旅の僧
リン族の里を出ると、いつも通りの森が続いている。そのいつも通りの道のりを、あたしとダルドはいつも通り並んで歩いてゆく。
もともと無口らしいダルドと並んで、会話がないまま歩くのにもだいぶ慣れた。それに、普段の旅では通らない経由でミーノの谷へ向かっているのだ。景色が新鮮。
でもそれにすら飽きると、あたしはダルドに話しかける。初めは無視される時もあったけど、気にせずあたしは喋ってた。この頃は、わりと答えてくれるようになったしね。
というわけで、今日も話してみよう。
◆旅の僧◆
「ねぇダルド。前から気になってたんだけどさ。何でダルドって、魔物とか邪鬼軍のことに詳しいの? そんなにずっと前から邪鬼の敵だったわけ?」
「想像に任せる」
いいのだろうか想像なんかに任せて。
答えてくれるっちゃぁ答えてくれるんだけど。何ていうか…ぶっきらぼうだよなぁ、ダルドって。あたしは別に構わないけどさ。
「でもおまえ、気づいてないわけじゃないだろ?」
急に脈絡のないことを言い出すダルド。でも、あたしにだって何のことかはわかる。
「当然至極! 気づいてないわけないでしょ」
あたしは言い、ふたりそろって歩みを止めた。
木の葉や茂みの葉が風に遊ばれて、爽やかなハーモニーを奏でている。川を静かに流れる水は太陽の光を反射して、きらきらと輝く。
しかし、鳥や動物たちの声は聞こえない。その訳は、少し待っていさえすればすぐにわかることだ。
「…どうやら隠れているのも無駄なようだな」
茂みから、悪魔の男が現れた。…ほほぉぅ、こいつか。
あたしとダルドは、後ろをついてくる殺気に気づいていたのだ。
なぜすぐ今のようにしなかったのかって? あんなところで戦闘になろうもんなら、リン族の里にも被害が及んじゃうでしょうが。さすがにそれは後味が悪い。
男は頭にバンダナ、ハイネックの服の上に文字が書き込まれた上着を羽織った僧侶姿…といいたいところだが、色は漆黒である。
「へーっ。ダルド。おまえが星天使と旅を始めたってのは本当だったらしいな」
男はあたしをじろじろ見ながら言った。
…何か、ヤダ。
あたしは、さっとダルドの後ろに身を隠した。ダルドは、ちら、とあたしに視線をやっただけで、いつものように蹴り出したり前へ押し出したりといったことはしてこない。
「ダルド。あいつ誰?」
あたしはダルドをつついた。
「つっつくな。…あいつはドント。邪鬼軍四天王の“邪僧のドント”だよ」
「ふぅん」
邪鬼軍四天王ねぇ…。
邪鬼軍…四天王………なにぃっ!?
「四天王っ!?」
「…おまえ相変わらず反応鈍いな…」
ズレたテンポで絶叫したあたしを見て、ダルドが嘆息した。
「しかもおまえ、前にも会ってんじゃねぇか、四天王」
「へ? うそ」
「ドルダの奴だよ。あいつは邪鬼軍四天王“魔剣のドルダ”だぜ?」
…そうだったんだ…。
わりと素直に教えてくれるようなので、あたしは引き続きダルドへ疑問をぶつける。
「ところで邪僧って何?」
「簡単に言えば、道を外れた僧侶さ」
「道を外れたって、邪鬼の方に味方してる、ってこと? そういえば、あいつからは邪気を感じないし…」
あたしはちらりとドントを見た。
「あいつは自分の意思で邪鬼軍にいるんだよ。だから“邪僧”って呼ばれてんだ。…それで、そのおまえが何のようだ?」
「…本筋に戻るまでどれだけ時間がかかるんだよ、おまえらは…」
はいはい、すみませんねぇ。じゃ、とっとと話を進めましょ。
疲れきった表情のドントは気を取り直し、
「知れたこと。おまえが星天使と共に旅をしているということは、貴様を倒すついでに星天使も殺せて一石二鳥、と考えるのは当然だろう」
そういうもんか…?
