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第一章  クラスメートのゴリラ




 「それ」は、ゴリラみたいな人間だった。いや、ゴリラだった。


 彼女は、人間ではなくあきらかに野獣だった。ジャングルや野山、あるいは動物園に棲むことがふさわしい生物。しかし、目の前の現実はちがっていた。


 器用に箸を使い、誰が作ったか知らない手作りの小さな弁当から、少しずつおかずをとって口に運ぶ。


「上手い」


 彼女の席からはなれて、真向かいの場所にすわっていた僕は、母が作った弁当を食べながら、じっくりとその動きを観察していた。


 しかし、それはいつ見ても違和感があり、不思議な感じに思わされた。


 昼休み。――おなかをぺこぺこにすかした僕は、急いで弁当を持って友達が作る輪のなかへ割り込み、高校生活で唯一毎日ある、楽しみの時間を男四人ですごしていた。


 そしてひとりの友人の背を盾にして、盗み見るようにして、そのクラスメートのゴリラ

五山凛子ござんりんこを観察していた。


 ――ゴリラだ。


 制服に袖をとおし、規定の長さより短いスカートの丈。短髪(ショートカット?)に、くるりんとした瞳が輝いて、とても愛嬌がある。身長は低く、小柄でクラスで一番小さいかもしれない。お世辞にも色白とはいえない全身を覆う黒い体毛、太くて短い手の指先まで毛で覆われていて、子供のゴリラみたいだった。


 自分の席にひとりでぽつんと坐り、ゆっくりと行儀よく弁当を食べている。一緒に食べる友達がいないのだろうか?


 クラスでも静かなほうだし、だからといって無口で何もしゃべらないわけでもない。常に誰かと一緒につるむタイプではないだけで、クラスの女子たちとも仲良さそうに話している場面をなんどか見たこともある。


「どうして、ゴリラ……」


 と、彼女は僕を悩ましつづける。


 同級生がゴリラな理由を知りたかった。どうしてゴリラが自分と同じ高校に通って、それでもってなぜ、同じように高校生活をおくっているのか、それが一番の疑問だった。


流川ながれかわヨシオ!」


 と誰かが僕を呼んだ。杉本花一すぎもとはないちだった。


 花一は僕の親友で、成績優秀、正義感が強く、ときには熱血でまじめな性格。短髪で、目鼻立ちが整い、容姿もすぐれていて、女子から人気がある好青年だ。


「さっきから何ぶつぶつ言ってるんだよ」

「えっ?」

「どこ見ているって聞いてるんだよ」

「いや、べつに……」


 花一は、さっきまで僕が見ていた目線の先をたどって、そのさきにいる五山を見つけた。


「あれ? もしかしてヨシオ、おまえ五山さんのこと見ていたのか?」


 と、わりと大きな声で言った。


 僕はその事をまわりに聞かれたくなかったので、あわてて首を横にふり、


「ち、ちがうっ……あんなやつのこと見るわけないだろう」


 と否定した。


 その声が聞こえたのかどうなのか、五山が箸を止めて、こっちを見ていた。


 ――しまった。


 僕はさっと目線をそらし、弁当の白ご飯をすくいとって、口の中へ入れ、一粒ずつ転がしながら味わっているそぶりをして、ひそひそとした小さな声で、


「花一! よけいなことを言うな」


「よけいなことなんて言ってないだろう。ただ五山さんのことを見ていたのか、聞いただけじゃないか」


 と花一は、不満そうに言った。


 僕は、花一を目で制して、もう一度、五山観察の任務にもどった。


 目線を元にもどしていた五山は、箸を置き、水筒からフタ兼コップにお茶を注いでいた。大きな唇をコップにあてて、それを一口で飲み干した。喉がうるおったのだろう、また箸を持って残りの弁当を食べはじめた。


 どの角度から見ても、制服を着た子ゴリラにしか見えない。あきらかに人間ではないのだ。もしかすると、ゴリラと人間のハーフなのかもしれない。いや、しかしそれでは、ゴリラの割合があまりにも強く出すぎている。……わからない。


 制服の下も、きっとゴリラなんだろうな。制服を脱いだ五山凛子の姿が見てみたい。


 ……あっ、いや、そういう意味じゃなくて……、決して裸体を見たいとかじゃなくて……ただの興味というか……、いやそれも違う。好奇心でもなく……、そう、動物学的な意味合いであって、決していやらしい意味で言ったわけではないのだ。


