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後編

 平安時代の中期、東の京(左京)の紅梅殿(菅原道真邸のあった文庫)近くに、高貴な貴族の館がありました。古くは帝の血筋を組むその家は、代々優秀な歌人を生むことでも有名で、多くは学者として天皇に仕えました。


 その一家の一人娘が、幼い頃行方知れずになったことがあります。


 世の噂によれば、その家の繁栄をうらやむ何者かに、かどわかされたのだろうといいます。けれどもそれから何の音沙汰もなく、その娘は、わずか半時ほどのちに無事に保護されたのです。華やかだった小袖も袴も、薄汚れておりました。けれども幼い身体には、一つの傷もありませんでした。


 娘の不思議な体験は、都の人々の興味を惹きました。さまざまな憶測が流れ、ありとあらゆる伝え話が創られました。主への怨恨。嫉妬。そして、幼いながらも美しい少女への思慕など。それは、人々の心を躍らせました。


 けれども、他愛ないそんな噂は、幾日も過ぎれば忘れ去られてゆくものです。しばらく経つと、人々は日常の忙しなさに紛れ、面白い伝え話も哀れな娘のことも、次第に忘れてしまいました。


 多くの人々は知らなかったのです。娘が発見されたその場所が、噂されるように邸のすぐ近くではなく、西ノ宮(右京)の奥であったことなど。


 暗く荒れ果てて、悪霊(物の怪)が闊歩すると言われる廃墟であると。




    *    *    *




「・・・姫さま」


 女房の小萩は、ぼんやりと宙を見つめる主にそっと声をかけました。若々しい重ね着の袖が、鮮やかに几帳の隙間から覗かれます。つやつやとした黒髪の娘は、長い睫毛を動かして、小萩をゆっくりと見上げました。


「なぁに」


 唇からこぼれる声音は、鈴の音のように澄んでいます。年をおうごとに確実に、少女はたおやかになってゆくようでした。


「お云い付けのものを、持って参りましたわ。ほら、立派なものでございましょう」


 努めて明るく、小萩は云いました。毎年この季節になると、言い表すことの出来ない不安が湧いてくるのです。


「・・・まぁ」


 少女は感嘆の声を上げました。幼き頃から噂に聞いた美しさは、裳着(もぎ)を上げた一昨年より、眩しいほどに輝いています。妻問いの文は数え切れないほどですが、主は一向に興味を示しません。年の割りに無邪気なその面持に、小萩はそっと息を吐き出しました。


 少女は、館に戻ってきた10年前より、「笑顔」というものを忘れてしまったのです。大きく嘆くこともなく、激しく苛立つこともなく。少女は、ただ穏やかに、ゆるやかに、時の流れに身を任せているようでした。


 内心気をもみながらも、小萩は丁寧にそれを主へと差し出します。


「今年は、近くにとんと見当たらなかったとのこと。下郎たちが遠くまで足を運び、ようやく手に入れたそうでございますよ」


 少女は、白く細い指先でそっと、差し出された花瓶を引き寄せました。


「昔はたくさんありましたのに。おかしなこと」


小萩の何気ない呟きに、少女は微かに首を傾げました。視線は花瓶の中のものから、ちらとも揺れません。化粧気のない頬が、薄紅色に色づいていました。


「きれいね・・・」


 少女は、ぽつりと言葉を落としました。


 そのあまりに澄んだ響きに、小萩は急に不安になります。少女の言葉は本当に、目の前の草枝に向けられたものであるのでしょうか。うっとりと赤い袋を見つめるその様子は、匂い立つような色気がありました。


「小萩・・・」


 不意に、主は顔を上げました。わずかに緩んだ口元は、今から微笑を形作ろうとしているようでした。


「ふうこは以前、これをたくさん見たことがあるの」

「・・・姫さま?」


 小萩の視線は、戸惑いで揺れていました。


「でもその時は、この名前を知らなかった。・・・いいえ、知ってはいたけれど、それは真の名ではなかったのね」

「・・・・・・」


 少女は、淡々と喋ります。静かに紡ぎ出される言葉は、穏やかなようでいて、とても怖いものであることを、小萩は感じていました。とっさに、耳を塞ぎたい衝動にかられました。けれど、聞いても聞かなくても、その結果を変えることは出来ないことも、解っていたのです。


「ふうこは、これをほおずきだと思ってたわ。でも・・・」


 少女は、ゆっくりと微笑みました。

10年ぶりの微笑みは、まるで大輪の百合の花のように、清純で薫り高く、そして艶やかでした。



「でも、これは、・・・・・・鬼灯(ほおずき)だったのね」





 その翌日、小萩の主は姿を消しました。

 それは、あの幼い日からちょうど、十年目のことでした。




    *     *     *




 その晩、都の天上は赤く燃え上がり、数千数万もの鬼の行列が夜空を渡ってゆきました。気の早い雪の結晶が降りそそぎ、紅い光に輝きを散らしました。どこからともなく荘厳な音楽が響き渡り、熱く高雅な香りが、むせるほど立ち上っていました。


 華やかな鬼の行列の先頭を行くのは、真紅の髪と真紅の衣装の光り輝くひとでした。圧倒的な存在感と、痛烈なまでの猛々しさ、そして、この世のものとは思えない神聖な美しさ。それは強き鬼神だと、誰もがひと目で理解しました。


 眩いばかりのその輝きの中に、たおやかな乙女がいたと、ある人は云います。乙女の周りは純白の甘やかな光で包まれており、まるで花嫁行列のようであったと、ある人は云います。揺るぎなく(おごそ)かな光に守られて、乙女は幸せそうに微笑んでいたと。


 ・・・幸せそうに、ほほえんでいたと・・・。




 平安京の民の、他愛のない伝え話でございます。



おしまい

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