それにしても邪鬼軍四天王が直々にご登場とは、ダルドの奴、よほど高く買われているようだ。
「セイラ。おまえ、木の影にでも隠れてな」
ダルドが剣に手をかけた。
「何で?」
「いいから、隠れてろ」
ぶーっ。あたしは不満たらたら。
「影にいれば、おまえは攻撃しにくいだろ? ドント」
ダルドがドントに向き直った。
「ふん。それで星天使をガードしてるつもりか?」
ドントの口元に笑みが浮かび、あたしは本能的に身構えた。ドントの笑みは、何か鳥肌が立つようなものを感じたからだ。
しかしそれも、結局は無駄な行為だった。
「うきゃあっ!?」
突然足元から黒いものが巻きつき、あたしは思わず悲鳴をあげた。
「な、何これっ!?」
あたしは必死に振りほどこうとするが、もがいてももがいてもその黒いものは全身に巻きついてくる。
蛇、とは違う。生き物だとは思えない。色は漆黒で、艶のないねっとりとした感触である。あたしの皮膚に吸い付くように密着してきて、縄のように全身を締め上げる。うう、息が吸えない。苦しい。
「ダルド。オレがあの時のままちっとも成長してないとでも思ってたのか?」
「なに!?」
慌ててドントの方を向くダルド。
こら、ふたりだけで話を進めるなぁ! その前にこれをどうにかしろ! っていうかこの黒い物体Xは一体何なのさ! 誰か教えろ~っ!!
あたしの思いももがきも完全に無視して、ダルドとドントの中に緊迫した空気が流れ続けた。
こらーっ! ふたりだけで話を進めるなっ! あたしにだって権利はあるはずだぞ!!
「ふっ…星天使は、一足先に邪鬼様の元へ送っとくぜ」
げ。
あたしはドントの言葉に嫌ぁな予感を感じ―――思った通り、あたしの体は、だんだん地面に吸い込まれてゆく。
――――ちょっと待ったぁ~!?
「わーひー! どうなってんの、これ!?」
あたしの悲鳴と重なるようにして、ダルドの剣と何かがぶつかる音がした。地面から黒いトゲのようなものが生え、ダルドに襲い掛かったのだ。
何が起こっているのか、さっぱりわからない。分かるのは、このまま地面に吸い込まれたら間違いなくヤバイということだけである。さっきあの邪僧は、「邪鬼様の元へ」と言っていた。どういう経緯をたどるか知らないが、そこへ連れて行かれてただで済むとは思えない。
冗談じゃない。
星天使だとか邪鬼だとか伝説だとか戦いだとか、周りが勝手に騒ぎ立て、そんなつもりもないのに星天使ってだけで狙われて、あげくこの年であたしの意思に関係なく巻き込まれて命を落とすなんて、たまったもんじゃない。
あたしはヤハマの地で平和に暮らしていただけだ。行きたくもない礼拝会のためにミーノの谷へ行く途中だっただけだ。みんなまで巻き込みたくなくて、ダルドと出会ってふたりで旅をして。ここまで来て捕まるとか、断じて許せん!
「いやーっ! ちょっとダルド、何とかしてぇ~!!」
必死の抵抗を続けるものの、あたしは変わりなく吸い込まれてゆく。速度すら遅くならない。
「こっちはこっちで手が離せねぇんだよ! この前の魔法でもぶっぱなしゃあそれぐらい消せるだろ、自分でやれ!」
ひどいっダルドってば冷たいっ!
「ダルドのバカ! 鬼っ! 冷血漢っ!」
あたしが知ってる限りの罵声を浴びせているとき、その声が飛び込んできた。
「サダルメリク!」
3人の誰でもない声だった。ふたりは勿論あたしまで吹き飛ばされ、あたしだけが誰かにキャッチされた。いつの間にか締め上げていた黒いものは消え、痕跡だけが皮膚のあちこちに青く残っていた。
「な、何だ!?」
さすがのダルドも驚いたらしい。飛ばされた、というより自分から飛び避けたようだ。綺麗にこちらを向いて着地して、剣先をあたしに、いや、あたしをキャッチした、吹き飛ばした張本人に向けた。
あたしはというと、お姫様だっこの形でキャッチされ、状況が飲めないままぽかんとしていた。ダルドのその様子にはっと我に返り、あたしを抱き上げている奴を見上げ―――また、呆然とその顔を見つめることになった。
あたしをキャッチしたのは、少年だった。青い髪で、あたしやダルドよりも少し年上。確か、あたしよりふたつ上だった。ドントと同じ、僧侶衣装に身をまっているが、色は白。背中に生えた羽は天使のものだ。頭に巻くバンダナのせいもあり、短い髪が立っている。このどうしても立ってしまうクセ毛が悩みだと、よく毛先をいじっているのを見かけている。
「ちっ、邪魔が入ったか」
自分が不利とみたのか、ドントは身を翻してこの場を去って行った。しかしそれも、あたしにとってはどうでもいい。
それよりも、問題は。
「…ウィル?」
呆然と、あたしは彼の…割り込んできた第三者の顔を見上げ、その名を呼んだ。
「よっ、セイラ。久しぶりだな」
彼は驚いているあたしの顔を見て、いつもの人のいい笑顔を見せた。
「知り合いか?」
そう訊くものの、警戒して握っているダルドの剣を持つ手は、全く緩まない。
「僕はウィル。修行しながら旅をしている僧さ。セイラのことは、子どもの頃から知ってるよ」
ウィルはダルドの方に向き直り、にこっとスマイル。むー、この笑顔でヤハマの地の女の子にファンが増えることに、こいつは気づいておらんのな。
「よくヤハマの地に出入りしてて、いつもミーノの谷に行くとき護衛してくれてたんだよ。今年はいなかったけど」
あたしは、ダルドに言う。ダルドと知り合ったばかりの時、ちらりとこいつの話もしたのだが。
しかし、どうして彼がこんなところに。いや、カーリンが言っていた、「魔物退治を引き受けてくれた旅の僧」は、やっぱりこの男だったんだ。確かに話を聞いたとき、彼のことが頭をよぎったし。そっかあ、まさかと思ったけど、本当にウィルだったんだ。あたしの予感って、外れないなあ。
そっかあ…。
「それより、セイ…」
言いかけたウィルが、あたしの顔を見て言葉を止めた。みるみるうちに、ウィルの目が丸くなる。
「セイラ…?」
何を驚いてるの?