 五山のしっかりと閉じられた脚と脚の隙間から、スカートの丈との兼ね合いもあって、ギリギリで奥のパンツが見えそうで、見えなかった。


 ……こ、これも、べつにこれは五山のパンツが見たいというわけではなくて……。反射的な眼球の動きである。男なら誰でも経験がある、獲物を捕らえる目の動き。


 などと思っていたら、そんないやらしい視線に感づいたのか、いつの間にか五山はこちらを見ていた。ぼくは初めて彼女と、目が合ってしまった。


「はっ」


 僕はすぐに視線を逸らした。が、どうしよう、気づかれちゃった……。


 もう一度ちらりと目をやると、五山はもうこっちを見ておらず、黙々と昼食をとりつづけていた。

 

 


 怪しまれなかっただろうか、と彼女のことを完全に怪しんでいる僕が言うのもおかしいかもしれないが、彼女による自分の評価を気にしながら僕は、引きつづき弁当を食べながら、五山の様子を観察しつづけた。


 見た目はゴリラなのに、動きは人間そっくりだ。いや、ゴリラそっくりな人間、だよな。

わざと、ああいう化粧をしているのかな? ――違うか。


 化粧であそこまでゴリラに似せることはできないと思う。特殊メークの技術があれば可能かもしれないが、高校生が毎日あれほど精度の高い化粧をしてくるはずがない、ましてや腕や脚まで全身におよぶ化粧して、ゴリラになりきる必要があるか? いや、な。それはない。


 じゃあ、なぜなんだ? どうしてゴリラなんだ? わからない、わからないぞ。


 そもそも五月も半ばになって、クラス替えをしてから、ある程度の月日もたっているはずなのに、どうして誰もそのことを言わないんだ? 言えないのか? 言ってはいけないのか? そうだろうな、こんなこと言えないよな。


 みんな気を使っているだけだよな。わかっているけど知らないふりをしているだけなんだよな。きっとそうだよ。そうだと言ってくれ……。

  


 いつものように、僕と花一は一緒に下校した。


 その帰り道、僕はずっと胸に秘めていたおもいを、親友の花一にうちあけてみることにした。


 こいつなら信用できるし、こんなことうちあけられるのは、花一以外に考えられなかった。


 僕は勇気を出して、おそるおそる訊いた。


「な、なあ、花一」


「ん、どうした」


 花一は、歩きながら何気にこっちをふり向いた。


「あの、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」


「おう、なんだ。言ってみろよ」


「あのさ、花一は……五山凛子のこと……どう思う?」


 と、僕は率直に訊いた。禁断の質問を、僕はしてしまったぞ。


 すると、花一はあっけなく、


「べつに」


 と、言っただけだった。え、それだけ?


「いや、あの、じゃなくって。五山凛子のこと、なんか思わないか?」


「さあ、なにも」


 と、花一は首をひねった。


 あの五山が「べつに」だと! あの五山を「べつに」表現する人間がこんなところにいるとは!


 いや、待てよ。このことは、やはり触れてはいけないことだったのかもしれない。僕はタブーを犯してしまったのかもしれない。


 花一は、なんでもこいの性格で、少しぐらいのルール違反なんてまったく気にしないような奴だった。その花一が、ここまで頑なに口を割らないとは、よっぽどのことか、それとも、本当に何とも思っていないかだ……。


「五山凛子がどうかしたのか?」


 と花一は、反対に訊いてきた。


 僕は、一瞬はっとして、今になって、つい口走ってしまったことを後悔した。


「いや、どう思うのかなって思っただけで、べつに深い意味とかはないんだ。気にしないでくれよ」


「どう、って?」


 と花一は、さらに突っ込んでくる。


「あっ、いや、もういいんだ。やっぱり、聞かなかったことにしておいてくれ」


 花一は、じっと僕の目を見て、黙ったまましばらく何も言わなかった。


 やばい、もしかして禁忌を犯した僕を、秘密警察か何かに売りとばそうとしているのかもしれない。おい、やめろよ、そんな目で僕を見るな。僕たち親友だったんじゃなかったのか、花一ぃーッ!


 そして、しばしの沈黙のあと、花一が目をこわばらせながら、


「ヨシオ、おまえもしかして、五山さんのことが……好きなのか?」


 ……え? 


