忘却の彼方に花色の風を
「へぇ……」
凬巻散理は思わず感嘆の言葉を漏らした――その目の前にあるのは、どこまでも広がる終わりなきフリーウェイ。
ネオンで彩られた天空を縦横無尽に交差するように展開されたそのアスファルトの道は、もはや道路というよりもアスレチックの方が適切かもしれない。
前を向けば地平線まで続き、後ろを向いてもただ同じ景色が広がる。
道路の端から下を見下ろして見れば多少なりとは地表の景色が見えるが、どこか霧がかかったかのように掴みどころのない風景だ。かろうじて、煌びやかなネオンライトの瞬く高層ビル群があるようには見える。
覚えのあるものに例えるなら……ドバイか。手のひらの中で小さなスマートフォンをクルクルと回しながら、散理は記憶を呼び起こした。
まあ、ドバイにもこんな安っぽいレースゲームじみた天空道路なんて無かったが。さながら、幼い子供が空想したような姿をしている。
「確かに『思い出されることを待つ道』……なんて言われるだけはありますね」
この不可思議な空間の名前は『思い出されることを待つ道』。地球のどこかの地点に存在する、一種の残留思念とも呼べる代物だ。
オカルトの界隈では少し前から話題に上ることも無くはなかったが、最近はめっきり聞かなくなった。十中八九飽きられたのだろう、次から次へ新しい情報が来るのに、ひとつだけにすがりついてやっていくのは難しい。
「……」
ならばなぜ、散理がここにいるのか。
それは彼が、ふとこの地を『思い出した』からだ。
「まあ、だからと言って特段の関心もなかったわけですが……ふん、よほどこの世界は人が恋しいと見えますね」
散理はオカルト研究家でも何でもない、単なる一人の社会人に過ぎない。ずいぶんと昔に、少し話を聞いた程度である。
確かそう……人々に見向きもされずに消えていった、あるいは捨てられてしまった様々なもの――これは物体的、あるいは情報コンテンツ的かどうか問わない――の悲しみが積もって、時折こうして人間を招き入れるんだそうだ。はっきりと、思い出してもらうために。
ここまで豪華な虚飾も、どうにかして人々の注意を引こうとした微かな努力なのかもしれない。
だが、今となってはこの『思い出されることを待つ道』の存在自体が忘れられつつある。皮肉な話だ、と思った。
今回招かれた散理が、時の彼方に忘れている事といえば……。
「まあ、自分の忘れていることを自分が知っているわけもないですからね」
散理は首を軽く振る。
もしこの場所が彼の聞いた話の通りだとすれば、この道をずっと行った先に、彼が来ることを望んでいる何かが待っているはずだ。
道中に現れる不思議なものを見ながら、進んで行けば出られるだろう。
「……ふむ」
一歩、また一歩と足を進めるごとに、孤独な道の上に数多の残影が現れては消えていく。それぞれ、誰かが忘れ去ってしまったものたちなのだろう。
でもそれらは、散理が思い出すべきものではない――
「なるほど? 『そういうもの』として定義されれば、ここでも十分にその性質を引き継ぐということですか」
散理はふと顔を上げ、道路の先で佇む何かに視線を向けた。
ところで、この世界で『幽霊』だの『怪奇現象』だのといったものが起こるメカニズムは断定されていない。そもそも、はなから『存在しないモノ』として扱われているのもある。
しかし、実際には間違いなく『存在する』。なぜならば……。
「『テセウスの夢』――」
彼自身、非現実とされる『魔法』を誰よりもよく知っているからだ。
――カシャン!
わずかなフラッシュライト、シャッター音と共に空中に氷塊が出現――厳密に言えば宙に浮かんでいたなにかが凍結した――、そしてそれは瞬時に斬り刻まれて消える。
散理は軽い手つきでクルクルとスマホを回しながら構え、そのシャッター範囲に道路の先を収めた。
「……」
「SAMURAI IS DANCIN――……」
ソレは踊っていた。
まるで小学生が考案したような、下手なマスコットキャラクター……とでも言うべきものである。メタリックグレーのデスクトップパソコンに手足と目、そして剥き出しの脳をつけた『サムライ』。
一振りの立派な刀はダンス中は静かに宙に浮いている。
なんとも奇怪な姿だ、と散理は率直に思った。
「煽りのつもりでしょうか」
その奇怪千万な『サムライ』はひとしきり珍妙なダンスを続けた後、ふと動きを止めて散理を見た。
「――BEFORE PUNISH YOU」
「っ!」
突如それは居合斬りに転じた!!