尋ねようとして、あたしは自分の頬を伝った何かに気づいた。力んだままだった手の力を抜き、右手でぬぐう。手のひらが濡れた。
「あれ?」
一筋だけ流れた涙。無意識だった。どうして出たのか分からなくて、きょとんと濡れた手のひらを見つめた。
…そっか。安心したんだ。ウィルと会えて。
今まで平和に暮らしてたのに、急に命のやり取りだなんて。しかも一緒にいるのも知らない男で、自分でも気づいていなかったけど、ずっと心細かったんだ。見知った頼れる存在が現れて、張っていた気が少し緩んだに違いない。
「セイラ、どうしたんだ。どこか痛むのか? ああ、僕が魔法で敵ごと吹き飛ばしたから? ちゃんとセイラだけは手加減したんだけどっ…あ、君、痣だらけじゃないか!」
ウィルがあからさまにオロオロし始める。
「だ、大丈夫。何でもないからっ。とりあえず、ウィル、おろして」
あたしはウィルに、抱えられたままなのだ。言うとウィルは、そっとあたしを地面に立たせてくれる。
ちゃんと地に足が着くと、あたしはまだ湿っている左頬を、左手の甲で慌ててこすった。うう、ここ何年も泣いたことなんてなかったのに、情けない。
じっとあたしを見ていたウィルの視線が外れたのを感じた。そのまま彼の気配があたしから離れる。ふと顔を上げると、ウィルはダルドのすぐ目の前に立っていた。ダルドは、あたしとウィルが知り合いだと分かって剣は収めていたようだが、ウィルに対して警戒心を見せたままだった。
そのダルドの黒いジャケットの胸倉を、ウィルが乱暴に掴み挙げた。
「おまえ、セイラに何をした!」
普段の穏やかな彼からは想像つかない行動に、あたしは慌てて駆け寄った。
「ち、ちょっと、ウィル!」
止めようとするが、ダルドもウィルも互いににらみ合ったまま、あたしの存在は無視である。
ウィルはダルドより、頭一つ分ほど背が高い。どうしてもウィルはダルドを見下ろすし、ダルドはウィルを上目遣いに睨みつけ、ただでさえ目つきの悪い彼の印象はいっそう悪くなっている。
「待ってってばっ! ダルドは悪魔だけど、邪鬼と敵対視してて、あたしと一緒にミーノの谷を目指してくれてるだけなの! 悪いやつではないから!!」
しかしいくら叫んでも、ふたりの耳に届いている様子はない。
あたしを無視すんのも大概にしろよ!
いい加減いらだって、ふたりともぶっ飛ばしてやろうかと最後に怒鳴ろうとしたところに、殺伐としたこの場の空気に合わない可愛い声が聞こえてきた。
「ウィルさ~ん」
現れたのは、カーリンだった。森から現れた彼女は、この場の雰囲気に一瞬とまどった。しかし彼女の乱入によって殺気立っていたふたりの空気は少しだけ緩み、そして名を呼ばれたウィルは彼女の方へ視線を向けた。
「…カーリンさん。どうかしましたか?」
「え? 知り合い?」
あたしはウィルとカーリンのふたりを、腕が交差するかたちでそれぞれ指差し、尋ねた。