだ」
花一も言った。
「五山凛子が爆走していった」
僕は、呆然と立ち尽くしながら言った。
あの真面目で、勉強熱心な(ゴリラだけど)五山凛子がなんと、改造マフラーの黄色い原チャリにまたがり、首に紐をかけただけの状態でヘルメットも被らず、スピードを上げて颯爽と駆け抜けていった光景をみて僕は衝撃をうけた。それは強烈な悲哀で、僕の心は一気に閉ざされていくようだった。
「イメージと全然ちがう」
花一が言い放ったこの言葉がすべてをもの語り、僕の思いとぴったり一致し、この現状を的確にあらわしていた。
*
翌日。珍しいことが起きた。
今まで挨拶なんか一度もしたことがなく、ましてや会話もほとんど交わしたことがない、
クラスで一、二を争うほどの可愛いと称されている女子の真殿若菜が、
「おはよう」
などと、僕にさわやかな朝の挨拶をして、声をかけてきたのだ。
「えっ、あっ、あ、お、おはよう」
僕のこんなにたどたどしい挨拶を返されて、真殿さんはどんな風に思っているんだろう。
「あのさ、流川くん。あとでお話しあるんだけど、いいかな?」
と、手を後ろに回し、もじもじした様子で言ってきた。可愛い。
一体どういう風の吹きまわしだと思ったが、可愛い女子の頼みをことわる勇気はなく、断る理由もなく、そもそも断るはずもなく、
「うん、いいよ」
と、愛想よく、清涼感をかもしながら言った、つもりだ。
「ありがとう。じゃ、また後でね」
と、真殿さんは長い髪をなびかせて、甘い香りと希望を残して、その場からすたすたと去っていった。
一体なんだろう?
真殿若菜は、クラスだけでなく学年全体でも人気があった。美人で、華麗なスレンダー且つふくよかな体つき。つまり、ほっそりとしているのだが胸は大きい。それでもって知性と上品さを持っているときたもんだから、男子からは否定のしようがない。
性格は……きちんとしゃべったことがないから、わからない。
先生が教室に入ってきた。みんながぞろぞろ自分の席に着きだした。僕はまだ夢見心地で、体がぽっぽと火照っているのを感じたままだった。
まさか、あの真殿から僕に話しかけてくるとは。しかもなにやら用件があるそうじゃないか。どんな用があるというのだろう。もしかして、この僕に気があるのでは……いや、それはないか。でも、どんな話しなんだろう。早く真殿さんとおしゃべりしたいなあ。
わかってはいるのだが要らぬ妄想をくりかえし、このあと真殿さんとの起こるであろう会話を、一人でシミュレーションして楽しんだ。
授業に集中することができず、ぼんやりしながら一時間ずっとワクワクしっぱなし過ごした。この教室のなかにこれほどこの時間を満喫している奴はほかにいないだろうな。ああ、妄想は楽しい。
終わりを知らせるベルが鳴ると、真殿さんがお花畑に吹くそよ風のように、僕のところにやってきた。告知どおりだ。
「おーい、起きてる?」
まだ少しぼんやりする僕の顔を、真殿さんが覗き込みながら言った。
僕はいっきに現実につれ戻された。現実といっても、ほぼ想像の世界と同じだった。
「ねえねえ、流川くん。昨日、学校の帰りに東条くんとしゃべってなかった?」
「うん。しゃべっていたけど……それがどうかした?」
あれ? どこかから見てたのか。
「あのさあ、なんか色々しゃべっていたみたいだけど、どんな話ししてたの?」
どうしてこんなこと聞くんだろう? たしかに樹貴男と僕の組み合せは珍しいかもしれないけど、男同士の会話なんかに興味あるのか? しかも花一もいたし、花一にきけばよかったのに……あっ、それはだめだ。せっかくこうして、女子と話す機会ができたのに。もったいない、もったいない。
「べつに普通の話しだよ。ちょっと樹貴男くんにききたいことがあってさ」
と僕が言うと、真殿さんは急に表情がかたくなり、
「そうなんだ。もしかして、凛子のことじゃないよね?」
「えっ? いや……」
「凛子に仕返しするなんて、そういう計画じゃないよね?」
なるほど、そうか。昨日樹貴男が五山にやられたから、僕らがその復讐をしないかと心配しているのか。
僕は、真殿さんを安心させるために、わざと大きく笑顔をつくり、
「なんだ、そんなことなら大丈夫だよ。真殿さんが心配するようなことは一つもないよ。樹貴男くんはそんなことするような人じゃないし」
「本当?」
「うん、安心してよ」
「それならいいんだけど。昨日あんなことあったから、凛子に仕返しする計画を立てているのかなあ、なんて思っちゃって」
