リン族
森の中を歩いていると、突然、女の子の悲鳴があたしとダルドの耳に届いた。
「あっちからだっ!」
「おっ…おい、ちょっと待て!」
駆け出すと、後ろからダルドの怒鳴り声が飛んできた。
無視!
◆リン族◆
そこでは、天使の女の子が魔物に襲われていた。紫色の髪に帽子。首に青いバンダナを巻き水色の上着に白いミニスカート、紫のブーツという、あたしよりも年下でかわいらしい女の子だ。
「レッツゴー、ダルド!」
茂みから飛び出し、あたしは魔物を指差した。
「バカかおまえ! 何でオレが行くんだよ!」
続けて現れたダルドに、あたしは頭を殴られた。
当然ながら女の子を襲っていた魔物が目標をあたしたちに変更したその時、やっとあたしは気がついた。魔物がアムジャーラだったことに…。
「げっ、アムジャーラ!?」
「まさか気づいてなかったのか!?」
珍しく、ダルドが驚きの声を上げた。
結局アムジャーラは、ダルドによって倒された。…どうせあたしじゃ倒せませんよ。
「助けてくれてありがとう。あたし、天リン族のカーリンといいます。」
例の女の子が、にっこりと微笑んだ。
「テンリンゾク?」
ナニソレ。
「リン族ってのは、頭に鈴の生えた種族さ。ひとりひとりが特別な能力を持っていてな。天リン族の『天』ってのは天使ってこと。悪魔は『魔リン族』っていうんだよ。」
「ほおほお」
あたし何度も頷く。どうやらダルドも、最近あたしの脳みその出来がわかってきてくれたようである。
「…でも、その天リン族が何でこんな森のど真ん中にいるんだ?」
「あ、はい。すぐそこに、リン族の里があるんです」
「リン族の里…ここらへんだったのか。…一応言っとくぞ、セイラ。リン族の里ってのは地名のまま、リン族が住む里のことを言うんだ」
「なるほどっ。だから『リン族の里』かぁ」
あたしはもう一度、大きく頷いた。そこでふと、重要なことに気づく。
「…あ、そうだカーリン。リン族の里に、医者っている?」
「医者? どなたか怪我をしてらっしゃるんですか?」
カーリンは訊くが、あたしもダルドもかすり傷ひとつある様子はない。当然だ。
「うん。実は、こいつがひどい怪我してて」
あたしがタオルで包んで抱いているウトチテレコを、カーリンは覗き込んだ。
「…ちょっと危険ですね。死にかけてる。…うちに来てください」
リン族の里。そこは、一見ほかの集落と変わりはしない外観の集落だった。しかし何となく、不思議な空気を持つ場所だった。一面がふわふわしていて、まるで夢の中にいるような…そんなかんじ。リン族の里というからには天リン族も魔リン族も一緒に住んでいるのかと思ったのだが、ここには天リン族しか住んでいないようだった。
「あたしの家はこっちです」
カーリンの家は、リン族の里の、村の中にあった。
「お帰りなさい、カーリン。…あら、お友達?」
カーリンの家に入ると、ひとりの女性が出迎えてくれた。
カーリンと同じ紫色の髪に、白いバンダナをつけた天使。年はククと同じくらいだろうか。どことなくカーリンの面影を持つ女性だ。
「あ、セイラ様ではないですか」
女性が目をぱちくりさせてあたしを見た。
「えっ…星天使様だったんですかぁ?」
びっくりした表情であたしを見るカーリン。そういえば、名乗ってなかったな。
「うん…まあ」
あたしはぽりぽりと頬をかいた。で、この女性は…?
「わたしはカーリンの姉、ランリンといいます。よろしく。」
女性がにっこりと微笑んだ。どうやらあたしの疑問は顔に出ていたようである。
「セイラさま。その子を早くこっちに」
「あっ、はいはい」
あたしはテーブルのスペースを広げているカーリンの所へ、ウトチテレコを連れて行った。カーリンはウトチテレコを受け取るとテーブルの上に寝かせ、傷の上にそっと手をかざした。
「カーリン? 一体どうし…」
言いかけたセイラの肩に、優しく手が置かれた。振り返ると、ランリン姉が人差し指を唇の前で立ててウィンクした。
「大丈夫です。面白いものがみられますよ」
面白いもの?