「そうなんだろう。なんだ、そうだったのか。そうならそうと早く言ってくれよ。それなら俺もなにか協力したのによ。これから、俺にできる事ならなんでも言ってくれ。ヨシオのためなら、なんでも協力するからな」


 明るく元気に花一は言った。花一は、完全に勘違いをしていた。


「ちがう。そうじゃないんだ」


「いいって、いいって。照れる、照れるな。おまえは昔から、好みが変わっていたからな。それにしても、まさか五山を好きになるとはな。おまえが好む女性のタイプには、俺も毎回おどろかされるぜ」


「いや、花一、聞いてくれ」


「おう、どうした。五山のどこに惚れたんだ?」


 花一の勢いは、止まらなかった。


「顔か? それとも性格か? おまえ、あいつとそんなに仲よかったのか? いつから好きになったんだ? なにがきっかけだ? なあ、なあって、おい、ヨシオ、ヨシオ?」


「ちょっと、待ってくれ!」


 五山のことがタブーでないことは確信できたが、こんどはまた違うおかしな疑いをかけられてしまった。


「ヨシオと五山かあ、まあ、お似合いっちゃあお似合いだな」


 取りあえず、この疑いを晴らさなくては。


「ちょっと待て花一、話をよく聞け。好きとか、そういのじゃないんだ」


「またまたー」


「僕の目を見ろ、これが嘘をついているような目に見えるか!」


「……え、違うの」


 花一は、正直に、つまらなそうな顔をした。


「ああ、違うんだ。僕が聞きたいのは、五山凛子のことを、花一がどう思っているのか、ということなんだよ」


 花一は、変な顔をした。


「どう思うって、べつにどうも思わねえよ」


「本当か? 本気でそう言っているのか? なんとも思わないのか?」


 僕は、少し腹が立ってきた。


「五山を見ても、なにもおかしいと思わないのか?」


 その言葉に、花一もイラっとしたのか、


「だから、なんとも思わないって言ってるだろう!」


 と、怒った。


 僕は、心を落ち着かせ、


「変だと思わないか?」


 と、あらためて訊いた。


「変?」


「ああ。あいつ、変だろう?」


 花一は、また変な顔をして、


「変って、そうかな? まあ、変といえば変かもしれないけど、人ってみんな変なところがあるだろ」


「そういうことじゃないんだ。それだけか? 本当にその程度しか感じないのか? どうしてだよ……」


 今度は、悲しさが溢れ出してきて泣きそうになった。


「なんだ? どうしたんだヨシオ。なんでそんなに五山のことが気になるんだ? あ。やっぱりおまえ、あいつのこと好きなんじゃ――」


 と、言いかけた花一は、僕の表情を見て、そうでないことがわかったらしく、途中で言うのをやめた。


「僕は思うんだ、あいつは絶対に普通じゃない。あいつは……」


 本当に、最後まで言っていいのかどうか迷った。しかし、


「誰も、こんなこと言うとおかしいと笑うかもしれないけど、僕だけしかこんな風に思っていないかもしれないけど……あいつは、五山凛子は……ゴリラなんだ」


 ついに、言ってしまった。


 言ったあと、すぐに花一の顔の反応を見るのが怖かったけど、ゆっくりとその表情を覗いてみた。すると花一は、僕が予想していたよりちいさな反応しか見せなかった。


「お、おまえ……」


 小さいといいうより、反応できないでいるようだった。


 言わなければよかったと、すぐに自分の判断を後悔した。


「それ、失礼だぞ……」


 しなくてもよさそうだ。


「いくら五山だからって、彼女も女性なんだぞ。それを、ゴリラ呼ばわりするとは、おまえそうとう失礼な奴だな」


 と言って、花一は、僕の観察報告を非難した、が、

「でもまあ、そう言われればゴリラっぽいような」


「そうだろ、そうだよな」


 やっぱり、花一もそう見えているんだ。僕だけじゃないぞ。


「たしかに、そうだな。どちらかといえばゴリラっぽいよな」


「ああ、そうなんだよ。あいつはゴリラなんだよ。僕はずっと思っていたんだ。あいつはどう見てもゴリラだと。ゴリラじゃなかったら、何なんだってな。花一もあいつのことがゴリラに見えるだな。僕だけじゃなくてよかった」