少しずつ、真殿さんに笑顔が戻った。
「真殿さんも心配性だなあ。そんなことあるはずないじゃないか」
「そうだよね。流川くんがそんなことするわけないもんね」
「そうだよ、ははっ」
と、僕は、あいそう笑いまでして見せたが、本当はこのとき、多少の苛だちを覚えていた。なぜなら、真殿さんは僕が絶対にそんなことするはずがない、と決めつけていたからだ。それは裏をかえせば、絶対にそんなこと出来るはずがない、やる勇気がないと言っているのと同じだから。つまり、彼女は僕をへたれだと思っているのだ。僕はそんなへたれでも、お人好しでもなんでもないぞ。やろうと思えば、いつだってやってやるさ。
「よかったー」
真殿さんは満面の笑みを見せた。
「よかったね」
「うん、心配してたんだあ。よかったー、ちがって。これで、ひと安心だね」
と、にこっ、と僕に微笑んだ。
悔しいが可愛い。この笑顔があればどこでも通用するはずだ、と確信した。
そんな笑顔の可愛い真殿さんに微笑まれて、とろけそうになっていたところに、
「それとさー、流川くん、なんか凛子のことみんなにきいてまわってる?」
と、真顔で言われた。
ドキッ、とした。
女子にまでこの話しがいき届いているのか。やばいぞ。女子たちがこの話しをきけば、たぶん男子たちと同じように勘違いして、また僕が五山凛子ことを好きだとかんちがいされている可能性がたかい。そうなれば女子たちの存在意識にその情報が植えこまれ、そういう目で見られるようになってしまうじゃないか。違うんだ、僕は潔白だ。ただ五山がゴリラな理由を知りたいだけなんだ。
「ねえ、どうなの? 本当なんでしょ?」
「えっ、ま、まあ」
ごまかせなかった。この時点で、いろんな感情が入り乱れすぎて、もうすでに僕の精神状態は揺られてグラグラになっていた。
「どうして、そんなことしてるの?」
「えっ、いや、そのー」
優秀な検事の、尋問はつづいた。
「ねえ、どうして? 凛子のなにがそんなに知りたいの? ねえ、ってばー」
五山凛子がどうしてゴリラなのか知りたい。なんて、口が裂けても言えないよな。
「……五山って、どんな子なのかな……って」
「ふーん、そうなんだ。流川くん、凛子のこと興味あるんだね」
「いやっ、違うんだ。そうじゃなくって……」
「いいよ、いいよ。おかしなことじゃないもん。べつに隠さなくったっていいよ」
「いやっ、でも……」
「異性のこと好きになるのは人間としてあたりまえのことだよ。だから、男子が女子のこと興味持ったり、好きになるのなんて普通だよ。これは健全な高校生の証なのだ」
「違うんだ、僕はそういうことで、気になっているんじゃなくて……」
「じゃなくて、なに?」
「だから……あの……」
「んー、なあに?」
真殿さんが、にやっとした。
「そんなに隠そうとするところを見ると、やっぱり怪しい。やっぱり凛子のこと本気なんじゃん」
「やめてくれよ。本当にそんなんじゃないんだ」
「えー、でもぉ。怪しすぎるよー」
「ごめん」
思わず口から出てしまった。謝る気なんてさらさらないのに、この場を逃れたいがためだけのためにあやまった。。
「ふーん。そっかぁ。わかった、ありがとね」
「うん」
「じゃあねー」
と、真殿さんは、女子が集まってキャーキャー言ってる輪のなかへ入っていって、もうその輪の中にすっかり紛れこんでいた。もしかすると、僕のことを噂しているのかもしれない。
釈然としないまま、僕はその姿を目でおっていた。
つい数分前まで、桃源郷のような妄想をいだき、可愛い女子と話せるなどと胸をおどらせ浮かれていた自分を思いだすと、とてもばかばかしく腹立たしかった。
結果的に僕は、五山凛子に復讐を企てようとする危険人物にうたがわれ、その疑いこそ晴れたものの、あとに五山凛子に心引かれる男子というまちがった評価をされてしまったのだ。その間違った評価は、かならず女子のあいだに広まるであろうことが予想される。
あの真殿若菜としゃべったという充実感やうれしさがいまいち感じられず、反対に煩わしさや虚しさがのこり、まさに期待はずれといった気持で、僕がまち望んでいた時間はあっという間に過去になってしまったのである。
五山凛子がゴリラなばっかりに、そのゴリラの影響をうけた僕は、本来あるべきではない人物に変えられてしまった。
現在その五山凛子はというと、カバンからとり出したお菓子を、こっそりと口に入れポリポリと咀嚼していた。
こんなはずじゃ、なかったのにー。