あたしが視線をカーリンに戻すと、彼女の手から優しい桃色の光が放出されていた。その光に包まれたウトチテレコの体から、傷跡が文字通りみるみるうちに消えてゆく。
「…驚いたな…」
珍しく、ダルドが感嘆の呟きをもらした。
「リン族はひとりひとり特別な力を持っているとは聞いていたが…あんなにひどかった傷が跡形もないとは…」
「世の中って広いねぇ」
あたしが言うのと同時に、カーリンの手から光が消えた。
「…これでもう大丈夫ですよ。3日間くらい安静にしていれば、すっかりよくなります」
カーリンはあたしとダルドのほうを振り向て、微笑んだ。
「本当? よかったぁ」
「…怪我が治ったのはいいとして…自分の心配した方がよくないか?」
「は? 何で?」
すると、ダルドはまたいつもの呆れた顔をして、
「おまえ、ウトチテレコって魔物のことわかってねぇんだな。ウトチテレコってぇのは気性が荒い魔物なんだ。元気になったらなったで危険なんだぞ」
「大丈夫、大丈夫」
「根拠は?」
「何とかなる、なる」
「…おまえに真面目な話を振ったオレがバカだった」
ダルドは、深いため息をひとつついた。まったく失礼な。
「ところで、セイラさま。リン族の里へは、どうして?」
ウトチテレコをタオルで包みながら、カーリンが尋ねてきた。
「うん、もうすぐ礼拝会があるでしょ。ミーノの谷に行く途中で通りかかったんだ」
答えると、ミーノの谷、とカーリンは小さく呟く。
「…そういえば例の僧侶さまも、ミーノの谷に行かなくちゃっておっしゃってたね、お姉ちゃん」
「そうねえ、いつまでもお引止めはできないわね」
ランリン姉は、話を振られた妹に苦笑いを返した。あたしはその会話の中で、気になる単語を拾っていた。
「僧侶さま?」
「ええ、今リン族の里は、よく魔物に襲われるんですよ」
頷いたのは、ランリン姉だ。
「いつも追い払ってはいるんですけど、そう毎日毎日戦い続けるわけにもいかなくて、困っていたところに、天使の、旅の僧侶さまが通りかかったんです。事情を話したら、それならその魔物たちをここにやっている悪魔をたおしてくるって言ってくれて…」
旅の僧…お人好しな天使…ケンカが強い…。
何だか、ミョ~に誰かさんを思い出すんですけど。
「どうしたんだ? らしくもなく考え込んで」
まっさきに、ダルドにばれた。こいつ、まだ1週間くらいしか一緒にいないのに、とっても心を見透かされてるような気がするのは気のせいか?
「いや…あたしの知り合いにも、旅をしながら修行してる僧侶がいてさ」
「どんな方なんですか?」
訊いてきたカーリンの方にあたしは向き、
「魔法の腕は、ひとり旅ができるくらいだから結構なもんじゃないかな。いっつもニコニコしてて、いい奴だし強いけど、お人よしで自覚症状まったくゼロ」
「…おまえに『お人好し』『自覚症状』と言わせるとは…重症なんだな、そいつ」
どういう意味だ、この赤毛。
「ま、そうそう旅先で知り合いと遭遇するなんてこと、ないだろうけどねぇ。だいたいあたし、今回はいつもと全然違うルート使ってるし」
あたしはひとりで納得し、話を完結させた。
…しかし、何だろう。妙な予感がするような…いや、気のせいだろう。とっとと忘れることにしよう。
そして翌朝は、きれいな快晴だった。今日もいい旅日和だ。
昨晩はけっきょく、カーリンの家で夕食をいただいて、一晩泊めてもらったのだ。幸いあたしやダルドがいる間に目立った魔物の襲撃はなくて、ゆっくり休養させてもらうことが出来た。もっとも、例の旅の僧とは会えなかったけれど。
「よ~っし、今日もミーノの谷目指して行くぞっ、ダルド!」
元気にどこかをびしぃっと指差しつつガッツポーズを取るあたしを、ダルドは呆れ顔で見てきた。
「…おまえ…その元気って一体どこから湧いてくるんだ?」
「あっちこっちからっ!」
迷わず即答するあたしに、ダルドは深い、深いためいきをついた。…なんでぇ?
「それよりおまえ、もう行くのか? てっきり『ウトチテレコが元気になるまでここにいる』とか言い出すかと思ったが」
「まあね。でもウトチテレコはカーリンとランリン姉が見てくれるって言うし、ダルドだってさっさとミーノの谷に行きたいんでしょ? なら、もうあたしはいなくてもいいかなって思って」
「ふぅん…おまえにも学習能力ってもんはあったんだな」
むかっ。
何だか最近、ダルドの一言がいちいち癇に障るんだが、あたしの気のせいじゃないよね? うん、気のせいじゃない。ほら違った。
「あんた、ケンカ売ってんの?」
「褒めてやってんだよバーカ」
「バカってけなしてんじゃんか!」
あたしとダルドはいつもの口論をしながら、リン族の里を後にした。
…とはならなかったんだよなぁ、これが。