「でも、おまえ、あまりそんなこと言わないほうがいいぞ。もしこんなこと言ってるの

聞かれたら、五山さんすごく傷つくぞ」


 僕はあきらめた。この疑問を他人にぶつけ、共有しあうことができないことを悟った。


「……ああ? あ、ああ。こんなことおまえ以外、誰にも言わないよ。なに言ってるんだよ、バカだなあ。ははっ」


 そう、ましてや本人に直接そんなこと言えるはずない。僕の一番の理解者である花一でさえ、冗談だとして扱い軽くききながしているのに、本気でクラスメートにゴリラが混じっていますなどと、たやすく他人に言っていいわけがなかった。


 つまり、僕自身のなかで絶対に他言してはいけない、禁忌として扱わなければならなかったのだ。


「しかし、驚いたよ。はじめヨシオが、五山さんのこと好きだと言い出したのかと思っちまったけど違ったんだな。でも、どうしてそんなに五山さんのこと嫌いなんだ?」


「いや、嫌いじゃないんだ。ただ、五山のことが気になってだな」


 またもや勘違いされている。僕が、五山のことを嫌っていて、悪口を言ったと思われているではないか。どうして、こうも噛み合わないものかな。本当は僕たち愛称がわるいんじゃないか?


「まっ、べつにいいけどな。俺はヨシオの気持ちを尊重するよ。これからも、なんでも言ってくれよな」


「ああ。ありがとう」


「じゃあな、また明日」


「ああ。またな」


 と、僕たちはわかれて、それぞれの家の方向に帰っていった。


 全てわかってもらったわけではないが、胸のもやもやしたものを吐きだすことはできたし、「ゴリラ」のことは絶対に言ってはならない禁忌だということがわかったことで、少し気持ちは楽になったような気がする。


 それにしても僕のこの思いをすべて吐きださせ、理解して受けとめてくれる人はいるだろうか。いるとしたら、いつ現れるのだ。今のところめぼしい当ては皆無である。



 家に帰った僕を出むかえてくれたのは、わが妹のカヨだった。


「お兄ちゃん、おかえりー」


 小学六年生になるカヨは、脳天気にリビングでお菓子を食べながら、こんなに悩む僕を見知らぬ顔で、テレビを見てげらげら笑いころげていた。


 小学生は、どうしてこんなに元気なのだろうか。


 自分の部屋に入った僕は、テレビを付け、ゲーム機の電源を入れた。ロールプレイングゲームのつづきをプレイしなきゃならない。五山のことを少しでも忘れるために、なにか他のものに夢中になって、気分転換しないと神経が持たないと思ったからだ。というのはすこし大げさかもしれないが、ゲームをしているときはその世界に入り込めるのだ。


 いざ始めてみると、出てきた敵キャラクターがゴリラだった。ゲームの中までゴリラが僕にまとわりつくのか。


 その敵のゴリラは、僕の分身である勇者に強烈な攻撃を仕掛けてきた。ダメージをうけて、HPが大幅に減少した。まるで現実を生きうつしにしているようだ。暗い気持ちになってしまう。


 僕はそのゴリラを派手で強力な魔法を唱えて、あっという間に倒してやった。ざまあみろ。


 そのゴリラを倒したところで、ゲームをやめた。なんとなく後味のわるさが残った。べつに五山凛子を倒したわけじゃないのに。


 食後にテレビをつけると、動物番組をやっていて、野性のゴリラの群れの映像が映しだされていた。ここまでゴリラが目につくのは、僕が意識しているからだよね。


 こんな状況でなかったら、母ゴリラに甘える子ゴリラを可愛く、いとおしく思えたのだろうが、今の僕にはその子ゴリラを五山凛子と照らし合わせて見てしまっているので、複雑な気持ちになるだけだった。


 デザートにと、冷蔵庫からとったアイスの包装に描かれているのは、見事にゴリラのキャラクターだった。


 とことんゴリラが僕に襲いかかかってくる。これは一種の呪いではないだろうかと、恐ろしくなった。


 もちろん、この日見た夢にも、ゴリラさんがたくさん出てきた。あれは、ゴリラだったのか、それとも五山凛子だったのか。まあ、どっちでもいいか。五山凛子がゴリラだということに、変わりはないのだから。

 

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