目にもとまらぬスピードで白銀の刀を抜き放ち、刀身に反射する光さえも置き去りにして散理へと斬りかかる。
「……! なかなか厄介な『敵』だ」
かろうじて回避が間に合い、真っ二つにされることは回避できたが……これで連続居合斬りなんてかまされたらたまったものではない。
再び浮遊する鞘に刀を収め、どこか堂々とした佇まいで散理へと向き直る『サムライ』。
おそらく、あれも誰かが忘れ去ってしまったものなのだろう。どこの子供のアイデアか、『踊って刀を振るう強いパソコン』なんて設定を付加されたと見える。
「なるほど面倒ですね……」
「SAMURAI IS DANCIN……」
ここにあるさまざまな物は、もとの主に思い出してもらえば消えていくという。
……ところが残念ながら、この『サムライ』は散理が忘れたものではない。ならば、正面から叩き潰すのみだ!
「『テセウスの夢』!」
カシャン!
散理がスマートフォンのカメラで『サムライ』を撮ると同時、その体に薄くない氷が張りついた!
凬巻散理の『能力』は『テセウスの夢』――カメラで撮影した対象を凍結させる能力だ。文字通り、未来永劫変わらない写真のように美しくあれ――と!
「はぁッ!」
「!!」
ドガンッ! 周囲に鈍い音が響き、青氷の砕ける音と共に鈍い低音が轟いた!
散理の全力の蹴撃をお見舞いされ、『サムライ』の筐体は大きく凹む。
だが時を同じくして、空を切るような音が聞こえ――
「ちっ……!」
散理の左腕から、激しく赤い血が零れ落ちた!
周囲を浮いていた布切れ――正確にはその記憶――をひっつかみ、無理矢理腕にきつく巻いて止血する。焼け付くような鋭い痛みはそう収まりそうにはないが……。
「……ならひとつ、勝負をしましょうか」
かつん、と散理のスニーカーが軽い音を立てた。
「かけっこ、と行きましょう――」
バッ、と散理の身体が宙を舞う!!
急斜面となっていた『思い出されることを待つ道』の奥へ、散理がその身を投じる!
「SAMURAI IS DANCIN……」
その獲物を逃がすまいと、『サムライ』は再び剣を構える。もはや瞬間移動のようなあの居合のリーチがどれ程なのか、気になる所だ。
地理は全力で捻じれた道の上を走り続けながら、横目でさまざまな記憶を探し続ける。
「ははっ……」
彼に勝機はある。だが、それにはこの無数の物たちの中から、キーパーツ足り得るものを探し出さなくてはならない。
幸い、十分範囲は広い。すぐに見つけることはできるはずだ。
「……あった!」
しばらく走り続けた時にようやく見つけた。走りながら手を伸ばし、それを強く握りしめる!
「『テセウスの夢』!!」
凍結させたそれを、勢いよく、だが正確に後方へ向かって投げ飛ばす!
そしてそれが飛んで行った先は――ちょうど、『サムライ』の足元だ!!
「BEFORE PUNISH YOU――」
――ズガァンッ!!
散理が凍結させたのは一冊の絵本。能力によって完璧に凍結したことで摩擦が極限まで下がり、そのタイミングで飛び出した『サムライ』は制御不能なまでに加速したのだ!
奥の道路に激突し、アスファルトのかけらを撒き散らしながら大きくクレーターが抉れる。
「逃がすか――!」
さらに続けて蹴り飛ばす!
ゴロゴロと憐れな『サムライ』は道路を転がされ、ようやく止まった頃には見るも無残な姿となっていた。だがその蒼い目に灯る堂々たる気迫は、まったく失われていない。
「まだ、やりますか」
『サムライ』は刀を杖にし、なお誇りを持ったまま立ち上がる。見てくれこそシュールなマスコットだが、その侍魂は本物のようだ。
「SAMURAI IS DANCIN――……」
ならば、今度こそその脳を吹き飛ばしてやる。
散理は深く一呼吸置き、アスファルトの地面をつま先で二度蹴った。
「――BEFORE PUNISH YOU」
「ぶっ飛べ!! 『テセウスの夢』!!」
凍結して生まれたほんの一瞬の隙を突いて、その剥き出しの弱点を、的確に、消し飛ばす――……
『ひとつだけ、僕から注意しておきますよ。ふふっ』
「……!」
ふと道の先から聞こえてきた声に、散理は足を止めた。
視線を上げるとそこにいたのは、サイズの合わないワイシャツを着た少年が立っていた。にこやかな笑顔を浮かべた、年齢にしてまだ六、七といった程度の少年だ。
輪郭や姿ははっきりしているが、不思議と髪色や細やかな顔立ちなどはよく分からない。
しかし、その雰囲気は歳に見合わないどころか、むしろ大人よりも落ち着き払っているようだ。……同時に、洞窟の奥を覗きこんだような底知れなさもある。
『それの脳は別に弱点でも何でもありません。唯一の対処法は――落とすこと』
少年が歩みより、『サムライ』の腕をひっつかんで道路の外へ投げ飛ばしてしまう。『サムライ』は手足をジタバタとさせながらも、どこか呆れたような雰囲気で落下していった。
それから、また散理の方へ向き直った。
「……あなたは?」
『ここにいるということはつまり、僕もとある人に忘れられてしまった存在なんですよ。……さて、歩きながら話しませんか?』
「ふむ……」
少年は散理の返事を待つ気はなかったのか、軽く笑顔を向けるとひとりで歩き出してしまう。
たった今『サムライ』が突き落とされてしまった道の下を覗きこみ、少しばかりぼやけた景色を眺めてから、散理も少年と肩を並べて歩く。
「年齢のわりに、随分大人びているようにも見えますね」
『あははっ、よく言われます。でもどっちかって言ったら、ただ少し頭が良くて、生意気なだけのほうが適切でしょう』
「そう……ですか」
どこか記憶にあるな、と散理は思った。
『ほとんど毎時間授業を抜け出して、校庭の花を観察したり、空を見て雲をスケッチしたり……。しっかりした、大人びた子供はそんな不良じゃないですし』
「ええ」
『僕がそのまま中学、高校と上がっていっても、やっぱりそうやってサボってばっかりなんでしょうかね?』
「……そうかもしれません。ところで、ひとつ質問をしても?」
少年が少し振り返り、嬉しそうな笑顔を見せる。
『もちろん』
「化学と物理はお好きでしょう」
『ははっ、大好きですよ! とりわけ有機化学は僕が特に好きな分野でね。有機化合物はペットボトルだってそうですし、薬品もそうです。設計図――それか、美しいオブジェのようだって思いませんか? 周りから見たらそうでもないみたいですけどね、あはは』
よっぽど化学に興味があるようだ。少年は生体分子だの、創薬研究だのについて、到底子供とは思えない知識をスラスラと語ってみせる。
散理はその話の内容をすべて知っていた。どこかで――どこで誰にいつ、すべて忘れてしまったが、自身も無邪気にそんな話をしたことがあったからだ。今でこそ人を食ったような人間だが……。
……一度大人になってしまえば、子供時代は戻らない。
『ああ……すみません。思わず長々と話してしまいましたね。ここにいると、そんな話ができる機会なんてそうそうないものですから』
そう呟いて肩を落とす少年。
ようやく、彼らの単調な道が終わりを見せ、かわりに大きな塔が現れる。その表面は白と黒の美しい幾何学模様で飾り上げられており、その隙間に緻密に計算された窓ガラスが、精巧なステンドグラスのように嵌められていた。
もう、散理はこれを虚飾だとは思わない。
『これは僕がエレベーターボーイを務めているタワーです。みんなからは「ウィンドチャイム塔」なんて呼ばれてて……かわいい名前ですよね。ここに流れ着いた素材を張り合わせたのも僕で、なかなかいい出来になったと思います』
「あなた一人でこれを?」
思わず散理は呟いた。この天を衝くような、とても大きなエレベーターを作り上げるのに、いったいどれだけの歳月を費やせばいいのだろうか。
『あははっ、もちろん僕だけの力じゃ無理ですよ。設計は僕が立てましたけど、他にもここにいる友達がいろいろ協力してくれましてね。ほら、さっきの「サミュライ」くんも僕の友達のひとりなんです』
嘆息する散理。
「……あなたを尊敬しますよ。はっきり言って、今の僕ではこんなものは作れそうにない」
情熱なんて、とっくのとうに置いて来てしまったから。
少年がエレベーターの正面へ歩み寄ると、小さな噪音と共に両開きドアが開く。
『じゃあ、どこまで行きましょうか?』
「そうですね。……では、僕が行くべきところまで」
散理たちはそっとエレベーターに乗り込んだ。少年が操作盤を少し触ると、エレベーターはゆっくり動き出す……。
ゆっくり上っていくエレベーターの中で、エレベーターボーイを務める少年はどこか名残惜しそうに、窓の外を眺めていた。
『気持ちの整理は十分つけていたはずなんですけど。……でも、少しだけ、寂しいですね』
「……僕がこの先に着いたら、やはり、あなたは消えてしまう」
『はい。僕はここで、たくさんの友達もできましたから……だからやっぱり、寂しいが勝っちゃいます。でも……誰にも憶えられないでいるより、憶えられたまま消えるほうが、とても幸せだと思いませんか?』
「難しい問いですね」
先ほどまで鮮明だった少年の輪郭は、はやくもぼやけ始めていた。
彼を忘れていた人物が、彼のことを思い出しているからだ。
主に忘れ去られた記憶がこの『思い出されることを待つ道』へ集い、再びいつか思い出されれば、『思い出されることを待つ道』からはいなくなる。
それが幸せなことなのか……それとも、辛い新たな悲しさを残していくのかは、本人ですらよく分からない。
『もうそろそろ、着きますよ』
窓から散理へと振り向いた少年は、少しだけ涙を零していた。指で涙を拭い、そんな姿をごまかすように明るい笑顔を浮かべる。
ガタン……と軽い振動が伝わり、足場の上昇が止まった。ドアがゆっくりと開き、最後のわずかな道が姿を見せる。
「……」
先ほどまでと変わらない、単調なアスファルトの道が少しだけ伸びて、そして途切れていた。その短い道の最後に、一冊のノートブックが少し寂し気に落ちている。
ただの落書き帳だ。いくつも濡れたり、折れたりした痕が残っていて、この持ち主の小さな冒険を想起させてくれた。
手に取って中をめくってみると、そこにはたくさんの思い出が籠っていた――小さな花のスケッチ、雲の観察、化学のメモ。少し幼さも見て取れる、可愛らしい鉛筆の筆遣いだ。
『ふふ……』
少年は散理の邪魔をしないよう、後ろで静かに目を拭っていた。
「子供の頃の思い出なんて、とうにすべて忘れていましたよ」
『はい。でも……今、こうしてあなたは思い出してくれた』
「奇遇なものですね……」
しっかりと、時間を掛けて散理はその落書き帳を読む。ページをめくるたびに、なぜかこれを描いた情景が鮮明に思い起こされた。内容なんて、もうまったく覚えていないはずなのに。
「すべて、読ませてもらいました」
『はは……はい。すごく嬉しいです』
最後のページまで読み終え、散理は落書き帳を閉じる。裏表紙の名前欄には、マーカーペンで拙く名前が書かれていた。
……『凬巻散理』。
『ありがとうございます。……もう、引き留めることはしませんよ』
静かに散理は頷き、ゆっくりと手を振って――『思い出されることを待つ道』から姿を消した。
* * *
『……僕ももう、さよならですね』
幼い凬巻散理は、去ってしまった彼の後ろ姿から視線をずらし、感慨深げにこの『思い出されることを待つ道』のネオン街を見下ろす。
『いるなら出てきたらどうです? 最後の挨拶もしてくれないんですか、「サミュライ」、マルタ』
『う……見つかっちゃった』
エレベーターの裏から、先ほどの『サムライ』、それから金髪の少女が姿を見せた。散理に対しては終始敵対的だった『サムライ』だが、こちらの散理やマルタの前では大人しい。
『あんな……ムードになってたらさあ、なんかマルタが邪魔しちゃうの、気が引けるじゃん』
『ははっ、さよならくらい言ってくれてもいいんですよ』
『むぅ』
『……』
ぽんぽん、と順にマルタ、『サムライ』の頭を軽く撫でる散理。それにマルタは急に涙が溢れてくる――。
『……うぅっ……!』
ぎゅうっ――と、マルタが散理に強く抱き着いた。
『チリお兄ちゃんがいなくなったら……マルタどうすればいいの……。寂しいよ……これからずっと』
『「サミュライ」がいるでしょう。それに、他の友達もたくさん、ここで出来たじゃないですか』
『でも……!』
引き留めてやるな、とばかりに『サムライ』がマルタの肩を叩く。どことなく、リーダー的というか、年長者じみた雰囲気があった。
『……じゃあ、じゃあ、マルタ、チリお兄ちゃんのこと憶えてるから。きちんと』
『ふふふっ……。ありがとうございます』
『チリお兄ちゃんも、マルタのこと忘れないでね……。次、いつか会ったらさ、ちゃんとマルタのこと憶えてるか聞くから』
困った子だな、と散理は笑う。
『もちろんですよ。マルタも、「サミュライ」も、それ以外のみんなも。僕にとってかけがえのない友達ですから……きちんと、憶えています』
『……うぅ……』
マルタも必死に涙をこらえようとしているのだろう。彼女なりに、散理に心配をかけさせまいと頑張っているのが分かった。
――ぱさっ。
『!』
マルタの肩に、軽く一枚のジャケットが掛けられた。散理が自分の服を掛けたのだ。
『一緒ですよ』
『……!』
散理に向けて、『サムライ』もひとつ頷く。
『では、また。思い出の先で、会いましょう』
『うん……ぐすっ、また、ね!』




